54 ヒュンケル対竜騎衆戦(6)

 

 ラーハルトの話を聞いて、ヒュンケルは残る気力を振り絞って立ち上がっている。
 彼のその底力にラーハルトは驚いているが、正直な話、筆者はこれはヒュンケルの底力の証明というよりは、精神力の弱さの結果のように見えてしまう。

 倒れていた時点でヒュンケルはすでに相当のダメージを負っていたが、それ以上に精神的なダメージが大きかったと考えられる。速度と戦略面でラーハルトに完敗した衝撃の大きさが、ヒュンケルの心を折ったと考えられるのだ。

 人間は、精神の有り様で肉体にも大きな影響を受ける。
 もう立てないと諦めてしまった人間は、たとえ肉体的には立つだけの力が残されていても、立つことは出来なくなる。また、人間の心は脆い物で、先に望みがないと思ってしまったのならば、行動を続けるのは難しくなる。

 勝ち目が全く見えない戦いと知っていながら、戦える者はごく稀だ。
 動物ならば、逃げ場が全くない戦いの場に追い込まれたのならば、本能のままに死に物狂いで最後の最後まで戦うだろうが、人間は時として本能以上に自分の感情や思考を重視する生き物だ。

 この時のヒュンケルも、そうだ。
 ヒュンケルは極めて高い判断力を持った、冷静な戦士だ。その判断力故に、ヒュンケルはこの時点で自分の勝ち目のなさを予測した。予測と言うよりは、確実にそうなるだろうという実感に近いかも知れない。

 ヒュンケル本人は、バランとダイの初戦に参加していないため、彼の圧倒的な強さやダイへの執着心の強さを知らない。そもそも竜騎衆のことも知らなかったヒュンケルは、彼らの力を軽んじていたとも言える。

 ボラホーンやガルダンディーに楽勝していたため、尚更彼らを軽んじる気持ちはあっただろう。
 だが、ラーハルトの強さがヒュンケルの考えの甘さを一掃した。

 ヒュンケルがダメージを受けたのを否定する気は無いが、彼は肉体的なダメージ以上に精神的に受けた衝撃と、勝ち目のなさに絶望したからこそ、心のどこかで立っても無駄だと思う気持ちが生まれ、それに打ちのめされた。

 自分でも気がつかないうちに、戦っても無駄だと思う気持ちに負けているのである。

 実は、この時点でのヒュンケルは精神的な強さという面で以前よりも劣っている。

 アバンを仇と思い込み、復讐に燃えていた頃のヒュンケルには、いい意味でも悪い意味でも迷いがなかった。相手と刺し違えてでも敵を滅したいという強い目的意識に凝り固まっていた彼は、何があってもブレなかった。

 しかし、この時点でのヒュンケルには、どうしてもこの戦いに勝ち残らなければならないという執着心がない。
 ダイやレオナへの恩返しというだけでは、モチベーションが弱いのだ。そのため、勝てないと分かった段階であっさりと絶望してしまっている。

 しかし、ラーハルトの独白がヒュンケルに希望を与えた。この時のヒュンケルの台詞が、面白い。
 
『(中略)今の話を聞いたら、このまま倒れる訳にはいかなくなった……!! ダイのためにも……バランのためにもな!!』

 ヒュンケルは、バランと戦って勝つ可能性を見いだして立ち上がったのではない。バランの考えを変えさせることができるかもしれないという希望を抱き、気力を取り戻しているのに注目して欲しい。

 ヒュンケルが味方のダイのために力を貸したいと思うのは当然だが、彼はバランに対してもひどく同情的だ。
 バランの気持ちが理解できると言い切ったヒュンケルの言葉は、口先だけの言葉ではない。

 人間を憎み、否定しつつ、それでもなおその人間に対して理解を求めようとする――この心理は、アバンに対して強い愛憎を抱くあまり、正義そのものを憎みながらも、アバンへの期待を捨てきれなかったヒュンケルの心理に近い。

 だからこそ、ヒュンケルはこの話を聞いて再び立ち上がるだけの力を得た。
 自分自身も同じ過ちを犯した経験を持つヒュンケルは、憎しみの対象を他者に求めても救われないことを知っている。

