57 ヒュンケル対竜騎衆戦(9)

 

 ラーハルトを倒した後、ヒュンケルはふらつきながらも立ち上がっている。 あれだけダメージを受け、さらにはグランドクルスを使った直後だというのに、たいした回復力である。 

 ハドラ―戦の時には技の直後に気を失っていたのだが、その時に比べて力の配分がうまくなったと考えていいだろう。
 それでも体力の消耗はずいぶん激しい様子で、ひどく苦しそうだ。

 しかし、そんな状況でさえヒュンケルは周囲に対する警戒心を失ってはいない。
 いつの間にか背後に現れたボラホーンの存在に、ヒュンケルは攻撃を受ける前に気がついている。

 もっとも、これぐらいは驚くには値しない。ヒュンケルは他人の気配に関しては基本的に敏感であり、姿も見えず、気配も決して潜んでいた相手の存在も察したことがある。

 むしろ、いくら激闘の直後だったとはいえ、ヒュンケルともあろうものがここまで敵の接近に気が付かなかったことの方が驚きなぐらいだ。

 が、ここでなによりも注目すべきは、ボラホーンのせこさだ。
 そもそも背後からこっそり奇襲をかけるというだけでも、相当以上にせこいといえるが、この時のボラホーンは愛用していた鎖鎌の先端の刃の部分を手に持っている。

 この鎖鎌はヒュンケルとの戦いの最中、ヒュンケルに先端部分をちぎり取られ、放棄されたものだ。つまり、ボラホーンの手元には戻ってこなかったのである。

 それが彼の手にあるということは、ボラホーンはわざわざ鎖鎌を拾いに行ったようだ。

 彼の剛腕ならば腕力だけでも武器になりそうなものだが、どうやらボラホーンは先程の一戦でヒュンケルに対して過剰なまでに苦手意識を抱いたらしい。自称海の王者と名乗りながら、ずいぶんと謙虚なものである。

 喧嘩で自分の体力以上に武器に頼るのは、攻撃性がやたらと強いか、あるいは自分に自信がないかのどちらかだ。

 素手で鎧も身に着けていないヒュンケルに対して、鎖鎌で攻撃しようと考えたボラホーンの行動には、その両者が合わさっているように思える。この時、ボラホーンは重傷を負っているからそのせいとも言えるが、ヒュンケルもまたダメージは負っているので、条件としては五分のはずだ。

 だが、それでもボラホーンは自分の方が有利とは思えなかったのだろう。
 そして、ここで最も注目してもらいたいのは、鎖鎌についている鎖の長さだ。

 ヒュンケルが鎖を断ち切った時は、腕に巻き付いたものを千切っただけに刃についていた鎖はそれなりの長さがあった。しかし、ボラホーンが手にしている鎖鎌の刃の鎖は、明らかにその時よりも短くなっているのである。

 これはどう考えても、ボラホーンがわざわざ鎖を切ったとしか考えられない。

 では、なぜそんなことをしたのか?
 ボラホーンがこの時そうしたように刃を持って攻撃するのであれば、確かに鎖は必要がないし、邪魔と言えば邪魔だ。だが、わざわざ切らなければならないほど、動きの妨げになるものではない。

 しかし、鎖というものは動かせば音がする。
 ボラホーンが嫌ったのは、この音ではないかと筆者は推理する。いくら背後からこっそりと近づいたとしても、鎖が鳴りでもすればそんなのはすぐに気付かれてしまう。

 だからこそボラホーンは音を消すために細心の注意を払い、ヒュンケルに不意打ちをしかけた。

 しかし、ヒュンケルに寸前で察知されて躱されてしまう。
 そして、ヒュンケルに反撃されそうになると、ボラホーンはポップを人質として突きつけてくる。

 鎖鎌に対してそうだったように、ボラホーンはポップの扱いに関しても非常に細心の注意を払っている。
 まず、ボラホーンは不意打ちの際、わざわざポップを自分の後ろに隠してヒュンケルに見せないように注意を払っている。

