86 サバイバル

 さて、ここで少し時を巻き戻そう。
 ハドラーとの激突の後、ダイは横たわった姿勢のままで目を覚ましている。この時、ダイは自分が氷の中にいるとすぐに気がついているが、この状況判断の速さはたいしたものだ。

 ダイ的には、意識がない間に全然違う場所で目覚めたのだから戸惑いそうなものだが、彼は瞬時に近い速さで正確に自分の居場所に気がついている。
 自分がどこにいるのかと悩む時間など、ダイはほとんど使ってはいない。

 そして、自分の居場所を確かめるやいなや、ダイは手を握りしめて力を込め、身体が動くかどうかを確かめている。

 ダイ自身が意識してやっていることとは思えないが、これは実に正しい方法だ。
 事故になど遭った場合、当事者はすぐには動かない方がいい。

 事故直後はたとえ怪我をしていたとしても、痛みを感じない場合は多い。危機感から過剰にアドレナリンが分泌されるせいか、興奮状態が強まって痛覚が鈍るのである。が、痛くないからと言って無理に動けば、当然それはダメージとして肉体に跳ね返ってくる。

 そう考えれば、いきなり起きようとせずに状況を掴もうとするダイの冷静さはたいしたものだ。単に、起きるだけの力が無かっただけかもしれないが、ダイは焦りや恐怖を感じることなく、何が起きたかを努めて客観的に判断しようとしている。

 この生存本能に根ざした素直さが、ダイの強みだ。
 この時のダイは、ハドラーとの対決で敗北した直後だった。だが、彼は自分が負けたことなど全く気にしていない。ついでに言うのならば、この場にはダイ一人だけしかいない。

 ついさっきまで一緒にいたはずのポップの姿が、見当たらないのである。
 仲間の安否を気にしたり、一人だけ取り残されてしまった不安感する素振りは、この時のダイにはない。

 精神的なダメージを引きずらず、生存のためだけに全力を尽くしているのだ。

 この時、ダイが気にしたのは『なぜこの状態で自分は助かったのか』という疑問だ。

 面白いことに、ダイは『運が良かったから』とは微塵も考えていない。
 助かったことに理由があるのかと考え、答えを探そうとしている。日常生活ではいたっておおらかで、細かいことを気にしないタイプのダイだが、こと戦いに関しては貪欲なまでに探究心が強い。きちんと、原因を追及しようとしている。

 そして、ダイは宝玉を光らせている自分の剣がすぐ側にあるのに気がつき、剣のおかげで助かったのだと直観的に判断している。
 ちょうどダイの剣を中心に、ぽっかりとした空洞ができているのが印象的だ。

 通常、氷というものは、濡らした状態でくっつけた状態で冷やせば簡単に再凍結してしまう。
 ハドラーに吹き飛ばされたダイが氷山にぶつかったのは確実なので、その固まりの中に巻き込まれる形で固められたというのはありそうな話だ。

 疑問なのは、内部に空間のある氷山に偶然ダイが閉じ込められたのかどうかか、という点の方だ。

 再凍結する際、隙間はない方が固まりやすいし、異物があってもそれごと凍りつくのが普通だ。ダイも一度はそうやって、凍りついたのだろう。
 が、ダイの剣が熱を放つことで周囲の氷を溶かしていたのだとすれば、氷山の中に都合良く空洞が発生した理由に頷ける。

 また、日本のカマクラなどでも有名な話だが、周囲をしっかりと固めて風が入らない状態にすれば、たとえ雪洞でも暖かく過ごせるものだ。その場合、熱源が少量だったとしても十分な暖かさを保てると言う。雪山などでも、ビバーク(緊急野営)して生き延びた例は多い。

 また、氷は空気を含んだまま凍りつく。
 家庭用の冷蔵庫などで作った氷は白っぽく濁っているが、あの正体が空気だ。

 その理屈で言えば、氷を溶かせば同時にその空気も解放されるはずなので、ダイの剣は熱源の確保と同時に呼吸の確保もこなしてくれていたのかもしれない。

 あの程度の穴の大きさではいずれ酸素がつきて呼吸困難になりそうだし、完全には危険から脱し切れていないが、それでもダイの剣が絶体絶命の危機を救ってくれたのは確かだ。

『…………あったかい……。おまえのおかげで氷漬けにならずにすんだんだ
ね、おれ……』

 剣に対して「おまえ」と呼びかけるダイは、やはり剣をただの武器としてではなく、ほぼ友達扱いしていると言っていい。剣にヒビが入っているのを見て、自分の代わりに傷つけてしまったと本気で謝っているダイにとって、この剣はただの無機物ではなく、物言わぬ友なのだろう。

 剣でさえ、『仲間』と認識するこの性格こそが、ダイの根幹だと思える。
 そして、自分が助かった理由に納得したダイは、今度はここから脱する方法を考え始めている。

 だが、この時もダイはまだすぐには動かない。
 寝転んだ姿勢のままで、どうすればいいのかを真剣に考えている。氷窟内が小さすぎて動きにくいせいもあるだろうが、ダイの動きの少なさが徹底しているのが面白い。

 もし、ここにいたのがポップならば、まずは氷を魔法で溶かせるかどうか試しに実験しそうだが、ダイは意外と効率重視主義だ。

 ザムザと戦った際、残り少ない体力を無駄にしないため、チウに全体重を預けて運ばれたように、省くべき時は無駄を徹底して省こうとする傾向がある。ろくに動けないと理解したからこそ、確実な手を思いつくまでは体力を無駄にしたくないと考えたのだろう。

 ここで、ダイが一人で熟考したのならどんな手を思いついたのか興味があるところだが、この時、ダイはポップの声を聞きとっている。
 しかし、厚い氷の中にいるだけに『聞こえたような気がする』程度の曖昧なものにすぎない。

 だが、それでもダイはそれがポップの声と信じた。
 ついさっきの戦いで、ポップを逃がそうとしたのはダイ自身だ。それにも拘わらず、ダイはポップが戻ってくると信じられた。それも、仲間を連れて戻ってきてくれたと疑ってもいない。

 これまでの戦いの中で、客観的に見ればダイがポップを助けた回数の方が多いのだが、ダイの主観ではポップに助けられた印象が強いのだろう。

 ポップが近くにいるのなら、自分の居場所を知らせさえすれば絶対に助けてもらえると考えたダイは、残り少ない闘気で上に向かって紋章閃を放っている。

 破壊力よりも目立つ光を出すことに全力を賭けたのか、この紋章閃は氷に竜の紋章型の穴は空けているが、割ることすらできていない。派手に光ってはいるが、自力脱出の手段にはならないのである。

 ダイのこの一連の行動は、遭難者としては満点に近い。
 遭難した時は、まずは冷静に現状を把握するのが肝心だ。自力で抜け出せるのならもちろんそうすればいいが、それが難しいと判断したのなら、無駄な動きを一切やめておとなしく救助を待つのが一番生存率が高い。

 が、実際の遭難者の記録を見ると、自力でなんとかしようと半端に動き回ってしまい事態を悪化させるケースが多い。じっとしていた方が有利と知っているベテランの登山者でさえ、不安感から下手に動いてしまい迷ってしまうのは珍しいことではない。

 だが、さすがは勇者と言うべきか、ダイの行動には一切の迷いがない。どうやらダイには戦いのセンスだけでなく、サバイバルのセンスも生まれつき備わっているらしい。 

 

 

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