77 ダイ対バラン戦2(2)

『あんたが本当におれの父親なら、なんでこんなことするんだ!?』

 記憶を取り戻した後のダイの言葉だが、ここに育ての親であるブラスの教育の素晴らしさが密かに表れているのを、特記しておきたい。
 
 ダイにとって、ブラスは『じいちゃん』であり父とは認識していない。そして、ブラスはダイに対して『両親』とはどんな存在なのか、きちんと教育しているのがよく分かる。

 ダイがバランの行動を父親らしくないと認識し、非難している……と言うことは、ダイは元々、父親に対してよいイメージを持っていたと言える。
 このイメージを与えたのは、紛れもなくブラスの教育だ。

 ダイには、自分が捨てられた子だというマイナスの思考もなかった。ダイがバランに会ったのは、ちょうど、ダイが自分の出生について疑問を抱いた時だっただけに、バランがここまでダイの認識する『父親』とは違う行動を取らなければ、ここまで話はこじれなかっただろうとつくづく残念に思う。

 しかし、ダイに『父親』というイメージが多少なりともあったのとは逆に、バランには『息子』に対するイメージが皆無だった。

 人の親ならば――と言うよりも、自分よりも年下の人間と接した経験があればすぐに分かることだが、子供というのは全く思い通りにはならないものである。

 しかし、バランにはその認識がない。
 バランの息子への要求は、部下への要求に等しい。同じ組織に属するという同一意識を持ち、自分の働きを上に認めて貰いたいという心を持った部下相手であれば問題はないだろうが、ダイはバランの要求を強く拒絶している。

 この時のダイの意識は、最初にバランに同じ意見を押しつけられた時とは明らかに変化している。

 正義感の強さからバランの人間滅亡説を拒否したとは言え、一番最初の出会いの頃は、ダイにはわずかばかりの迷いがあった。自分がいくら人間の味方をしても、人間は自分を仲間とは思ってはくれないかもしれないという不安……それが、ダイの中に迷いを生んでいた。

 だが、記憶を取り戻したダイは、自分が最大に欲しかったものを見つけた。というより、すでに自分がそれを持っていたことを知ったのだ。

 どんなことがあっても自分を味方し、自分を受け入れてくれる人間――ポップの価値に気がついたのだ。そして、ダイはポップの大切さに気がつくと同時に、人間そのものも大きく見直している。

 バランが最愛のソアラを殺した人間全てを敵だと認識したように、ダイは自分の親友を認めると同時に、その種族全部まで肯定的に受け止めたのだ。しかし、それは大切な対象を失ったからこそ気がついた結論でもある。
 ポップを抱きしめ、嘆くダイの姿はひどく痛々しい。 

 ところで、この時のダイは泣いてはいるものの、まだポップの死を受け止めきっていないように思えてならない。

 バランの攻撃からゴメちゃんを守った時にも、ゴメちゃんだけでなく倒れているポップも一緒に庇っている。無論、この時点でポップは死亡しているのだから、理屈で言うのなら攻撃から庇う必要などない。

 しかし、ダイはわざわざ自分の背中で受け止めた。敵に一度背を向けるのだが、この姿勢は戦いという意味では圧倒的に不利だ。しかし、それでもダイはバランの攻撃を完全に止めることを優先させた。

 払いのけるのでも、ゴメちゃんを避難させるのでもなく、攻撃を自分で受けてでも絶対に仲間を守りたいという意思を感じさせる行動だ。

 それも、ある意味で無理もない。
 人間は、他の動物とは比べものにならない程に同族の死を悼む種族だ。古今東西、時代を問わずに人間は葬式を行ってきた。まだ文明が未発達な時代であっても、人間が死んだ人を弔っていた事実は確認されている。

 葬儀のやり方は国や宗教により様々だが、遺族が故人の死をきちんと受け入れることができるよう、ある程度の時間をかけるという共通項がある。

 死んでしまった人が、確実に肉体活動を止めてしまったことを理解するのには、時間がかかる。どんなに時間が経っても動くことがなく、呼びかけに応じないことを実感し、精神的にも別れを告げ、遺体を永遠に眠らせるために葬る覚悟を持たせるのが葬儀の側面だ。

