9 武術大会(4)

 チウの堂々たる会場入りを応援がてら見物しながら、マァムはダイ達になぜここに来たかと訪ねている。本来なら会ってすぐに浮かぶはずの質問だったろうが、ポップがマァムの胸に触ったり、チウが暴れたりとトラブルが続いたせいで聞きそびれていたようだ。

 もっとも、マァムはダイ達がここに来た自体はそれ程不思議に思っている様子はない。

 パプニカで別れたとは言え、ポップがいればどこにいたとしても瞬間移動呪文で飛んでこられるのは知っているので、移動面の疑問はあるまい。マァムが知りたがったのは、なぜダイ達がこの武術大会に来たのかという動機の方だろう。

 ダイが商品の覇者の剣が目当てだったことを聞いて、マァムはこう答えている。

『へえ、そう。
 私達は腕試しが目的だったから商品なんて気にしなかったけど……そんな剣が必要になるなんて、私のいない間によっぽど厳しい戦いがあったのね……』

 この発言で、マァムの物欲の無さや純粋さがよく分かる。
 世の大半の人間にとって、賞品付きの大会に参加するのであれば多かれ少なかれ賞品を狙う気持ちを持つものだ。

 だが、純粋に腕試しが目的だったマァムは商品など、意識すらしていなかった。余談ながら、チウの目的はマァムに自分の格好良さをアピールするという一点に絞られているので、彼も商品など眼中になさそうだ。

 この時、マァムはダイが強力な武器を必要とする理由をきちんと正確に見抜いている。ダイも物欲が無いこと、それにも関わらず伝説の剣を欲しがる理由を看破するだけの頭脳を、彼女は備えている。

 だが、同時にこの台詞は彼女の考えの甘さを露呈もしているのである。
 言うまでもなく、ダイ達は勇者として魔王軍と戦っている。つまり、最前線の戦場に立っているのだ。修行のために一時離脱したマァムよりも、ずっと危険度や戦いへ参加する可能性が高いのは当たり前の話だ。

 しかし、マァムは自分がいない間に戦況が変化する可能性はあまり考えていなかったとしか思えない。

 マァムがネイルの山奥に修行に行く前、ポップはレオナとの会話から戦いの中で死に別れる可能性を自覚していたが、生憎とマァムにそれを教えてくれた人物はいなかった。

 仲間に相談せずに一人で修行の決意を固めたマァムには、自分がいない間に仲間達が戦いに巻き込まれる危惧が薄い。

 ここで思い出して欲しいのが、ヒュンケルの危機意識の高さだ。
 バラン戦の後でテランの山小屋で休息中にも敵の襲撃を警戒し、パプニカに戻ってから槍の修行に出る前もクロコダインに後を託したヒュンケルは、戦況が刻一刻と変わる物だと知り抜いている。

 だからこそ、仲間を大切だと認識した後からヒュンケルは戦力の分散には常に注意を払うようになった。
 しかし、その警戒心がマァムにはない。

 自分が仲間達の足を引っ張るかもしれないことを恐れ、自分の力を高めようと考えたマァムは、自分が離れている間に仲間達も戦っていることや、ましてや仲間を失う危険など全く考慮していなかった。

 後にメルルやエイミがそうしていたように、戦いに直接参加できるほどの力がなくとも回復手として微力に手を貸したいと考える殊勝さは、マァムにはない。

 マァムはダイやポップと肩を並べる主戦力として戦う道しか見ていなかったし、転職や修行で強くなれると本気で考えていた。

 マァムの思考は、ある意味ですごく優等生的だ。
 努力は必ず報われると信じているし、1+1は2になるように努力を積み重ねた先に勝利や正義があるものだと本気で思っているような甘さがある。

 実際、修行や訓練によって実力がついていくのは間違ってはいないのだが、戦いの理不尽さや暴力性をマァムは全く理解していない。

 戦場では、何が起こっても何の不思議もない。
 戦記を少しでも紐解けば、歴戦の戦士が味方の誤射であっけなく死ぬなどという理不尽極まりないことでも平気で起こっている。戦いの場で必要なのは、日々の訓練や努力以上に敵を殺す覚悟の方だ。

