93 森の小屋での攻防(2)

 ふらつきながらも見張りに立とうとするヒュンケルを、止めるダイやクロコダインだが、彼らもまた万全ではない。クロコダインは座った椅子から立ち上がりさえしないし、ダイの方もベッドから半身を起こすのがやっとという有様だ。

 外傷という点では包帯の目立つヒュンケルやクロコダインの方が重傷に見えるのだが、一見無傷に見えるダイの方が優遇されている。

 彼が一番身体が小さいから作りやすかったのかも知れないが、たとえ木箱を組み合わせて作った即席のベッドだったとしても、きちんとした寝場所が与えられている。どう考えても、椅子に座って休んでいるヒュンケルやクロコダイン、レオナよりも扱いが丁寧だ。

 バランと真っ向から戦ったダイが、見た目は何ともなくとも、一番消耗したという点は疑いようもない。

 また攻撃を受けた回数から考えると、クロコダインよりもヒュンケルの方がまだ軽傷だというのも理解できるが、三人の中では一番軽傷だというだけで、彼もダメージが大きいという点は代わりがない。

 そこに元気よく登場してくるのが、ポップだ。
 ポップは奥の部屋から登場してくるのだが、この小屋はどうやら二間で構成されていて、ベッドがあるのは奥にある部屋(ポップが出てきた部屋)だけのようだ。

 そこから考えると、勇者一行らはポップを最優先で治療し、一人でゆっくりと休ませようとしたとしか思えない。しかも奥の部屋をポップ一人に与え、残りのメンバーは入り口側の部屋にいたという点でも、彼への優遇度が窺える。

 なにしろ女の子で、しかもパプニカの王女であるはずのレオナや、メルルやナバラなどの女性陣の部屋を別にすることよりも、ポップを単独で休ませることを選択しているのだ。

 おまけとして付け加えると、その場にいる中でもっとも弱い存在を心配して行動を共にする傾向が見られるゴメちゃんが、ポップの側から離れなかったことも追記しておきたい。

 ダイの記憶喪失を悲しみ、普段はダイにまとわりついていたはずの小さなスライムでさえ、記憶を取り戻したダイよりも蘇生直後のポップの方を心配しているのである。

 この優遇はポップへの心配もあるだろうが、戦略面でも極めて妥当な判断だ。
 このメンバーの中で、移動呪文の使い手はポップただ一人なのだから。

 ならば、ポップの休養を最優先し、彼の魔法力を回復させることこそがこの場では最も重要視される。ポップが復調しさえすれば、一挙に拠点まで戻れることを考えればこの優遇も納得だ。

 だが、そこまで気を遣ってポップを安静させたかったレオナや勇者一行の気遣いは、思いっきり通じていない。

 ポップはヒュンケルが見張りに立とうとするのを聞きつけて、自分の方が体調がよいからと見張りを買って出ている。この申し出は、ヒュンケルの話を聞いてから思いついたとは思えない。

 登場してきたポップは、腕を怪我したせいで袖は破けてはいるものの普段通りの格好だった。

 ポップが野宿や宿屋で泊まる際は上着を脱いでいることを考えれば、休んでいたのに仲間の会話を聞いてから起きてきたと言うよりは、最初からそのつもりがあって着替えて用意していたとしか思えない。

 その意味では、ポップの思考はヒュンケルと似かよっていると言える。まだ安全とは言い切れないと考え、見張りを立てた方がいいと思っていた点はいいとしても、ポップもまた兄弟子と同じ失敗を犯している。

 見張りの重要性を仲間に相談しようとせず、自分がやろうと考えていると言う点までそっくりだ。
 そして、ポップは明らかにタイミングを見計らった上で登場している。しかも、反対されることまで想定済みだ。

 一度は死んだポップを心配して、ダイがいつになく強い口調で止めているのだが、ポップは持ち前の調子の良さを発揮して自分の元気さをアピールしている。その上、魔法を使ってのデモンストレーションを披露しているのである。

 この時、ポップが使って見せたのは初級閃熱呪文(ギラ)だ。花瓶にささった花から花びらを一枚むしり取り、それを指さすだけで魔法を放っている。

 その結果、極小さな穴が花びらに開いているの見てダイやクロコダインが驚いている。特にクロコダインは、ポップの魔法力は一点に集中されていることを高く評価している。

 ホースなどで考えれば分かりやすいが、漠然と水を出すよりもホースの先端を絞って小さくした方が同じ水量でも勢いよく水が噴き出すのと同じように、魔法も的を絞ることで力を集中させ威力を上げるという概念が適応されるようだ。

 あるいは、虫眼鏡の法則で考えてもいいかもしれない。
 虫眼鏡で太陽の光を集めて火をつける実験があるが、火をつけるためにはレンズの焦点を一点に絞るという作業が不可欠だ。焦点が甘ければ火がつかないし、逆にやり過ぎてしまえば火が燃え広がってしまう。

 その意味では、ポップの魔法力のコントロールは見事だ。
 最小限の力で、自分はこんなにうまく魔法を制御できますよとアピールしているのだから。初期の頃、魔法の詰めが甘いとアバンに嘆かれていたのが嘘のような成長ぶりである。

