8 ダイ対バラン戦2(11)

 

 戦略的には、ここでバランが再びダイに会いに戻ってくる意味は薄い。
 ダイ達に不意打ちで攻撃をしかけたいのならばともかく、この状況では明らかにバランが不利だ。

 武器を失い、体力も魔法力も使い果たしたという条件は双方共に同じでも、ダイには仲間がいる。回復魔法の使い手が生存している以上、ダイの体力を復活させて再び戦うことは可能なのだ。

 回復の手段が時間経過による自然の自己回復しかないバランは、この場は大人しく引き下がって時を改めるのが最善の手だろう。

 だが、バランは敢えて戻ってきた。
 ダイはバランに対して警戒心を怠っていないが、近づいてきたバランには戦いの意思はない。

 ダイを見つめるバランの目が、一瞬とは言え穏やかさに満ちているシーンはひどく印象的だ。竜魔人化が解けたバランは、この時には精神的な落ち着きを取り戻している。

 そして、自分を相手にどこまでも戦い抜いたダイを、初めて見るかのように見つめているのである。
 素直に感情を出さないバランの台詞は少々分かりにくいが、要はダイにも自分にも戦う力は無いと明言しているに等しい。

 その上、バランの目的はダイでもなかった。あれ程執着していた息子の側を通り抜け、バランが向かったのはポップの所だった。
 ポップが確実に死んでいるかどうか――この時のバランにとっては、それを確認することが何よりも重要だった。

 バランは立ったままポップを見下ろしているだけだが、それでもポップの心臓が停止していると認識しているので、竜の騎士には相手の生命活動を見ただけで察知できる能力が備わっているのかも知れない。

 だが、ダイはポップの死をきちんと認識はしていなかったところを見ると、相当に意識を集中し、間近まで近づかないと判定できないと思って良さそうだ。

 ここでバランがポップの生死に拘ったのは、ポップ自身に拘りがあったからではない。事実、バランがポップが死んだことに関してはほぼ感情を動かしている様には見えない。

 バランを驚かせ、どうしても確認せずにはいられなかったのは、ポップの生死ではない。死亡した人間が生きている人間のために動いたという、奇跡そのものだ。

 当然の話だが、人は死亡すればそこで一切の活動は停止してしまう。生前、その人間がどんな人間で、どんな意思を持っていたとしても、それは死によって全て断たれる。

 死は、理不尽なほどに絶対的で、決して覆せない存在だ。
 神々の作り上げた生物兵器、竜の騎士であるバランであっても、死には立ち向かえない。死はバランより最愛の人間を奪いさってしまった。

 死んでしまえば、その人間はもはや何も出来なくなる――その意味では、ポップは死んだ段階で完全に無力化し、戦力外となったはずだった。
 しかし、ポップは確実に死亡していたにもかかわらず、ダイのために力を振るった。

 そして、ヒュンケルやクロコダイン、ダイも、死んだポップを諦めてはいない。じっとポップを観察しているバランを警戒して身構える彼らは、バランの行動如何ではすぐさま戦おうという気迫に満ちている。

 自分達や回復役の女の子達の離脱よりも、すでに死亡したポップを守ることに重点を置いているのだ。
 ポップだけでなくダイ達のこの態度もまた、バランに深い衝撃を与えている。

 バランにとって――いや、全ての生き物にとって、死とは決して覆せない存在のはずだった。

 しかし、ポップはその決して越せないはずの境界を、超えてみせた。それがどんな理屈が起こったものなのかは、バランはこの時追求はしていない。理由はどうであれ、この奇跡には紛れもなくポップ自身の意思が働いているのを重視したのである。

 死んでもダイを渡さないと言い切って、文字通り命がけで自爆呪文をしかけた魔法使いの少年は、死亡した後もその意思を貫いたのだ。
 
 死んだ人間は、決して無力ではない……ポップはそれを証明した。例え死んだとしても、人間は残された者に強い意志を持って働きかけることができるのだと実証されたことは、バランには途方もなく大きな意味を持つ。

 未だに死した妻に想いをかけるバランにとって、死でも消し去ることのできない強い絆の存在は、喉から手が出るほど欲したものなのだから。

 ダイとの戦いの最中、バランがダイの意思にソアラが力を貸しているのかと想像したシーンを思い出して欲しい。
 自分にとっての有利不利を度外視してでも、バランはソアラの――死亡した人間との絆を感じることを、求めていた。

 バランが心の底から望んだ奇跡は、彼が望んだ形では訪れなかったかもしれない。
 しかし、それでもその奇跡を目の当たりにしたことが、バランの心を大きく揺り動かしている。

 人間を憎むあまり、人間を軽んじようとしていたバランが、人間の心の強さをしみじみと思い知るシーンは実に感動的だ。

 そして、人間を再認識したバランの決断は早かった。
 右手を強く握りしめたバランは、そこから滴り落ちた血をポップに与えている。

 この、血を与えるシーンはなかなか興味深い。
 バランは胸元に大怪我を負って血を流しているのだが、わざわざ無傷の手を握り占め、しかもキラキラと輝かせるというおまけつきでポップに血を与えている。

 さらに言うのならば、出血量はほんのわずかなのにもかかわらず、バランが直後にふらついているところを見ると、血を分け与えるという行為には本人にも相当なダメージがあるのが分かる。

 このことから、竜騎士の血は単に飲めばいいというものではなく、本人の意思や魔法力を込めて与えなければ意味を持たないと解釈できそうだ。後に、物語終盤になってから血を与えられる側の方にも条件が求められることが判明するが、この時には誰もバランの行動の意味を掴んでいない。

