91 魔王軍の情勢(14)

 ミストバーンによって、ハドラーはバーンからの呼び出しを告げられる。
 しかし、このミストバーンの登場は恐ろしい程に早い。

 ついさっきまで、キルバーンと共にダイ達の見物をしていたはずの男が、間を置かずに場所移動しているのだ。ハドラーがバランの敗北報告を受けた直後、数分の余裕すらもなくミストバーンに呼び出されている。

 つまり、バーンとミストバーンの間で、密接な連絡を取り合える関係だと無言で示唆しているのである。

 現代人は電話等の通信技術の発達した世界で暮らしているために見逃してしまいがちだが、よくよく考えればこれは不自然極まりない。ダイ大の世界では移動呪文はあるもののごく一部の術者しか使えず、なおかつ通信技術については未発達のままだ。

 距離を置いた相手と連絡を取るのが容易ではない世界で、易々と、しかも驚く程迅速に連絡を取り合える……その秘密が明かされるのは物語も終盤になってからだが、この段階でミストバーンとバーンの繋がりがすでに伏線として登場していると言える。

 ミストバーンは常々、バーンへの特別な忠誠心を示していたが、これまではバーンからミストバーンへの特別な配慮は見られなかった。むしろ、バーンのお気に入りは自ら勧誘したヒュンケルや軽口を叩いても咎められないキルバーンの方ではないかと思えるぐらいだ。
 
 ところで、この時にはキルバーンはすでにバーンの玉座の近くに控えているので、彼の扱いもまた破格というのがよく分かる。ミストバーンもキルバーンの反対側の位置で、そこが定位置であるかのように自然に立っている。

 古来より、王の玉座の左右に立てるのは宰相などの側近中の側近の役目だ。文字通り、王の右手や左手として力を貸すと内外に認められた者だけが立つことの許された特別席である。

 それに引き替え、呼び出されたハドラーは玉座の前、紗のカーテンと階段を挟んだ位置で跪いているのだから、この四者の力関係の差は一目瞭然だ。

 魔王軍総司令の座に着きながら、ハドラーはバーンの前では礼を尽くして平伏しなければならない上、直の対面すら許されていない。まるっきりの臣下扱いなのである。

 ミストバーンやキルバーンに比べれば、ハドラーの地位は恐ろしいまでに低く、信頼を獲得しているわけでもない。
 それを誰よりも身にしみて理解しているのは、他ならぬハドラー自身だ。

 『面をあげよ』と命じられても、ハドラーは震えているばかりで目を合わせることさえできないでいる。

 この時のハドラーは、目先のことしか見えていない。有り体に言えば、バーンの怒りを躱すことしか考えていないのである。それが如実に表れているのは、ハドラーの言い訳だ。

『バランの失態は上司である私の責任……!! 奴が戻りましたら厳重に……』

 一見、部下であるバランを庇う度量の大きい上司であるかのように見えるこの言葉は、よく聞けば失態を全てバランに押しつけているだけだとすぐに分かる。

 彼は一言も、自分が悪いとは言っていない。
 バランのために許しを請い、バランへの処罰は自分で行うからというスタンス――上からの怒りを自分ではなく、部下であるバランへと怒りや関心を向けさせようとする姑息なやり口は責任者の取るべき態度ではない。

 これでは、まさに上と下の調整をする中間管理職だ。

 しかも、この時、ハドラーは『バランが戻りましたら』と言っている。つまり、バランを連れ戻すための策さえ考えていないし、そのために手を打ってもいないのだから、呆れたものだ。これでは、自分ではバランは制御できないと自白しているようなものである。

 この時のハドラーは、魔王軍全体のことなど全く考えていない。魔王軍最強の男が六団長から抜け、魔王軍が実質的に機能しなくなっていることなど彼の脳裏にはない。
 それ以上に、バーンの許しを得ることしか頭にないのだ。

 この態度は、どう見ても『魔王』の取る態度ではない。
 これは、会社の社長で考えて見れば分かりやすい。会社から有望な人材が抜け、大きな損失を被った時に、社を率いる者が損害のフォローを全くしていないのでは会社そのものが立ちゆかなくなる。

 会社を存続させたいのであれば、損失の穴埋めと新たなる人材確保が急務だが、単に自分よりも上の役職への対応しか頭にないようでは、その会社に未来はない。

 ただ、ただ、自分の保身のみしか頭にないハドラーに対して、バーンは一喝している。

 バーンは、バランの今回の行動はバランの失態と認識している。だが、バーンはダイとバランの血の繋がりについてハドラーが報告しなかった件について、それ以上に腹を立てているのである。

 ダイの正体についてはハドラーが隠そうとしていたのは事実だが、キルバーンの報告により明らかにされている。その後のバランの独走を見逃したのはバーンなのだが、その点はバーンは自分の責任だとは全く考えていない。

