49 ヒュンケル対竜騎衆戦(1)

 

 ポップが気絶した後、ヒュンケルはひどく満足げな表情をしている。ポップの奮闘を讃え、よくやったと弟弟子を振り返るヒュンケルの顔に珍しく笑みが浮かんでいるのは特筆ものである。

 この時、ヒュンケルは完全にボラホーンとラーハルトから目を離し、ポップに注目している。まるで、戦いなど忘れたかのような態度だ。敵を前にしているとも思えない大胆さだが、敵よりも味方に気を奪われているのは竜騎衆達も同じことだ。

 ボラホーンはガルダンディーが倒されたことに対して怒りを感じ、それをヒュンケルにぶつけようとしている。

 仲間意識が強い竜騎衆ならではと言いたいところだが、ボラホーンがガルダンディーに仲間意識を抱いているのは確かだとは言え、その感情は人間が想定する仲間に対する意識とはずいぶん温度差があるように感じる。

 ガルダンディーは愛竜の死に対してひどく動揺し、涙さえ見せているが、ボラホーンにはそれ程の感情の揺れは感じられない。そもそもボラホーンは倒されたガルダンディーを助けようとか、その生死を確かめようという素振りすら見せていないのである。

 仲間をやられたことに腹を立て、今度は自分が戦うと吠え立てるボラホーンは、怒ってはいるが怒りに我を忘れているのとはほど遠い。
 彼と比較すると、ヒュンケルはもっと感情的だ。

 言葉で威嚇するよりも早く、いきなり剣を抜き放ってボラホーンの牙を折る一撃を放っている。さらに、その直後にボラホーンに対して見せたむき出しの怒りの形相も注目に値する。

『(中略)オレの弟弟子をいたぶってくれた礼は、そんな程度ではすまさんからな!!』

 怒りをむき出しにしたヒュンケルに、ボラホーンばかりかラーハルトさえも驚きを感じている。感情をあまり出さないヒュンケルが、これほどの怒りをむき出しにするシーンは珍しい。

 本人も言っているが、ヒュンケルはこの時点でそれだけポップに対して近しい意識を抱き、保護者意識を感じているのがよく分かる。

 ポップが自分で戦っている間は感情を抑え、我慢していたようだが、ヒュンケルの竜騎衆に対する怒りの感情は相当に根強い。それがはっきりと現れているのが、ヒュンケルのボラホーンへの攻撃だ。

 ボラホーンの牙を二本ともへし折ったこの一撃は、どう見ても偶然ではない。明らかに狙い澄ました上で放った、意図的なものだ。

 人間に限らず全ての動物はそうだが、歯は身体の中で最も硬く頑丈な部位だ。それだけに生半可なことではそうそう折れたりはしないが、逆に折れたり抜けたりした場合には途方もない痛みを味わう部位でもある。

 歯が折れた、もしくは抜けただけでは直接命には関わらないとは言え、激烈な痛みを生じる場所だ。そのため、拷問などで歯を痛めつけることもある。
 そんな場所をわざわざ狙う辺りに、ヒュンケルの強い怒りを感じてしまう。

 ヒュンケルが目撃した範囲では、ポップを痛めつけていたのはガルダンディーだけなのだが、ヒュンケルの怒りはそれを黙認していた残り二人の竜騎衆にも向けられているようだ。

 ガルダンディー本人にぶつけられなかった怒りを、ボラホーンにそのままぶつけているのである。
 だがヒュンケルの凄い所は、この行動により負の感情を一度吐き出し、気分を完全に切り替えている点だ。

 戦いに置いて、感情は基本的に邪魔になるものだ。冷静に、客観的に自分を判断できる方が望ましい。

 怒りや歓喜など、強い感情により調子を高めて戦いに好影響をもたらすことがないとは言わないが、どんな武道やスポーツでも平常心を保つことを教えることを考えれば、どちらの方がより効果的か一目瞭然だ。

 とは言え、人間は感情を捨てきることのできない生き物だ。
 いかに、うまく自分の感情を制御するか――人によりそれぞれ対処方法が違うので一概には言えないが、ヒュンケルがこの時やったように怒りの感情は感情として別口で吐き出すというのも一つの手だ。