 しかし、ダイにとってポップの死は唐突すぎた。
 何の迷いもなくポップを抱きしめるダイにとって、彼の死は衝撃ではあっても、まだ事実として染み渡ってはいない。

 実際、この時点ではまだ、死体を抱いていると言う実感よりも、気絶している状態と大差はない程度の甘い認識でいるのかもしれない。
 だが、時間が経つにつれ、その差を実感することになっただろう。

 もしもの話になるが、ポップを抱きしめたまま泣くダイに対してバランが一旦は間を置き、機会を改めてから接触することができたのなら、この先の流れは大きく変わったかも知れない。

 この時のダイは、人間への愛着を強く持っている。
 その思いは、ポップの存在によるところが大きい。ポップがいたからこそ、ダイは人間と言う種族そのものに同価値を感じられた。

 しかし、すでにポップが死んでいることを忘れてはならない。
 一番大切だと思う存在を失った後も、その人がいたという種族に対して同じ愛着を感じ続けることができるかどうか――これは、正直、どちらとも言えない問題だ。

 ポップがいなくなったとしても、それに変わる人間に出会える未来は十分にあるわけだし、逆にバランがそうだったように最愛の人間の喪失感から人間そのものへの憎しみへと感情が転じる可能性もある。

 どちらにせよダイが仲間の死に打ちのめされ、もっとも喪失感を味わう時期を狙って再勧誘をすれば、話が違っていた可能性は高い。……と言うか、バーンの方はまさにそんなタイミングを狙い抜いて、バランを勧誘していた節があるのだが。

 しかし、バランは性急に事を進めている。
 前回と同じ手段で、ダイの記憶を奪ってやり直そうとするのだが、このやり方はあまりにも焦りすぎている。

 一回目の精神攻撃は、ダイにとっては不意打ちだった。
 その結果、何を失うのか分からないまま無防備に精神攻撃を食らい、バランの思惑通り記憶を失ってしまった。だが、記憶を取り戻したダイは、今度は自分が何を失うのかしっかりと自覚している。

 そして、この時のダイにとってポップの記憶は何よりも大切なものと認識されている。それを奪われかけたことで、皮肉にもダイは悲しみから一時的に立ち直っている。

 前項でも書いたように、人の心は急激な変化にすぐに対応はできない。特に親しい人の死のように、受け入れがたい大きな悲しみに出会った時は、人は往々にして悲しみの感情を処理しきれずに怒りへと転じてしまいがちだ。

 例えば、身内の死の原因に対して裁判を起こす人間がいるように、荒れ狂う感情をぶつける先を求める気持ちは多かれ少なかれ発生するものだ。
 自分が悪かったと自責の念に囚われながら深い悲しみを味わうよりも、他者が悪いと責める方がずっと楽なのだから。

 バルトスを失った悲しみを、アバンへの復讐心へと変えたヒュンケルなど、その好例だろう。

 ポップの死を嘆いていたダイも、バランの精神攻撃を受けたことで荒れ狂う感情の矛先を見つけてしまった。バランはソアラを失った悲しみを、人間への怒りへ転じて周囲への無差別攻撃として放ったが、ダイはポップを失うまいと言う感情を元にしている。

 ポップの死を認めきれないままで、怒りの感情も、攻撃対象も全てバランへと集中させているのである。

 その結果、ダイを支配する竜の紋章の力を額から拳へと移動させているが、ダイにとってはこれは無意識の行動なのだろう。自分の中の力を全て拳へと集中させたダイは、その拳を持ってバランに殴りかかっている。

 この時、ダイはバランを父親ではないと断言している。
 バランを名前で呼び捨てにしているダイは、怒りの全てを彼にぶつけるべく、好戦的な台詞をぶつけている。ダイにしては珍しい挑発的な怒りの台詞は、そのままダイの悲しみの裏返しだ。

 この後に続くダイの猛攻は、本来ダイが味わうはずだった悲しみを、そのまま逆方向のテンションに発揮された姿なのである。

 

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