67 勇者一行対バラン戦(6)

 

 ヒュンケルの説得に対して、バランはしばし瞑目している。
 これは、バランにしては珍しい隙である。脂汗を滲ませ、身体をかすかに震わせているバランは、明らかに動揺を感じているのだ。ヒュンケルの言葉が、彼の心を全く動かさなかったわけではないのである。

 だが――その動かした方向は、ヒュンケルの意図とは全く逆の方向だった。
 静かになったバランに対し、クロコダインもヒュンケルの言う通りだと援護の言葉を投げかけているし、レオナもバランの名を呼んでいるのだが、バランの決意の方向性は変わらない。

 ここで面白いのは、バランの気配の変化に真っ先に反応したのがレオナだという点だ。

 今まで何度も指摘してきたように、レオナは戦士としては全く落第点であり、戦場には向かない。
 しかし、彼女の本領は指導者としての立場で発揮される。戦闘力こそ皆無に等しくても、他人に対するコミュニケーション能力や洞察力は年齢離れしたものがある。

 つまり、他人の心の動きを計るという点ならば、彼女はこの場にいる誰よりも勝っているのである。

 だからこそ、レオナはバランの目つきや威圧感の変化についていち早く感じ取っている。ヒュンケル、クロコダイン、ポップの三人が、バランが人間の身体と心を捨てると宣言してから驚きを見せているのに比べると、ずいぶんと反応が早い。

 ところで、筆者はここでポップの表情に注目している。
 ヒュンケルとクロコダインはやや警戒しているような表情でバランを見ているが、ポップは眉をひそめていて、驚いていると言うよりは悲しみ、もしくは『ああ、やっぱりダメだったか……』とでも言わんばかりの表情に見えるのである。

 ヒュンケルがバランを説得している最中も、後も、ポップだけは何も言わなかったところとあわせて考えると、ポップの表情は意味深長だ。
 もしかすると、ポップはヒュンケルの説得ではバランの心を変えられないと最初から気づいていたのかもしれない。

 ヒュンケルやクロコダインにとって、バランは元同僚であり、魔王軍の中にあっては珍しく尊敬のおける男だったのは間違いない。ヒュンケル達とバランの会話は作品中ではここが初めてだが、バランがハドラーや他のメンバーと話す態度を見る限りでは、バランは公平で人の話をきちんと聞くだけの筋を通す人柄と見えた。

 となれば、ヒュンケル達がバランを説得できるかも知れないと思うのも無理もない。彼らの知っているバランは、話せば分かる男だったのだから。

 だが、ポップにとっては元々の知り合いでなかっただけに、バランに対する先入観はない。
 自分の目で見た印象だけで、バランを判断しているのだ。

 ポップの見る目は確かだが、その判断は大いに感情に基づいたものだ。レオナの客観的事実を元にした洞察力と違い、ポップの洞察力は自分の感情をベースに相手を見つめることで発揮される。
 だからこそ、ポップは他人の感情に敏感だ。

 レオナが相手の思考を読み取る方向から相手を理解していこうとするのに対し、ポップは感情を最重視しているのである。

 ヒュンケルと初めて会った時もそうだったが、ダイやマァムがヒュンケルを自分達の兄弟子だと強く認識し、彼に対する態度がそれに従ったものになった中で、ポップ一人だけが自分の目で見た相手の印象でヒュンケルを判断していた。

 その時と同じように、ポップは自分の目でバランを判断した。
 バランのこれまでの言動を見て、ポップは彼の決意が止められないと薄々察していたのだろう。だからこそ、バランの決断に対して驚き以上に悲しみを感じているのだと思える。

 事実、この直後からバランは逆鱗に触れられた竜のごとく、激しい怒りを見せる。

 ソアラが生き返らないことを嘆き、息子と一緒に人間を滅ぼす望みを強く主張するバランの思考は、すでに変えることが出来ないほど固定されてしまっている。

 バランの中では、すでに息子と人間を滅ぼすことこそが唯一の救いであり、それを妨げるもの全てが自分の敵と認識されているのである。これまではまだ息子を無事に取り戻したいという理性を保っていたのだが、ヒュンケルの説得によりバランは完全に切れてしまった。

