10 武術大会(5)

 

 ダイ、ポップ、マァムの三人は場所移動してこれまでの経緯を話している。
 話している場所は、闘技場の通路と思しき場所だ。

 おそらく、この場所を選んだのは説明役も務めているポップの判断だろう。一度死んだだの、魔王軍や竜の騎士がどうだのという会話をするのは闘技会場は些か五月蠅すぎるし、話に集中できる場所ではない。

 ポップの説明を聞いてマァムはずいぶんと強いショックを受けているが、今度のショックは仲間が死亡したことに対してのものではない。
 ダイが覇者の剣を欲しがった理由が、父親であるバランと戦うためだと知ったせいだ。

 実の親子が殺し合いを行う……その前提を、マァムは頭から否定している。

 戦場で親子が敵味方に分かれて戦い合う――確かに悲惨な出来事ではあるが、戦国時代ではむしろ常識と言っていい。血族を確実に残すために親兄弟をわざと敵味方に分けて分散させ、戦いの趨勢がどちらに傾いても誰かが生き延びるようにするのは戦国史では常套手段の一つだった。

 これは親子の情以上に、自分達の血族が生き延びる可能性を最重視するからこそ選べる選択肢だ。

 しかし、マァムにとっては戦いよりも愛こそが正義だ。
 親子愛を無条件に信じるマァムにとって、ダイとバランの戦いは決して認められないことだった。

 そのショックが大きいからこそ、マァムは衝撃のままに本音をぶちまけている。深く考えることもなく、ダイに武器を渡すことを頑なに拒否しているのである。

 そのために必要な武器なら自分はこの戦いを棄権すると言い切り、ダイに剣を渡したくはないと言いきるマァムの発想は、ある意味で傲慢とも言える。

 何しろ、自分さえ棄権すればダイには武器を手に入れられないと考えているのだ。腕試しのために参加したと言いながらも、マァムはすでに自分が優勝すると疑ってもいない。まあ、実力的に無理とも言い切れないが、マァムの自信の強さが感じられる興味深いシーンだ。

 自惚れていると言うより、マァムの場合は正義を信じ抜いていると言った方が正しいかも知れない。

 正義の正しさを信じるマァムは、正義のための戦いも信じている。彼女にとって、戦いの勝利と正義はイコールで結ばれており、その逆はあり得ない。だからこそ、彼女は正義とは言い切れない戦いに対しての拒絶が大きい。

 自分が正しいと信じるマァムは、ダイに対して親子で戦うのは止めて欲しいと頼んでいるのではない。親子の戦いには絶対に賛成できないと断言し、そのための協力を全面拒否しているのだ。

 良くも悪くも彼女の考えが常に自分を中心にしているし、甘さが目立つのがよく分かるシーンだ。

 親子の戦いをひどいと考えるマァムは、武器を手にできなければダイとバランの戦いが一方的な殺戮で終わる悲劇性にまで思いが至っていない。彼女がダイを庇おうとしているのは確かだが、マァムの庇い方は幼子に向ける母親の愛情に近い。

 幼い子供が火を手にしようとしているのなら、火遊びになる前に有無を言わさずに取り上げるのは当然だ。
 だが、それだけでは意味がない。

 時間をかけてでもなぜ火が危ないのか、また、それを正しく使う方法を子供に理解させる必要がある。成長してそれを理解した上で、それでも炎を手にするか、あるいは拒否するかは本人が決めることだろう。それが危ない火遊びになるか、適切な使い方になるかは、成長後の本人の問題だ。

 しかし、この時のマァムは一方的にダイの手から武器を取り上げることしか考えていない。自分の力の及ぶ範囲で、自分にとって不本意な戦いを防ごうとしているのである。

 そんなマァムに対して、ダイもポップもすぐには反論していない。まさに母親に叱られた子のように、沈んだ表情を見せているのが印象的だ。
 だが、マァムがいかに母性的とは言え、彼女は二人にとっての母ではない。彼らは、互いに対等な仲間だ。

 この時、ポップは珍しく落ち着いた口調でマァムを説得している。
 彼はマァムの意見を否定するのではなく、ダイの奇跡的な力についての自分の主観を丁寧に語っている。

 ダイがいざという時に見せる爆発的な力に対して、ポップは肯定的な受け止め方をしていた。自分達にとって都合が良い力を、奇跡や正義と考えてそれ以上深くは考えてはいなかった。

 しかし、それが決して自分達の味方となる力ではないと言う事実を、ポップは実感している。

 この時のポップは、火の恐ろしさにようやく気がついた子供に等しい。
 正義のために自動的に与えられる力でもなければ、決して自分の思い通りになるわけでもなく、下手をすれば多大な被害を与えるかも知れないものだと、初めて認識したのだ。

 だが、ポップがマァムと違う点は、この火が無ければこの先の戦いに勝ち抜けないと承知している点だ。火を恐れて遠ざけるのではなく、その使い方の方が大事だと考えているのである。

 力は力だと考えるポップは、親子愛にも絶対の信頼をおいてはいない。親子のあり方とは無関係に、ポップはバランの考え方を否定し、ダイの味方をしている。
 ポップにとって大事なのは、倫理感以上に個人に対する感情の方なのだ。

 そして、ポップの援護を受けたダイは、軽く彼の肩を叩いて話を引き継いでいる。

 ダイの意見の意見は、基本的にポップの意見に自分の意思を上乗せするものだ。ポップがダイを正しいと思っているように、ダイもまた、ポップを正しいと思っているのだろう。

 ダイは決してバランと殺し合いをするつもりはないことを、はっきりとマァムに告げている。

 バランに勝ちたいと望んではいるが、それは今の自分を相手に認めさせるための手段に過ぎない。一度記憶を失って、それを取り戻したダイは、今までの自分のあり方に対して自信を持てるようになった。

 自分が人間ではないことに怯えていた少年は、もう自分の根源を疑わない。ブラスに育てられ、アバンの教えを受け、仲間と一緒に戦ってきた自分に強い愛着を持ち、誇る気持ちさえ生まれている。

 笑顔で『あの人に勝ちたい』と言い切れるダイは、出生に対する葛藤がすでに片がついていることをうかがわせる。
 そして、ダイにとっては戦いも一つのコミュニケーションだとよく分かる台詞でもある。

 ダイもポップも、バランやマァムの様に血の絆が何よりも優先するとは思っていない。しかし、戦いの中で自分の意思を示すことで、分かり合える物があると信じている。

 言い換えるなら、ダイはバランとは分かり合える余地があると思っているのである。

 筆者には、このダイの無意識のバランへの思いこそがマァムの心を最大限に動かしたのではないかと思える。

 激戦だったにも関わらず、ダイがバランへ抱いている感情は憎しみではないし、理解して欲しいとも思っている。それでいて、ダイはマァムの意見を決して否定しない。

 それを聞いたマァムは、笑顔でダイの主張を受け入れることができた。
 自分が信じてきた一般的な親子への倫理感ではなく、今、目の前に居る仲間達の意見に耳を傾けようと考えたのである。一度信じると決めたマァムは、ダイやポップに賛成し、覇者の剣を必ず取ってあげると約束している。

 戦略的には甘さが目立つマァムだが、彼女のこの懐の大きさはまさに慈母的だ。また、あれ程正義を信じつつも自分の意見に固執せず、信じると決めたなら気持ちよく考えを切り替えることのできるさっぱりとした気性は、大きな長所である。

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