35 魔王軍の情勢(15) 

 

 死の大地の間近の、岩だらけのごく小さな島――さらにその洞窟に突如として現れたミストバーンを見て、ザボエラはひどく驚いている。

 この洞窟こそがザボエラの秘密のアジトであり、魔王軍にも明かしていなかったようだ。それがバレたことにも驚いただろうが、それ以上にザボエラが恐怖したのはミストバーンが彼の元にやってきた意味を悟ったからだろう。

 汚名返上のチャンスを与えられたハドラーが、ザボエラと共に勇者一行に夜襲をかけたのは50日目のできごとだ。
 そして、ミストバーンがザボエラのアジトにやってきたのは60日目である。

 ちょうど10日間の時間が空いているわけだが、ハドラー達はバーンの所に戻った形跡も報告した様子もないし、おそらくその間ずっとこのアジトにいたのだろう。

 どう贔屓目に考えたとしても、これは任務失敗か任務放棄だ。
 敵前逃亡や裏切りと判断されれば、即刻殺されてもおかしくはない。ザボエラが怯えるのも、無理もない。

 自分の意思で決断したハドラーと違い、ザボエラは最初は魔王軍から離れる意思はなかった。

 だが、ザボエラがただハドラーに脅されただけの被害者だとは、言い切れない。

 確かにハドラーに脅されて始めたとは言え、ザボエラは明らかな熱意を持って超魔ハドラーの改造に取り組んでいる。ザムザからデータが転送された際は手放しにそれを喜び、超魔怪物誕生について熱っぽく語っているぐらいだ。

 きっかけはどうであれ、ザボエラには超魔生物を自分の手で作り上げたいという欲望があったのは間違いあるまい。もし、ザボエラがハドラーを裏切って魔王軍に戻るつもりがあったのなら、改造中のハドラーが動けなくなる時期を見計らって一人で移動するのは簡単だったはずだ。

 なにしろ改造中のハドラーは、以前瀕死のクロコダインが治療を受けるために入れられた球形の水槽じみた器具の中に入れられている。点滴の管を思わせる幾本もの線で身体を繋がれ、下半身が岩の固まりのようなもので覆われたハドラーはどう見ても自由に動ける状態ではない。

 もし、ザボエラがハドラーを裏切りたいのなら、いくらでもそうできる状態だったのだ。

 にもかかわらず、ザボエラは魔王軍に戻らずにハドラーの改造に熱意を注いでいたのだから、彼にとっての優先順位は魔王軍の出世以上に自分自身の研究の完遂の方が上としか思えない。

 そんな裏切りの証拠が明確な現場に踏み込まれ、さすがのザボエラも言い訳もしていない。手にしたフラスコを落としてしまうほど動揺し、ろくに言い返せない有様だ。

 もっとも、ミストバーン自身はザボエラはほぼ眼中になく、ハドラーにしか興味はない様子で彼の居場所を尋ねている。
 この質問にさえ、ザボエラはすぐには答えないで悩んでいる。

 ザボエラの性格なら、全ての責任をハドラーになすりつけて自己保身に走るぐらいのことは平気でやりそうなものだが、多弁な彼にしては珍しく沈黙したままだ。

 この沈黙時に、ザボエラ内では相当の葛藤が合ったと思われる。
 先程も考察した通り、ザボエラの行動の根柢には自身の研究への欲望がある。

 それがたまたま、己自身を改造しても強くなりたいと願うハドラーの目的と重なっただけで、別にハドラー自身に肩入れしているわけでも、協力したいと思っているわけではない。

  ザボエラは以前、取り入る先をハドラーから他の人物に変えようかと考えていたことがある。それも、ある時はバランに靡いて彼にダイの情報を売ったかと思えば、状況が変わればミストバーンに乗り換えようかと口にするぐらい、節操がない。ザボエラにとって、相手の主義や目的などどうでもよい。彼にしてみれば、実力のある出世株に相乗りできるのなら相手は誰でも構わないのだろう。

 保身と出世を第一とするのなら、ここは素早くハドラーを捨ててミストバーンに取り入るべきである。

 だが、今現在のハドラーは超魔生物への改造の真っ最中、それも完成まで目前の状態だ。ここでミストバーンに寝返れば、改造中のハドラーはおそらくそのまま処刑される。

 せっかくの研究が肝心なところで頓挫してしまう――その思いから、ザボエラは返答を躊躇したようにしか思えない。
 自分の身の安全か、研究の完遂か……この二者は、ザボエラにとっては悩むに値する同価値があるのだろう。

 ところで動揺しているザボエラは気がついていない様子だが、ここでミストバーンが登場するのは軍律の意味合いでは少しばかりおかしい。
 本来、魔王軍の裏切り者を始末する役目はキルバーンのはずだ。その場合は、問答無用で処断されると思っていい。

 だが、バーンの一番の忠臣であるミストバーンが派遣されたのならば、それはまだ弁解や説明の余地があると言うこと。
 つまり、ワンチャンスがある。

 それに気がついたのは、身動きすらできないはずのハドラーだった。
 ザボエラに命じてミストバーンへの面会を望むハドラーは、ひどく落ち着き払っている。ダイとバラン戦の直後、バーンの目の前で必死に抗弁しようとしていた時とは、別人のような落ち着きぶりだ。

