31 立て直せない態勢(3)

 

 ダイの紋章から流れる血を見て、彼への説得を諦めて身を引いたレオナの代わりのようにダイに近づいたのは、ポップだ。
 ポップは自分のバンダナを外して、それを包帯代わりにダイの額に巻いている。

 この行為は、単にダイの手当をする以上の意味がありそうだ。
 ポップのバンダナは、ストーリーでずっとポップが身につけ続けた品であり、彼にとっては特別な意味がありそうなアイテムだからだ。

 ポップが後に語っているが、彼にとってこのバンダナは、5才の時からずっと愛用していたものだ。自分のトレードマークだと言っていたこのバンダナを、ポップはおそらく言っている以上に大切にしている。

 マァムの魔弾銃が壊れる時のエピソードでも分かるように、元々ポップは品物にも愛着を感じ、大切にする方だ。

 物語では直接描写されず、旧コミックスのQ&Aコーナーで語られている話だが、ポップは初期に着ていたアバンのマークのついた服を、先生からもらった品だからと大切に保管しているエピソードが紹介されている。

 成長期のポップにとって、以前の服を取っておいたとしても自分ではもう使えない可能性が高いのだが、それでも捨てるのが忍びなかったのかポップはロモス王に頼んで、わざわざ保管してもらっているのである。

 そんなポップが自分の大切にしている品を、単に手頃な包帯代わりだと思って使ったとは考えにくい。

 とは言え、ポップは大切にしているものでも目的のためにならば、自分の手で壊すのを厭わない傾向がある。アバンからもらった魔法の杖を、クロコダインに勝つためにわざと砕いた時のように、いざとなればポップが最優先するのは思い出ではなく目的なのだ。

 この場合は、ポップがダイの手当を最優先した……というよりは、ダイの紋章を隠すのを最優先したと言った方が当たっているのかもしれない。

 もしポップが本気でダイを手当てしたいのなら、レオナの魔法なり知識に頼った方が確実だったはずだ。だが、クロコダインの説明やダイの様子から察して、これが普通の怪我とは違い、バランの記憶操作の影響だとポップもレオナもこの時点でだいたい察していたはずだ。

 だが、知ってはいてもダイの血を見てレオナが動揺したように、ポップも平静ではいられなかったのだろう。二重にしっかりとバンダナを巻き付けた辺り、紋章そのものを見たくないという意思すら感じられる。

 だがポップのこの行動を、ダイはひどく好意的に捕らえている。ポップに対し礼を述べるのだが、それが問題のきっかけになっている。

『あ…ありがとう…お兄ちゃん…』

 相手を初対面の他人として呼びかける言葉  割と平常心を保っているように見えていたポップだが、彼はダイのこの一言で簡単にキレてしまっている。
 レオナと同様に、ポップもまたダイの変化を受け入れ切れていないのだ。

 ただ、レオナが悲しみを強く前面に出していたのに対して、ポップは怒りの感情を強く出している。
 ダイに元に戻ってもらいたい――そう思っている気持ちはポップもレオナも同じだが、レオナが思い出を語ることで彼の記憶を刺激しようとしているのに対し、ポップは言葉よりも身体の記憶に訴えようとしている。

 と言うよりも、感情が高ぶってしまったため、ポップの言葉は説明どころか説得にすらなっていない。レオナがダイと自分との間に何があったのか、順番に話しているのに対して、ポップときたら相手の襟首を掴んで乱暴に怒鳴りつけているのだ。

 ダイも痛がっているし、レオナやクロコダインが止めるのにも関わらず、ポップは力ずくでダイを小屋の外へ連れ出し、剣を使わせようとしている。
 直情的で乱暴ではあるが、ポップのこの考え方自体はおおむね正しい。
 
 確かに記憶を失ったとしても、身体能力の方は衰えはしないものだ。日々のトレーニングなどで維持が必要な能力ならば、記憶喪失と同時に訓練を停止すれば徐々に衰えるのは防げないものの、それでも身体で覚えた基本的な能力まで喪失するとは考えにくい。

 記憶を失う前に足の速かった人間は、記憶を失ったとしても肉体能力的には同じ速度で走れる――そう考えても差し支えがないだろう。

 だが、記憶を失った段階で、その人は「速く走りたい」と思う動機をなくしている。その動機を再び意識させない限り、記憶を失った人間は走ろうとは思わず、自分の肉体能力に気がつかない可能性もある。