 邪魔をするのも忘れて呆然と見ているだけの一同を尻目に、立ち去ろうとするバランはダイの横でぴたりと足を止めている。
 この時、バランが息子に向かってかける言葉は苛烈ではあるが、強い思いが込められたものだ。

『……ディーノよ。もはや何も言わん。
 おまえはおまえの信じた道を進むがいい』

 バランはこの時、ダイをディーノ……つまり、魔王軍と戦う勇者としてではなく、息子として言葉をかけている。

 初対面の時から一貫して、我が子を自分の思惑に沿って手元に置きたいとあれ程までに望んでいた男が、ここで初めて息子の意思を尊重した。人間と共にありたいと望むダイの生き方を、肯定したのである。

 しかも、バランはダイの生き方を肯定しただけではない。ダイがその道を進みやすいように、後押しまでしている。

 この時、バランはダイに戦いを挑んでみせた。この世に竜の騎士は二人もいらないと言うのが彼の言い分であり、ダイに向かって人間を守りたいのならば自分を倒して魔王軍を滅ぼせと挑発している。

 そうしなければ自分が人間を滅ぼすとまで言っているが、バランは自分が勝ち残る未来など望んではいまい。この時のバランの台詞に注目すれば分かることだが、バランは魔王軍への関わりをこの時、ばっさりと切り捨てている。

 魔王軍の一員として人間を滅ぼす未来に、彼は関心をなくしているのがよく分かる。それでいながらバランは、ダイが自分に勝った後の行動まで示唆している。

 つまり、バランが望んでいるのはダイの勝利の方だ。
 バランは、ダイの生き方が正しいと認めた。そして、ダイがその気持ちのまま、真っ直ぐに進むことを望んでいる。

 しかし、バランにはその生き方の困難さが見えている。人間と共に暮らすことを望んだのにその強さ故に化け物として国を追われた過去を持つバランには、ダイの選んだ道の険しさが痛いほど予測できたに違いない。

 だが、それでも息子が険しい道を選ぶというのなら、バランは父としてその道に立ちふさがる壁となる道を選択した。

 乗り越えるべき壁というのは、一見、厄介な障害のように見えるが、またとない目標ともなるものだ。そして、困難と立ち向かうことは、人間を大きく成長させる。

 さらに言うのならば、人とは自分の意思で選び、困難を乗り越えて手に入れた物ほど大切に思うものだ。

 バランは、ダイの選んだ道を正しいと思ったからこそ、ダイが迷わずにその道を邁進できるように自分に出来る形で協力したいと考えた。そこに、自分自身の幸せや目的などが入っていないのが、彼らしいと言うべきか。

 バランの献身的な思考は、彼が若い頃から少しも変わってはいない。
 バランはかつて、人間達が気がつかないところでヴェルザーと命がけで戦った。誰にも感謝されず、誰にも理解されないまま、黙々と戦う宿命を受け入れていた。

 その考えは、ソアラと結ばれた頃も変わってはいない。
 人間ではないからと迫害されても、バランは異を唱えずに人間の判断を尊重して素直に立ち去ろうとしたし、後に処刑すら無抵抗で受け入れようとしている。

 感謝も、理解も求めず、ただ無私のまま他人の幸せのみを望み、自らを傷つけてでも戦う生き方――それこそが、バランの選んだ生き方だった。
 バランは生き方を変えられないのではなく、生き方を変えたくないのだ。

 人間の味方から魔王軍の一員へと身を転じたことも、バランにとっては生き方の変節ではない。守り抜きたいと思う対象を人間からソアラへと変えただけで、バランは生き方自体は変えていないのだから。

 そしてこの時、バランはソアラと同等か、もしくはそれ以上に守りたいと思う対象として、ダイを選んだ。

 ダイの目的を助けたいと決意したバランは、自分自身がダイにどう思われるかは切り捨てて行動しようとしている。

 一度は人間の敵に回ったバランが勇者と親子関係だと周知されれば、ダイまで迫害の対象になりかねない。それを思えば、ダイに敵と思われた方が都合がいいとさえ言える。
 そのために自分が憎まれ役となっても、バランは悔いはしないだろう。

 だが、そんな大人の計算や意地がまだ子供のダイに分かるはずもない。同じく道を間違えた過去を持つヒュンケルはバランの本心を薄々察している様子だが、ダイはバランの真意を見抜けずに分からず屋と怒鳴りつけているのに注目してもらいたい。

 ダイには、バランの気持ちが全然分からない。その上、自分の気持ちも通じていないと思っている。
 だからこそ相手に気持ちを分かってもらえないことに、苛立ちを感じているのだ。

 ベンガーナで他の人間に化け物扱いされ、ショックを受けつつもあっさりと理解して貰うのを諦めていた時とは反応が違っている。ダイにとって、バランはまだ父親とは思えない相手だが、それでもダイはバランを特別な存在として認識し始めている。

 その認識を決定的なものにしたのが、ポップの蘇生だ。
 バランの血の効力で、ポップは生き返った。止まったはずの心臓が動き出したことに、真っ先にレオナが気がついている。

 バランは、かつて自分が心の底から望んでも叶えられなかった奇跡を、ダイのために与えたのだ。口ではなんと言っても、バランの行動はダイを想い、ダイのためになることだとはっきりと分かる。

 去っていくバランの後ろ姿を見つめるダイは、やはり彼の複雑の心理や思惑は理解できてはいないだろう。だが、バランが自分のためにしてくれた思いやりは感じ取っている。

 おそらく、この時からダイはバランを『敵』とは認識しなくなったに違いない。
 ダイがバランをただの敵ではなく、父親として意識するようになったお気に入りのシーンである。

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