1 ハドラーの反逆(1) |
さて、ここでハドラー側の事情を見てみよう。 この時のザボエラの脱出は、呆れるぐらい手段を選んでいない。 むしろほとんど傷ついてない風貌から、前方にいたハドラーを盾にする形で、彼がダメージを受けている隙に自分一人だけ助かる腹だったのが透けて見える。 卑怯なその思考は、ハドラーも百も承知だったのだろう。 這いずって逃げだそうとしたザボエラの足を掴んだこの時のハドラーは、満身創痍……と言うよりも、瀕死寸前の重傷だ。腰より下が消滅し、上半身のみしか残っていないと言う凄まじい姿である。 しかし、恐ろしいことにこれ程の重傷を負っているにもかかわらず、ハドラーは弱ってはいても死んではいないし、それどころか意識もしっかりと保っている。 それも、単に意識があるというだけではない。 『ザボエラ……裏切りは許さん!! ……もはや…オレとおまえは一蓮托生!! 他の者に取り入るなら……オレが……おまえを殺す!!』 ザボエラの足を掴みながらそう宣言したハドラーに対して、老獪な老魔道士さえ怯えきっているのが印象的だ。 怪我の程度で見比べるのなら、明らかにハドラーの方が重傷であり、魔王軍での立場という意味でもすでに逆転している。バーンよりすでに処刑宣告を通知されたハドラーに対して、ザボエラは特に手柄もあげてはいないが失敗らしい失敗もしていない。 少なくとも、ハドラーが失敗したからと言って即座に殺される程の理由は、ザボエラには無いのである。 そもそもハドラーの重傷さから言えば、さすがに手当てをしなければ魔族であっても命は危ういレベルだろう。戦いの時も手を抜いて力を温存していたはずのザボエラならば、この場でハドラーにとどめを刺すなり、あるいは振り切って逃げるなり出来そうなものだ。 だが、ザボエラは気迫という一点で、ハドラーに完全に負けてしまっている。そこは腐っても魔王と言うべきか、覇気という点ではザボエラはハドラーの足元にも及ばない。 そして、先を見据える目でも二人の差は大きい。 自分を呼び捨てにし、裏切りの意思を露わにしたザボエラの独り言に対して、ハドラーは全く怒りの感情を見せてはいない。つまり、ハドラーの指す『裏切り』は、ザボエラの今の台詞に対するものではないのだ。 これまでのハドラーならば、自分自身への嘲りを捨て置きはしなかったのだが、この時の彼にはそんな些細なことになど構ってなどいない。ハドラーがこの時、考えているのはこの先のことだけだ。 この時の彼は、地位剥奪に怯えていた時のハドラーとは別人だ。 何が何でも勇者に……アバンの使徒達に、勝ちたい。 勇者アバンへの尽きない勝利への渇望が、アバンの使徒達全員へと向けられているのだろう。 地位を保つために勝利が欲しいと思っていた思考が、この時を境に切り替わっているのである。 魔王の地位を取り戻すことに固執していたハドラーにとっては、大魔王バーンに逆らうなど思いもよらなかった。しかし、魔王の地位よりもアバンの使徒達に勝利することを目標に置いたハドラーにとって、バーンの力はさして欲しいものではなくなっている。 これまでバーンに与えられた肉体や呪文でダイ達に勝てなかったせいか、ハドラーはザボエラの切り札に目をつけた。隠していたはずのザボエラの超魔研究を自分に使えと迫るハドラーには、明らかにこれまでとは違う覚悟が見て取れる。 正直、これはかなりのレベルで危険な賭だ。 その上、研究やら改造はザボエラが行うのである。 強い者に取り入るザボエラの気質を知っているなら、これがいかに割に合わない賭けなのか分かりそうな物だが、ハドラーは揺るぎの無い強さでザボエラを自分の膝下に引き寄せ、支配した。 真っ先に恐怖で相手を脅し、逃げ道を塞いだ上で相手が興味を持つに違いない条件で交渉する――ハドラーのやり口は強引だが、決め所は抑えている。 皮肉な話だが、自分自身を捨てて地位や命の保証までも投げ出したこの瞬間にこそ、ハドラーはかつての魔王としての威厳を取り戻しているのである。
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