 目につけていた竜の牙(ドラゴン・ファング)をむしり取り、それを強く握りしめるバランの手から流れる血が、赤から青へと変化していくシーンは実に印象的である。

 その後、流の牙を高く空に掲げると共に落雷がバランを直撃し、その姿を大きく変える。

 額の紋章を強く発光させたバランの全身の筋肉が大きく膨れあがり、着ていた鎧や服を砕いて内部から一回り大きく発達した肉体が現れるシーンは圧巻だ。

 頑丈そうな翼が出現し、肌は見るからに厳つい鱗で覆われた姿……竜の騎士の最強戦闘形態であり、竜魔人と呼ばれる姿である。

 今までのバランが人間にしか見えなかったのに対し、竜魔人の姿はどう見ても人外の生き物だ。一番驚きが派手なのはポップだが、普段はあまり驚いた表情を見せないヒュンケルまでもが手放しの驚きを見せている。

 ポップが竜魔人化したバランを見て、ハドラー以上かもしれないと恐れを感じているが、戦いへの判断という意味でならポップもまだ甘い。
 この時のバランは、確実にハドラー以上の力を持っている。

 それを強く感じ取っているのは、やはりヒュンケル、クロコダインの両者だ。闘気を感じ取れる二人にとっては、バランの戦闘力が各段に上がったのが目に見えているのだろう。

 この時、ヒュンケルはポップに城の中に逃げろと強い口調で言い切っている。

 バルジ島でハドラーと戦った時でさえ、ヒュンケルはここまでの緊張感は見せていない。いかにヒュンケルが竜魔人化したバランを高く評価し、恐れているかが窺える。

 同時に、ヒュンケルに仲間の安全を気遣う気持ちが強まっている点を指摘したい。

 フレイザード戦や竜騎衆戦の時には、ヒュンケルはまだ仲間を庇う意識がさして強くはなかった。自分が強敵を引き受ければ、それでいいと言う考えがあったのだろう。

 だからこそ自分の戦いに集中し、ポップを人質にとられたの気がつかなかったというミスに繋がったわけだが、その経験のためかこの時のヒュンケルはポップの安全に対してずいぶんと気を遣っている。

 ポップ本人は戦う気満々で、ヒュンケルの言葉に従うどころか残ると言い張っているのだが。

 余談だが、さっきまで人の手を借りなければ歩けもしなかったポップがここまで元気になったのは、レオナが彼を支えている際、密かに回復魔法をかけたのではないかと筆者は推測している。

 呪文を唱えている明確なシーンはないが、レオナはポップに確実に接触しているので、その可能性はかなり高いだろう。
 しかし、体力が回復したところで魔法力が回復できるわけでもないので、例え本人が望もうが、ポップがこの場に残るのは明らかに無茶だ。

 それを一番強く感じているであろうヒュンケルは、とにかくポップをこの場から遠ざけたいとばかりに、足手まといは要らないとまで言い切り、きつい言葉を彼に投げつけている。

 相手の感情を度外視して、自分が最善とする選択を相手に突きつけて従わせようとする――この説得方法は、実はバランに対してやったのと大差は無い。

 ヒュンケルが相手を心配し、だからこそ説得したいと考えているのは間違いないのだが、彼はどうにも不器用だ。この時、ヒュンケルとポップの二人しかいなかったのなら、またも説得失敗に終わったのではないかと思える。

 だが、ここでヒュンケルにとって幸いだったのは、フォローしてくれる仲間がいたことだ。運のいいことにと言うべきか、この時、ポップ以外の三人は全員ともポップの撤退に賛成している。

 感情から反発し、ヒュンケルにくってかかろうとしたポップを、レオナがまず止めている。

 ポップに対して意地を張るなと諫め、自分がヒュンケル達のサポートをすると宣言することで、レオナはポップを落ち着かせようとすると同時に、ポップが無理にここにとどまらなくていいと示唆している。

 そして、クロコダインはもっとはっきりと、ポップにこの場を離れる理由を与えた。
 地下牢のダイを頼むと言い、自分達に万が一のことがあったら、ダイを連れて逃げるようにと指示している。

 魔法力の尽きたポップにとっては難しい指示ではあるのだが、クロコダインが彼をいかに買っているかがよく分かる。ナバラやメルルに対しては頼まなかったことを、クロコダインはポップには託しているのだから。

 そして、この指示はポップの身の安全を確保するだけではなく、クロコダイン自身の戦いの指針を示すものでもある。

 バランに勝てなかったとしても、バランを少しでも足止めしてダイとポップを逃がす時間を稼ぐという新たな目的を、この時のクロコダインは意識していたのだろう。

 レオナとクロコダイン、二人のフォローを受けてやっと、ポップは不承不承ながらもこの場を逃げ出すことを承知している。
 ポップが自分の意思ではなく、他人から薦められてやっと撤退を決意する珍しいシーンだ。

《おまけ・竜の牙と鎧について》

 本編には無関係なおまけ考察なので、畳んであります。

 

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