55 ヒュンケル対竜騎衆戦(7)

 

 ラーハルトの猛攻を、ヒュンケルは文字通り紙一重で躱している。
 これは、前項で推察した通りヒュンケルが本気を出したせいもあるが、ラーハルトの心理も影響しているのではないかと思われる。

 ヒュンケルの言葉に、ラーハルトは明らかに動揺している。
 ラーハルトやバランの生活環境を思えば無理もないことだが、バランに対して、今までヒュンケルのように助け手を差し伸べようと考える者はいなかったのだろう。

 竜騎衆達は一見、バランに賛同している様に見えるが、単にそれは利害が一致しているからそう見えるだけのことだ。人間を嫌い、滅ぼそうとするバランの思考に賛同しているだけであり、複雑な思いを抱えているその深層意識にまで踏み込もうとはしない。

 少なくともガルダンディーとボラホーンは彼の心境については深く思いやる気持ちは薄い。ラーハルトはバランの心の奥底にある人間への愛憎に気がついていながら、自分から彼に働きかけることはなかった。

 バランに対して、最も積極的に手を貸したのは大魔王バーンだが、彼もまた利害の一致を最優先にしている。バランの愛憎を深く理解していながら、敢えて憎悪のみを重視し、煽っているようにさえ見受けられる。

 つまり、ラーハルト本人を除けば、バランの周囲には打算から彼と手を組もうとする連中しかいなかったと言える。
 これでは、バランの失意を埋めることはできまい。

 その上、一本気なバランは一度決めたことを翻すのを良しとはしない不器用な性格だ。そんなバランの影響か、ラーハルトの思考も短絡的なものになっている。

 人間に絶望し、その滅びを望むバランの望みを叶えることこそが、彼の幸せに繋がると考えていた。と言うよりも、そう信じたがっていたと言う方が当たっているかも知れない。

 ラーハルトには、他に彼を助けられる手段が思いつかないのだから。バランの思考の矛盾を薄々感じ取りながらも、バランに忠実でありたいという思いが強すぎて、彼には逆らえず――従って、バランを助けることもできない。

 このままならば、ラーハルトを待つ未来は決して明るいものではなかっただろう。バランが破滅に向かおうとしているのなら、彼にどこまでも従おうとするラーハルトの行く先もまた、同じ道だ。

 そんなラーハルトに対して、ヒュンケルは全く別の道を指し示した。
 バランの絶望を理解し、その上で人間への希望を取り戻させるという道――バランを助けることが出来る上、ラーハルトが心の奥底に封じ込めた望みとも矛盾しない、ある意味で最高の未来だ。

 この言葉に、ラーハルトは大きく心を動かされている。いつになく動揺し、激昂しているのもその現れだ。

 人間は欲している望みが叶いそうになった時にこそ、ひどく動揺するものである。それが心の底から望んでいる望みであればあるほど、叶うか叶わないかギリギリの線で揺れる時の動揺は大きい。

 その動揺のせいで、ラーハルトは本来の実力通りに戦うことが出来ず、逆に捨て身のヒュンケルは実力以上の力を発揮して、二人の差が緊迫している。
 その上、ヒュンケルはここで落ち着きを取り戻している。

 ラーハルトの攻撃を躱しながら剣を拾い、接近戦へ持ち込んだのは実にいい判断だ。
 ヒュンケルの思わぬ反撃のせいで、ラーハルトは槍の柄の部分で剣を受け止める姿勢に追い込まれている。

 ラーハルト自身は、ヒュンケルの力が強くなったこと、動きが速くなったことに驚いているが……冷静に考えれば、これは当たり前の話だ。

 槍は本来、中間距離の相手と戦うための武器であり、小回りがきかないために接近戦には不向きだ。至近距離ならば、剣の方が圧倒的に振り回す速度が速い。

 また、全ての武器には打突点が存在する。
 そこで攻撃すると最大の力を発揮する、と言うポイントが武器ごとに定まっているのである。

 槍の場合、当然その部位は穂先だ。
 槍は突きの動きを基本として直線的に相手に攻撃するための武器だ。
先端部分に力を一点集中する形で突きだしてこそ、槍は最大の威力を発揮する。