 バランの失態は、自分に対してでさえダイが竜の騎士であることを明かさなかったせいだと、ハドラーを責めている。

 ハドラーの小細工に惑わされず、バーンはきっちりとバランに対して怒りを向け、罪を追及しているのに注目して欲しい。バーンの言葉は、ひどく理路整然としている。淡々としたまま、相手をとことんまで追い詰める……そんな冷酷さが、彼にはある。

 ハドラーの前で指を立ててみせ、失敗を三度まで許そうと宣言するバーンは、これまでの彼の行動をいちいち指を折って数えてみせている。
 しかし、このカウントはかなり気まぐれなものだ。
 バーンが上げた失点は、以下の3つだ。

1 ロモス、パプニカの奪還と軍団長二人を敵に回した。
2 バルジ島で全軍攻撃の結果、ダイを討ち漏らした。
3 ダイの情報を秘匿し、軍団長を離脱させた。

 見れば分かるが、これでは失敗は3つどころですんでいない。領土の奪還、敵の討ち漏らし、情報操作、軍団長喪失と一つ一つ分けて考えれば、倍以上の罪になるのだ。

 軍団長の損失の責任がハドラーにあるというのならば、最低でも今まで失った4人の軍団長の数が罪になる計算になるはずだが、バーンは実際のハドラーの失敗数よりも明らかに自分のルールの方を重視している。

 だが、この時のハドラーにはバーンの指摘の矛盾や、不自然な点に文句をつけるような心理ではない。

 バーンのあげ連ねる失敗は詳細なだけに、ハドラーにしてみれば自分のしたこと全てを見透かされているかのような感覚を味わったことだろう。バーンの絶対さを嫌と言うほど味わい、自分がその掌にいるにすぎないと思い知らされたに違いない。

 彼の心情的には、すでに死刑台に乗せられたも同然だ。
 この時のハドラーの恐怖は、降格に対する物などと言う甘いものではない。ハドラーがこの時に感じているのは、生命の危機だ。

 自分自身の生命与奪権を完全に他者に握られた恐怖を、ハドラーはこの時こそはっきりと思い知ったに違いない。

 これまでのハドラーには、どこか甘さがあった。
 アバンに破れた後、バーンに助けられた蘇ったことや、バルジ島でヒュンケルに殺されたはずなのにやはりバーンに助けられた経験のあるハドラーは、バーンの配下でいさえすれば死なずに済むという感覚がどこかにあった可能性がある。

 現に、バーンはハドラーを復活させるだけでなく、魔法契約などの援助も行っている。

 だが、この時のバーンはハドラーの保護者であることをやめた。彼を突き放し、追い詰める冷酷な支配者としてハドラーに接している。ハドラー的には、この時ほど切実な危機は初めてだったに違いない。

 全て折りたたまれた指を見てガタガタと震えるハドラーは、怯えすら隠せてはいない。だが、意外にもバーンは折った指を再び戻している。

『……だが……あの勇者アバンを葬った功績を、余は忘れてはおらん……』

 成功を評価することで、ハドラーにもう一度最後のチャンスを与えると告げるバーンの言葉に、ハドラーがいきなりやる気を取り戻しているのが面白い。彼にしてみれば、これは九死に一生を得たも同然だ。最後のチャンスに飛びつくハドラーは、死に物狂いと言うべきか。

 部屋から出て行ったハドラーの表情には、鬼気迫るまでの迫力が感じられる。いつもはおしゃべりで機嫌を取ることに必死なザボエラが、無言のままそれを見送るほどにハドラーの気迫は凄まじかった。

 しかし、本気で最後のチャンスにしがみつくハドラーは、彼が出て行った後のバーン達の会話は知らない。

キルバーン『……もう、始末しちゃってもいいんじゃないですか!?』

バーン『(中略)殺すのはいつでもできる』

 チャンスを与えると言いながら、平然とそう言える辺りがバーンの恐ろしいところだ。
 バーンが、ハドラーに対して本気で怒ってなどいないのがよく分かる。と言うよりも、ハドラーに対してそれ程の強い熱意を抱いてはいないのだ。

 もし、本当にバーンが失敗を三度までしか許さないというのであれば、ハドラーはとうの昔に処罰されていたことだろう。しかし、バーンはハドラーにも魔王軍に対してもそれ程の拘りは持ってはいない。

 活躍するならば楽しんで眺めているが、失ってもそう惜しいとも思わない――バーンにはそんな、一歩引いた所から魔王軍と接している冷酷さがある。

 バランを必要以上に惜しんで見せたのも、ある意味で演技に近い。バランを引き留めるよりも、ダイとバランの戦いを見物して楽しむことを選んだ大魔王は、今度はハドラーを追い詰めることでどんな戦いぶりを見せるかを見物するつもりでいる。

『見届けてやろうではないか……。ハドラー軍団最後の戦いを……!!』

 許すためではなく、ハドラーの最後を楽しむつもりで彼をギリギリまで追い詰めるバーンの非情さと、そんなことも知らぬまま必死になっているハドラーの悲壮さの対比が際立つシーンだ。

 

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