『初めての夜 3』 

 
  
 

(外で寝るのも、案外悪くないわね)
 
 着の身着のままで横たわりながら、マァムは星を見上げてそう思う。
 怪物の多い魔の森は、本来野宿するには不向きな場所だ。ましてやダイを狙っている敵がいると分かっているなら、本来なら夜通し交替で見張りを立てるべきだろう。
 が、今、三人はそろって眠りに就こうとしていた。
 
『最初はおれもそう思って夜は交替で見張りしながら寝てたんだけど、ダイやゴメの奴、すっげー気配に敏感なんだよ。動物や怪物が近づいただけで、すぐに起きるんだよな、これが』
 
 だから、見張りを気にするよりも体力の温存を優先して眠った方がいいというポップの意見に、マァムは全面的に賛成したわけではなかった。なんといっても不用心だし、ダイに負担がかかり過ぎるのも気になる点だ。
 
 が、ここで無理に交替の見張りを強要すると……今度はポップの体力が心配になる。
 旅慣れているのはもう疑いはしないが、体力不足ばかりは如何ともし難い。
 
 なにせ、村や宿屋のような安心できる場所で十分な休養を取ってでさえ、ダイとマァムについてくるのが精一杯なのだ。野宿の上に見張りで睡眠時間を削れば、確実に翌日の行動に支障を来すだろう。
 
 それに、体力には自信があるマァムだって、野宿は初めてだ。
 疲れは否めないし、見張りによる睡眠不足がどこまで響くは、ちょっと自信がない。だから、今日は素直に未来の勇者に頼ることにした。ダイの実力なら、信用してもよいと思えるから。
 
 不思議なくらい、マァムは落ち着いて横たわっていた。
 最初は初めての野宿にやや不安を感じていたのだが、夕食時に知ったポップの意外なアウトドア知識と楽しいおしゃべりのおかげで、気が軽くなったせいかもしれない。
 
 ポップの話を聞いていると、アバンの思い出がくっきりと蘇ってくる。
 それは、枯れかけた植物に水を与える感覚に似ていた。普段は忘れかけていた思い出が、瑞々しく蘇る。
 
 そう言えば先生ってそういう人だったと、再認識させてくれるおしゃべりは、いつまでも聞いていたいとさえ思った。
 ポップの話を聞いていると、アバンの死が嘘のようにさえ思えてくる。今も元気に旅しているように思えてならない。
 
 だが――、ダイの表情が気になった。
 面白そうにポップの話を聞いているのはマァムと同じだが、ダイは時折、不安そうな顔を見せた。
 アバンの死を目の当たりにしたダイには、まだ辛い話なのかもしれない。
 
 そう思い、そこそこで話を切り上げ眠ることにしたが、今も幸せな思い出は続いている。 幸いにも、今日はポップはそれほど疲れていないのか、イビキはかいていない。今夜こそは気持ち良く眠れそうだと思いながら、マァムは安らかな眠りに落ちた。
 
 
「う……っ……ああ……」
 
 深夜にマァムの目を覚まさせたのは、イビキじゃなかった。
 そう大きな声じゃない。
 あのイビキと比べれば、騒音度は格段に下だ。
 
 だが――聞き捨てならない声だった。
 辛そうな呻き声が、マァムを深い眠りから覚ます。
 
「ダイ……?」
 
 最初は、ダイの声かと思った。マァムが起きた時、すでにダイは身を起こして座り込んでいるのが見えたから。
 だが、うなされていたのは、眠ったままのポップだった。
 
「……う…………う……」
 
 ひどく苦しそうな声に、病気かとさえ思った。
 
「ポップ? どうしたの、大丈夫?」
 
 思わず声をかけながら、マァムは答えを求めるようにダイの方を見る。心配そうにポップを見ているダイだが、積極的に動こうはせず、ただ見ているだけだ。
 どうしていいのか分からない、子供のように。
 その理由は、すぐに理解できた。
 
