78 追跡と撤退(1)

 ダイとハドラーが海中に沈んだ後、いち早く今後の方針を決めたのはキルバーンだ。
 ミストバーンにハドラーを頼み、キルバーンはポップを始末すると宣言している。

 ここで面白いのは、ミストバーンもキルバーンも、ダイの生死を確認しようとは思っていない点だ。海に落下したとは言え、双方ともハドラーの生存を確信しているかのような台詞を口にしているのに、ダイの生死は不明のまま放置している。

 この判断には、キルバーンとミストバーン、それぞれの個人的な感情が大きく働いているように思える。

 まず、魔王軍側から見れば、勇者ダイに止めを刺すことがなによりも重要なはずだ。実際、魔王軍総司令のハドラーはダイ討伐を第一の目標に挙げている。

 だが、ミストバーンにはそれほどの熱意はない。
 今回の人間の王達の襲撃も、ハドラーに頼まれたから、という理由が強い。そもそも、ダイをどうしてもこの場で倒しておく必要があると判断しているのなら、ハドラーの決闘を見守るなどという悠長なことをするまでもなく、戦いに割り込めば良かった。

 しかし、魔王軍参謀としての地位よりも、大魔王バーンの配下としての立場に拘り、彼の命令を優先するミストバーンは、ダイの抹殺には熱心さを持たなかった。それよりも、バーンのお気に入りの存在であるハドラーの救命を優先したのだろう。

 ミストバーン自身もハドラーに思い入れを感じていることもあるし、戦いの後始末にはさしたる関心はなさそうだ。

 そして、キルバーンもまた、ダイの討伐には積極的とは言えない。
 そもそも、キルバーンはダイを殺そうと思えば殺す機会は何度もあったはずなのに、これまで総スルーしているのだ。それよりも、ポップの暗殺の方に熱を込めているのが面白い。
 
キルバーン「(略)ハドラー君が勇者を仕留めちゃったからね。少々格が落ちてもアバンの使徒を殺っておかないと、立場ないよ……」

 口ではこう言ってはいるものの、キルバーンもまた、ダイの生死確認には積極的ではないし、自分の立場にさほどの拘りもない。ハドラーやザボエラが自分の失敗をバーンに恐れ、追い詰められていたような切迫感は、キルバーンには皆無だ。

 先ほども言ったように、キルバーンはポップに止めを刺す方を重視している。

 この台詞も、キルバーン自身が戦う理由について話している様に見せかけて、実はポップに向けて話している。ポップが、キルバーンと戦わなければならない理由があるかのように、思い込ませようとしているのだ。

 あたかもダイが死んでしまったかのような台詞に加え、ポップに勇者の敵討ちを唆している点からも、キルバーンの挑発行為は明らかだ。

 ここまでキルバーンがポップを挑発する理由は、彼の逃走を阻みたいからだ。
 戦況的には、ポップに瞬間移動呪文で逃げられた方が、魔王軍にとっては面倒だ。

 ダイの生死不明、ハドラーの進化やその強さについての情報などを、人間側に与えることになる。
 さらに言うのであれば、死の大地について注目させてしまう結果にも繋がる。

 この時点では、ポップは死の大地に何があるのかまでは気づいていないが、ミストバーンとキルバーンがわざわざ誘い込んできただけならともかく、超魔ハドラーの登場でこの地に敵の本拠地があるかもしれないと予測がつくというものだ。

 ポップ自身が気がつかなかったとしても、情報を聞いた人間達の誰か一人でも気がつけば、それが人間側の利益となる。

 人間の王達の暗殺に失敗した以上、人間達の指導力や団結力は削がれてはいない。それと合わせて考えれば、ポップがこの情報を人間達と共有させるのは厄介と言えば厄介だ。

 もっとも、キルバーンにはそこまでの戦略的思想はなさそうだが。
 人間達に与える被害以上に、ミストバーンへの制止を重視したキルバーンが、人間達の作戦や動向を警戒するとも思えない。繰り返しになるが、魔王軍としての戦略を重視するなら、勇者ダイを完全に殺すことを優先した方がよほど有意義なのだから。

 となると……キルバーンがポップの暗殺に拘るのは、個人的な思惑の要素が強そうだ。

 ヒュンケルが知っていたキルバーンの噂からは、彼が凄腕の暗殺者だと窺える。それは、狙った獲物は必ず殺すだけの実力があると考えていい。
 また、狩人ならば、獲物にきちんと止めを刺すのは常識だ。

 魔王軍の一員というよりも、キルバーン個人の主義のために狩りを完遂させたい――そんな思惑を彼からは感じられる。
 だからこそ、ポップを挑発してこの場にとどめようとした。

 キルバーンにとって一番ありがたいのは、逆上したポップが戦いを挑んでくることだ。先手必勝とはよく言う言葉だが、十分に武装した狩人ならば、むしろ獲物からかかってきてくれた方が仕留めやすいと考えるものだ。

 どこに逃げるか分からない獲物を追いかけるよりも、がむしゃらに襲いかかってくる隙だらけの獲物の方が、遙かに仕留めやすい。シートン動物記や実際の獣を追った体験記を見ると、特定の個体を追い詰めるのには、相当な労力と技術が必要なことが分かる。

 熊や狼などの猛獣を狩る時は、追いかけるよりも、いかにうまく誘いだすかに重点が置かれている場合が多い。
 キルバーンがポップを挑発し、戦わせようとするのは妥当な判断だ。

 もっとも理想的なのが、ポップが我を忘れてダイを探そうとする展開だったろうが、幸か不幸か、ポップはダイの敗北や落下にショックは受けていても、闇雲に海に飛び込まない程度の理性を残していた。

 そして、ポップはキルバーンの挑発に乗らず、この場から逃げ出している。
 このポップの判断を、キルバーンは『正しい判断だ』と評している。
 つまり、キルバーンにとっては、一番嫌な展開となる判断だと言うことだ。

 だが、瞬間移動呪文で逃げなかったことで、キルバーンはポップの残り魔法力の限界を見切ったのだろう。即座に、飛翔呪文で追いかけている。
 たとえ襲いかかってこなかったとしても、追いかけることで十分に追い詰められる獲物だと判断したのだ。

 キルバーンの行動が、軍人と言うよりは狩人の近いと確信できるシーンである。

 

 

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