58 ヒュンケルVSミストバーン戦(4)

 ミストバーンは壊れた玩具を容赦なく捨てた。
 だが、そんな風にあっさりと捨てたはずの玩具に対して、ミストバーンはわざわざ上から降りてきて言葉をかけている。
 この矛盾した言動にこそ、ミストバーンの執着心の方向性が表れている。

 正確に言うのであれば、ミストバーン自身がヒュンケルに執着心を抱いているのではない。バーンがヒュンケルに最強の戦士を見いだしたからこそ、ヒュンケルの存在に価値を置いている。

 熱烈なファンが自分の趣味を度外視してスターのお気に入りの品を最優先するように、ミストバーンの判断基準はどこまでもバーンが規準だ。

 この時のミストバーンの狙いは、ヒュンケルの再洗脳だ。
 『第九章 56 ヒュンケルVSミストバーン戦(2)』でも書いたが、壊れた玩具には直すと言う選択肢がある。今回、ミストバーンが行おうとしたこともそれに近い。

 だが、ミストバーン自身はヒュンケルへの愛着や執着は薄いので、そのやり方はずいぶんと乱暴なものになっている。デリケートなバランス調整を慎重に行おうなどと、欠片も思わない。昭和時代は壊れかけた家電製品をとりあえず叩くという乱暴な修理方法(?)が存在したが、ミストバーンがやったこともまさにそれだ。

 叩いて直るならそれでいいが、やり過ぎて壊してしまっても特に問題はない――本気でそう思っているからこそ、ミストバーンの言葉には容赦がない。
 ついさっき連続攻撃をしかけた時以上の冷酷さで、ミストバーンは言葉でヒュンケルを追い詰めようとしている。

 そして、悲しいことにミストバーンの支配下からこの時のヒュンケルは脱し切れていない。

 ヒュンケルはミストバーンに殺されたかけたことや、役立たずと言われたこと以上に、『魔王軍時代よりも弱くなった』と言われたことに反応し、激昂している。
 ヒュンケルにとっては殺されること以上に、自分が以前よりも弱くなったことの方が許しがたいことなのだ。

 己の強さに強い拘りを持っているからこそ、ヒュンケルはそこを突かれることが最大の弱点になる。
 極論してしまえば、ヒュンケルは『強くない自分』というものは、価値がないと思い込んでいる。自分自身の存在意義を、『強さ』でしか計れないのだ。

 復讐心に囚われていた時も、改心してダイ達の仲間になった後も、ヒュンケルは一貫して戦いの中で勝ち続けることを重視している。
 その考え自体は、別に悪いことではない。

 が、問題なのは、ヒュンケルの中では正義よりも強さが上に置かれている点だ。

 出世こそが最善だと思い込んだ者が、出世のためならば他を顧みず、いざとなれば家族でさえ見捨てても構わない心境になるように、ヒュンケルも己の強さを失うぐらいならば大切なものを投げだしかねない一途さがある。

 現にヒュンケルは自分が弱くなったとの指摘に動揺するあまり、ミストバーンの説明に聞きいってしまっている。
 本人は無自覚だろうが、ヒュンケルはこの時点でミストバーンを倒すべき敵としてではなく、自分の強さを鍛える師として扱っているのである。

 そんなヒュンケルの心に気づいているのかいないのか、ミストバーンもまた、この場ではヒュンケルを敵ではなく弟子として扱い、彼の欠点を指摘している。

 正義を信じる善の心と、悪の心から生まれる暗黒闘気の力が拮抗しているからこそ、ヒュンケルには独特の強さがあったとミストバーンは説明している。
 日本には昔から伝わる『やじろべえ』と言う玩具がある。天秤の原理を応用した玩具だが、この玩具は左右の手の先につける重りが同程度でないと釣り合わない仕組みになっている。

 ヒュンケルの強さの秘密も、それに近い。
 善悪のバランスが崩れた今、ヒュンケルは以前よりも弱いと断言されてヒュンケルはひどくショックを受けているが――正直、この理屈を受け入れている時点で彼はミストバーンの術中にはまったようなものだ。

 この場合、ミストバーンの説明が正しいかどうかなど関係ない。
 問題なのはヒュンケルがミストバーンの言葉をそのまま信じ、真実だと捉えている点だ。自分自身の信念や自信以上に、他人の評価に重きを置いてしまえば、人は簡単に道を見失う。

