58 ヒュンケル対竜騎衆戦(10)

 さて、ボラホーンの脅迫に対するヒュンケルとポップの反応だが、これがまたなかなか面白い。
 まず、真っ先に目につくのがヒュンケルの交渉の下手さ加減である。

 彼の対応は、決して褒められない。……というよりも、てんでなっていない。もし、彼が犯罪に関わる交渉人であったとすれば、事件は全く解決しないまま悲惨な結末に辿り着くのは想像に難くない。

 基本的に交渉とは、相手の要求を聞いた上でこちらの条件も口にし、互いの条件をすりあわせて妥協できる点で話を収めるのが目的だ。
 ボラホーンの場合、ヒュンケルを殺すのが何よりも優先する第一目的だった。

 さもなければポップを殺すという脅すボラホーンの要求を、ヒュンケルは文句をつけもせずにあっさりと受け入れている。ほぼ、相手の条件を鵜呑みにしてしまっているのだ。
 この点、ヒュンケルはあまりにも潔すぎる。

 潔さや相手を信じるというのは美点であるが、こんな状況下に置いては必ずしも褒めちぎることのできない美点だ。
 なぜなら、ここでヒュンケルが言うことを聞いたからと言って、ポップが助かる保証がないからだ。

 だいたいこんなにも手段を選ばない男が、ヒュンケルを殺した後で本当にポップを助ける気があったかどうかははなはだ疑問だ。そもそも、ボラホーンは最初ポップを殺そうとしていた一人だ、その意味でもポップに情けをかけるとは思いにくい。

 よくよく台詞のやりとりを見てみると、ボラホーンの方はヒュンケルが死んだらポップを助けるとは、一言も言っていないのである。彼は気短にポップを痛めつけ、ヒュンケルに言う通りにしろと言っているだけだ。

 ボラホーンは物事の段取りを組むのには細心を払うが、他者との交渉はさして上手いとはいえない。

 そんな彼が人質交渉を大成功させたのは、ヒュンケルがボラホーン以上に人付き合いに不器用で交渉能力が壊滅的に下手だったからこそだ。せめてポップが確実に助かるように食い下がるなり、相手の譲歩を誘うために妥協案を出してみるのも作戦だと思うが、ヒュンケルはそれさえしていない。

 それ以前に、ヒュンケルの交渉にはブレがある。
 この時の彼は、確固たる目的意識を持ってはいないのだ。と言うよりも、優先順位がばらけていると言ってもいいかもしれない。
 ヒュンケルの目的は、この時、大きく分けて三つある。

1ポップを助ける。
2ダイを助けるために、この場の敵を一掃してバランの後を追う。
3バランを精神的に救うため、彼を説得する。

 1から順番に増えていった3つの目的の内、どれを最優先したいのか明確にされていないのである。

 例えば、2を優先したいのであれば、ここはポップを見捨てることになってもボラホーンを倒すか、最悪でも彼を無視して先に進むべきだ。しかし、ヒュンケルはダイだけに全てを賭けているわけではない。

 もし、ダイに最大の執着心を抱いているのであれば、葛藤や躊躇がありそうな物だが、それはない。
 本来の目的ではあっても、ポップの命の危機を見て目的意識が揺れてしまっているのである。

 揺れという意味なら、2の目的と3の目的はこの時点では相反するものだ。そのどちらを優先するともヒュンケルはこの時は決めてはいない。

 単独行動を取っていたヒュンケルは、ダイとバランが決定的に決裂した場を見ていないので無理もないと言えるが、どちらにせよ交渉の時点でヒュンケルは3の目的も口にはしていない。
 死を前にしても、決して譲れない目的ではないのである。

 では、1のポップの命が最も強い目的意識かと思えば、そうとも言えない。
 前述したように、ヒュンケルはポップが確実に助かるような算段は一切取っていないのである。厳しく言ってしまえば、何が何でもポップだけは助けたいと思っているような必死さがない。

 ここでのヒュンケルの中で最も強い目的意識は、己の美意識に従うことであるように思える。
 では、その美意識とは何か。
 それを知るための手がかりとして、ヒュンケルのこの台詞をあげたい。

『……それにあの世に行った時、アバンに叱られるネタをこれ以上増やしたくはない。後輩を見殺しにしたなどと聞いたら、今度こそ本当に破門されてしまうからな……!!』

 アバンへの強い拘り――これが、ヒュンケルの目的決定に大きく作用しているのが、よく分かる台詞だ。

 アバンへの復讐という最大の目的意識を失ったヒュンケルが心に一番強く刻んでいるのは、アバンの教えだ。これには、レオナ奪回直後、レオナに直々に『アバンの使徒として生きなさい』との裁きを受けたことも影響しているのだろう。

