72 勇者一行対バラン戦(11)

 

 自分に向かって歩いてくるバランに、ポップは即座に反応している。ダイを抱きしめつつもバランに対して向き直ったポップは、戦いを決して捨ててはいない。
 バランに対して降伏する気も、逃げる気もないのである。

 ついさっきぶちまけた本音は、ポップにとって言っておきたかっただけの言葉ではない。本音を言っておきたかっただけならば、ポップは言いおわったことに満足して、後はダイにしがみついて泣いているだけで終わっただろう。

 しかしポップにとって、この時言い放った本音は最後だから言っておきたかった言葉などではない。抑えきれない感情のままに自分の思いをそのまま口にしただけであり、言うだけではなく行動も伴うものだ。
 実際、ポップは言った言葉の通りに行動に移っている。

 ポップの凄い所は、どんなに感情的になっていても物事を理性的に考えられる冷静さを残しておける点だ。あれだけ感情的に叫んでおきながら、ポップはバランに接近に気づいた途端、思考を切り替えている。

 この絶望的な状況下で、ポップはまだ諦めてはいない。近づいてくるバランに怯えながらも、ポップはこの場の状況を打破する方法を必死になって考えているのが興味深い。

 ポップが相手と自分の戦力差を、この時しっかりと意識しているのも忘れてはいけない。レオナのように深く考えずに戦いに挑もうとしているわけではないし、味方も策もないのになんとかなるなんて甘い予想も抱いてはいない。

 絶対に勝てないと分かっている相手に、ポップは単身で戦う決意を固めているのだ。

 ポップの考えには、仲間はもちろんダイの存在も含まれていない。単独でも戦うと決めたポップは、本当に一人で戦うことを考えている。ダイが記憶を取り戻して助けてくれるかも知れないとか、ヒュンケル達の助力を当てにはしていない。

 更に、ポップはバランの心変わりにも期待はまったくしていない。
 バランに何を言おうと、説得などできないと思っているのか、ポップは彼の説得のために時間を使おうとさえしていない。

 ポップの思考は最初からバランとの戦いを前提としているし、その条件下でダイを連れて行かせないことを最優先させている。

 ここで注目したいのは、ポップの望みがダイを連れて行かせないことだけに絞られている点だ。
 そこが、ポップとレオナ達の大きな違いだ。

 ダイを大切に思い、守りたいという気持ちは同じでも、レオナ達にはダイ以外にも守りたいものがあった。仲間の誰にも死んで欲しくないと思い気持ちが強すぎて、戦いの目的を一点に絞り切れていなかった部分がある。

 だからこそ勝ち目の見えないままにもかかわらず互いに仲間を庇う形で戦い続け、いたずらに戦力を擦り減らしてしまった。

 しかし、ポップにはブレが全くない。
 ポップが意図して行った作戦とは思えないが、バランの感情を刺激したことで彼の意識もまた、ポップに集中している。これが、功を奏しているのである。

 仲間達に攻撃をされる心配をせすに、純粋にバランへの対策だけに専念できているのは、ポップにとっては大きな強みだ。

 戦えるのは自分一人だと強く意識しているポップは、自分に出来ることはないかと必死で頭脳を巡らせている。その際、ポップが脳裏で問いかけた相手はアバンだった。

 ポップが心の支えとしているのが、最初の師であるアバンだというのがよく分かるシーンだ。
 そして、アバンを思い出したことでポップは今の自分でも実行できる戦法を思いついている。

 この時のポップに、よく注目して欲しい。
 冷や汗を流すポップは、さっきまで以上の恐怖を感じている。ポップは、自分の思いついた戦法の恐ろしさやデメリットを理解しているからこそその結果に戦慄し、戦かずにはいられないのだ。

 だが、この時のポップの迷いを振り切るきっかけを与えてくれたのは、ダイだった。

 この時、ダイ自身が何をしたわけでもない。
 それどころかポップに話しかけるどころか、目もあわせられない様子でダイはただ怯え、震えている。

 厳しい言い方をしてしまうのなら、この時のダイには自分の意思というものが感じられない。まだ、ついさっきまでは父であるバランの所に行きたいという望みを持っていたのだが、それさえなくしているのである。

 だが、これは決して悪い傾向ではない。
 これこそ、ポップの叫びがダイに影響を与えた証明だ。

 ついさっきはダイはポップに邪魔をするなと頼んだのに、この時のダイはポップに手を離せとは言わない。
 それは、ダイに迷いがうまれたせいだ。

 この時のダイが、戦いそのものに怯えて震えているとは思えない。なにしろこの状況で、一番、戦いとは無関係で安全な立場にいるのはダイだ。

 バランはダイに対しては全く害意を見せていない上、実に好意的に接している。紋章の力により信頼を勝ち取った父バランは、ダイにとってはすでに味方なのだ。それも、ダイにとっては待ち望んでいたはずの、絶対的な庇護を与えてくれる保護者としてそこにいる。

 そして、ダイにとってはレオナを初めとしたポップ達全員は、敵とは思っていなくとも特に味方とも感じていない。強いて言うのなら父と会うのを邪魔してほしくはない、程度の感覚しか抱いていなかったはずだ。

 記憶を失ったダイにとっては、レオナもポップも等しく通りすがりの相手にすぎず、深い感情など抱かない相手にすぎなかった。
 自分の味方と、そうではない者がぶつかり合おうとしているのならば、味方の側に寄り添うのが普通だ。

