65 勇者一行対バラン戦(4) |
今、まさにレオナの頭上に雷撃が降りかかろうとした瞬間、一本の槍が投げつけられた。その槍が雷撃を引きつけ、落雷はその槍へと落ちる。そのおかげでレオナは無事だった。 その光景を見て誰よりも驚いているのは、バランだ。 自分に忠実な部下が、なぜ自分の邪魔をするのか――その疑問に気を取られているせいか、バランは近づいてきた人影をラーハルトと誤認している。気配に聡い彼にしては、珍しい失態だ。 『……どういうつもりなのだ!! ラーハ……』 見ての通りバランは『邪魔をするな』でも『何をする』でもなく、どういうつもりなのかとラーハルトに問いかけている。 この時、槍を投げたのがもし本当にラーハルトだったとすれば、これは明確な命令違反だ。なにしろバランが竜騎衆に命じたのは、自分がダイを連れ戻すに当たって、ダイの仲間達の相手をせよというものだ。 雷撃呪文は、勇者か竜の騎士でなければ使えない呪文だ。 怒りに任せていきなり叱責したとしても、少しもおかしくはない状況だ。なのに、こんな時でさえバランは部下の言い分を聞こうとしている。この公平さと寛大さは、特筆に値する。 ガルダンディーに対しても甘さを見せたバランの、部下に対する思いやりを垣間見る気分だ。この部下への配慮があるからこそ、バランは竜騎衆をあれ程までに掌握し、竜騎衆もまたバランへの忠誠が強かったのかも知れない。 しかし、やってきたのはヒュンケルとポップだった。 助っ人としてレオナの命を救ったのはヒュンケルだし、バランとの戦いで実践力になるのもヒュンケルの方なのだが、レオナ達はポップの生存の喜びが先に立っているようだ。 一人で歩けずにヒュンケルの肩にすがっているポップだが、それでも竜騎衆を全員片付けてきたと豪語する調子の良さ辺りが、いかにも彼らしい。 部下の全滅の知らせに、一度は『でたらめを言うな』と激昂するバランだが、嘘ではないと主張するヒュンケルの淡々とした補足説明を聞いて、納得している。 この時のバランは、ひどく冷静だ。 通常、人間が大切な人を失った場合、まずはその事実を信じたくないと思い、ほぼ反射的に否定しようとすることが多い。急な事故や訃報を聞いた場合、大半の人間が『嘘』だと否定する心理が、これだ。 人の心は、急激な変化や悲しみをそうそう受け入れようとはしない。 まず、驚きを受け、それを否定しようと足掻き、だが、それが紛れもない事実だと納得できた後で、ようやく悲しみがこみ上げてくる。悲しみを紛らわす為に、怒りや否定の感情を強く感じる者も少なくはない。 だが、バランはこの段階を踏まずに、部下達の死亡を事実として受け入れている。 今まで何度も記載してきたように、バランは魔王軍の中では稀な、部下に対する愛情を持った将軍だ。それだけに部下の死について、感情を動かされないとは思えない。 しかし、バランは自分の感情を押し殺して冷静に物事を判断している。部下達の全滅を受け入れ、ヒュンケルがラーハルトの鎧を奪ったと解釈しているバランは、少なくとも外見上に動揺は感じられない。 これはバランの性格もあるだろうが、経験も関与していると思われる。 自分で自分の心を防御し、衝撃を受けないようにしようとするあまり、感情そのものを押し殺してしまうのである。その結果、仲間の死にも動揺せず、事実をありのまま受け入れ、常に目的だけを見据えて戦う冷徹な戦士としての思考だけが残ることになる。 バランのこの反応も、それに近いと思われる。 だが、バランの心が完全に凍りついているというわけではなさそうだ。この時、バランはレオナの動きを放置しているのだから。 先程、バランは回復手のレオナに業を煮やして攻撃したはずなのに、彼女に対して再攻撃をしかけようとはしていない。レオナはバランの前を横切るような形でポップへと駆け寄っているのに、それを一切邪魔していないのだ。 冷静さを保っているようでいて、バランがヒュンケルの言葉を無視しきれず、彼に意識を集中させているのがよく分かる。 しかし、この鎧はラーハルトの意思で譲り受けたものだと言い切ったヒュンケルの言葉こそが、バランに対して大きな衝撃を与えている。実はこの時のバランの動揺は、竜騎衆の死を知らされた時よりもずっと大きい。 バランにとっては部下が戦いの中で死ぬこと以上に、ラーハルトが人間に心を開いた方がよほど信じがたく、衝撃的な出来事だった。 これは、恋人との関係などで考えれば、分かりやすいだろう。 恋人を失った人は深い悲しみを負うことにはなるが、それと引き替えに美しい思い出を得ることが出来る。 だが、心変わりはそれとは意味が違う。恋人の心が変わってしまえば、それは悲しみ以前に恋の終わりを意味する。良い思い出を残すどころか、ヘタをすれば恨みや怒りなどでド修羅場を巻き起こしかねないのが、心変わりの恐ろしさだ。 バランがラーハルトの死は受け入れても、ラーハルトの裏切りは認めたくないのも無理もない。 人間を許せないまま考えを固執させてしまったバランにとって、人間を受け入れるということは、これまでの人生全てを捨てるも同義だ。それは、バランにとってはソアラの存在そのものを捨てるように感じられていることだろう。 バランの中では、今もソアラへの愛を示す手段と、ソアラを殺した人間達への憎しみを持ち続けることは、同一化している可能性が高い。 部下達の死に対しては、バランはヒュンケルの短い説明を聞いただけで真相を察し、即座に認めたのに、ラーハルトの心変わりに対してはバランは容易に受け入れようとはしない。 ヒュンケルには珍しく、長い説明でバランを説得に当たっているが、その内容そのものがラーハルトしか知らないことばかりだ。それは即ち、ラーハルトがヒュンケルに心を開いた何よりの証拠でもあるのだが、それが分からないでもないだろうに、その事実をバランは認めたがらない。 バランにとって、ラーハルトの存在が単なる部下以上に大きいことがよく分かる。 愛憎を交えた思いで人間を憎むバランにとって、同じ境遇と心理を持つラーハルトは、同士とも言える親しみがあったと予測できる。後の話になるが、バランはラーハルトへ遺書で息子とさえ呼びかけているのだから、バランにとってはこの世で唯一信頼できる相手だったと考えていい。 その相手が、自分よりも人間に味方をした――その事実は、バランにとっては少なからぬ衝撃を与えた。 |