 アバンの使徒に相応しい行動を取ることが、唯一の罪の贖罪になると考えているのか、ヒュンケルの行動は本人の感情以上に正義に対する是非によって選ばれることが多い。

 勇者を助けることや、同情を感じた相手を助けること、卑劣な敵への怒り以上に、弟弟子を見殺しにするわけにはいかないという倫理感こそが、ヒュンケルに剣を捨てさせた最大の理由と思える。

 なまじ自分の命に執着心の薄いヒュンケルは、己の倫理感に従うと決めた時点で満足してしまった。だからこそ、本来の目的であるはずのポップの存命に執着が薄くなってしまっている。

 これはヒュンケル自身の真面目さが災いしているのだが、相手が約束を守ると無意識に思い込んでいるせいだろう。騙されるという点に関しては、ヒュンケルは驚くほど無防備だ。
 こんな調子で魔王軍で大丈夫だったのかと、心配になるぐらいである。

 ヒュンケルに比べれば、ポップの方が遙かに口が立つし、目的意識もしっかりしている。

 ついでに人を見る目もあるというべきか、ポップはボラホーンと交渉しようとはしていない。彼に命乞いするのは最初から無駄だと考えたのか、ヒュンケルの方を選んで話しかけている。

 事実、この時、ポップはボラホーンを全く信用していなかったと言っていい。たとえヒュンケルがボラホーンの言いなりになったとしても、自分は助からないと判断しているのか、ポップの判断に迷いはない。

 だからこそポップは、ヒュンケルがボラホーンに従いそうになったのを見て、自分に構わずボラホーンを倒してくれと要求している。
 ポップの場合、目的意識はしっかりしている。
 ポップの目的は

1レオナ達への援護として、竜騎衆の殲滅。
2ダイを助けるため、バランの後を追う。
3ヒュンケルを助ける。

 の3つだが、1と2は結局はダイを目的としているので、ポップの中にはブレはない。
 まだ、具体的目標として彼の優先順位は数字の順だ。

 この優先順位は、ポップの中では自分の命よりも上位にある。ボラホーンに捕まっている間、ヒュンケルの前に引きずり出されてからポップは極力口を開かないように努力しているのが見て取れる。

 ボラホーン側から言えば、人質が助けを請うてくれた方が都合がいいし、また、助けて欲しいと強く訴えることで救助人の心を動かし、救助されやすくなる可能性もある。だが、ポップは一度もヒュンケルにもボラホーンにも助けてくれとは言っていない。

 ヒュンケルがポップの望みとは違う結論に達しそうになっているのを見てから、初めて口を開いているのだ。 

 この時、ポップはダイを助けるためには今の自分よりもヒュンケルの方が役に立つことを強く押している。それだけでは説得しきれないと思ったのか、マァムのために生きてくれとも頼んでいる。

 ヒュンケルがマァムに対して、他の人間よりも強い感情を持っていると見抜いて感情に訴えかけることで翻心させようとしているのである。ポップ自身もマァムに恋愛感情を抱いていることを思えば、その思い切りの良さには感心する。

 目的のためならポップは手段を選ばないタイプだが、その性格が端的に表れている。

 だが、この時のポップには甘さというか、生への執着心が残っている。
 ポップは目的のためなら死んでもいいとは思っているが、自ら死を選ぶ覚悟はこの時はまだない。

 この時、ヒュンケルを説得できないのなら、自殺をするという選択肢も実はあり得た。

 人質さえいなくなれば、足枷のなくなったヒュンケルは放っておいてもボラホーンを殺し、ダイを助けるためにバランを追うのは高い確率で実現するだろう。

 どうせ、ヒュンケルが殺された後自分も殺されると予測したのなら、一歩先んじて自殺を選ぶというのも一つの手だ。
 だが、この時のポップはまだ、そこまでの覚悟はない。だからこそ、ポップはヒュンケルに自分を見捨ててくれと頼むのが精一杯だったのだ。

 クロコダインとの戦いの時も自分で言っていたように、ポップは出来るなら死にたくはないのである。無茶で無謀な行動を取ってはいるが、ポップは強い目的意識を持っているからこそそうするだけであり、命は惜しいのだ。

 目的のためなら死んでも構わないと考えはするが、ぎりぎりまで生き延びようと足掻いている。

 最初から自分の命への執着心が薄いからこそ、簡単に無茶をするヒュンケルとはその点が違う。ヒュンケルの場合、自分の命の投げ捨て先に意義を求めるために、敢えて困難な目的を選んでいる傾向すら見られる。

 傍目から見れば同じぐらい生き急いで無茶な兄弟弟子同士だが、動機という点ではポップとヒュンケルは正反対なのである。

 

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