6 武術大会(1)

 

 ロモスの武術大会は、正午から予選がスタートしている。
 舞台は円形闘技場……所謂、コロッセオと呼ばれるローマ帝国時代によく使用されていた、周囲に見せるための戦いの場だ。

 円形の舞台はどうやら石製のようで、大きさは明確にはされていないが、見たところ相撲の土俵に似ている。地面よりやや盛り高に試合場を設置し、相手を倒すか、そこから出た者を敗者とするというルールも相撲的だ。

 しかし、ルールは驚く程にハードである。
 武器の使用を許可し、職業不問、さらには無差別級である。現在のスポーツ化した武道では、格闘技は体重、体格に応じて厳密に階級分けを行い、同体格同士の対戦相手を選ぶことが徹底されている。

 これは、格闘において体格の差が明らかに勝敗に関わるためだ。
 俗に、10キロの体格差があれば、攻撃は相手に通じなくなると言われている。相撲取り崩れの人間が、プロレス等に流れて成功した例を挙げるまでもなく、体格の良さはそれだけで立派な武器だ。

 実際、どんな小さな戦いであっても、身体の大きさはそれだけで戦いの優劣を左右する。

 兄弟げんかで上の子が常に有利になるように、体格の大きさはそれだけで有利になる。技術で体格差を跳ね返す様は見ていて爽快だが、よほどの技量差がない限り困難だ。

 また、武器の使用が自由というのも、大問題だ。
 当たり前の話だが、素手と武器使用者が戦った場合、圧倒的に後者が有利だ。まったく武器の心得のないど素人ならまだしも、武道経験者が武器を手にしているのは明らかに有利になる。

 これも俗説になるが、剣道三倍段という言葉がある。獲物を持った剣道の段持ちを、柔道などの素手の格闘技の段持ちが倒すのなら三倍の技量がいる、と言う程の意味だが根拠がない説とも思いにくい。

 日本の武道でもっとも早くから記録に残っているのは相撲で、日本書紀にも記録されている。現在の相撲と違って、蹴りもあるかなり荒い格闘技だったようだ(事実、日本書紀の記録では相撲の決着は蹴り殺されるという結末になっている)

 しかし、日本において相撲は多くの人に親しまれ、常に注目を浴びる武道ではあっても、実際に武士達が戦いの手段として選んだのは剣の方だ。なによりもまず体格に恵まれなければ挑戦することすら不可能な武道よりも、殺傷力の高い武器を手に戦える技術を身につけることを優先したのは、理解できる。

 日本では武士階級は、外出時は必ず刀を常備する習慣があった。戦いにおいて武器の重要性を知っているからこそ、あった習慣だろう。
 と、ついつい話が大幅にずれたが、ロモス大会の武術大会は無差別級の格闘技に近い。

 ルール的には、ローマ時代の奴隷剣闘士達の戦いを彷彿とさせる。剣闘士達の戦いは彼らの生存や危険性を全く考慮していなかったので、武器の使用はもちろん許されていた。体格に考慮するどころか、時には猛獣と人間を戦わせた記録すら残っている。

 当然、試合後には死亡者が続出である。と言うよりも、闘技場での戦いは一種の処刑じみた側面があり、権力者達の思惑一つで試合後に敗者が、時には勝者にも死が与えられたと言う。試合よりも処刑要素の強い場合、女性が戦いの場に引き出されたこともあった。

 何とも殺伐とした戦いっぷりだが、ロモス武術大会にはもっとのんびりとした雰囲気が漂う。回復魔法という、高度の医療技術以上の魔法が存在する世界のせいか、試合と死のイメージが結びつかない。

 ダイとポップが初めて見た予選の戦いも、女の子――実は、その正体はマァムなのだが、最初は大男の身体が邪魔をして彼女の姿を確かめることが出来なかった。

 素手のマァムと斧を持った大男が戦っている図は、大男がぼこぼこに殴り飛ばされている割には陰惨なイメージはない。

 少女が一方的に男に攻撃を仕掛けている図を見て、ダイは凄いと感心し、ポップはむしろ彼女の怪力っぷりに引いているが、ダイとポップの着目点には、どうやら差がありそうだ。

