92 魔王軍の情勢(19) |
バーンのいる王間に入ったハドラーは、まず礼儀正しく挨拶した後で、空の玉座に気がついている。 古今東西を問わず、貴人と面会する際には顔を伏せて相手を直接見ないのが礼儀とされているので、部屋に入ると同時に空の玉座に気づかないこの展開は当然のものだ。 そして、下の立場の者が取るべき態度が定められているように、上位にいる者もとってしかるべき態度という者がある。王間にいる王が玉座につく、というのはその典型的なものだ。 西洋の習慣では、上位の者が座っている間は、下位の者の着席は許されないと言う習慣がある。席があるだけで、互いの身分をきっちりと分ける境界線となるのだ。 だが、バーンはハドラーとの対面に際し、その常識を自ら破っている。 バーン『(中略)余の素顔を見せてやることが……、余のハドラーに対する何よりの評価の証と思うてな……!』 これまでバーンが徹底して自分の正体を隠していたことを思えば、確かにこの行動はハドラーをミストバーン達と同格と見なしたという評価だとも受け取れるが、明言はされていない。 『評価の証』と言っているだけで、ハドラーを高評価したとは、バーンは決して口にしていないのだから。 もしかすると、近いうちに死ぬと分かっている相手だからこそ、顔をさらしても構わないと考えた可能性も捨てきれないが……だが、ハドラーは始めて見たバーンに気を取られていて、相手に自分がどう思われているかなど気にする余裕すらない。 バーンの外見は、老齢の魔族だ。 人は、未知の存在にこそ恐怖を感じるものだ。 たとえば、昔は流行病などは人間の手には負えない天災と考えられていたが、現在では病気を解明し、治療方法を模索するのが当たり前となっている。 バーンの正体を知ったハドラーもまた、相手の攻略を意識している。 その拳はマントに覆い隠されて見えていないにもかかわらず、バーンはそれに敏感に気づいている。 バーン『……試してみるか? ハドラー……』 勝ち誇ったような笑みを浮かべるバーンは、ハドラーの殺気に気づいていて、その上で誘いをかけているのである。もちろん、これはハドラーが実際に試したとしても完封できる自信があるからこそだろう。 ハドラーは慌てて自分の無礼を詫びるが、バーンは彼のその態度を逆に褒めている。 バーン『余はかねてより、おまえのそういう所を気に入っておったのだ。その尽きることを知らぬ覇気と強さのみを信じる心をだ』 バーンにとっては、保身に走っていた以前のハドラーの態度の方が気に入らなかったようで、自分への反抗心を露わにした態度に安堵したとさえ言っている。 器の大きさを感じさせるその態度に、ハドラーはこの方には勝てないと述懐しているが、筆者はこの時のハドラーが感じていたのが敗北感だとは思わない。 これまで、ハドラーにとってバーンは畏怖の対象であり、それでいて自分の命を救い、地位を与えてくれた存在だった。しかし、与えられた物の多さや大きさ以上に、人間の心を動かすのは自分を理解し、認めてくれる存在だ。 素顔を見たことで、バーンは正体不明の存在から実在の人物に変わった。そして、その相手は今の自分が一番欲していることを理解し、肯定してくれた……そう思えたからこそ、ハドラーはバーンに対して自己主張する気になったのではないかと思える。 これまで魔軍総司令という地位に固執し、バーンからその地位を確約されたにも拘わらず、ハドラーはダイとの戦いを優先したいと願い出た。この申し出にも、バーンは寛大に応じている。 少し寛大すぎるぐらいに感じる優遇っぷりだが、騙されてはいけない。 ハドラーは総司令の座よりもダイ討伐を果たしたいと宣言したのに対して、バーンは魔王軍の指揮権をミストバーンに譲渡し、ハドラーには総司令の地位のまま死の大地の守護を命じている。ダイが攻めてくるのであれば、必ずここに来ると見越した上での命令であり、ハドラーは素直にそれに納得している。 が、一対一での戦いを望んでいる者にとって、城塞の防衛と言う任務は足枷もいいところだ。防衛とは持久戦に持ち込んだり、被害を少なくすることには有利だが、敵将を討ち取るのには向かない戦い方だなのだから。 相手が確実に攻めてくるという点も、この場合はメリットにはならない。ダイの場合、パプニカに拠点を置いているのが確実なのだから、待ちの体勢をとるまでもない。ダイとの一対一の勝負を望むのならば、自分の望むタイミングでパプニカに宣戦布告すれば良いだけの話だ。 しかし、バーンの命令に従うのなら、ハドラーは死の大地という限定された地域で相手からの攻撃を待つことしかできないし、魔王軍の指揮権も無くしている……明らかに、これまでより自由度を失っているし、待遇も下がっているのである。 相手の言い分を飲んだように見せかけて、自分の都合の良いように相手を誘導し、落としどころとする――交渉術の基本だ。ハドラーはバーンの器の大きさに感じ入っているが、要は相手の都合の良いように動かされているだけだと気がついた方がいい。 バーンはオリハルコンという希少金属を与えてハドラーに新しい分身体を生み出し、配下に加えるように命じているが、これも温情とは言い難い。 チェスの駒が合計32個あることを考えれば、バーンはハドラーに6分の1以下しか与えていないのだ。もし、真にハドラーを信頼するのならば全部与えてもよかったはずだ。 少し先走ったネタばらしになるが、後に登場した残りのチェスの駒らは外見上はヒムやシグマと同一のものだった。 作り手によって塗装などに差がでるにせよ、プラモデルが最初から完成形が定まっているように、バーンは能力や性能が固定されていると分かった上で、ハドラーにチェスの駒を与えたのではないだろうか。 性格的にハドラーの影響は受けるだろうが、性能が予め分かっている相手ならば、いざとなった時に処分するのも楽だ。 そもそも、ハドラー本人が裏切った場合は、ハドラーを処分すれば分身体は一気に全滅する……そう思えば、バーンがハドラーに生きた配下では無く、分身体を持つように進めた理由が見えてくる。 ハドラーは気がついていないが、この時の彼は完全にバーンの掌の上で踊らされているのである。
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