96 森の小屋での攻防(5) |
ところでポップを騙すために、ハドラーとザボエラがわざわざ共同作戦を立てているのは見逃せない。 作戦立案者と作戦実行者は紛れもなくザボエラだろうが、この作戦を立てるのはザボエラ一人では無理がある。なぜならポップがマァムを好き、という情報を獲得しているのはハドラーの方だからだ。 クロコダイン戦の時にはポップとマァムの関係は明確化されてはいなかったし、フレイザードとの戦いの際、ザボエラはそもそもポップとマァムとは会わなかった。 それを考えると、ポップの意中の娘がマァムだという事実は、ハドラーがザボエラに与えた情報だと考えるのが自然だ。 この作戦の寸前に教えた情報なのか、また、この件とは無関係に話した結果知ったのかは定かではないが、ハドラーとザボエラは仕事以外の雑談も交わす間柄なのは間違いない。 ザボエラはハドラーだけでなくこまめにバランとも会話をしていたし、取り入るためには実にマメな男である。 そして、この時点でハドラーとザボエラのポップへの対策が見事に一致している点も興味深い。見張りがポップ一人だと気がついた彼らは、ポップとの戦いを避けるという点で意見を一致させている。 クロコダイン戦の頃にはザボエラはポップを見下していたし、フレイザード戦の頃でさえハドラーは完全にポップを雑魚扱いしていたのに、この時は両者揃ってポップに最大限の警戒を払いながら接している。 もっとも正確に言うのであれば、ポップの実力を恐れたわけではない。彼らが警戒したのは、見張りのポップによって小屋内部にいる仲間達を呼ばれ、勇者一行全員と戦わなければならない可能性だろう。 だからこそザボエラは見張りのポップの気を引き、身体から放出した魔香気という間接的な手段で勇者一行の無力化を図った。余談だが、ザボエラは体内で毒素を調合できるという特殊能力を持っているが、それを香りとして放出するのもお手の物のようだ。 それにしても、この時のザボエラの演技力は見事の一言に尽きる。 マァムの性格を熟知しているとは言えないザボエラだが、異性に対して好意的に振る舞う少女を見事に演じきり、ポップの動揺を誘うのに成功している。 男女を問わず、人間は自分の周囲にある程度の距離を持つことを好む。動物が縄張り意識を強く持つように、人間もまた、自分のすぐ近くに他人が接近しすぎるのに多かれ少なかれ嫌悪感を抱くものだ。 しかしこの距離感は、近寄ってくる相手との親しさで変化する。 元々、人間も含む大多数の動物は、慣れ親しんだ相手にしか接触を許さないという特質を持ち合わせているのだ。 この認識を逆手にとって、特に親しくない異性に対して必要以上に接近したり、軽くタッチしたりして相手に疑似的な恋愛感情を抱かせるのは、ホストやホステスの常套手段だ。 ザボエラはこの手管を、巧みに利用している。 だが、ここまでは見事なまでに乙女な演技をこなしているというのに、ザボエラは毒を仕込んだ爪でポップにほぼ致命傷の毒を与えた後、態度を急変させている。 自分が優位に立ったと思った瞬間、ザボエラは演技などかなぐり捨ててポップに対して全てをバラしているのである。 相手を見下すことで優越感に浸りたい――おそらくこちらの願望の方が寝強く、深く心に刻み込まれていると推測する。 つまり、高みを目指したいのではなく、自分より下にいる連中を見下したいのが主目的なのだ。出世をすればその分高い位置から他人を見下せると言う快感が伴うから出世を目指してるのであり、ザボエラは出世自体には重きを置いてはいない。 事実、ザボエラは自分自身の出世には熱心でも魔王軍全体の動きに対しては驚く程無頓着だ。自分自身の手で世界を支配したいとか、戦いを拡大させたいなどと言う野心が最初からないのである。 ハドラー派として出世の足固めを固めたいのであれば、ここは勝利を優先して見張りであるポップを確実に仕留めることを優先すべきだ。なのに、ザボエラはわざわざポップの目の前で自分の正体を明かしたばかりでなく、ハドラーを紹介することで精神的にもショックを与えようとしている。 さらに立ち上がれないポップを踏んづけたり蹴ったりして、無意味なダメージを与えることに余念がない。このサディスティックとも言える一連の行動には、何が何でも相手を見下したいと言う執念を感じる。 