 この時のコマを見てみると、ボラホーンは不自然に後ろに腕を回しているが、よくよく注意深く見てみると、彼のマントの下からちらりとポップの足が見えている。

 見えているのが膝の部分なので、どうやらポップはこの時膝立ちに近い姿勢で引きずられていると思ってよさそうだ。また、なにせ後ろにいるだけにこの時のポップの現状が見えないが、鎖鎌の鎖の音にまで気を遣うボラホーンがポップに対しても何も対処しなかったとは思えない。

 不意打ちの際、ポップがヒュンケルに危機を教えようと叫び声でもあげれば、攻撃は自動的に失敗してしまうのだ。それを防ぐため、ボラホーンはポップの頭を掴むと同時に口も押さえていたのではないかと推測する。彼の手の大きさを考えれば、出来ない相談ではない。

 だが、ポップをヒュンケルの前に突きつける時は、ポップの顔をよく見えるようにしている。その方が、ヒュンケルに対して効果的な脅しになると考えたのだろう。

 ついでに言うのであれば、ボラホーンはポップの頭を掴んで宙にぶら下げるという、非常に危険な持ち方をしている。ポップ本人には負担や苦痛が大きいのだが、もし万一ヒュンケルが攻撃をしかけてくるのならボラホーンにとってはポップを盾に出来る態勢だ。

 ボラホーンはこの人質作戦に、絶対の自信を持っていたようだ。不意打ちよりも、こちらの作戦を切り札として残していたことを考えれば、この作戦こそが本命だったのだろう。

 事実、この作戦は面白いように成功している。
 捕らえられたポップの姿を見ただけでヒュンケルは顔色を変えているし、武器を捨てないとポップの頭を握りつぶすと脅しにもあっさりと応じている。

 ヒュンケルの従順さに調子に乗ったのか、ボラホーンはヒュンケルに武器を捨てさせ、しかも動かないようにと言い置いて彼を殺そうとしている。しかも、ボラホーンは最後の最後まで人質のポップを手放そうとしなかった。万が一、ヒュンケルが反撃してくる可能性を恐れたのだろう。

 豪快で力押しなが得意そうな外見とは裏腹に、ボラホーンはやたらと執念深く、意外なぐらいに用意周到で確実な勝利を狙う性格だと物語るエピソードだ。

 重傷とは言え細々と動けるボラホーンは、助かりたいと望むのならばヒュンケルとラーハルトが戦っている隙に逃げることもできたはずだ。

 兵士として戦略行動に徹するのならば、戦力外となった段階でボラホーンはバランの後を追い、彼にガルダンディーの死とラーハルトの苦戦を告げた方がいい。戦時下において、戦況の変化を常に上官に知らせるのは、下士官の義務でもあるのだから。

 バランの予測を遙かに上回るヒュンケルの抵抗と実力を知れば、バランもまた行動や作戦を考え直した可能性もある。もし、ボラホーンがバランへの忠誠心が強いのならば、そうしていたはずだ。

 しかし、ボラホーンは思いっきり私情に走っている。
 ボラホーンの行動原理は、ヒュンケルへの恨みによるものだ。彼は、自分自身の手でヒュンケルに仕返しすることに固執している。

 しかもこの恨みは、どこまでも自分本位な物だ。
 ボラホーンがポップを人質にした段階で、彼が同じ竜騎衆であるガルダンディーにたいしてほとんど執着心を持っていなかったと知れるというものだ。

 もし、ボラホーンがガルダンディーに対して強い感情を抱いていたとすれば、ガルダンディーにとどめを刺したポップを許せずに殺そうとしただろう。愛竜ルードを失ったガルダンディーのように、感情的にポップを嬲り殺したいと考え、実行していたはずだ。

 だが、ボラホーンはポップを殺すよりも、ヒュンケルを殺すことを優先した。

 それは言い換えれば、ガルダンディーを殺されたことよりも、ヒュンケルに自分がやられたことの方がよほど腹立たしく、許せないことだったということだ。

 だからこそ、彼はヒュンケルを殺すためには手段を選ばずに卑怯な手を連発している。ボラホーンは、戦いの課程に重点をおく気など全くない。結果のみを追い求めるタイプという点では、フレイザードと少しにているかも知れない。

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