56 ヒュンケルVSミストバーン戦(2)

 

 鬼岩城の上部、王座への位置前に当たる階段付近でヒュンケルとミストバーンは対峙している。

 この時、ミストバーンは珍しく、長々と喋ってまで自分が出てきた理由を説明している。
 ヒュンケルの攻撃では鬼岩城には勝てないと断言しているのにも拘わらず、敢えて出てきた理由をミストバーンは二つあげている。

1 魔王軍を裏切ったこと。
2 バーンに反逆したことで、ミストバーンに恥をかかせたこと。 

 この理由のうち、ミストバーンが意識しているのは2の方だ。
 だいたい、バーンは裏切りにおいてはずいぶんと寛大な性格だ。失敗を三度まで許すと公言しているバーンは、明らかに魔王軍を裏切ったヒュンケルとクロコダインに対して何の手も打っていない。

 なのにミストバーンは、ヒュンケルの裏切りに憤っている。それも、総司令代理として進行中の作戦を一時中断してまでヒュンケル個人に拘っているのだから、相当なものである。

 この時点で、ミストバーンが魔王軍もハドラーもさして大切にしてはいないのがよく分かる。ミストバーンの恩情に感動していたハドラーには気の毒だが、ミストバーンにはハドラーに敬意を表して約定を律儀に果たす気などほとんどないのである。

 ミストバーンが重視しているのは、大魔王バーンから自分がどう思われるか、だけだ。
 そして、ヒュンケルの裏切りによって恥をかかされたと感じるミストバーンは、部下の独立性を認めていない。

 親が未成年の子の一人前と認めずに行動に責任を負うように、ミストバーンはヒュンケルの不祥事を自分の不祥事と受け止めている。公(おおやけ)には同じ六団長の軍団長でありながら、ミストバーンはそれを全く認めてはいない。

 ミストバーンにとって、ヒュンケルは大魔王バーンの配下として肩を並べている存在ではない。今でも自分の子飼いの部下と見下しているのが、よく分かる。

 つまり、ミストバーンはヒュンケルにとって未だに支配者であると言うことだ。

 義理人情に厚いクロコダインはヒュンケルとミストバーンの関係を闇の師弟と評したが、本人達にとっては支配者と奴隷の関係と言った方が近いのではないだろうか。

 そう考えれば、ヒュンケルとミストバーンの拘りも理解できる。
 支配者は、奴隷の反逆を認めるわけにはいかない。支配者が相手を支配し続けるためには、相手を屈服させて己の足元にひれ伏させなければならない。

 そして、奴隷側は支配を断ち切るためには、これまでの価値観を捨てる必要がある。支配者が決してかなわない相手ではないと、自分で自分に証明しなければならない。
 その手段として、ヒュンケルは戦いを選んだ。しかも、徹底的に戦う覚悟でいる。
 ヒュンケルにとっては、この戦いは避けては通れない。
 魔王軍と決別した段階で、自分の道を自分で選び続けてきたクロコダインと違い、ヒュンケルは未だに過去の因縁から抜け出し切れていない。

 魔王軍やミストバーンの支配下から抜け出したい、抜け出さなければならないという概念に誰よりも縛られているのは、ヒュンケル自身だ。
 単に人間達を助けるためならば、ミストバーンに拘らずに鬼岩城を足止めしていれば事足りるのに、ヒュンケルはそれ以上にミストバーンと戦わなければならないと思いこんでいる。

 己の尊厳を懸けた戦いに挑もうとしているヒュンケルは、本人が思っているほど冷静ではない。

 ヒュンケルはミストバーンがいつになく饒舌だと言っていたが、実際にはヒュンケルの方がよほどよく喋っている。それもミストバーンを煽るかのごとく、挑発している。

 人間が必要以上に攻撃的になる時は、相手に対して恐れを抱いている場合が多い。犯罪などでも、過剰な攻撃を相手に加えるのは恐れの感情があるからだ。反撃を恐れる者こそ、もっとも苛烈で容赦のない攻撃を相手に与えようとする。

 この時のヒュンケルの心理も、それに近そうだ。
 相手の出方を窺う余裕もなく、先手を打っていきなりミストバーンに襲いかかっている。息もつかせぬような連続攻撃を仕掛けているが、ミストバーンはこれを軽々と避けている。

 ミストバーンの回避術は、魔王軍の中でも異質だ。
 スッと残像を残して姿を消し、少し離れた所に出現する。これが体術か、あるいはごく短距離の瞬間移動呪文は不明だが、ヒュンケルの猛攻をことごとく躱している。

 その上で、ミストバーンはヒュンケルを試すかのような攻撃を仕掛けている。指から放った光弾でヒュンケルの鎧の一部を砕き、頬に傷をつけている。

 この指弾の詳細は明らかにされていないが、鎧に弾かれることなく砕いている点から見て、闘気技と考えて良さそうだ。なぜなら、鎧の魔槍もロン・ベルク作で魔法を弾く性質を備えている。開放部分が多い分、鎧の魔剣よりも強度は落ちているとは言え、魔法ならば効果はあるまい。