ザボエラにしてみれば、出世のために手柄を立てること以上に、自分の優位性を確認することの方が重要なのだ。出世欲の固まりのようでいて、己の感情には素直なタイプである。 ところで今回の作戦は、いかにも真正面から戦うのをとことん嫌うザボエラらしい作戦ではあるが、この作戦にハドラーが賛成、もしくは消極的な肯定を示している点に注目してほしい。 これまでのハドラーの戦いは、自分、もしくは自分の配下をダイ達に直接ぶつけるという戦法だった。策を弄したり搦め手など使わず、名乗りを上げて堂々と正面から戦うスタイルがハドラーの本来の戦法なのである。 だが、この時のハドラーはザボエラの戦法に従う形で参戦している。敵と戦うのをとことん避け、確実にダイ達を殺すことを目的としているハドラーは、本人が自覚している以上にダイ達との戦いを嫌がり、避けようとしている。 だが、これはハドラーがダイ達を恐れているからではない。ハドラーが恐れているのは、おそらく戦いそのものではないだろう。 この時の彼が何よりも恐れているのは、『失敗』だ。 ただでさえ失敗は人の精神に負の影響を与えるというのに、それをいちいち咎めたてて追い詰める上司がいるのでは、ストレスのかかり方も半端な物ではないに決まっている。 追い詰められたハドラーの思考が柔軟性を欠き、失敗を最大限避けようとするという、後ろ向きな方向に向くのも無理はない。 失敗をしない一番良い方法は、挑戦しないことだ。戦いさえしなければ、敗北することもない。受験生が自分の学力以上の学校への受験を避けるように、ハドラーもまた挑戦を避ける心理が生まれている。 しかし戦いたくはないが、結果は出したい……そんな都合のいいことを望んでいるハドラーは、ザボエラの作戦に乗った。とは言え、ハドラーはザボエラの作戦を心から認めているわけではない。 その証拠に、ハドラーはポップからの抗議を聞いて激しく揺らいでいる。 ハドラーもまた、ザボエラと同じく出世願望を持ってはいても、出世そのものが目的なわけではない。ハドラーが大魔王バーンに跪いたのは、決して忠誠心からの行為ではない。 魔王に返り咲きたいと強く熱望するハドラーに、その手段を差し出してみせたのが大魔王バーンだったからこそ、彼に平伏したのだ。バーンに従い、彼の望みに従って行動することこそが魔王への最短距離だと思い込んだハドラーは、いつしか目的を見失っている。 将来のためにいい学校に入りたいと勉強しているはずの受験生が、いつの間にかテストで良い点数を取りさえすればいいと短絡的に思い込むように、ハドラーもいつしか思い違いをしていた。 強さを極めたいからこそ、魔王でありたいと望んでいた……だが、15年前に勇者アバンに敗北して魔王ではなくなったハドラーは、強さ以上に魔王へ返り咲くことに執着するようになった。 魔王でありたいと望む、根本的な望み――ハドラーの原点とも言うべき急所を、ポップの言葉は見事に貫いている。 ポップ自身は他人を説得しようと思って発言しているわけでもなさそうなのだが、心からの本音をぶつけるポップの言葉は、他人の心に強い影響を与えている。 ポップにしてみればハドラーは師の仇であり、彼が堕落したからと言って別に何か問題が発生するわけでもないのだが、言わずにはいられないとばかりにハドラーを激しく糾弾している。 そして、その言葉がハドラー自身が目を背けようとしつつも無視しきれない真実だったからこそ、彼はポップの言葉にひどく動揺している。 『クロコダインのおっさんも以前、おんなじようなことを言ってたぜ。だが、最後には分かってくれたさ。 ハドラーから見れば、クロコダインは自らスカウトして魔王軍へと招き入れた部下だ。見込んだ部下に裏切られたともなれば、相手に怒りを感じても不思議はない。 だが、ハドラーは以前よりクロコダインには肯定的だった。 それは、彼がクロコダインの生き方を認めているからに他ならない。己の信じる道を堂々と選び、戦いのみを追いかけるクロコダインの生き方に感じるものがあるからこそ、ハドラーはポップのこの反論には何も言えずに詰まっている。 この時、ハドラーは精神的にはポップの言葉に打ちのめされている。この時のポップは毒のせいで自力で立ち上がれない状態ではあるのだが、舌戦ではかつての魔王を上回っているのである。 |