 実際、ダイはポップに剣を取れと無理矢理迫られた時、ダイは怯えてその場で一番、自分を庇ってくれそうな相手……レオナの所に駆け寄っていた。その時と同じ心理ならば、この場でダイがバランに駆け寄ってもよかったはずだ。

 しかし、ダイは怯えて立ち竦んでいるのみで、動こうとしない。
 ポップがダイを抱きしめたままとは言え、完全に相手を拘束しているという程しっかりとしたものではないので、ダイがその気になれば簡単にふりほどける代物だ。

 だいたい、ダイがその気になれば現段階でも鉄の柵を曲げることが出来るのだ、魔法使いの腕力を振り解くなど朝飯前に決まっている。
 なのにそうしないのは、やはり、迷いが発生したせいだろう。

 記憶を消され、保護者を求めるだけの子供になったダイに、ここで初めて、別の感情が生まれたのだ。バランに意図的に与えられた目的意識とは無関係に、自分の中から自然に生まれた感情である。

 だが、この時のダイは、自分の中に生まれた感情を持てあましている。自分が何に対して感情を動かしたのかも分からないのだから、この先、どう動けばいいのか分からないのも当然だ。

 しかし、それにもかかわらず、状況が動こうとしている。それなのに、自分の中の感情すら明確に出来ないダイは、自分の目的を明確にすることもできないし、目的のために行動することができない。

 かといって、子供返りしたとは言え完全に幼児化したわけではないダイは、小さな子供と違って泣くという発散方法をとってはいない。

 よく赤ん坊や幼児に見られるが、彼らは自分にとって少しでも不快なストレスを感じると、物事への対処よりも先にまず、泣くことでストレスを解消しようとする。

 号泣は、意味のない行為ではない。本人の限界値を超えたストレスを泣くという行為で発散させ、心の安定を保とうとする自衛本能の一つである。

 ただ、この泣くという行為は長所もあれば短所もある。泣いている間は、人は思考出来ない状態に陥ってしまう。号泣は人間にとっては感情をそのまま吐き出す行為であり、不快な感情をリセットする機会にもなるのだが、その間の活動や思考を完全放棄する行動でもある。

 だからこそ精神が成熟して大人になるほど、人間は泣くのを堪えて問題の対処に当たろうとするようになる。
 それも踏まえてこの時のダイを見てみると、庇護を求めるだけの幼児から、もう一歩先へ進もうとしている時のように見える。

 自分の現状に戸惑いながらも泣くという方向で感情を発露せず、自分で何とかいたいという欲求が芽生えかけているのだ。だがその分、大きなストレスを抱え込み、結果的に怯えて震えているだけという方向性にいってしまっているのだが。

 バランの元に行きたいと言う与えられた目的とは矛盾する感情に怯えるしかないダイに対して、ポップは実に好意的だ。

『……心配すんな。すぐ終わらせてやるからよ……』

 さっきまでの怯えが嘘のように、不敵な笑みすら浮かべてそう言うポップの言葉には、頼もしさと同時に優しさが感じられる。

 ポップには、怯えて立ち竦んでしまう気持ちをよく理解できる。元々逃げ癖のあるポップには、状況の変化についていけずに怯え、立ち竦んで何も出来ない気持ちはいやという程よく分かるはずだ。
 だからこそ、ポップは今のダイを責めはしなかった。

 自分の弱さを知っているポップは、ダイの弱さも責めてはいない。また、地下牢でレオナがそうしたように、ダイに記憶を取り戻して欲しいと訴えることもなかった。

 ポップはダイの弱さを受け入れた上で、それでも彼を守りたいと決意しているのだ。

 しかし、ポップがダイを守りたいのは、勇者を人間側にとどめたいと望んでいるからではないだろうし、それがダイのためになると思っての行動でもないだろう。

 現に、ポップはダイを守るとも、助けるとも言っていない。終わらせるという言葉が、実に意味深長だ。
 今のダイを守るために戦いを決意したポップが唯一、望んだのは、ダイが手に持っているバンダナを見て、それをずっと持っててくれとの頼みだった。

 これは、明らかに形見分けだ。
 ポップがいつも身につけているものであり、また、ポップ自身も5つの時から愛用している品だと言っているぐらいなのだから、ポップにとっては愛着のある品に違いない。

 形見分けに明確な決まりがあるわけではないが、慣例的に、故人にとって一番身近な人にこそ大切な品を分けることが多い。ポップも、そのつもりでバンダナをダイに託したのだろう。

 家族である両親や初恋の少女であるマァムではなく、また、あれ程尊敬していたアバンの元に供えてもらうのでもなく、親友であるダイに自分の物を持っていて欲しいとポップは選択したのだ。

 だが、悲しいことにこの時のダイはポップのそんな気持ちに全く気づいていない。

 なぜ、自分にそれを渡すのか疑問にさえ感じているダイに、ポップが傷つかないはずがない。ダイの疑問を聞いてポップの肩が震えているのは、バランへの恐怖ではなく、悲しみのせいだと筆者は考えている。
 しかし、それでもポップの決意は揺るがない。

『……いいから…なくすなよ!!』

 それだけを言って、ポップは戦いに望んでいる。
 自分のことを全く記憶していない親友を守るために、命がけの戦いに挑んでいるのである。

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