 事実、ハドラーの主張はあの時とは全く違っている。
 以前のハドラーは、司令と言う自分の立場に固執し、それを死守しようとするために弁解していた。

 だが、超魔生物に生まれ変わろうとしているハドラーは、ひどく淡々と自分の今の状態をミストバーンに告げている。

 超魔生物への改造途中で身動きできないことのみならず、ダイの暗殺に失敗したこと、ミストバーンの方が自分より地位が上だと察していることなど、わざわざ話さなくてもよさそうなことまで白状している。
 その上で、ハドラーはミストバーンに協力を迫っている。

 彼は人間の要人達がパプニカに集まって、魔王軍への反撃を目論んでいることを知っている。この情報はザムザから入手したものだろうが、ここで注目したいのはハドラーが自分が改造されるまでの間、人間達と代わりに戦ってくれと頼んでいることだ。

 これは、以前のハドラーとは明らかに違う点だ。
 自分の立場を守るためではなく、ハドラーはこの先の戦いを見据えた上で要求しているのだから。

 そして、ハドラーの中で人間への評価が激変した点にも注目したい。
 これまでのハドラーは、人間の存在を軽んじていた。『勇者』のみには注意を払っていても、人間そのものの力はまったく気にしていなかったと言っていい。

 人間達の動きより、ダイの正体がバレてバランが動き出すことの方を警戒していた点から見ても、ハドラーの視点は魔王軍に向いていたと言い切っていい。

 だが、ここでハドラーは人間達を放置できない敵として認識している。
 魔王軍内の内部紛争よりも、自分が戦うべき相手へと目を向けるようになったのだ。

 しかし、ハドラーの協力要請にミストバーンは乗り気ではなかった。
 ミストバーンの優先順位は、一も二もなく大魔王バーンにある。バーンにとって有益か、否かで判断するミストバーンにとって、魔法を使えなくなるという欠点を持つ超魔生物は価値のある存在ではない。

 ここで注目したいのは、ミストバーンがザムザの敗北や欠点も承知していることだ。

 情報通のザボエラが魔王軍と連絡を絶っていたはずなのに、これほど詳細に彼の研究や彼の息子の件まで知っているところを見ると、魔王軍そのものの情報網の高度さが分かる。

 情報収集を司っているのがキルバーンなのか、それともミストバーンなのかは分からないが、いずれにせよザボエラ以上の情報収集力があると見て間違いなさそうだ。

 ついでに言うのなら、ミストバーンはバーンよりかなりの権限を与えられているのも見て取れる。

 ハドラーの申し出に対して、ミストバーンは独断で返答している。バーンの意向を確かめる素振りすら見せないで、総司令と言う自分よりも上の立場の者を処断しようとしているのだ。

 これはどう見ても、バーンの側近としてハドラー以上の権限が与えられている者の行動だ。

 これまでのハドラーならば、バーンが自分以上に別の将軍に肩入れしていると知れば平静ではいられなかったが、この時のハドラーはそんなことを気にしている様子はない。

 ハドラーは超魔生物の欠点を解消するために、変身機能を捨てて直接自分の身体を改造した事実を明かす。
 この告白に対し、ミストバーンが珍しく驚きを見せている。

 魔族としての長い寿命も、バーンから与えられる復活の加護も失ってでも、アバンの使徒と戦いたい――強く、そう主張するハドラーはまさに捨て身だ。

 地位や名誉どころか、生命すらも投げ捨てる決意があるからこそ、ハドラーはミストバーンの立場に対して心を揺らすことはない。総司令と言う立場以上に、戦士として勝敗だけに拘ろうとするハドラーを見て、ミストバーンはしばしの沈黙の後、彼の要求を了承する。

 しかも、ミストバーンはこの時のハドラーの決意を全面的に肯定し、バーンも喜ぶだろうと断言している。
 この発言に、バーンの意図が見え隠れしている。

 軍隊として考えるのなら、本来、総司令は臆病で慎重な人物の方がいい。
 戦いの場に置いて、軍を動かす指揮者が失われるのは最大の損失になる。チェスに置いてキングを逃がすために他の駒を犠牲にするように、上に立つ者はどんな状況であっても生き延び続ける義務がある。

 なのに、バーンの意向を受けたミストバーンは、総司令の喪失をあっさりと受け入れている。彼等にとって、魔王軍が重要なものでないと端的に示されたシーンだ。

 魔王軍という存在で地上支配に乗り出しておきながら、軍隊以上に個人の強力な戦士の方を重要視するとは、なんとも不可解で意味不明な思惑だが、ハドラーはその不自然さに気づいていない。あるいは気づいているのかもしれないが、彼の視線はすでに魔王軍には向いていない。

 アバンの使徒達を敵と見定め、それ以外は見向きもしなくなったハドラーは、強さと引き替えに視野が極端に狭まっている。自ら自分を背水の陣に追い込み、もう後戻りのできない場所まで追い詰められたハドラーは、もはや自分の望み以外目に入っていない。

 ミストバーンを信用できるかどうか危ぶんでいるザボエラに対し、ハドラーは信じるしかないと発言している。それは、ハドラーがミストバーンを信じているからではない。

 願いを叶えてくれるなら神でも悪魔でも構わないと言った通り、ハドラーはただ、自分の願いを叶えてくれる相手を信じようとしているだけだ。

 信仰を持たないのならば、神も悪魔も、一方的な信心を注ぐ対象という意味では同一だ。ならば、信じる対象がミストバーンであっても、ハドラーにとっては差異はないのだろう。
 
  

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