43 ポップ対竜騎衆戦(4)

 

 ガルダンディーのスカイドラゴンの攻撃を受けているポップは、ひどく苦しそうだ。あまりの苦痛に一瞬、意識が薄れかけたポップは、ここで自分の死を確信している。

 死んでもいいという覚悟で戦いに挑んだとは言え、『死んでもいい』と『確実に殺される』のでは、意味合いが違ってくる。歴史を振り返って見ても、死を覚悟して戦いなり処刑に臨みながら、死の間際にその恐怖に負けた人間の数は多い。

 だが、ポップは死を覚悟してもそれで諦めたりはしなかった。
 彼は、自分の死に意味を求めようとしている。死を回避しようとするのではなく、どうせ死ぬのならば相手に少しでもダメージを与えてから死にたいと望んでいる。

 ポップのこの決意には、仲間への強い信頼が見てとれる。
 自分がやろうとしたことを、後で引き継いでくれる人間がいると思わなければ、この決心は無意味だ。だが、ポップはここで敵にダメージを当たえることが、仲間達への援護に繋がると考えている。

 現在の自分の苦痛を軽減することよりも、仲間達の今後を強く意識しているのだ。

 ポップのこの固い決意は、特筆に値する。
 さらにポップのすごいところは、この状況で演技をする余裕があるところだ。ポップはガルダンディーにひと思いに頭を噛み砕いて殺してくれと頼み、敵の攻撃を誘っている。

 しかし、ポップのこの演技は正直、稚拙だ。
 と言うよりも、頼みがあまりにも具体的だし、説明的すぎる。苦痛で一杯一杯の人間にしては、弁が立ちすぎるのだ。

 それなのにガルダンディーに通用しているのは、ダメージを受けているのは事実なだけに苦痛でのたうつ様子は嘘ではなかったことに加え、ガルダンディーが人間に対して興味を全く持っていないからだろう。

 残虐に人をいたぶることを楽しむガルダンディーだが、その興味はごく浅い。

 同じように残酷趣味と言えば、ザボエラやキルバーンもそうだが、ザボエラは人間を利用しようと考える小狡さがある。そのため、人間の反応や感情の動きなどもある程度の知識はある。

 キルバーンは、人間の絶望感を楽しむ趣向がある。
 そのため、人間の感情をより深く理解している。絶望の表情をより楽しむためには、人間がどんなことに対して希望を感じ、無駄に足掻こうとするかを理解する必要があるからだ。

 つまり、ザボエラやキルバーンの人間への興味は、研究者のそれに近いのである。
 だが、ガルダンディーにとって、人間はただの玩具だ。

 子供ならば人形を大切にしようと考えたり、ごっご遊びなどをして高度に楽しめるだろうが、幼児が単に人形を振り回したり噛みついたりなど原始的な遊びしかできないように、ガルダンディーも玩具を乱暴に扱って壊すことしか考えていない。

 悲鳴も上げなくなった瀕死の人間を相手にしてもつまらないと考えたのか、ガルダンディーは深く考えずにあっさりとポップの望み通りにしようとしている。

 彼はスカイドラゴンに手綱で軽く合図を送り、ポップの頭を噛みつかせようとした。
 だが、その攻撃こそがポップの付け目だった。

 自分を噛み殺そうとしたドラゴンの口に自ら腕を突っ込んだポップは、閃熱呪文を放ってドラゴンの頭を吹っ飛ばしている。表皮は硬い鱗に覆われて魔法が効きにくいドラゴンにも、内部からの攻撃ならば効くだろうと考えたのだ。

 言葉で言うのは簡単だが、これはひどく度胸のいる作戦でもある。
 なにしろ、この作戦ではポップは腕をドラゴンの口の中に突っ込まなければいけない。タイミングが少しでもずれたり、魔法の効果が薄ければ、ポップは自分の腕を失う。

 この時点でドラゴンに掴まっていたポップは、自由に動かせるのははみ出ていた右腕だけだったので、この攻撃に失敗していればポップは今度こそ抵抗の手段を一切失っていただろう。

 だが、ポップの渾身の反撃は見事に通用した。
 その上、ポップはそこで力を使い果たしたわけではない。死体となったドラゴンが落下した後で、ポップもまた地上に落ちているが、これはただの落下ではなさそうだ。

 スカイドラゴンよりも一歩遅れた落下のタイミングは、飛翔呪文でいくらかでも身体を浮かせたからこそだろう。普段のように自在に飛べる程の力はなくとも、落下のダメージを軽減させるぐらいはできたようだ。

 ただ、いかにも重そうに四つん這いの姿勢で着地しているし、すぐには起き上がれずに吐血混じりの咳き込みまでしているポップのダメージは、相当に大きい。

 しかし、ポップの意思は全く挫けていない。
 ダメージは大きいが、これで戦いをやめるつもりは全くないのだ。立ち上がりながらポップは、これで相手の戦力は半減したし、勝負はこれからだと考えている。

 このポップの思考の前向きさを、筆者は高く評価したい。
 正直なところ、ここでドラゴン達を全滅させたところで戦力が半減したとは言いがたい。と言うのも、竜騎衆全員がドラゴン以上の強さを持っているのは確実なのだから。

 だが、だからと言って自分の行動の成果をたいした意味がないと考えていては、人は前には進めない。たとえ効果としてはわずかなものであったとしても、物事が良い方向に進んでいると考えることで人は自分に自信を持ち、さらに先に進む力を得ることができるのだ。

 死んでも構わないから少しでも敵を減らしたいと考えたポップは、その言葉通りのことを実行するつもりでいる。
 だからこそポップは一歩ずつ確実に、敵に対して戦おうとしている。

 自分の戦いの効果を前向きに捕らえるのも、その一つだ。
 雑魚をいくら倒したって意味などないと絶望すれば、そこで道は閉ざされてしまう。

 だが、ポップはそうは考えていない。
 敵が竜使いであり、ドラゴンに騎乗している時が最も力を発揮するのならば、その騎乗するドラゴンを全滅させた意味はある。敵の機動力と、攻撃力を削ぎ落としているのは確実だからだ。

 ドラゴンの締め付けから解放された上、スカイドラゴンの死に驚いて竜騎衆達が呆然となったこの時は、実はポップにとっては逃げるための絶好のチャンスなのだが、初期の逃げ癖はこの頃には完全に消えている。

 相手の足を奪った今こそが、バランを追う絶好の機会であるはずだが、ポップはそうしようとはしない。バランだけでなく、この竜騎衆の強さも放置しておけないものだからだ。

 ついでに言うなら、ポップは連絡のために味方の所に戻る気もない。
 普通に考えるのならば、バランよりも一足先にレオナ達の所に戻り、敵の強襲を教えるのがセオリーだが、ポップはその必要はないと判断した。

 すでに占い師達がバランの襲撃を予知しているせいもあるが、すでにバランの襲撃に備えているはずのレオナ達に敢えて連絡するほどの情報ではない。それよりも、後に襲ってくるはずの敵の数を少しでも減らす方が先決だとポップは考えたのだろう。

 これも、仲間への信頼があるからこその判断だ。
 瀕死寸前にまで追い詰められながら、ポップはそれでも現実を前向きに見つめ、全力を尽くして戦っている。
 このしぶといまでの諦めの悪さが、ポップの一番の魅力である。

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