23 ダイVSザムザ戦(10)

 ポップからザムザへ腹への攻撃を指示されたチウは、実に元気よく応じている。
 それこそ、即答と言っていいほどの素早い回答だ。

 任せたまえと自信たっぷりなチウだが、元気な返事とは裏腹に彼は意外にも攻撃前に考え込んでいる。良くも悪くも行動力があり、これまでは無謀とも言える突進を繰り返していたチウにしては珍しい躊躇いだ。

 この時、チウは自分が失敗するかもしれないと危惧している。
 この発想は、チウにとっては大いなる進歩だ。

 予選でゴメスと戦った時、チウは自分の勝利を信じていた。幼稚園児が何の根拠もなく、将来、望んだ職業に必ずつけると思って衒いなく夢を口にするように、チウは甘い未来予測のままに戦いを挑んだのだ。
 だが、この時点ではチウはようやく現実を見た。

 超魔ザムザに恐怖を感じ、それを乗り越えて戦いを挑んだチウは、自分の弱点もきちんと直視できるようになっている。自分の手足が短く、敵に攻撃を当てることができないと理解したのだ。

 だが、それでも勝ちたいと思う気持ちをチウは持っている。
 その根本動機は正義感から来るものではなく、単にポップに対する反発心だったりするのだが(笑)、だが、それはそれで悪い傾向ではない。

 崇高な志よりも、ごく小さな個人的な理由の方が強い動機になりやすいものだ。一般人が自国の経済状態について何かしようと思うよりも、自分の給料の額そのものに拘って必死に働くように、目的なんてものは小さい方がかえってやる気がでやすかったりする。

 悩むチウが、ダイの忠告を思い出して閃いているのが印象的だ。
 チウにとって、ダイは勇者とは言えあまり重視している存在ではない。尊敬しているという観点に置いては、チウにとってブロキーナやマァムの方がよほど大切な存在と言えるだろう。 

 だが、ダイの忠告はチウにとっては非常に相性が良かった。
 素直でシンプルな性格のダイは、思ったことをそのまま口にする性格だ。いざとなれば素突きや体当たりで戦えばいいとの忠告は、実にそのままにもほどのあるシンプルなものだが、そのシンプルさがチウには理解しやすかったのだろう。

 後に分かることだが、ブロキーナの教えは作中では精神論を語るのみに留まっている。持病があるといい、自ら手本を示すこともないブロキーナは、基本的に最低限の言葉によって弟子を導き、諭しながら成長を促そうとする。

 その精神は立派な物だが、精神論が意味を持つのは教育を受け取る側にある程度の素地ができてからだ。

 中学生や高校生に道徳を教えるのと同じ要領で、幼稚園児に道徳を教えることはできない。理解力が乏しい幼児には、精神論以前にまずは何をすべきかを分かりやすく教えてやらなければならない。

 その意味で、ダイの忠告はチウには実にぴったりだった。
 マァムはチウの欠点は指摘したものの、それを対処するためにはどうすればいいのかまでは教えてくれなかったが、ダイは欠点をどうすればいいのか自分なりに考え、そのまま教えてくれたのだ。

 まあ、教育という点で言うのならば、チウ本人が欠点を解消するために自分で考えた方がいいのだが、ダイは常日頃から実践派だ。即、効果のある方法を求めているし、あのダダ漏れな正直さでは相手を慮って解答を伏せる、なんて真似もしまい。

 かくして、ダイのヒントを思い出したチウは、この時、一大決心をする。格好を気にせず、なりふり構わずに攻撃しよう、と。
 他人から見れば当たり前のことかもしれないが、この決断にはチウにとっては少なからぬ決心が必要だったはずだ。

 なぜなら、チウはこれまでずっと「格好良い自分」を目指してきた。武術大会に参加したのも、言ってしまえばそのためだ。チウにとっては、強くなる以上に「格好良い自分」を目指すことが大事だったはずだ。

 だが、この時のチウはそれを捨ててでも勝利を求めている。
 大袈裟に言うのならば、チウはこの時、正義のために自分の今までの主義主張を捨てているのである。

 決心したチウは観客席の一番上まで駆け上がり、身体を丸めて一気に転がり落ち、その勢いのままにザムザに体当たりを決めている。窮鼠文文拳の時もそうだが、チウはモーションをつけて勢いを増すという攻撃を好むようだ。

 しかし、この勢いを増すというのは、実戦では実は余り評価できないのだが。なにしろ予備動作が大きければ大きいほど、相手に攻撃が読まれやすくなる。

 ボクシングを見れば一目瞭然だが、ボクサーのほとんどは振りかぶらずに真っ直ぐにパンチを打つ。相手を殴ろうと大きく振りかぶるのは、素人特有の動きと言っていい。

 とは言っても、この時に限って言えば、チウのモーションはたいしたハンデにはならない。顔面が燃えている状態の超魔ザムザは、チウの動きをよくは見えていなかったのだから。

 自分に向かって飛んできたチウを見て驚いてはいたから全く見えないわけではなさそうだが、揺らめく炎に邪魔されて鮮明には見えない状態だったのだろう。

 それでも身を守ろうとした本能が働いたのか、大きなハサミの手を前に翳して身を守ろうとしている様子だが、チウの体当たりはものの見事にそのハサミを砕き、ザムザ本体の腹に当たっている。
 このダメージは、なかなかのものだったようだ。

