66 ダイvsフレイザード戦2 (5)

 

 ヒュンケルに引き続いて、ダイもフレイザードの攻撃を浴び、勇者一行の全員が多大なダメージを受けて倒れてしまった。
 この時、唯一動けるだけの気力と体力を残していたのは、マァムである。

 彼女は這いずって、ダイのところに向かおうとしている。全員の中でもっとも攻撃力が高いダイに望みを託そうとしたその考えは、間違ってはいまい。
 だが、マァムはいつもそうだが判断が甘いのである。

 僧侶戦士であるマァムは、攻撃にも回復にも力を発揮できる。だが、いざとなればどちらとしても行動できるという思いが、彼女の油断になっている。実際に回復が必要となる時になるまで、マァムは中途半端な立ち位置で周囲に合わせて戦っているだけの時が多いのである。

 なまじ普通の僧侶よりも戦えるという自負があるため、マァムは自分の身を防御する考えが薄い上、積極的に前線にでる傾向があるが、そもそもその判断が間違いの源だ。

 僧侶の基本行動は、仲間の援護、回復に専念することだ。
 最初から回復するべきタイミングを見計らうことに専念し、その必要がない限りは待機を行うのが、本来の僧侶の役割だ。

 その際、攻撃力がそこそこあるのであれば待機中に攻撃するのもいいだろうが、魔の森に出現する怪物達相手ならともかく、ダイ達と一緒に旅をする様になってからはマァムの力は強くなっていく敵に対応しきれなくなっている。

 大体、前衛としては攻撃力でも防御力でも勝るダイの方が適しているし、魔法による後方援護もポップの方が優れている。
 しかも、二人とも回復能力は全く持っていない。

 それを思えばますますマァムは回復に専念していた方がよいのだが、彼女は魔の森で一人で戦っていた時から戦いに対する考えが成長していない。状況や仲間の組み合わせによって戦いを変化させるという対応をとれない、融通の利かなさがあるのだ。

 そんな点に、一度覚えたマニュアルをあらゆる場面に適応させようとする優等性的思考を感じる。

 また、彼女がフレイザード戦でまったく活躍できない理由の一つとして、魔弾銃の使用方法の幅の狭さが上げられる。
 マァムの魔弾銃は、基本的に他人が詰めた魔法が入っていることが多い。

 ネイル村にいたことは長老に頼んでいたが、旅に出てからはおそらくはポップの魔法を入れていたのだろう。だが、マァムはそれがあまり意味がない行動だと、気がついてはいない。
 常に三人で旅をしている以上、攻撃魔法が必要な時はポップに任せる方が効率がいい。
 ポップが魔法を放つ際に同時にマァムも同種の呪文で攻撃を仕掛け、威力を底上げすると言う戦法は使えるものの、正直、それはマァムの意思や考えで行っているようには見えない。
 魔法の同仕掛けをする際は、必ずポップの方から指示を出しているのだから。

 魔の森で一人で戦わなければならないという立場なら、マァム一人では遠距離攻撃が全くできないわけだし、その欠点を解消してくれる魔弾銃に様々な魔法を詰めておくのは役にたっただろう。

 しかし、マァムの魔弾銃に装填されている呪文だが、あれはマァム本人の意思で選ばれているとは考えにくい。
 その根拠としてあげられるのが、ネイル村でマァムが弾を使いきったから長老に入れてもらいにいかなきゃと言った後、ポップが代理を申し出たシーンである。

 マァムはポップが魔法を入れてくれるというのを素直に喜び、彼にその作業を任せっきりにして自分は家の手伝いへと戻っている。
 弾に装填する魔法にこだわりがあるのなら、そんな真似はとてもできまい。

 せめて、何と何が欲しいなどの注文はつけるだろう。だが、彼女には全くそんな素振りは見えない。

 マァムにしてみれば、弾を補充してくれるのは魔法使いの役目、自分はそれを使うだけという役割分担を無意識のうちにしていたのだろう。つまり、彼女には目的に沿った魔法を予め用意しておく計画性が最初から皆無なのだ。

 マァムのその思慮の浅さは、魔の森時代は長老がカバーしてくれていた。
 攻撃魔法の威力そのものはポップの方が上だろうが、長老はさすがに年の功というべきか、魔法の選択肢が渋かった。クロコダインとの初戦でマァムの活躍が目立ったのには、魔法の選択肢の幅の広さが理由としてあげられる。

 攻撃魔法だけでなく回復系の魔法も持っていたし、氷系の魔法を攻撃のためではなく敵の武器を封じるための補助として使ったりと、マァムの弾の選択肢は多様性があった。だが、ヒュンケル戦での幻惑呪文を最後に長老からもらった弾が尽きたのか、マァムの魔弾銃には攻撃魔法オンリーになっている。

 ポップもマァムのために、氷系系魔法や火炎系魔法、閃熱呪文など自分に使える範囲の種類をいれているのは認めるものの、悲しいかなこの時のポップは攻撃魔法以外は一切使えない。

 そして、マトリフの教えを受ける前のポップは、補助魔法の重要性を軽んじてる傾向があった。そして、魔弾銃に入れる魔法にこだわりを持たないマァムは、あらかじめ回復魔法を装填しておく、という発想が最初からなかった。

 魔弾銃に回復系の呪文を詰めておけば、いざという時に即座に仲間を回復できる。
 そのことは知っているはずなのに、マァムはその準備を見事に忘れきっている。這ってダイの側に行くのでは無く、魔弾銃で回復魔法を詰めて打てば遠い距離からでも回復は可能だった。

 用意はしていなかったとしても、空となった弾に魔法を込めても良さそうなものだが、マァムはそれもやってはいない。

 魔弾銃を利用しないのであれば、一番近くにいるクロコダインをとりあえず動ける程度にでも回復させ、彼に盾になってもらいながらダイに近付き、ダイの回復をするという手でも良かったはずだが、マァムはどこまでも単独行動が身に染みついているようだ。
 傷ついたダイを見て、とにかく彼を回復しようと単独でそちらに向かおうとしている。
 そのせいで、マァムはフレイザードにあっさりと見つかり、足で手を踏まれて動きを封じられてしまっている。

 だが、その時に実体化したフレイザードは、炎と冷気が消えかかった姿になっていた。弾丸爆花散の影響でエネルギーを使い果たし、著しいダメージを受けたフレイザードを見て、マァムはなぜそこまでして戦うのかと問いている。

 弱ったフレイザードを見て、戦いの好機と考えるよりも先に疑問や彼への同情を感じているのだ。
 この辺りにも、マァムの戦士への不的確さが現れているような気がしてならない。

 実際、勝利のみが自分の証明だと言い切るフレイザードをマァムは哀れんでいるが、それはなんの意味も持たなかった。
 他者の苦しみを理解しようとし、助け手を差し延べようマァムの優しさは、ヒュンケル戦ではプラス方向に作用した。

 だがそれは、ヒュンケルが自分の中の葛藤に苦しみ、助けを求めていたからだ。
 フレイザードは、救いなど求めていない。

 彼が求めているのは他者に認められることであり、そのための手段として戦いしかないと考えている。マァムの優しさは、理解されたいとも考えていないフレイザードの心を動かすことはできなかった。

 マァムは敵味方を問わず、傷ついた者を見れば攻撃よりも助けることだけに専念してしまう傾向があるが、人間としては美点かもしれないが戦場では致命的な欠点に繋がる甘さである。

 

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