 ポップは少女が大男を連発して殴っているから『化け物みたいな力の持ち主』と判断したようだが、この判断は間違いだ。

 マァムの攻撃は、おそらく軽い。
 これ程何発も連続して攻撃をヒットさせているのに、ほとんどダメージを与えられていないのだ。体格差や相手の筋肉量を考えれば無理もないことだが、それ以外にも彼女の狙いの甘さも大いに関係している様に思える。

 マァムの攻撃は、一箇所に狙いを定めたものではない。
 彼女は、同じ場所に何度も攻撃を加えてはいない。と言うよりは、それ程の技量はない、と言った方が正しいのかも知れない。急所を一撃狙いではなく、とりあえず相手の身体に当てればいいとばかりに、手当たり次第に攻撃している感がある。

 一見、迂遠な攻撃方法に見えるが、これはこれで理にかなった攻撃だ。
 相手よりも優れた早さで常に先手を取り、ダメージを蓄積させていく――地道ではあるが、確実な戦法の一つだ。また、この方法だと相手を常に防戦に追い込むことになるので、結果的に敵の攻撃を防ぐことに繋がる。

 防御の薄さや軽い攻撃力を補うためには、有効な戦法だ。
 最初から相手に強い一撃を与えるよりも、地道にダメージを与えながら相手を弱らせた上で確実な勝利を求める――生真面目な彼女らしい選択だ。

 マァムは自分に適した戦い方を、確実に身につけている。そして、それ以上に感心するのは、試合中にもかかわらずマァムがダイやポップの存在に気がついた事実だ。

 ダイ達が男の身体が邪魔でマァムの姿を視認できなかったように、マァムもダイ達の姿を見ることは出来なかった。にもかかわらず、声だけで二人の……と言うよりも、ポップの声に気がつき、ムッとしたマァムは男の顎を思いっきり殴り飛ばして場外へとぶっ飛ばしている。

 顎というのは、人体の急所の一つだ。
 顎に強い一撃を食らうと、脳が揺さぶられるために瞬時に意識を失うか、意識があっても平衡感覚を失い、立つことが出来なくなる。ボクシングの試合で、アッパーカットにより選手がダウンする率が高いのはこれが理由だ。

 相手を十分に弱らせてから、マァムは冷静に相手の急所を狙っている。
 この一撃で大男はものの見事に吹っ飛ばされるが、それに対するダイとポップの反応も対照的だ。

 やたらと驚くポップに対し、ダイの驚きは軽い。
 あっさりと大男を避けている辺り、ダイの反射神経はやはりいい。が、ポップの方は思いっきり避け損ねて下敷きになっている。
 戦いの場ならばまだしも、普段は警戒心も反射神経もたいしてよくはなさそうである。 
 


《おまけ・文明進歩の謎》

 ダイ大の世界では、どうやら時計が存在しているらしい。
 それも、秒の単位まで計ることの出来る精緻な作りの時計のようだ。
 しかし、ダイを初めとするメインキャラは時計を一切持っていないので、庶民の手には届かない高級品と判断して良さそうだ。

 時計が大量生産される以前の日本でも時計はごく一部の特権階級しか持っていないものであり、庶民にとっての時間は寺の鐘の音によって大雑把に知らされるものだった。おそらく、ダイ大の世界でも時間に関する感覚はそんなものなのだろう。

 しかし、アバンの手製とは言え銃も存在し、大砲があるにもかかわらず、兵士達の主な武器が剣や槍に留まっているところをみると、この世界の機械文明は不思議な形で進歩しているようだ。

 ダイ達の日常生活を見る限り、機械的な存在はごく薄いので文化の進みがやや遅れている風に見える。それでいて、時計や銃では特化した進歩を見せていると言う、矛盾がある世界観……これは、長く鎖国をしていた江戸期の日本に似ている感がある。

 自力で銃文化にまで発展しなかったのに、外国から手に入れた銃を元にコピーし、独自の銃文化を創り上げている。文化的交流を拒みつつ、それでいて進歩を求めた日本の進歩方法は独特だ。ダイ大世界でも同じような進化を遂げているかも知れないと考えるのは、なかなか興味深い考察テーマだ。

 ダイ大世界の場合、人間よりも寿命が長い上に明らかに優れた魔法技術を持つ魔族が存在しているので、機械文化を含む一部の文化は実は密かに魔族から伝わったと考えるのも面白い。

7に進む
 ☆5に戻る
九章目次1に戻る
解析目次に戻る

inserted by FC2 system