「……う…………せん…せい……ダメ…だ……」
 
 寝言で不意に出てきたその言葉に、マァムはハッとしてポップを揺さぶろうとした手を止めた。
 だが、起こすまでもなく、ポップは自分から跳ね起きた。
 
「……あ……?」
 
 起きたばかりのポップは、戸惑ったように目をパチクリとさせながら、周囲を見回す。急に悪夢から現実に切り替わった瞬間の混乱は、マァムにも経験があるだけに理解出来る。

 その顔色がひどく悪く見えるのは、月明かりのせいだけではないだろう。
 だが、マァムとダイの視線に気づくと、ポップはいつものおちゃらけた笑顔を見せた。

「あ……、あ、悪い、悪い。もしかして、起こしちまった? そりゃ、すまないことしちゃったぜ、ちょっと夢見が悪くってさー」
 
 おどけた口調は、夕食の時に面白おかしくアバンの話をした時と、全く同じものだ。つい、一瞬前までの辛そうな寝言とは一致しない。
 
「ポップ……ずいぶんとうなされていたけど、大丈夫なの?」
 
 心配して思わず声をかけると同時に、マァムはポップに手を伸ばす。が、ポップはその手をひょいっと避けた。
 
「あー、いくら一緒に寝てるからって言って、変な真似すんなよなー」
 
「ポップ! 何言うのよ!?」
 
 毛布代わりのマントを持ったまま大袈裟にマァムから逃げたポップは、笑いながらちょっと離れた場所でまた横になる。
 
「ははっ、冗談、冗談。でも、今のはホントにちょっと夢見ただけだからさ、気にしなくていいって。――なんだ、まだ夜中じゃん、もう一回寝直そうぜ。ふわぁ〜あ、おやすみ」

 わざとらしくアクビなどして見せながら、ポップはくるんと寝返りを打った。ダイやマァムに背を向ける形で横になったポップは、そのまま動かなくなる。
 それを見届けてから、ダイもまた横になった。
 
「うん……おやすみ、ポップ」
 
 それに釣られるようにマァムもそのまま横になるが――今度はさっきのように容易には眠れなかった。
 ポップはさっきまでとは打って変わって、静かに横たわっている。だが……なんとなく、眠ってはいないように思えた。
 
(ポップ……さっきは、どんな夢を見てたのかしら)
 
 名を呼んでいたからには、アバンの夢だろうとは思う。
 幸せな夢ではないのも、分かる。
 だが、隠そうとしなくてもいいのに そう思ってしまう。
 
 アバンの死を悼む気持ちは同じなのだから、痛みを分かち合いたい。そうすれば、少しは楽になるのに――。
 横になっていても、眠れないでいる時間はやけに長く感じる。
 
 どのくらいそうやっていたのか……不意に、ポップが起き上がった。
 ポップはダイとマァムの様子を窺ってから、立ち上がる。そして、そのままふらっと木立の奥の方へと歩いて行ってしまった。
 
「…………」
 
 少し迷ってから、マァムもまた立ち上がった。トイレか何かならいいが、そんな風には見えなかった。
 
「追いかけるの? マァム」
 
 眠っているとばかり思ったダイが、眠ったまま声をかけてきた。
 
「ポップなら大丈夫だよ。すぐに戻ってくるから」
 
「でも……危ないわ」
 
 魔の森は、危険な場所だ。
 ただでさえ多かった怪物は、魔王復活と共に倍増し、しかも凶暴化してしまっている。さらに、今は怪物の行動が活発化する夜――その中を歩く危険性は、昼間の比ではない。ポップが強力な魔法を使えるのは知っているが、一人で放っておくのは危険過ぎる場所だ。
 なにより――さっきの寝言が引っかかる。
 とても放っておけるわけがない。後を追いかけるマァムを、ダイはそれ以上は止めなかった。
 ただ、ひょっこりと起き上がって、二人が消えた方向を見ているだけだ。
 
「ピピ……」
 
「ゴメちゃんも、心配?」
 
 いつの間にか起きだしたスライムを、ダイはいつものように肩に乗せてやり、独り言のように話しかけた。
 
「ポップがどこに行ったかは分からないけど、何をしにいったかは分かるから……おれは、行かないよ」
 



 


 ポップを探し当てるのは、造作もないことだった。
 ダイと話していた分、少し手間取ってしまったとはいえ、それはたいしたロスにはならなかった。
 だから――追いついたポップに声をかけられなかったのは、別の理由からだった。
 
「く……っ…………う……」
 
 ポップは、泣いていた。
 一人で、声を殺して。
 木にすがりつくようにして、今にも崩れ込みそうに。
 予想もしていなかったその姿に、マァムはかける言葉もなくして立ちすくむ。
 
(ううん……予想……するべきだったんだ……)
 
