66 ダイVSミストバーン戦(5)

 この時、ミストバーンはポップの放った魔法を、振り返ってわざわざ正面から受け止めている。
 なんと、ミストバーンは空に見える服でその魔法を受け止め、さらにはそれを増幅させて打ち返している。

 その威力たるや凄まじいもので、地面に大きな穴をえぐっている。この攻撃は、厳密に言えばポップ達には当たっていないのだが、余波だけでその場にいた全員を吹き飛ばしている。その際、全員が壁や塀などに身体を打ち付けられ、ダメージを負った。

 直撃さえしていないのに、これほどの威力とは末恐ろしいにもほどがある。
 なんとも不可解な防御であり、強力な攻撃方法だが、ここで問題にしたいのはミストバーンの特異な攻撃方法ではなく、それを使ってきた動機の方だ。

 これまで、ミストバーンは徹底して本気にならなかった。
 ミストバーンはこれまでも時折、ダイ達の前に姿を現しているが、彼は基本的に傍観者の立ち位置に近く、本気で戦っている印象とはほど遠かった。彼に師事していたヒュンケルでさえ、ミストバーンの底知れない強さや、秘められた力があると感じていた。

 事実、ミストバーンは拘りを持っているヒュンケルと戦った時でさえ、本気を出していたとは言い難い。なにしろ、こんな奥の手を隠し持ったままでいたのだから。

 つまり、ミストバーンの基本方針は、徹底して手の内を隠すことにある。
 そんな男が、ピンチでもなんでもない状況にもかかわらず、隠していた切り札を切ってきた……この意味は、少し考えればすぐに分かる。

 戦況に関係なく切り札を惜しげもなくさらすのは、その勝負がもうじき終わると確信した時、だ。

 ましてや、ミストバーンはこの時、この場にいる連中を皆殺しにする気満々である。死人に口なしの言葉通り、どんな秘密を知られてしまっても、死んでしまえば何の問題もなくなる。

 また、そうすることが己の失態を帳消しにする方法だと思い込んだミストバーンには、躊躇いというものがない。

『……もはや、これまで……! 我が闇の衣を脱ぎ払い、ダイとおまえ達をこの場で消す以外にない!!』

 この時のミストバーンの台詞には、やけに切迫感に溢れているというか、追い詰められた感が強い。

 だが、先ほども述べたように、ミストバーンは決して追い詰められているわけではない。ダイのめざましい活躍で1本取られたとはいえ、この時の戦況では、ミストバーンは特に不利なわけではない。

 ポップやヒュンケルの攻撃など、ミストバーンにとってはさしたる問題ではないのは、明白だ。また、ダイは少し距離を置いた場所にいるため、問題外だ。

 つまり、ミストバーンが脅威を感じている相手は、目の前にいるポップやヒュンケル達でもなければ、脅威の剣の力を見せつけたダイでもない。

 ミストバーンが真に恐れ、切り札を切らずにはいられないほど追い詰められているのは、自分がバーンに見限られるかもしれないという恐怖故だ。この場にはいないバーンの存在だけを、ミストバーンは強く意識しているのである。

 自分で自分の服の襟元を掴み、内部をさらけ出そうとしているミストバーンからは、圧倒的な威圧感が漂っている。

 普通の人間ならば、マントの内部は身体があるのだが、ミストバーンの場合は闇が見えるだけだ。が、この時は内部から光があふれ出し、マントとマントをつなぐ留め具の部分が壊れかけている。

 これは、あたかも封印している物が解放されかけているかのような印象を受ける。

 その場にいた全員が、ミストバーンから感じる力が鬼岩城以上だと認識しているが、ただ一人ヒュンケルだけはさらに推理を進めているのが面白い。

 ミストバーンが普段使っている暗黒闘気は、真の姿を覆い隠すためのカモフラージュに過ぎず、彼の真の力はもっと恐ろしく、奥深いものではないのか、と――。

 結果を先回りして言ってしまえば、ヒュンケルのこの推理は見事に的中しているのだが、ここでは彼の思考の変化を考察したい。

 以前、正義を憎んでいた頃のヒュンケルは、思考が固定されていて、一度思い込んだことは曲げたくないと思う頑固者だった。その考えが強かったおかげで、一途に修行に励んで強くなれたわけだが、思考を閉ざしていたからこそ父親の死の真相や、アバンの真意に思いを向けることが出来なかった。

 だが、その頃と違って、この頃のヒュンケルは思考に柔軟性が生まれている。
 これまで信じていたことと、真相が食い違ったとしても、混乱することなく冷静に真相を見極めようとしているのだ。

 魔王軍時代のヒュンケルならば、ミストバーンが真の力を隠していたという事実を、容易に受け入れきれずに否定していたことだろう。そして、感情的に物事を否定するだけでは、真相に至ることは出来ない。

 敵の強さを誤認したまま、闇雲に戦ったところで、良い結果は得られまい。
 しかし、改心したヒュンケルは、以前よりも思考に幅が生まれている。アバンに対してそうしたように、ミストバーンに対してもその真意を知ろうと望む気持ちが生まれているのだ。

 そのため、ヒュンケルのミストバーンに対する感想や考察は、他の誰よりも深い物になっている。

 それが、ミストバーンを師と慕う心が僅かなりともあるためなのか、あるいは、敵と認識しているからこそより詳細に情報を求める気持ちから生まれるものなのかは定かでないが、ヒュンケルこそがミストバーンに最も関心を持っている人間なことに、間違いはないだろう。

 だが、先ほども述べた通り、ミストバーンの関心はヒュンケルではなく、ただ、ただバーンへと向けられている。
 この一方通行の感情の流れは、ヒュンケルとミストバーンの師弟関係を、端的に表しているように見える。

 お互いの心に行き違いがあり、真相を伏せていたからこそ悲劇が起こってしまったアバンと幼いヒュンケルの師弟関係と違い、最初から互いの心がかけ離れすぎているこちらの師弟関係の行く先には、不穏なものしかないように思えてならない。

 

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