 間違っても、柄の部分で攻撃を受けるためには出来ていない。と言うよりも、むしろ槍の場合、柄の中央は弱点に近い。
 なのに、柄で攻撃を無理矢理食い止めれば、力が入らないのは当然の話だ。

 そんなごく当たり前のことさえ判断できないぐらい、ラーハルトは動揺している。

 そして、それと逆にヒュンケルは、勢いに乗っている。
 ラーハルトの戸惑いに対し、ヒュンケルはこう言っている。

『これが、生命を賭けた時の人間の力だ!!』

 この言葉は、ヒュンケルの本音と見ていいだろう。 
 ガルダンディーやボラホーンと戦った時と違い、ヒュンケルはラーハルトとの戦いには余裕が感じられない。

 ましてやこのセリフを言った時、ヒュンケルはラーハルトと鍔迫り合いをしている真っ最中だった。気取った言い回しや、少し斜に構えた言葉に考えるほどのゆとりがあったとは思いにくい。

 だが、完全にそうとは言い切れないのは、ヒュンケルにラーハルトを挑発する意図があったことだ。
 人間に対して過敏に拒否反応を示すラーハルトは、この台詞を聞いて激昂している。
 
『そんなもの……認めんっ!!』

 槍を無理矢理短く持ってヒュンケルの胸を切り裂き、続く連続攻撃で相手を突き放すラーハルトの攻撃は見事の一言に尽きる。さすがのヒュンケルもこの攻撃は避けきれずに、剣を取り落として再び倒れてしまうが、ラーハルトの気持ちはさっき以上にささくれ立っている。

 もう、ラーハルトはヒュンケルをそのまま見捨てて先に行こうとはしないし、とどめを刺すだけで満足も出来ない。
 自分の最大の技で、ヒュンケルを真っ二つにしようとする。

 この過剰な攻撃精神を、ラーハルト自身は怒りのせいだと思っているだろうが、これは怒りと言うよりも、恐れから来る過剰攻撃に近い。
 人間は恐れを感じている時こそ、もっとも攻撃的になる。この時、ラーハルトが恐れているのはヒュンケルの実力ではなく、彼の考え方の方だ。

 人間の良さを語り、人間への憎しみを変えられると考えているヒュンケルの思想を、ラーハルトは受け入れることは出来ない。
 そう言う考え方もあるのか、ぐらいの気楽さで他者の考えを受け入れる余裕などラーハルトにはない。

 彼にとって、人間は愛憎の対象だ。
 恋の相手に対して、人が必ず『自分を好きか、嫌いか』を問うように、ラーハルトにとっては人間を信じるか、信じないかは二者択一だ。白黒はっきりつけなければ気が済まないのである。

 なまじ、ヒュンケルの思想に心を引きずられかけているからこそ、ラーハルトはムキになってヒュンケルを否定しようとしている。
 バランの思想と正反対のその思想を認めれば、ラーハルトにとって、今までの人生を否定し、主君を裏切るも同然だ。

 だからこそ、ラーハルトは過剰なまでにヒュンケルに対して攻撃的になり、必要以上の大技を繰り出してまで彼の命を絶とうとしている。

 冷静に考えるのならばさっき以上に重傷を負ったヒュンケルに対し、こんな大袈裟な攻撃は必要も無いし、バランの後を追うことを優先するのならこれ以上彼に関わり合っている暇などないはずだ。

 しかし、ラーハルトはこの時、ヒュンケルとの決着をつけることに固執している。

 思春期の子供が親や大人に無闇に反抗して、自己の主張を正当化したがるように、ラーハルトは己の全力でヒュンケルを打ち倒し、彼の主張を否定しようとしている。

 後の話になるが、魔王軍の強敵と戦う時でさえラーハルトはここまで感情をむき出しにはしていない。 
 ラーハルトの一世一代の感情の暴露でもあるヒュンケル戦は、彼の人間に対する拘りと確執が如実に表れた戦いなのである。

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