 深い後悔が、マァムの胸を焦がす。
 むしろ、予想して当たり前の姿だと、なぜ気がつかなかったのか。
 アバンの死がどのくらい前の出来事なのか、マァムは知らない。
 だが――大切な人の死の衝撃から、そうすぐに立ち直れるわけがない。
 
 マァムだって、悲しい。
 あの優しかったアバンともう二度と会えないと思うだけで、胸が潰れそうだ。アバンの死を知った日の夜は、一晩泣き明かした。
 だが――マァムはアバンの死を、直接見たわけじゃない。
 
 心から信頼し、大切な思い出のある恩師の死はマァムに確かに衝撃を与えたが、その悲しみはある意味で一過性のものだ。
 離れていた時間が長い分、……こんな言い方をするのも嫌だが、アバンが側にいなくても平気だ。
 
 この悲しみには、耐えられる。
 父親であるロカを失った時のように、何を見ても、何をしても、身近にいた人の欠如を思い知って悲しむことはない。
 
 ダイにとっても、それは同じだろう。
 たった三日しか習わなかったと差別する気は毛頭ないが、少なくともその悲しみは大切な人を失ったものであり、身近な人を亡くした悲しみではない。
 
 だが、ポップにとっては、アバンは誰よりも一番身近にいた人だったはずだ。一年以上、アバンと一緒に旅をしていたのなら、それこそ、もう家族も同然だろう。

 今まで、ごく当たり前にように存在していたはずの人が、ぽっかりといなくなる――。
 その悲しみは、胸に大きな穴を穿つ。

 まるで自分の一部をそのまま持って行かれたような、どうしても拭えない喪失感を交えた悲しみ。
 なぜ、気がつかなかったのだろう?
 
 ポップが一番、辛い想いをした。
 アバンの死に一番衝撃を受け、誰よりも悲しんでいたのは、ヘラヘラ笑ってばかりいるあのお調子者の魔法使いだったのだと、マァムは今まで気づきもしなかった。
 いたたまれなくなり、マァムは逃げるようにその場を立ち去った――。
 


 
「ダイ……起きていたの?」
 
 マァムが戻った時、ダイは起きていた。眠ってしまったゴメちゃんを撫でながら、マァムを待っていた。
 
「うん。ポップは?」
 
「…………」
 
 マァムは何も答えられなかったが、ダイは、彼女が何を見てきたのか、予測していたようだった。
 
「おれ……どうしていいか分かんなかったから、なんにも言わなかったんだ。前におれもこっそりポップの後をつけたけど、結局なんにも言ってあげらんなかった」
 
「私も……なにも言えなかったわ」
 
 どんな慰めも、無駄だと思った。二度と、ポップが立ちあがれないんじゃないかとさえ思った。
 あんなに悲しい泣き声を、聞いた覚えはない。
 
「アバン先生は、本当に死んでしまっていたのね……」
 
 マァムの呟きに、ダイはハッとした表情を見せる。
 
「ごめんなさい。私……あなたと長老様が話しているところを聞いてしまったの……! 先生が死んだってその時に知ったけど、でも、どうしても信じられなくて……」
 
 だからこそ、詳しい説明が知りたいと思った。だが どんな説明よりも、ポップのあの悲しみの方が、雄弁だった。
 あの嘆きを見ては、もう……アバンの生存を信じる方が難しい。
 
「嘘ついて、ごめん。おれ、あの時はとっさに嘘言っちゃってたんだ。そうしないと、ポップが説明しちゃうと思ったから」
 
 思い出せば、あの時、ポップは口ごもりながら何かを言おうとしていた。それを押し退けて、アバンは元気だと言ったのはダイだった。
 あの嘘は、マァムやレイラのためだけでなく、おそらくはポップを庇うのが最大の目的だったのだろう。
 
 あれほどアバンの死を嘆いている少年に、それを説明させるのをためらう気持ちは、今ならば理解できる。
 
「先生が死んじゃったのは――おれのせいなんだ」
 
 ぽつんぽつんと、ダイは話し始める。たった二週間前に起こった、悲劇の日の話を。
 
「あの日……魔王ハドラーがやってきたんだ。先生は、おれの特訓をするためにドラゴンに変身する魔法を使って……ハドラーと戦った時は魔法力を使いきっちゃった後だった。もし、先生がおれの特訓をしていなかったら きっとハドラーなんかに負けなかった……!」
 