 戦乱時代、日本では人を斬ったら段持ちと同等だと言われるぐらい、実戦での命のやりとりを重視していた。それは世界各国の戦記を見る限り、どこも大差はない。安全な場所で訓練を重ねるよりも、激戦地に戦士を送って生死の狭間で戦いの覚悟を持たせた方がよほど手っ取り早く戦力になる。

 勝敗を決めるのは、正義や思想ではない。
 それがどんな理念に基づいたものであれ、力で押し勝った者が勝つのである。
 時に、暴力はどんな理屈や正義よりも上回る。

 戦後に問題が多々発生するが、多くの軍隊に罪もない民間人に対して略奪や虐殺した記録を残すのは、そのせいだ。戦いの血なまぐささを実感させ、敵を殺す覚悟を持たせるために、手っ取り早く経験を積ませるのが一番効率的だ。

 その際、味方の兵力を温存するためにできる限り弱い敵を求めたのなら、民間人が犠牲になるのは当然の話だ。
 野蛮な方法ではあるが、効果的だ。

 これは極端な例だが、それでも戦場において戦いの経験の差は大きい。激戦を戦って生き残ったダイとポップ、単身修行していたマァムの間では戦いの意識という点で差が生じている。

 厳しい戦いがあったのねと言いながらも、マァムの表情にはそれを聞くのにためらう様子すらない。厳しい戦いと言いながら、それを尋ねるのが相手の精神的に傷をつける可能性など全く考慮していない屈託の無さは、いっそ無邪気とさえ言いたくなるほどだ。

 むしろ、相手に気を遣っているのはポップの方だ。
 ポップは、バランとの戦いがいかに激戦だったかを知っている。そして、彼はマァムの精神がそれを受け入れきれないだろうとも予測しているのである。

 だからこそポップはマァムの真実をそのまま伝えない方がいいと、判断した。上手いこと誤魔化すようにダイに釘を刺そうと考え、こっそりとダイに合図を送るのだが――これは完璧に手遅れだった。

 素直なダイは、尋ねられるままに正直にマァムに打ち明けている。しかも、その言い分がものすごい。

『……うん! そりゃもう大変だった……。
 ポップなんか、一ぺん死んっじゃったんだよ』

 ――正直にも、程があると言うものだ。
 それはさておき、この発言にはダイの優先順位がよく現れている。

 ダイにとって、自分が人間ではなかったことや実の父親と会ったこと、親子で殺し合いじみた戦いをした以上に、ポップの死の方がショックだったに違いない。

 しかし、ポップが蘇生を果たしたことで、ダイのショックは癒されている。だから平気でこれまでのことを端的に話すことができるのだが、マァムにとってはこの発言は爆弾宣言も同様だ。

 今までの価値観や、無意識に抱いていた仲間の無事への保証などを、一気にぶち壊してしまった。

 あまりにも容赦のないダイの正直さに、ポップが慌てふためき、それでも諦め悪くなんとか誤魔化そうとしているが、マァムは一転して厳しい表情になってポップにどう言うことかと詰め寄っている。

 ダイの方が正直だが、ポップの方が正確に状況を説明できると考えているに違いないが、これは正直言って甘えだ。いくらポップの態度が誤魔化そうとした態度だったからとは言え、ここまで怒りを買うほどの行動とは言えない。

 おそらくマァムにショックを与えたのは、ポップの曖昧な態度ではなく、ポップが死んだという話の方だろう。

 今、現実に目の前でポップが生きているとは言え、自分の知らない間に仲間が死ぬほどの戦いが起こっていたという事実が、マァムに衝撃を与えた。死に別れの覚悟など微塵もなかったマァムにとって、それは青天の霹靂だ。

 突然の理不尽な出来事を、マァムは納得しきっていない。戦いの場では死が付きものだと、そう割り切る覚悟など彼女にはまだない。
 この時のマァムは予想もしていなかった事実を聞いたショックを、ポップにぶつけているに等しい。

 ここで面白いのは、事実を突きつけたダイでは無く、死亡した本人であるはずのポップに感情をぶつけている点だ。同じ仲間であっても、マァムにとって心のままに咄嗟に感情をぶつけることができるのは、ダイでは無くポップなのだろう。

 無自覚ではあるが、マァムがポップに対して心の比重を傾け始めているのがよく分かるシーンである。

 

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