 そして、ヒュンケルは逆に、他人から理解されることで報われ、救われる喜びを知っている。

 それに、この選択肢はダイやバランだけでなく誰にとっても、最良の展開だ。

 バランが人間への憎しみを捨てるのならば、人間側にとってはダイとバランの再会を拒む理由はない。ダイと同じ考えから人間に味方してくれるのならば、人間にとってはこの上ない頼もしい救援者となってくれるのだから、むしろ大歓迎だろう。

 なにより、この選択で最も救われるのはバラン自身のはずだ。
 ヒュンケルの思考はダイよりもむしろバラン寄りであり、彼に感情移入した思考になっている。

 ポップやレオナはどこまでもダイに拘り、彼を人間側に引き留めるのを第一に考えているのに対して、ヒュンケルはバランの考えを動かすことを先に考えている。 

 バランがヒュンケルに対して好意的な感情を持っていたという発言をしていたが、ヒュンケルも元々バランに対して好意的、もしくは同族的な感情を抱いていたと考えていいだろう。

 だが、ヒュンケルのこの考えは、ラーハルトを激怒させた。
 ヒュンケルの挑発的な態度を軽く笑い流した男が、本気で怒っている――これは、ヒュンケルの考えこそがラーハルトの核心をついたからだ。

 人は、どうでもいいことのためには本気で腹を立てることはできない。心の底から大切に思っていることを他者から傷つけられた時こそ、最大の怒りを感じるのである。

 ラーハルトにとっては、バランがそれに当たる。
 心の底からバランを尊敬し、慕っているラーハルトもまた、バランを救いたいと考えていたことは間違いないだろう。しかし、彼にはその手段は思いつかなかった。

 なのに、初めて会った人間が、バランを救うと豪語していた――ヒュンケルの言動は、ラーハルトの一番デリケートな部分を強く刺激した。怒りのままにラーハルトがヒュンケルに攻撃を仕掛けるが、ヒュンケルはラーハルトの攻撃を躱した。

 先程はラーハルトの攻撃を避けるどころか見ることさえできなかったヒュンケルが、急にラーハルトの動きについていけるようになったことに対して、ヒュンケル本人はこう語っている。

 今までは竜騎衆よりも後のバラン戦のことを考え、体力の温存を考えていたからこそ必要以上に大きな動作で攻撃を躱そうとしていた。だが、今は喰らっても構わないと言う覚悟が出来たからこそ、紙一重で急所だけは避けることができる、と。

 逆説的な話だが、面白く、頷ける説明だ。
 確かに、敵の攻撃を受ける際は必要最小限の動きで避ける方がいい。連続して攻撃を受ける場合、大きな動作で避けるとその次の攻撃を受ける時の隙になりやすく、結局は敵の攻撃を躱せなくなる。

 だが、そうと分かっていても、危険からできるだけ回避したいと思うのは生き物としての本能だ。敵の攻撃を敢えて紙一重で避けるのは、普通に避けるよりも遙かに難しく、集中力を必要とする。そのためには、敵の攻撃を恐れない勇気や万一の時は大ダメージを受けるという覚悟も必要になる。

 さらに言うのならば、この後、より厳しい戦いが待っているともなれば、体力温存を第一に考えるのも分からなくもない。
 しかし、体力を温存するというのは、本気を出さないようにするのと同義だ。

 つまり、ヒュンケルはラーハルトの攻撃に対してこれまで本気では戦っていなかったのである。ラーハルトが自分以上に強いと思っていながら、それでも力配分を計算して抑えていた部分があったようだ。

 だが、ヒュンケルはここで考えを変えた。
 バランを説得するという目的を持ったヒュンケルは、ここで全ての体力を吐き出してもいいという気持ちになった。バランと戦うのではなく説得するつもりならば、確かに体力を温存する必要はない。

 ここになってからヒュンケルは初めて、ラーハルトと本気で戦う覚悟を決めたと言っていい。
 ヒュンケルのその決意こそがラーハルトとの実力差を埋め、ほぼ互角の力を発揮させたのではないかと筆者は考えている。
 
 

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