 ポップのその様子を見て、ヒュンケルは現時点ではポップが一番戦力になると認めている。

 しかし、ヒュンケルの発想はどこまでも『戦場』での思考に限られているようだ。今現在の小部隊で戦うことを考えるのであれば、確かに現段階ではある程度余力を持っているポップに歩哨を任せるのがいいだろうが、先程も述べたようにポップは移動力の要でもある。

 ポップが休息しなければ長距離移動は困難だというのに、魔法力を回復させるどころかさらに疲れさせるような真似をしたのでは何の意味もない。対処治療だけをして、根本治療を延期しているも同然だ。

 ポップ本人もそうだが、ヒュンケルも目先の戦いへの危惧が強すぎて大局的な判断ができていないのである。しかし、将軍という地位にいたはずなのに、ヒュンケルのこの指揮力のなさには少々呆れてしまう。

 と言うよりも、彼に与えられた教育がいかに偏っていたかを非難すべきかも知れない。

 ヒュンケルは個人としての戦いのセンスは、抜群と言ってもいいほど優れている。この点では、彼に教えを授けた師……アバンとミストバーンの両者に称賛を贈りたい。

 だが、ミストバーンはヒュンケルを魔王軍の一員へと推薦したにもかかわらず、上に立つ者として振る舞うための教育は一切行ってはいない。

 バーンの腹心ならば魔王軍の構想を知らないかったとは言わせないし、幼い頃から21才までの十数年に渡ってヒュンケルを育てていたのならば、彼に英才教育を与えるのは可能だったはずだ。

 しかし、ミストバーンはヒュンケルを肉体的に鍛えるのには熱心でも、精神的な教育は皆無と言っていいほど関わってはいない。その理由は物語終盤で明らかになるのだが……。

 魔王軍での出世に全く興味を持っていなかったヒュンケルは、一介の戦士として己個人の技量を磨くことには熱心でも、指導者として己を磨こうとはしなかった。

 面白いのは、時々ヒュンケルが見せる仲間への協力の発想の根本が、大勢の部下を相手にするものではなく、少人数の対等な相手と言う前提が見え隠れしている点だ。

 レオナが決めるべき時にはきっちりと『命令』を下すのに対して、ポップやヒュンケルの発言は『提案』だ。
 しかも、その提案内容と目的意図が同じという点に注目して欲しい。

 二人揃って今の状況下では見張りを立てた方がいいと判断しているのは、二人の思考方法が似ているからではない。むしろ、ポップとヒュンケルは対極と言ってもいいぐらい性格が違うのだが、戦いの場において意見が共通するのは同じ教育を受けたからだろう。

 見張りが単なる見張りだけでなく、単独であしらえる敵ならば見張り自身が戦うことが前提という意味でも、ポップとヒュンケルの意識は統一されている。

 しかし、二人揃って今夜だけのことしか見てはいなかった。仲間を気遣って庇おうとするあまり、長期的な視点で物事を見ることが出来ていないし、この時点でそれで出来る唯一の存在に相談もしなかった。

 こんな時こそ先見の明を持ったレオナがしっかりとしたリーダーシップを取り、ポップに休息を取らせて別のメンバーが見張りに立つように導く必要があるのに、誰もそのことに気づいていないのである。
 こんな時に、リーダー不在の一行の弱点が垣間見える。

 元気に振る舞うポップを見て素直にそれを信じるダイは、勇者ではあったとしてもリーダーとしての資質はまだ弱い。 

 この時、ダイはバランの血を飲んでポップがパワーアップしたように、自分の血を飲んでみんなが強くなるといいと望んでいる。

 自分自身が特別な存在でありたいと望むよりも先に、仲間達を死なせたくないと考えているダイの優しさや公平さは立派なものではあるのだが、ポップの強がりを見抜けない洞察力の低さや、状況の判断力の低さはいかんともしがたい。
 この時点では、まだダイはリーダーの資質はごく低いままなのである。


《おまけ・血の話》

 元気に振る舞い、魔法の扱い方もパワーアップしたポップを見て、ヒュンケルは古来より竜の血を飲んだ人間は不死身の力を得るという伝承を語っているが、現実の世界でも中世期の西洋では特別な存在の血は病気への特効薬とされていた。

 王や聖者から血を与えられて病気が治ったという記録は古代からあるし、死刑囚の血を人々は先を争って求めたという記録が残っている。死刑の際、罪人の血を求めてハンカチなどの布に浸して手に入れたという逸話が残っている。

 しかし、王や聖者のように尊い存在の血に奇跡の力が宿っているという理屈ならばまだ分からないでもないのだが、死刑囚の血がなぜ役に立つと考えるのかは理解に苦しむのだが。

 ……と言うか、当時、黒死病などの伝染病が蔓延していたというのに、そんな真似をすれば自殺行為ではないかと思えてならないのだが。

 実際の効果はともかくとして、血は特別な存在であり、命の源だという認識があったのだろう。
 童話などでも、血の滴を象徴的に扱っているものは少なくない。一番有名なのは、白雪姫ではないだろうか。

 彼女が生まれるきっかけとして、黒檀の窓際で、外の白い雪の上に赤い血を一滴落とした王妃が『ああ、このように黒い髪、白い肌、赤い唇の王女が欲しいわ』と語るシーンがある。
 血の滴りに特別な意味合いを感じ、尊重していたと感じられるエピソードだ。

 

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