66 勇者一行対バラン戦(5) |
ラーハルトの鎧を譲り受け、彼に主君を託されたヒュンケルは、バランを説得しようと試みている。寡黙がちな彼にしては珍しい長台詞を駆使して説得するヒュンケルが、本心からバランに同情し、彼を助けたいと思っていたのは間違いは無いだろう。 アバンや正義を憎んだ過去を持つヒュンケルには、人間を憎むバランの気持ちを共感しやすいからこそ、その気持ちは一際強い。 そして、ヒュンケルとバランとでは、立場が似ているようでいて、実は全然違う。 分かっていないからこそ、ヒュンケルが自分が救われた時と同じやり方でバランを救えると思い、かえってバランを刺激してしまっている。 まず、ヒュンケルはバランに対して、彼の過去をラーハルトから聞いたと言っている。 誰でもそうだが、人間は自分の大切な秘密を第三者に知られるのを好まない。例え、それが客観的には一目瞭然の事実だったとしても、本人が隠したいと思っていることは、本人にとっては聖域であり、大切な秘密だ。 人は、自分にとって大切な秘密は、信用できる相手にしか打ち明けようとしないし、分かち合いたいとは思わないものだ。 その意味で、バランが過去を打ち明けてもいいと思える相手は、ラーハルトだけだったと考えられる。同じ竜騎衆でも、ガルダンディーやボラホーンがソアラを思い浮かべることが無かったことし、彼らは何も知らなかったと思える。 バランは部下の中でも、特に信頼の置けるラーハルトにだけ過去を打ち明けたのだろう。 ヒュンケルは自分からアバンへの恨みを口にし、自分の正当性を主張せずにはいられなかったため気がついていないが、バランは自分の気持ちを表に出したいとは思っていない。バランにとって、ソアラの存在は胸に深く秘めて置きたいものだった。 ヒュンケルの心にあったものが、自分を理解して欲しいという切実な願いだったとすれば、バランの心にあるのは誰にも穢して欲しくはない、大切な思い出だ。 実際、バランはレオナにダイの母親について聞かれた時は、強引に話を断ち切っている。 そんな相手に対しておまえの気持ちは分かると言い、それを証明するかのように自分の知っている情報を暴露するなど、言語道断だ。しかも、ここにいるのはバランとヒュンケルだけではない。人前で、聖域を暴かれるも同然の行為だ。 これでは相手を理解していることを証明するどころか、相手の反感を進んで煽っているようなものである。 カウンセリングでは、まずは相手の話を聞くことから始めるものだ。 それは、事情を知る、知らない以上に、本人が相談者を信頼して打ち明けるというプロセスが重要だからだ。そもそもカウンセラーは、本人の抱えている問題点を分析し、解決する方法を最初から知っていたとしても、それを押しつけないものだ。 本人が問題を直視し、それを解決したいと自主的に考える方向へと誘導していくのがカウンセラーの腕の見せ所というものだ。 バランのソアラへの愛の強さも、その愛する人間をよりによって人間に奪われたことで人間に対する強い愛憎を持ってしまったことも、ヒュンケルは正しく理解している。 そして、それが間違いだとヒュンケルははっきりと断言している。 この時、ヒュンケルは自分のやり方が正しいと思っていたに違いないが、正しいだけでは人は救えない。 人間、他人から間違っていると指摘されたところで、素直にそうそう従えるものではない。だいたい、ヒュンケル自身も最初にマァムに説得された際、反発しまくっていたのだ、むしろマァムと同じやり方を踏襲しない方がよかったとなぜ思わなかったものか。 確かに、アバンの優しさに対して意地を張り続け真相と向き合わなかったヒュンケルには、マァムの指摘と父の遺言は効果が強かったかもしれない。それらは、ヒュンケルに今までなかった視点を与えてくれ、ヒュンケルが望んでやまなかった理解者を与えてくれた。 しかし、この時ヒュンケルが告げた言葉は、全てバランが知っている事実ばかり……というよりも、バランからラーハルトに伝えたことを、ヒュンケルなりの解釈を加えて語ったもの――つまり、バランにとって分かりきった話だ。 自分で自分の間違いに気がついている人間に対して、問題点を指摘するのは、必ずしもいい結果をもたらさない。 例えば、もし宿題の存在を忘れて遊んでいる子供に、それを指摘して思い出させ、宿題をやる様に忠告したのならば、従うかも知れない。 大方は「分かってるよ! 今、やろうと思っていたのに!」と逆ギレするものである。その場合は、子供はそう簡単に宿題をやろうとはしないだろう。 バランの場合も、それと同じだ。 それを、バランは決して忘れてはいない。が、人間への怒りが強すぎる彼は、彼女の遺言に従ってはいない。それに従ったところで、バランが心から欲するものは手に入らない。ソアラをすでに失ってしまったことが、ますます彼の心を遺言から遠ざけてしまう。 ヒュンケルは改心することで取り戻せるものがあったが、バランにはそれがないのだ。 バランが求めているのは、理解者でもなければ、自分の正当性を認めてもらうことでもない。 この状況で改心を要求するのは、さすがに無理がありすぎる。 『おまえが本当にダイの父親を名乗るなら……我が子を可愛いと思うなら……まず”人の心”でダイに接してやるべきではないのか、バランよ!?』 アバンの長兄としての役割を認識し、その通りに振る舞うことに意義を感じ始めているヒュンケルは、実際に弟弟子達に対して保護者意識を持ち始めている。 彼らを守り、庇うことでヒュンケルは満足感を感じ、救われてもいる。同じことをバランに進めたのは、紛れもなく善意だろう。 しかし、バランは父として振る舞うつもりはない。 聖母竜に産み落とされた後のバランの幼少時は明かされていないが、彼が通常の親子関係を体験していないことは、十中八九間違いが無いだろう。 親子の関係とは、まず親が子供を愛し、面倒を見ることから始まるものだ。 その際、子供は血筋ではなく、自分に接する態度で誰が親かを判別する。異種族に育てられたとしても、育ての親に懐くのである。その場合、異種族に育てられた子供は、本来の親や種族にはなかなか馴染めなくなるし、自分の子供に対してもうまく接することができない場合が多い。 動物園でも、人工保育を受けた動物の多くが育児放棄をしてしまうという実例が記録されている。 ヒュンケルには、養父とは言えバルトスという父がいたし、アバンという師がいた。彼らの行動を真似るのは、ヒュンケルには容易いかも知れない。しかし、バランにはおそらくその手本はない。 バランがダイを求めたのは、愛する子供を保護したいという感情から生まれたものではない。ソアラに繋がる存在として、バランはダイを取り戻したいと願っているだけだ。 つまり、バランの心の中心はどこまでもソアラにある。 ヒュンケルはラーハルトを助けたいとは少しも思っていなかったのに、結果的に彼を救い、彼の信頼を勝ち得た。
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