73 戦勝パーティ |
レオナを救出した後、細やかなものではあるが戦勝パーティが開かれている。 勇者一行が魔王軍を追い返し、唯一の王族の生き残りであるレオナの無事を知らしめるパーティをこのタイミングで開くということはただのお祝いやお礼にとどまらず、パプニカ王国にとっては大きな意味を持っている。 このパーティが開催されるまでは、パプニカ兵の生き残り逹はレオナが無事かどうか知らないままだった。バダックがそうであったように、レオナが三賢者と共にいるから多分無事だろうと、希望的願望に縋っているだけだったのだから。 バルジ島の塔に一時避難していたレオナ逹には、敵の目を欺いて隠れているのがやっとであり、自分達の無事を味方の兵士や国民に知らしめるだけの余裕がなかった。そもそも、戦力を立て直すどころかレオナの食糧調達さえままならない事態だったのだから、余裕がないどころの話ではない。 正直な話、この状況ではレオナはそのまま潜んでいる方が得策だっただろう。 オーザムは復興の兆しすらなく、また、王が行方不明になったリンガイア王国もほぼ同様、カールでは女王フローラは生き延びてはいたものの敢えて身を隠し、密かに兵力を高めることに専念していた。 これは、ある意味で当然の安全策だ。 王族が残らず殺されてしまっては、その段階で人々の希望が費えるという欠点が付きまとう。安全策を取り、様子を見定めようと考えるのは一国の指導者としてはむしろ当たり前の発想だ。 しかし、レオナはこの時フローラとはまったく逆の政策を取っている。 敵を恐れずに自分達の勝利や生存をアピールし、国を復興させてこの先も戦うという姿勢を明らかにしている。 多くの兵士達が手も足も出なかった魔王軍の軍団長を三人までも倒した勇者は、魔王軍に苦しめられる人々にとっては大きな希望になる。 ロモスに続いてパプニカを救った彼らの勝利を称えることで、レオナは勇者一行の世間的な認知度をあげ、なおかつパプニカ王国の国民達の士気や希望を高めることに成功している。 ところで、ここでレオナがダイ達を勇者一行と扱っているのは、その強さを認めたからとは言い切れない。なにしろ、三賢者はともかくレオナはフレイザード戦ではほとんど意識喪失状態であり、勇者一行の戦いなどろくすっぽ見てもいないのである。 自分を助けてくれたとは知っているだろうし、部下から詳細な報告を受けたかもしれないが、レオナはこの時は直接的にはダイ一行の力や性格までは把握してはいないと考えられる。 ダイに対して絶対的な信頼感や好意を寄せてはいるが、基本的にレオナは自分達の実力や戦力差を的確に判断しているというよりは、理念や方針を優先して人々を導くタイプのリーダーである。 レオナはダイ達の実力そのものよりも、勇者という存在そのものが人々に立ち上がる勇気を与え、魔王軍の侵略に抗する力になると考えているのだろう。 理想を優先し、また、自分で戦うことよりも他者を導く役目を重視しているため、レオナは勇者一行の一員として見た場合、かなりのレベルで役立たずに見えてしまうのは否めない。きつい言い方をするのなら、レオナは口先だけで実力がついていっていないのだ。
むしろ、どこを戦場とすべきかを定めるのが政治家の役割だ。交渉や和平、他国との共闘を判断し、その上で戦いが避けられないのであれば、戦士に戦いの意味と方向性を与え、また、戦火に巻き込まれる一般人には最大限の庇護を与えることこそが、政治家の領分というものだ。 そして、彼女はその役割を十分にこなしている。 英雄の存在の裏には、それを影から支える権力者がいるものだ。 いかに実力があったとしても、衣食住にさえ不自由しなおかつ人々から活躍を全く認められない状態では、どんな英雄とてその力を十分に発揮できるはずがない。然るべき報酬を受け取り、また、その働きを褒めたたえられる環境がある方が望ましいのである。 だが、いいことなのか悪いことなのか、まだ子供なダイ一行はその辺の欲が欠如している。 にせ勇者一行のように、自分で自分らの実力を売り込んで褒美をねだるような積極性は皆無だ。それを考えれば、ダイ逹がもっとも苦手としているスポンサーや後援者の役割をレオナが引き受けた意味は大きいと言えよう。 ところで、この時のパーティ会場は城でもなければ、その直前まで兵士達が避難させてもらっていたマトリフの洞窟でもなく、神殿の跡地で行われている。これはバダック……というか、ダイの勇み足が無関係とは思えない。 ヒュンケルを倒した後、バダックの提案でダイ達は信号弾を放っている。 その後、ダイ達はそのままレオナと会うためにこの場を離れてしまったが、その後、謎の信号弾を怪しんでこの地に集合してきた兵士や神官達の数は少なくなかっただろう。
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