 以前、とある球技でミスをする度に猛烈に悔しがり、審判へ猛烈な抗議をするタイプの選手の話を見たことがある。彼は自分の感情をはっきりと口にすることで怒りを発散することで一度気分を切り替え、試合に対しては常に冷静さを保つようにプレイするのが常だった。

 この時のヒュンケルも、それに似ている。
 一度、怒りを吐き出したヒュンケルはきちんと冷静さを取り戻し、先を急ぐという本来の目的に徹している。

 どちらかと言えば、ボラホーンの方が気持ちの切り替えが出来ていない。
 ボラホーンはガルダンディーの惨敗、更に自分の牙を折られた怒りに加え、ヒュンケルの生意気さへの怒りと、怒りの度合いがどんどん加算されてしまっている。

 激高したボラホーンは素手のままヒュンケルに殴りかかっているが、これはいかにも怒りにまかせたままの乱暴な動作であり、かなり不用意な行動だ。
 このボラホーンの攻撃を、ヒュンケルは片手の拳で受け止める形で止めている。

 だが、ここで注目してほしい。
 ヒュンケルに止められているボラホーンの腕は、曲げられたままの状態……つまり、相手の身体に当たりきっていない段階なのである。

 ボクシングでも空手でもただの喧嘩でも同じだが、殴り合いでは要は拳を相手に叩きつけることでダメージを与えるのが基本だ。

 だが、その打突の前に相手がわざと身体をぶつけてくれば、タイミングがずれてしまうだけに狙っただけの効果は与えられなくなるし、時としては攻撃した方が逆にダメージを与えられることもあるぐらいだ。

 この時、ヒュンケルはボラホーンの拳が当たる前に、自分の拳を先に当てることで完全なる打突を止めている。つまり、力と言うよりはタイミングで相手に全力を出させない内に攻撃を止めた。

 その後、鍔迫り合いのような形で拳を押し合っているが、これでヒュンケルの方が腕力が強いと断定するのは不公平すぎるだろう。

 ヒュンケルとボラホーンは、二人とも拳を握りしめているのは同じだが、種族と体格の差で両者の拳の大きさには大きな差が発生している。そして、同程度の力で押し合うのであれば、打突点が小さければ小さいほど相手に与えるダメージは大きくなる。

 喧嘩で相手を殴る時に、わざと中指を突き出した拳を握りこんで殴るとダメージが上昇するように、丸く大きな物よりも細く尖った物の方が力は強く作用しやすい。

 ボラホーンの感覚では、力任せに拳を振り切ってヒュンケルを殴ろうと思っているのだろうが、一度動きを止められた上に大きさの違う物で力比べをするのであれば、どう考えてもボラホーンの方が不利だ。

 ボラホーン自身は意識していないだろうが、この状態ではボラホーン自身の力で拳を押し込もうとすればするほど、ヒュンケルの拳がボラホーンの手に食い込んで痛みを覚えることになる。

 つまり、ボラホーンは自分自身の力のせいで割を食っているとも言えるのだ。

 ついでに言うのなら、ボラホーンのパンチは文字通り腕をぶん回した豪快なものではあるが、肩も流れて力が逃げやすい殴り方でもある。力自慢の人の陥りやすい罠だが、なまじ力があるとそれだけで攻撃として成立するため、技術が身についていないままの人というのはいるものだ。

 そんな力業だけの人間が、段位を持つ老人にコロリと手もなくやられてしまうと言う話は武道系の逸話では良く聞く話だが、この時のボラホーンとヒュンケルのやりとりはそれに近い。

 ついでに言うのなら、ヒュンケルは心理戦もなかなかのものだ。
 ボラホーンの驚きを見抜いた上で、彼がプライドを持っているであろう腕力の強さをたいしたものではないとこき下ろしている。

 これは怒りに満ちたボラホーンが、さらに腕に力を込めると見越しての挑発だろう。実際に激高したボラホーンの隙を見逃さず、ヒュンケルは彼の腹に向かって蹴りを食らわせている。

 上に警戒や注意を向けさせ、下に攻撃する――基本ではあるが、冷静でなければできないことだ。
 怒りに駆られたままのボラホーンと、一度感情をリセットし直したヒュンケルとの最初の対決は、文句なしにヒュンケルが一点リードしている。

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