89 一番の願い

 

 ここで、ポップの奇跡について考察してみたい。
 物語を通して知ってしまえば、この時の死亡したポップの起こした奇跡は実はゴメちゃん――先走って言ってしまえば神の涙による物だと看破できる。

 しかしクロコダイン戦の時もそうだったが、この時の奇跡もまたささやかな物であり、効果的な発動とはほど遠いものとなっている。

 まず、第一の奇跡はレオナが蘇生魔法をかけながら強く祈った時に発動されている。ポップのすぐ側にいたゴメちゃんの身体が光り輝いているので、この時に力が発揮されたと思って間違いないだろう。

 だが、この時のゴメちゃんの輝きは誰も気がついていない。ヒュンケル達はダイ達の戦いに注目し、レオナはポップの蘇生に集中しきっていたからだ。
 しかし、どんなに強く集中していても、レオナには何が何でもポップを蘇生させようと願う気持ちが薄い。

 断っておくが、これはレオナがポップの生死を軽んじているという意味ではない。彼女が心からポップの蘇生を望み、願っていたのは間違いあるまい。
 だが、どんな悲しみの中でも冷静さを保つレオナは、蘇生魔法の効力をあまりにも正確に知り抜いているのがかえって徒となっている。

 元々成功率が低い上に、術者も一度も使ったことがない魔法だ。さらに言うのであれば、ポップが使った自己犠牲呪文は成功不成功を問わず命を失う効力がある上に、僧侶以外の職業の蘇生は絶望的とされている。

 現状を正しく認識する力に長けたレオナには、この蘇生がいかに分の悪い賭けか嫌と言うほど分かっているのである。

 だからこそレオナの魔法には、自分の力だけで何が何でもやり遂げようという気迫に欠けている。自分の力だけではいかんともしがたい状況を打破するために、人は往々にして他者の力にすがりがちだ。

 レオナやメルルが戦いの中で思わず神へ救いを求めたように、この時のレオナも無意識に自分の力ではなく他人の力にすがっている。

 ただ、レオナが最終的に期待と救いを求めた相手は、神ではない。
 医療の場で、医者が最終的には患者本人の持つ生命力に重点を置くように、レオナもまたポップ本人の底力に期待していたと言える。

 レオナの魔法は神への祈りや自己集中よりも、明らかにポップ本人への呼びかけにかけている度合いが強い。皮肉な話だが、それが細やかな奇跡を起こすきっかけとなっている。

 神の涙はあくまでも道具であり、願いを叶えるに値する者の願いをそのまま実現するだけの力しかない。その場の状況において、もっとも適した願いを叶えるなどの応用は利かないし、利かせてもくれない。

 つまり、願いのかけ方を間違ってしまっては効果的に使えないアイテムなのである。

 その意味では、レオナはこの時の願いの方向性を微妙に間違えてしまっていると言える。ただひたすらにポップの蘇生を願うのではなく、ポップに生き返って欲しいと願い、魔法を通じて彼に強く呼びかけている。

 ポップ本人の意思力に最大の期待をかけたレオナの意思は、ゴメちゃんを通じて見事に叶えられている。レオナ本人の魔法力を増幅させて確実な蘇生を果たすのではなく、死の淵にいたポップへ呼びかける気持ちこそが実現したのだ。

 面白いことに、この呼びかけはレオナ本人がポップに話しかけるというものではなく、ゴメちゃんがポップに話しかけるという形で成り立っている。
 彼らの会話もまた、興味深いものだ。

 死亡したポップは雲の上のような場所にいて、本人も自分が死んだという自覚があるらしいが、彼はずいぶんと暢気だ。

 自分がどうなるかよりも、ゴメちゃんの生死を気にしたり、彼がしゃべっていることに驚いたりしているポップは、この時にはすでにもう死を受け入れている。執着心がないからこそ、屈託がないのだ。

 この時のポップには、どうしても生にしがみつく理由がない。
 命がけで戦っても、それでも決して及ばない敵の存在が、ポップの心の芯を折ったとも言える。

 レオナ達に後を託し、ヒュンケルを通じてマァムに、そして記憶を失ったままのダイに別れを告げたせいで、ポップの中では仲間達との決別も済んだ。
 だからこそ未練や生への執着心も薄れていて、諦めの気持ちの方が強い。
 死に対して、どうしても抗う気力はこの時のポップにはないのである。

 ゴメちゃんに、それ以上進んだら本当に死の世界に行ってしまうと言われても、ポップは勝手に足が動くと言うだけで特に抵抗する様子もない。

 ゴメちゃんに泣いてすがられても、ポップの気は変わらない。自分はしょせんここまでだと諦めているポップは、そのままなら死の世界へ誘われていたかもしれない。

 しかし、ここでゴメちゃんが感情的にポップに文句をぶつけたのをきっかけに、ポップの反応は一変する。

『ポップのバカ〜ッ!! 弱虫〜っ!!』

 この一言をきっかけに、ポップは足を止めている。さっきまでは自分でも止められないと言っていた足を、自分の意思で止めているのだ。
 自分が死んだことを嘆かれるよりも弱虫呼ばわりされたことに、ポップは明らかに強く反応している。

 弱虫――言い換えれば、勇気がない人間だと言われることこそが、ポップにとっては一番心の琴線に触れた。敗北を受け入れ、自分の力はしょせんこの程度だとあっさり死を受け入れたポップは、自分の勇気を否定されることは拒んだのだ。

 そして、ダイを見捨てるのかと言われて、さらに強く反発している。
 最初の頃、実際にダイを見捨てて一人だけ逃げていた頃とは違うという自負が、ポップにはある。

 ポップの勇気のきっかけは、ダイだった。
 ダイを助けるために勇気を振り絞って戦いを挑んできたポップにとって、自分がダイを見捨てたと思われることの方が、ポップにとってはよほど我慢しがたく、耐えられないことだったに違いない。

 死をも受け入れた少年はその点だけには断固として反発し、こう叫んでいる。

『たとえ死んだって……おれは……おれは……
 おれはダイを見捨てたりしねえぞぉぉッ!!』

 この時点で、ポップもまた『奇跡』の願い方を間違えている。
 ダイを助けるために生き返りたい、と望むではなく、ダイを決して見捨てないという決意を強く叫んでいるのだ。つまり、ポップはまたも自分の生存以上にダイを優先してしまっている。

 ゴメちゃん自身の望みはポップの生還なのだが、アイテム自身の願いではなく、願いをかけた者の望みを叶えてしまう力はそのまま発動している。

 結局、二つの小さな奇跡が連続的に起こったのにもかかわらず、ポップは蘇生のチャンスを逃している。だが、この小さな奇跡こそがバランの心を大きく揺り動かし、竜の騎士の血による蘇生という結果に繋がったのだから、人生、何が幸いするか分からないものだ。








《ゲームな余談♪》
 注:これはダイ大考察とは無縁な、ザオラルに対する筆者個人のゲームな愚痴です。

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