 この指弾はかなり強力で、まともに当たっていないのにヒュンケルは後方に吹っ飛ばされている。まともに眉間にでも当たっていたら、即死ものだっただろう。

 それでもヒュンケルは怯まずに海鳴閃を仕掛けようとするが、ミストバーンは指を硬質化して伸ばすヒュートデストリンガーを放っている。
 ここで注目したいのが、ヒュンケルが技を取りやめてミストバーンからの攻撃の回避に集中している点だ。

 言うまでもなく先に攻撃を仕掛けたのは、ヒュンケルの方だ。
 先に攻撃を当てるか、あるいは最悪で相打ちの覚悟があるのなら、ここは全力で技を仕掛けるチャンスだった。しかし、ヒュンケルがそうはしなかったのは、先程の指弾の影響だろう。

 ヒュンケルは指弾にかすっただけだが、その威力に驚いている。何をされたか分からないが、反射的に躱して助かったと内心で思っている。
 この内心の呟きに、ヒュンケルの怯えが垣間見える。

 指弾がかすめたことで、ヒュンケルはミストバーンの攻撃を恐ろしいと思い、避けた方がいいと深層心理に刷り込まれている。

 ここまでのヒュンケルの戦いを、振り返って欲しい。
 フレイザード戦の際にハドラーと戦った時も、ラーハルトと死闘を繰り広げた時も、ヒュンケルは相打ちを覚悟して戦い、勝利をもぎ取った。その覚悟のままミストバーンと戦ったのなら、ヒュンケルはここでダメージを受けてでも海鳴閃を振り切るべきだった。

 しかし、ヒュンケルは心の奥底にあるミストバーンへの恐れのままに行動してしまっている。
 ミストバーンに闘魔傀儡掌を仕掛け、本人の手で自殺するように仕向けてさえいる。

 この時のヒュンケルもまた、饒舌だ。
 闘魔傀儡掌は魔道の技だから二度と使う気はなかったと言いながら、その技でミストバーンを殺そうとするヒュンケルは、文字通り手段を選ぶ気などない。

 アバンへの復讐心から、アバンの使徒を超えるために剣で戦おうとした時と違い、この時のヒュンケルはとにかくミストバーンを倒すことしか考えていない。なりふり構わず、言い訳で自己正当化してでも相手に勝利しようとしているのは、ミストバーンの支配下から逃れようと必死だからなのだろう。

 だが、完全にヒュンケルの闘魔傀儡掌にかかっていたように見えたミストバーンは、ヒュートデストリンガーであっさりと反撃した。
 ミストバーンの攻撃に、ヒュンケルはひどくショックを受けている。

 冷静に考えるのならば闘魔傀儡掌はミストバーンから授かった技であり、師の方が技が優れていても何の不思議もないと判断できる。
 しかし、この時のヒュンケルにはそんな冷静さや自己判断能力はない。

 かつて、ミストバーン自身が言ったヒュンケルの闘魔傀儡掌への褒め言葉を根拠に、こんなはずはないと反論しているのだから相当に客観性を失っている。

 ヒュンケルはミストバーンに対してあれ程反発心を抱いていながら、彼の評価は信じていた――と言うよりは、信じたかったのだろう。

 自分の努力で身につけた能力を、認めて欲しいと思うのは人間として当然だ。魔王軍という特殊な集団の中にいたヒュンケルにとって、自分の強さこそが自己肯定につながる唯一のものだっただろう。

 それだけに、自分の強さを否定されて、ヒュンケルは強く動揺している。
 そんなヒュンケルに対し、ミストバーンはひどく冷静だ。ヒュンケルに対して軽々と闘魔傀儡掌をかけ、おまえは不死騎団長だった頃よりも弱くなっていると断言している。

 最初はヒュンケルが一方的に押している様に見えたこの戦いは、実は彼の能力を見定めるためのお遊びだったと言わんばかりに、この時のミストバーンは余裕に溢れている。

 さながら釈迦の掌の上の孫悟空のごとく、ヒュンケルはミストバーンの思惑に乗せられていたにすぎない。ヒュンケルの価値を見定めたミストバーンは、躊躇う様子もなく闘魔傀儡掌を使って彼を鬼岩城から落としている。

『……壊れた玩具はこうなるのが運命だ……』

 たとえ壊れたとしても、気に入りの玩具なら直すと言う道がある。直しようがなかったとしても、愛着がある玩具ならそのまま大切にするという選択肢もあるだろう。

 が、ミストバーンは壊れた玩具は捨てると決めつけている。
 役に立たない存在をあっさりと切り捨てる――その傾向はフレイザード戦の時から見せていたミストバーンだが、仮にも弟子だった存在に対しても容赦のない扱いはまさに冷徹の一言に尽きる。

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