36 襲撃準備(2)

  

 少し話が逸れるようだが、ここでレオナとフォルケン王の両者の共通点に対して論じてみたい。

 魔王軍との戦いに対し、パプニカ王国とテラン王国は対極の反応を見せている二国だ。
 魔王軍に対して積極的に戦おうとするパプニカ王国に、王命で武器や道具の開発すら禁じた徹底した平和主義のテラン王国。

 正反対の国策をとっている二国ではあるが、面白いことに両方の国主には共通点があるのである。
 それは、自分の理想を国の方針として掲げているという点だ。

 竜の騎士であるバランが戦いを挑んでくると承知の上で、レオナは戦いを選択したのは前項で述べた通り  つまり、紛れもなく彼女の意思だ。パプニカ王国の名をだして他国にまで協力を要請しているレオナは、個人的な感情だけでなく国として戦う覚悟もすでにもっているのである。

 侵略に対して、戦いを選ぶ――なかなかできる決断ではない。
 どうせ勝ち目のない戦いならば、いっそ戦わない方が被害は少ないとも言えるからだ。不平等な結果に終わったとしても無条件降伏し、相手の支配を受け入れることで生き延びる  それも、国として一つの生き方だ。

 だが、一度魔王軍によって国を滅ぼされかけたレオナは、彼らに対しては降伏や交渉が意味がないと理解しているのだろう。魔王軍そのものではないとはいえ、バランの要求はレオナにとっては魔王軍からの宣告と大差はない。

 自分は人間を全滅させるつもりだ、その前に最強の戦士である勇者を引き渡せ、邪魔をすればおまえ達から殺すというのだから、これは武装解除して殺されろと言っている様な物だ。

 交渉の余地もなく実力は桁違い、その上で相手は人間全てを滅ぼすつもりでいる相手と事を構えるつもりならば、選べる選択肢は実は二つしかない。
 滅ぼされるか、戦うか、だ。

 レオナがここで後者を選んだのは、勝ち目があると思ったからではなく、人間の可能性を信じているからだろう。
 彼女はテラン王に向かって、こう告げている。

『(中略)私には人間が滅ぼされて当然のひどい生物だとは、どうしても思えません! あれは、侵略です!! 侵略に対しては戦います!!』

 レオナの選択は、現実的と言うにはあまりに理想を追った意見だ。しかし、相手の言いなりになるのではなく一矢報いろうとする彼女の毅然とした意志の強さは、周囲の人間達にとっては希望となる。

 それをよく承知しているレオナは泣き言や弱音など他人に見せず、堂々と夢のような理想を表明することを恐れない。
 実は、レオナのこの考え方は、テラン王フォルケンとよく似ている。

 平和主義の王と勇猛果敢な王女では正反対のようだが、フォルケンもまた己の理想を信じ、国策に反映させようと実行した王だ。

 ダイ達がテランを初めて訪れた時に説明があるが、竜の騎士を神として信仰するテラン王国は、徹底した平和主義の国だ。国王の命令で武器や道具の開発を禁じているというのだから、筋金入りである。

 この考え方も、一理ある。
 武器や道具の技術を上げることは、戦いや争いに繋がる可能性が高い。現実の世界でも、武器の入手が簡単な国ほど犯罪の発生率は高い上に凶悪化する傾向があるのだ。

 それを防ぐために、武器や道具の開発を禁止して古くからの慣習を守りたい――レオナとは全く方向性が正反対だが、これも現実的と言うにはあまりに理想を追った政策だ。

 なまじテラン王国がベンガーナ王国の近くにあるのが、また運が悪かったと言うべきか。武器や道具の扱いに力を注いでいる国が近くにあるせいか、テラン王国の国民達は豊かさを求めて他国に流出してしまったようだ。

 だが、これはテラン王の理想が失敗だったせいとは言い切れないだろう。
 どんな理想も、一人の人間が唱えるだけでは何の意味もない。その理想に対して賛同し、協力する者達がいてこそ初めて、理想は実現化していくものだ。