 しかし、なんらかのきっかけで自分の優れた肉体能力に気がつけば、少なくともそれだけは使えるかもしれない――ポップはそう考えたのだろう。
 以前の記憶を取り戻させるために、本人が以前得意としていたことをやらせて記憶を刺激するのは、記憶喪失の治療としては悪くない手法だ。

 しかし、ポップは実践のさせ方を間違えている。
 まず、レオナと同様にポップもまた焦りすぎている。ダイにとって自分が初対面の人間だと考えることができず、相手を思いやる余裕を持てないのだ。

 記憶を失ったダイは、自分を手当てしてくれた年上の少年に対して好印象を抱いたのか笑顔を見せている。ゴメちゃんに対して友達になってほしいと呼びかけたダイは、頭痛をこらえてまで自分の記憶を思い出そうとするよりも、実際に知り合った相手と仲良くする方に興味を持つと思われる。

 だが、ダイと初対面からやり直すだけの余裕が、この時のポップにはない。
 もし、ポップがそうするつもりがあれば、初対面のダイとあっさりと馴染んで友達になったように今回も同じことをできたかもしれないのだが、この時のポップにそんな遠回りな道は考える余裕すらないようだ。

 ポップは嫌がるダイに向かって、鞘ごと剣を突きつけて技を使えと強く怒鳴っているが、本人が意識的に行わなければできないようなことを、口で言うだけでやらせるのは無理という物だ。

 戦わなければならないと本人が強く思うように追い込むのならまだしも、ポップがやっていることは剣を押しつけているだけだ。

 ポップには見本を見せてやることもできなければ、ダイに反撃しなければ死ぬと思わせるように攻撃をしかけるだけの実力もない。おまけに子供返りしたダイは剣やポップの気迫を恐れ、彼から逃げ出してレオナに泣きつく始末である。

 その様子を見て、ポップががっくりと膝をついて落ち込む姿が印象的だ。
 ここまでやって初めて、ポップはダイの記憶喪失を認識している。今のダイが自分達の記憶がないことだけでなく、戦う力もないこと、さらには戦う意思自体がないことも悟った。

 ダイに忘れられたこと以上にその事実に強く絶望を感じているポップは、自分でも気がつかないうちに成長していると言える。

 レオナと違い、ダイの記憶の有無よりもバランが攻めてくる時のことを想定して落ち込むポップは、それだけ本気でダイを守る気持ちでいるのだ。これはレオナとポップの思いの差というよりは、やはり戦闘経験の差と言った方がいいだろう。

 一番戦闘の経験があるクロコダインがそうだったように、自分の感情を押し殺してでも現状把握を優先するのは、戦士として当然の心得だ。非戦闘員の立場から抜けきっていないレオナはつい感情を優先してしまっているが、ポップはこの時にはすでに現実をきちんと見る目を取り戻している。

 現実をしっかりと見据えているからこそ、ポップの絶望は深い。
 自分のことを忘れられたショック以上に、目前に迫っている戦いを強く意識している。

 だからこそ、ダイ抜きで戦わなければならないのがどれほど致命的なのか考えずにはいられないし、圧倒的な実力差を思い知らされて立ち上がれないほどに落ち込んでいる。

 実力差のある敵との戦いはこれまでと同じとは言え、ダイがいないことが大きく違う。

 ポップはこれまでは、常にダイを主軸にして戦いを挑んでいた。
 ポップ自身も戦っていたとは言え、それはどこまでもダイのサポートと言う形であり、ポップがメインとして戦うものではなかった。

 ダイやマァムの正義感に引きずられるように少しずつ戦いに向き合うようになってきたものの、それでもポップの感覚ではダイにつきあって戦う意識の方が強かっただろう。

 ダイが目指しているものはポップにとっても賛成できる物であり、彼と一緒に戦うことがポップにとっては正義だったのだから。つまり、ポップにとって
ダイは戦いの相棒というだけでなく道しるべとも言える存在だったのだ。

 だが、記憶を失って戦いを泣いて嫌がるダイには、道を示すなんて不可能だ。

 この時ポップは初めて、ダイという道しるべや助け抜きで、自分自身で戦わなければならない理由にぶつかった。ダイ抜きで、ダイやクロコダインさえも凌駕する敵と敵対しなければならない事実に怯えている――そう考えている時点で、ポップはダイを決して見捨てる気がない。

 どうしてもダイを守り抜きたいと真剣に考えているからこそ、ポップには逃げるという選択肢がないのだ。
 ポップのこの時の落ち込みは、彼が本気で記憶喪失状態のダイに頼らずに戦うことを考えている証拠でもあるのだ。


 

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