 精神的な意味で、ヒュンケルは戦いから離脱してしまっているのである。
 衝撃を受けているヒュンケルを庇うように、マァムや仲間達がミストバーンに戦いを挑む。

 ヒュンケルを庇って前に出るマァムの優しさが目立つが、このシーンで実は一番いい位置取りをしているのがクロコダインだ。ミストバーンの背後をしっかりと抑えている辺り、抜け目がない。
 また、他のメンバーも全員が扇状にミストバーンを取り巻いているため、一斉攻撃を仕掛けやすい布陣を組んでいると言える。

 が、この時はあまりにも相手が悪かった。
 周囲を囲まれても全く動揺すら見せないミストバーンは、逆に不敵に言い放つ。

『……フフフッ……、愚かな虫共は網にかかったことすら気づかぬと見えるわ!!』

 この時点で、地面に巨大な蜘蛛の巣のようなものが浮かび上がっており、ミストバーンが気合いを込めると同時にその場にいた全員を拘束した。
 闘魔滅砕陣――ヒュンケルの操る闘魔傀儡掌の上位に当たると思えるこの技に、他のメンバーだけでなくヒュンケルさえ驚いている。

 つまり、修行している間もミストバーンは自分の手の内を見せないまま、弟子に伝授する技を出し惜しみしていたのである。どう見ても信頼の置ける行動ではないのだが、ミストバーンの力に打ちのめされたヒュンケルは、彼の言葉をそのまま鵜呑みにしてしまっている。

 暗黒の力でなら闘魔滅砕陣に対抗できるとほのめかし、ヒュンケルに暗黒の力を使うようにとアドバイスをしている。
 しかし、冷静に考えればこれ程怪しい話もない。敵が自分を倒すための手段をわざわざ忠告してくるなど、どう考えても罠でしかない。

 また、この闘魔滅砕陣に真っ先に気がついたのが闘気とは無縁のポップだったことを考えれば、暗黒闘気以外の力でも対抗できる手段もありそうだ。
 が、ヒュンケルにはそう考えるだけの冷静さなどない。

 自分が弱くなったと信じ込み、何が何でも以前の強さを取り戻そうとするヒュンケルは、ミストバーンに言われるままに暗黒闘気の力を振り絞ることに集中している。
 これでは、ミストバーンの思惑の通りだ。

 ミストバーンにこの時、どんな策があったか明らかではないが、ヒュンケルを再洗脳して暗黒の力に目覚めさせさえすればいいと考えていたのだろう。

 キルバーンやバラン、ハドラーもそうだが、バーンは自分が気に入った戦士ならば、自分の命を狙っていたとしても平然と受け入れる度量の持ち主だ。ヒュンケルを再度従わせることができるかどうかはさておき、ヒュンケルを再びバーンの気に入った玩具に調整しなおせば、ミストバーンの第一の目的は果たせる。

 しかし、ここでヒュンケルを止めたのがマァムだ。
 ヒュンケルを心から心配し、自分達の身の危険よりもヒュンケルが昔の荒んだ頃に戻ってしまうことを恐れている。

 マァムのこの感情は、ある意味で身勝手この上ない気持ちかも知れない。だが、自分のことを誰よりも大切に思ってくれる人がいるという事実は、人間にとって非常に重要なものだ。

 赤ん坊が親から絶対の愛情を受けてこそ健やかに成長できるように、人間は誰かに肯定されることで自信を育み、自己を確立できるようになる。

 父親を失い、師として実は慕っていたアバンも失ったヒュンケルには、自分に対して無償の愛を向けてくれる存在などいなかった。師弟関係だったとは言え、ミストバーンのヒュンケルに向けた感情が、信頼でもなければ愛情でもなかったことはこれまでも度々言及している。

 だが、マァムは理屈抜きにヒュンケルを信じた。
 ヒュンケル自身、ミストバーンの言葉のままに自分の強さを疑っていたにも拘わらず、マァムは揺るぎなくヒュンケルを信じぬいた。

 この、マァムの無償の信頼こそがヒュンケルに大きな力を与えている。
 ミストバーンが否定した今の自分をそのまま肯定されたことが、ヒュンケルの支えになった。

 その結果、ヒュンケルはミストバーンの洗脳を振り払っている。
 正義よりも悪の心の方が強くなれると傾きかけていた心を、アバンの使徒として生きる道へと引き戻したのは紛れもなくマァムの力だ。

 ダイ達と戦ってきた時から、ヒュンケルの味方をしてきたこと、つい先程落下してきたヒュンケルを命がけで助けたことなど、マァムが指し示してきた彼への献身がここで見事に実を結んでいるのである。
 

 

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