 テラン王の理想自体は立派だが、他国の人間は武器や道具を自由に使えるのに自分達だけはそれが許されないという状況というのは、どう考えても安心できる状態とは言えない。

 不利を承知し、それでも王の理想に賛成して武器を手放すのには、それなりの覚悟と信念が必要だ。

 だが、その覚悟や信念を周囲に与える力があるかどうかと言う点で、レオナとフォルケンは大きく違う。
 レオナの言葉には、周囲の人間を動かすだけの説得力がある――それを見抜いたからこそ、フォルケンは彼女を認めたのだろう。

 フォルケンの理想と、レオナの理想は似ても似つかない。
 だが、方向性は真逆を向いているとは言え、レオナもフォルケンも理想を体現しようとしている王なのは間違いはない。

 そして、フォルケンは自分の物でなかったとしてなお、王として理想を抱く
者が思いを成し遂げるのを見てみたいと望んでいるのだろう。
 フォルケンは自分の政策がほぼ失敗したことを承知しているが、それに対して彼は実に客観的で冷静な反応を見せている。

 指導者の立場にいる人間が失敗した場合、一番簡単でプライドを傷つけない対処方法は『相手が悪い』と責任転嫁する方法だ。自分の理想を全く理解しない国民を責めるのが、一番手っ取り早い解決策と言える。

 あるいは、自分に従わなければ罰を与えるという形で締め上げを強め、理想へ近づけるという方法もある。
 また、全く逆の発想で自分の信じた理想は間違いだったと思い、別の思想にすがる者もいるだろう。

 だが、フォルケンは自分の理想が理解されない事実を、そのまま淡々と受け止めている。理解されないとはいえ、自分の理想に対する信念も失っていないのは彼の台詞からも明らかだ。

 国から人が去った理由を、フォルケンは自分の力量のなさゆえだったのかもしれないと発言している。
 つまり、理想自体は正しかったものの、それを他人に対して信じさせることのできなかった自分の力が不足していると認める発言だ。

 理想の方向性そのものではなく、自分の力量不足を悔いているフォルケンは、自分とは違う形の理想とは言え、王として理想を追求しようとしている少女に対して応援の意思を見せている。

 レオナに対して『そなたが正しいか否かはいずれ歴史が証明する』と語っているぐらいだから、フォルケンは彼女が正しいと思ったからこそ、その意見を受け入れたわけではない。

 そもそも、この時のレオナの頼み事はテラン王国にとってはさしたるメリットはない。

 竜の騎士の存在は信仰に関わることでもあるし国家的に聞き逃せない重大事項とは言え、テラン王国にしてみれば竜の騎士の子供を守るためにとはいえ、正統なる竜の騎士と戦うことは信仰に反してさえいる。

 だが、正しかろうと正しくなかろうと、自分の意思で理想を貫こうとしている勇猛な王女に対して、フォルケンは好感を抱いたのだろう。彼は王の立場で出来うる最大限の協力を、レオナに与えている。

 全面協力する意思を臣下に伝え、レオナに対して思った通りに行動するよう
にと告げるフォルケンは、仙人じみた落ち着いた風貌とは裏腹になかなかの夢想家だと言える。

 また、フォルケンはこの後、隅に控えているナバラとメルルにも声をかけている。人口が少ない国で高名な占い師とは言え、ナバラや孫娘の存在まで記憶している辺り、フォルケンは国民に対して愛着を抱いているのがよく分かる。

 さらにフォルケンはメルルを近くに呼び寄せ、彼女の能力を『祖母を上回るかもしれない力を秘めている』と発言をしている。レオナの時もそうだが、彼は人を見る目に相当に長けているようだ。

 さらにフォルケンはメルルに対して、その力から目を背けずに生きるようにと励ましている。

 すでに戦いを決心しているレオナには必要以上の励ましは送らず、むしろ激励のための支援を与えたのに対し、内気で引っ込み思案のメルルに対しては自分の力を憎まないように、強く生きるようにと励ましているのだから、たいした慧眼だというしかない。

 この時はメルルはあまり王の真意を理解していない様子で頷いているだけだったが、後になってから彼の言葉が真実だったと思い出す日があったのではないかと思いたい。
 

37に進む
35に戻る
八章目次2に戻る
解析目次に戻る

inserted by FC2 system