53 ヒュンケル対竜騎衆戦(5)

 

 ラーハルトの必殺技を受け倒れたヒュンケルだが、彼は絶命に至ってはいない。この時のラーハルトの発言が興味深い。

『……死にきれんと見えるな。だが、とどめはささぬ。そのままもがき苦しんでゆっくりと死ね』

 ポップと戦った時には、早めにとどめを刺してやれと言っていた男の言葉とは思えない冷酷な発言だ。

 言うまでもないことだが、死を免れないという条件下であるのなら、いたずらに苦しみを長引かせるよりも早めにとどめを刺してやった方が苦痛が少ない。

 無抵抗の人間にとどめを刺すのにはそう時間がかかるわけではないので、この場合、ラーハルトがヒュンケルにとどめを刺さないのは時間を無駄に使うのが嫌だという理由とは言えない。

 彼に対する個人的な感情……もっとはっきり言ってしまえば、敵意の表れだ。

 ポップに対しては寛大な気持ちを見せたのに、ヒュンケルには情け容赦が無い――その理由は、ラーハルトがヒュンケルを対等な相手と見なしたからこそだろう。

 人に限らず、全ての生き物が最も強い敵意を抱くのは、同族の同性に対してだ。

 生き物は、敵ではない異種族にはさして関心を持たない。だが、同族に関しては明らかに態度が違う。大抵の動物は、同性同士ならば敵対意識を、異性に対しては惹かれ合うものだ。

 特に、雄にはその傾向が強く表れる。女子供には寛大に接しても、縄張りを争い合う同性に対しては非常に敵対的になるものだ。
 ラーハルトの反応も、それに近いと言える。

 年下で魔法使いのポップは、ラーハルトにとっては警戒の必要すら無い子供同然だった。しかし、年齢、職業が似通っているヒュンケルはそうは思えなかったようだ。

 ラーハルトはヒュンケルを自分以下だと決めつけ、徹底して自分の力を誇示して見せたが、それでも心のどこかでヒュンケルを自分と同格と認め、理解を望む気持ちを持っていたとしか思えない。

 なぜなら、この後、ラーハルトはヒュンケルに対してバランの過去を打ち明けている。

 ラーハルトの忠誠心を思えば、バランの悲しい過去はラーハルト本人が体験した己の過去以上に大切な物であり、ラーハルト本人の思考の中心となる核だ。

 事実、ラーハルトはバランの過去を語りながら、完全にバラン側に感情移入
している。

 ダイをディーノと呼び、彼をバランの元に取り戻すのは当然と考える思考も、人間がくだらない生き物だと見下す思考に置いても、ラーハルトはバランと似通っている。

 だが、一点だけラーハルトはバランとは大きく違っている。
 バランは、ダイ以外に対しては説明をしようとする意思を見せなかった。人間に対して激しい敵意を見せつつも、おまえ達人間には関係の無いことだと、突き放した態度を取っている。

 人間に敵意を抱きつつも、自分の邪魔をしない限り構う気はない――それが、バランの基本姿勢だ。
 だが、ラーハルトの基本姿勢はバランとは大きく違う。

 人間を蔑みながらも、ラーハルトは人間に説明をする手間を惜しまない。しぶとく起き上がろうとはしていたものの、大きなダメージを受けてほぼ戦力外となっていたヒュンケルは、ラーハルトの行動を妨げることのできる状態ではなかった。

 なのに、それにもかかわらず、ラーハルトはヒュンケルに対してバランとソアラの悲恋も含めたダイの出生の秘密を詳細に語っている。

 これは、単に憎しみや感情をぶつけるための吐き出しとはほど遠い。ラーハルトの言葉は理路整然としていて、話の流れが一貫していて実に分かりやすい。

 未だに妻の説明を拒み、理性を失うほど逆上するバランとは対照的に、ラーハルトはバランの過去を至って冷静に受け止め、整理してある。
 これは何が起こったのかを極めて客観的に語り、バランが人間を憎むに至った次第の説明していることからも、明確だ。

 そして、『説明』を他人にしている段階で、ラーハルトの中に多少の迷いがあるのが分かる。
 『説明』の内容や分かりやすさとは無関係に、『説明』に拘るタイプには一貫した特徴がある。

 人は、確信を持っていることについていちいち他者に賛同を求めようとも、わざわざ説明をしようとも思わない。バランがそうしたように、誰にどう思われようとも構わず、独走するまでの話だ。

 だが、迷いが残っている時ほど、他者の同意を欲しがるし、言い訳のように自分の心情を詳しく語りたがるものだ。

 いい例が、恋愛中の人間だ。
 恋に落ちた人間はとかく、相手が自分を好きかどうか確かめようとしたり、友人に恋愛相談をしてみたりしたがるものである。あるいは逆に惚気まくる場合もあるが、これも心理的には同じことだ。

 詳しく語ることで自分の選択が間違っていなかったと自分自身に言い聞かせ、なおかつ第三者からの賛同を欲しがる気持ちから生まれる行為だ。特に、心が不安定な時ほどその傾向が強くなる。

 本人は意識はしていないだろうが、ラーハルトの心理もそれに近い。
 ラーハルトはバランを尊敬し、彼の過去を我が事のように受け止めている。バランが人間を憎む気持ちを理解できると考えているし、彼の意見を全面的に肯定している。

 だが、それでいてラーハルトは心の奥底でバランに賛同し切れていない部分を残している。

 それも、ある意味で当然の話だ。
 いかにラーハルトがバランを尊敬し、彼の心情に寄り添いたいと願ったところで、別個の人間である以上、個人個人の差はある。

 たとえば、ラーハルトはバランのように問答無用で人間を拒絶できていない。
 ヒュンケルに対しても「人間の割にやるな」などとわざわざ指摘するように、人間に対して過剰な拘りを持ったままだ。

 つまり、ラーハルトはバランと同じように人間を憎みきることはできていない。だが、彼にはそれでもバランと同じ気持ちを分かちあいたいという感情を持っている。

 この矛盾こそが、ラーハルトの迷いの正体だ。

 しかし、この迷いをラーハルト本人は認めることができない。人間が必ずしも憎むべき存在とは思えないと考えることさえ、バランへの反抗に繋がるからだ。

 バランに従いたいという気持ちが強すぎるからこそ、ラーハルトは自分自身の迷いに直視できないまま、拘りだけを引きずってしまうことになる。
 必要以上に人間に拘ったり、説明に拘る行為に、その意識が現れている。

 バラン本人以上に、バランの心情を人間に理解してもらい、賛同を求める気持ちがラーハルトにはある。
 一見、バランのために論じている様に見える姿だが、実はこれこそがラーハルト本人のSOSだ。

 自覚できないからこそ自分では解決できない悩みを抱えているラーハルトは、無意識下で救いを求めている。

 その際、ラーハルトが求めている救いは、竜騎衆には向かっていない。
 わざわざヒュンケルの実力を試すかのように振る舞うラーハルトは、彼に対して心の奥底に押し込めてある問題を提起してみせた。

 バランへの忠誠心と自分自身の感情の矛盾から生まれる迷いに対して、ラーハルトは同族に対して問いかけずにはいられないのである。


 
 

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