 チウの攻撃は、彼本人の腕力を活かしたものというよりも、とにかく相手に勢い任せに突っ込むのを優先させた、一歩間違えれば自爆になりかねない衝突にすぎないのだが、シンプルな力のぶつかり合いなだけにダメージも明確だ。

 この一撃で、ザムザは腹の口から多量の液体を吐瀉し、その勢いでダイも吐きかけている。ダイの頭が見えるところまで上がってきたのを見て、ポップや兵士達が喜んでいるが、特筆すべきはロモス王の冷静さだ。ダイの手が僅かに動いたのを見逃さず、ダイが生きていると歓喜している。

 お人好しなせいで他人に騙されやすく、人を見る目には難を感じるロモス王だが、意外にも彼は視力的な意味での目は極めていいようだ。

 ところで、これ以上ないタイミングで、超魔ザムザに不意打ちを決めたチウは、攻撃後に見事に着地も決めている。激しい回転落下から体当たりを決めたのに、身軽に着地を決めたチウは、体幹は優れているようだ。

 作中では触れられていないが、猫のように高い場所から落ちても自然に足を下に着地できる種族的特徴を持ち合わせているのかもしれない。

 が、彼の場合、その後が悪かった。
 会心の一撃と言ってもいい攻撃を決めた嬉しさからか、チウは今の自分の攻撃が案外格好良かったと喜び、名前まで考えている。……全然、今までの自分の主義を捨て切れていないようだ(笑)

 ちなみにチウのこの油断は実戦では命取りで、炎がようやく消えたザムザは怒りと共に彼を踏みつけている。

 ポップがこの時、調子に乗らずに後一発食らわしていればダイを助けられたと、悔しそうに発言しているが、まさにこれはチウが調子に乗ったから生まれた油断だ。

 チウは、ザムザに与えたダメージがすぐに回復するという事実をきちんと認識できていなかったし、自分がどの程度のダメージを与えたかも分かっていなかった。

 何より、戦いの場で敵から目を離す危険を意識さえしていなかったチウは、敵に踏みつけられた時点で敗北している。

 踏まれてチウは即死しなかったのは、チウの身体の柔らかさと超魔ザムザの肉体的構造が上手く噛み合ったからこそだろう。

 人間の足を見れば分かるが、土踏まずと呼ばれる部位がある。足裏をぺったりと地面につけるよりも、多少湾曲していた方が速度やバランスを取る上で効果的だからこそある部分だ。

 超魔ザムザも二足足歩行をしている以上、土踏まずが存在している可能性が高いのではないかと思える。

 地べたにいるチウを手っ取り早く捕まえる手段としてザムザは彼を踏んだわけだが、それによって動きを止めることはできたが、偶然土踏まずの部分にはまり込んでしまい、彼を即死させることができなかったのではないだろうか。

 しかし、即死こそ免れたものの、ザムザが足に力を込めて圧力をかけているので、このままならいずれ圧死させられてしまう状態なのは変わらないし、ザムザが足を上げないことで脱出も封じられてしまった。

 腹を立てた者は殴る、蹴るなどの直接的な攻撃を仕掛けやすいものだが、チウの素早さを警戒してか一度捕まえた者は逃さずに確実に殺そうとする辺り、ザムザの慎重さが感じられるシーンだ。


《おまけ・必殺技命名の謎》

 ザムザに仕掛けた技に対してのチウの命名は窮鼠包包拳(きゅうそくるくるけん)であり、彼のもう一つの必殺技の窮鼠文文拳(きゅうそぶんぶんけん)とゴロが似ている。
 と言うか、明らかなパクリ臭が消しきれない。

 だいたい、体当たり技なのに「拳」とつける辺り、技を種別で分けようとする意思が微塵も感じられない。
 それに、窮鼠という意味をチウが理解して使っているとも思えない。窮鼠は言うまでもなく、諺の「窮鼠、猫を噛む」から取ったものだろう。

 「追い詰められると、どんな弱い者でも死に物狂いになって戦うから、到底適わないと思われるような強い者でもを倒すことがある」と言う例えを知っていて自分の技にその名をつけたのだとすれば、ずいぶんと自分を卑下しているというか謙遜の意思が感じられる技だ。

 だが、チウのこれまでの言動を振り返ってみると、彼にはそんな謙遜の美徳はない。むしろ、大言壮語とでも言いたくなるほど大きな口を叩いている。
 知的レベルからも、精神的な面からも、この技の命名をチウが思いついたとは考えにくいのである。

 となれば、本人ではなく師匠であるブロキーナが授けた名だと考えた方が自然だ。

 ブロキーナが漢字を使った技名を好むのは、他の技からも明らかだ。
 師匠のくれた技名を格好いいと思い込み、チウが意味も知らずに使っていると考えれば、しっくりくる。

 だから次に浮かんだ技も、意味や実際の種別に関わらず、もらった名前の一部をもじった名をつけるのが精一杯なのだと考えれば納得できる。

 

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