56 ヒュンケル対竜騎衆戦(8) |
ラーハルトの最大の攻撃に対し、ヒュンケルは地べたに寝そべったままでいる。 ヒュンケルの態度は、作戦を思いついた前と後では全く違っている。 つまり、この時点ではこれまでと同じように諦めずに戦うつもりでいたのだ。 バランに共感を抱き、彼を助けたいと思う理由が生まれたヒュンケルは、戦いに対する執念が明らかに増しているのだ。しかし、ラーハルトが大技を放つと悟った瞬間、ヒュンケルは一切の抵抗を放棄してる。 もし、ラーハルトが冷静ならば、ヒュンケルのこの豹変ぶりに何かおかしいと感じたかも知れない。だが、さんざん心の奥の一番デリケートな部分を突かれたラーハルトは、持ち前の冷静さや観察力を失っていた。 少しでも冷静さが残っているのであれば、ラーハルトはわざわざ隙を生み出す大技をしかけはしなかっただろう。今度こそ力を使い果たしかけたヒュンケルが相手ならば、軽く槍で突くだけでも致命傷を与えるのには可能なのだから。 必要以上の大技を仕掛けてくるラーハルトに対して、ヒュンケルは捨て身でカウンターを狙う。 この時のヒュンケルの覚悟とタイミングの取り方は、見事と言うしかない。 さりげないシーンではあるが、左手を強く握りしめたコマに、注目してもらいたい。 この時、すでにヒュンケルは手の中にアバンのしるしを握りしめていた。 そして、ラーハルトが自分に打ちかかってくる直前に目を見開いて、罠にかかったなと叫んでいる。 ラーハルトは飛び抜けた身体能力を持っているが、本人が自称したように魔法はそれ程得意とは言えないようだ。ポップのように、飛翔呪文を使っている気配はない。 ならば、一度空中にジャンプしたのであれば、後はそのまま落下してくるしかない。 そして、どんなに身体能力が優れていようとも、重力に従う生き物は空中で自在に姿勢を変えることはできない。猫族など身体が非常に柔らかく敏捷な動物でさえ、空中で姿勢を変えて着地点をずらすなんて芸当はそうそうは出来ないものだ。 ましてやほぼ落下を終え、着地点に近づいた箇所では尚更だ。 つまり、この時点で罠だと教えたとしたところで、ラーハルトに回避の方法はない。だからこそヒュンケルは、このタイミングを狙って叫んだのだろう。 知らせてもラーハルトにメリットはなく、うまくいけば相手にわずかでも動揺を与えられる。 それでも攻撃を仕掛けてきたラーハルトに合わせて、ヒュンケルは自分の両手で握りしめたアバンのしるしで彼の攻撃を受け取る。 ヒュンケルの必殺技、グランドクルスの発動である。 だが、この時は明らかにラーハルトの闘気をも上手く取り込み、利用しているのが見て取れる。 ボクシングで相手のパンチに合わせて自分のパンチを当てることで、相手に通常よりも大きなダメージを与えるカウンターという技があるが、これは高等テクニックだ。 タイミングが合わなければ、単に自分が殴られて終わるか、良くても相打ちで終わる。自分はノーダメージで、相手にだけダメージを倍増して与えるカウンターは、そうそう上手く繰り出せるわけではない。 相手の攻撃を見切っていなければ、まず、カウンターは成立しないと言っていい。 この時の咄嗟の思いつきなのか、あるいは元々構想していた技なのかは定かではないが、いずれにせよ闘気の使い手自体がそうはいないことを考えれば、これはぶっつけ本番の技だと判断して良さそうだ。 余談だが、もし、ヒュンケルがこの技を元々想定していたとすれば、仮想的はおそらくアバンだ。 グランドクルス自体がアバンから授けられた技だし、実力が上の相手を倒すには思い切った手段が必要だ。自分だけの力で足りないのであれば、相手の力も利用するのは理にかなっている。 しかし、アバンから闘気のこもった攻撃をヒュンケルに仕掛ける機会があったとも思えないので、やはり訓練した経験はなさそうだ。 グランドクルスで吹き飛ばされたラーハルトは、上空高くに跳ね上げられ、その後、地べたに叩きつけられている。身体を強打してダメージを受けているが、それでも多少は受け身を取ったのか意識は残している。 この時、ラーハルトが真っ先に尋ねたのは、どこに武器を持っていたか、である。 問われるままに、ヒュンケルはアバンのしるしをラーハルトに見せている。実はラーハルトの質問に答える義理などないのだが、ヒュンケルはこんな点は律儀というか、上に何とかがつく程に正直である。 しかし、ヒュンケルの意見は個人的な感情がベースになっているので正確さにはかけている。 この時、ヒュンケルはアバンのしるしは誰にも切れないと宣言し、アバンの使徒の絆の証だとまで言い切っている。だが、現実的に見て、このペンダントにそこまでの強度があるとは思えない。 そもそもアバンのしるしは石の部分がメインであり、鎖はおまけのようなものだ。後に、アバンのしるしの石が特別なものだと明かされるが、鎖が特別なものだという表記はない。 単に、ヒュンケルが闘気を込めたからこそ、ただの鎖に信じられない程の強度が加わったと考えた方が正解だろう。現に後期に、闘気を折れた剣にこめることで、通常の剣以上の切れ味を持つ剣を生成できるキャラクターが登場している。 つまり、理屈で言うのならば、闘気の存在こそがアバンのしるしに強さを与えた源なのである。 だが、ヒュンケルはそうは考えていない。 それこそが、事実以上にヒュンケルの中では真実だからだ。 ラーハルトはこの言葉に感銘を受けたように、力尽きて倒れ伏した。ラーハルトは、ヒュンケルの理屈に異を唱えなかった。 初めてアバンのしるしを見た時に、チャチな鎖だと言った彼にとっては、それはただのペンダントに過ぎない。また、闘気の使い手であるラーハルトならば、鎖の強度を変化させる闘気の存在に全く思い至らないわけもないだろう。 『…き…ず…な……』 ラーハルトは、この時点で自身の敗北とヒュンケルの理屈を受け入れた。これまで、ヒュンケルの発言にムキになって反論し、何が何でも否定しようとしていた男が、人間同士の絆を賛美するヒュンケルの言葉を受け入れたのである。 この時点で、決着はついたと言える。 《アバンのしるしの秘密♪》 |