95 森の小屋での攻防(4)

 

『誰だッ!! 出てきやがれッ!!』

 森の中を歩く足音を聞きつけたポップは最初から敵がやってきたと決めつけて、大声を張り上げて叫んでいる。
 ――が、これは見張りとしてはどうかと思うのだが。

 見張りの役回りは状況によって差異はあるが、最優先すべきは異変をできる限り迅速に味方に知らせることだ。

 今のポップの場合ならば、仲間達に誰かが接近していることを伝えるのが一番、適切な対応と言えるだろう。もし、この知らせが空振りに終わってしまったとしても、第三者が接近している事実を知れば心構えが違ってくる。

 しかし、ポップは見張りに関してはヒュンケルと同じ考えでいる様子だ。基本的に単独で敵と戦うつもりでいるポップは、とりあえず仲間達に知らせようと言う素振りも見せていない。

 この時のポップの体調を思えば無茶ではあるが、接近してくる未知の相手に独力で対応しようとしている点は評価したい。初期の頃、トラブルの度に何をするのか自分で決めかねてうろたえたり、逃げたりしかできなかったのが嘘のような成長ぶりである。

 この時のポップは、警戒心を相当レベルに強めている。 
 そもそも、足音の主が敵ではなくただの通りすがりの旅人だった可能性や、人間ではなくて怪物や動物の可能性だってあった。

 前者ならまだしも、後者ならば言葉など通じないし、そもそも相手が言葉を解する魔族だったとしても敵がはいそうですかと言う通りにするわけがない。

 これが通りすがりの旅人――即ち善意の第三者だった場合、無意味にケンカを売っているようなものだが、それでも総合的に見てこの対応はそう悪くはない。

 相手の正体が分からない内から威嚇し、身構えるのは少々過剰反応とも言える対応だが、相手の出方を見る上では手っ取り早くて有効な方法だ。魔法使いのポップにしてみれば、相手に間合いを詰められる前に正体を見極めておきたいと考えるのは当然だ。

 だが、ここで親しげに声をかけてきたのはポップにとって馴染み深い仲間――マァムだった。彼女に会った途端、ポップとゴメちゃんは大喜びしてすっかりと油断しまくっている。

 思いがけずに仲間に会えた嬉しさで、ポップは持って当たり前の疑問すら感じていない。

 冷静に考えるのならば、まずマァムがなぜ『ここ』へやってきたのかを疑問に持つべきだ。なにしろダイ達がテランへ来た事実は、マァムはおろかパプニカ城にいた三賢者達でさえ知らないのだから。

 第二に、『どうやって』ここに来たのか、疑問に思わない方がおかしい。マァムが瞬間移動呪文を使えないことは、彼女をロモスへと送っていったポップ自身が一番良く知っているはずなのに疑ってもいない。

 ポップがようやく疑問を抱いたのは、武術の修行がどうなったのかと尋ねた際、マァムが『途中で切り上げた』と発言した時だ。

 その行動がマァムらしくないと、ポップはこの時感じている。だが、ポップはその疑問を追求しようとしない。マァムとの再会を心から喜んでいるからこそ、それを疑いたくないという気持ちがあるせいだ。

 この心理は、オレオレ詐欺の被害者と共通している。
 オレオレ詐欺の被害者が後を絶たないのは、知り合いに対する絶対の愛情があるからだ。

 連絡をめったによこさない息子から電話がかかってきた場合、なぜと疑問に思うよりも先に、息子が自分に連絡をしてくれたことを喜んでしまう。

 その歓喜の感情が状況の不自然さを直視を妨げ、認識をねじ曲げてしまうのだ。勤務時間帯に電話をかけるなんて社会人として有り得ないという常識は知っていても、そこまで大事な用が自分にあるのだと都合よく解釈してしまう。

 金銭をねだられることさえ、嬉しさを感じる独居老人の心の弱みを巧みについた詐欺の手段である。
 方向性はやや違うが、この時のポップも手もなく騙されている。

 マァムらしくないマァムの行動を、まるっきり疑ってもいない。みんなに引きあわせるとするポップの手を軽く掴んで引き留めているマァムは、必要以上に身体を寄せている。

 しかも、このままでいたいと妙に女の子らしく囁きかけてさえいるのだ。
 これも通常のマァムでは有り得ない行動なのだが、ポップはこれにコロリと騙されまくっている。

 いつにない女の子らしさを見せるマァムに密着されるのに動揺するポップは、周囲の明らかな異変にも気がついていない。周囲に煙のような物が立ちこめているのにも気がついていないし、ゴメちゃんが眠り込んでマァムの肩から落ちたことも気がつかない始末だ。

 甘い香りがしてぼーっとしていると自覚はしていても、それが物理的な要素ではなくマァムに対してドキドキした結果だと信じ込んでしまっているのだ。

 その結果、キスをしかけるような素振りを見せたマァムに全く抵抗せず、首筋に爪を突き立てられてしまっている。明らかな危害を加えられるまで疑いもしないどころか、こう叫んでいる。

『なっ……何をするんだ!? マァム!!』

 傷つけられた後でさえ、ポップは相手をマァムと信じ切っているのだ。良くも悪くも自分の感情を元に動くポップは、一度心を許してしまった相手に対しては情に引きずられる傾向があるようだ。

 ところで、この時、メルルもまた感情に引きずられて失敗を犯してしまっている。

 物陰からポップとマァムの再会を見ていたメルルは、この時のマァムに対して強い不信感を抱いている。実はこの時にメルルが抱いた不信感は、正解だった。

 感知能力を持つメルルは、マァムの外見に惑わされずにその本質を見抜いていたのだから。

 しかし、メルルはこの時、自分の能力ではなく感情の方を重視ししてしまった。マァムに対して嫌な感覚を覚えるのは、彼女に対して嫉妬しているせいだと判断したのである。

 ポップがマァムに好意を持つからこそ、マァムへの違和感を見抜けなかったように、メルルもまた、マァムへの嫉妬心を持つからこそマァムへの違和感を口に出来なかった。

 そして、自分の嫉妬心を恥じる方向性へ意識を向けてしまったメルルは、周囲に立ちこめる甘い香りの正体にも、すぐ近くに潜んでいた危険性にも気がつかなかった。

 結局の所、二人とも薄々違和感を感じていながら、突然現れたマァムが本物ではなく、ザボエラが変身魔法で化けた偽物だと看破できなかったのである。

 思考方向が正反対とは言え、初恋特有の仄かな思いに左右されたからこそポップとメルルは選択肢を間違えた。感情を大事にするがゆえの、痛恨のミスである。


 

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