 無意識なのだろうが、握り締めた拳が震えている。泣きはしなくとも、ダイもまた傷ついているのだとマァムは悟った。
 
「それは……違うわ。ダイのせいなんかじゃないわ」
 
「うん……。ポップも、そう言ってくれたよ。ポップは……おれも自分のせいだと思わないから、おれにも自分のせいだと思うなって言ってくれた」
 
 アバンは弟子を守るために命を懸け、死んでいった。
 自分の力の無さを悔いるという点では、ダイもポップも変わりがない。アバンの苦戦を目の当たりにしながら、手出しも出来ずに見ているだけしか出来なかった。
 
 ダイがアバンの死を自分の責任と感じる以上に、ポップもそれは身に染みているに違いない。
 だが、ポップは自分の無力さのせいで、アバンが死んだとは嘆かない。
 
 その嘆きは、ある意味で僣越だと自覚しているから。
 ポップ自身が動けない時に、全力でハドラーと戦ったダイに対しての非難になると知っているからこそ、言おうとしない。
 
「だから――ポップ、言わないんだ。先生が死んだのがすっごく悲しいって、いつも思っているはずなのに、おれの前じゃ絶対に言おうとしない」
 
「そうね……私にも言わなかったわ」
 
 マァムの前でも、それは同じだった。
 アバンの死を悲しんでいるとはおくびも見せず、彼の話を聞きたいというマァムの願いをかなえて、ずっとはしゃいで見せた。
 
 知らなかったとはいえ、ずいぶん酷なことをさせてしまったとマァムは一人、唇を噛みしめる。
 
「ポップ……大丈夫かしら?」
 
「大丈夫だよ」
 
 思いがけないほど強く、ダイが答える。
 
「どんなに泣いてたって……どんなに落ち込んだって、ポップなら大丈夫だよ」
 
 ダイの知っている限り、ポップが人目も憚らないでアバンの死を嘆いたのはあの時だけ ハドラーとの戦いの直後 自己犠牲呪文の余波によりアバンは、バラバラに砕け散った。
 
 今までの死闘が嘘のように静まり返った砂浜の上に、奇跡のように残っていた、壊れた眼鏡。
 唯一残されたアバンの名残を前にして、ポップは声が嗄れるほど泣いた。
 
 すぐ近くにいるダイやブラスの存在すらも忘れてしまったように泣きじゃくるポップに、かける言葉なんてなかった。慰めなど決して届かない深い悲しみの前では、ダイは無力だった。
 
 その悲しみから立ち直り、ダイの旅立ちに付き合ってくれたのは、他の誰でもない、ポップ自身の意思の力だ。
 夜中に悪夢にうなされる時でさえ、ポップは弱音を見せようとしない。ただ寝ぼけただけだと言い張り、どんな夢を見たかは言わない。
 
 そして朝起きる時は、いつもの元気なポップに戻っている。夜の間の悲しみを微塵も感じさせない明るさを、いつも取り戻している。
 目立たないながら、それはポップの優しさであり、強さだ。
 
 人の死を悲しむのだけが、優しさではない。
 そして、敵を討とうと戦うのだけが強さではないのだから。
 
「大丈夫――ポップは一人でも立ち直れる。
 
 だから……おれ、ポップの邪魔はしないんだ。だって、ポップが泣いてるのに気がついてたって分かったら、見られないようにもっと遠くに行っちゃうような気がするんだ。それじゃ、かえって危ないかなって思うし」
 
「それ、……なんだかありそうね」
 
 ポップは妙なところだけ意地っ張りで、負けん気が強い。
 泣いているところなんか見られたくはないだろうし、気遣われるのも好まないだろう。 ならば、この距離を保つのもいいかもしれない。
 
 ポップがどんなに泣いたとしても聞こえないが、もし何かあったら即座に駆けつけられる間をおいて。
 ただ、ポップが悲しみから立ち直るのを待っていれば、それでいい。
 
「あ……! ポップが戻ってきた」
 
 かすかな気配を聞きつけたのか、ダイは慌ててマントをかぶって横になる。それに習って、マァムも慌てて寝たふりをした。
 自分の不在がとっくに二人にバレているなんて思ってもいないポップは、無意味にも足音を忍ばせているが 戦士の訓練をつんだ二人にとっては丸聞こえだ。
 
 魔法使いなりの精一杯さで音を立てないように気をつけながら、ポップは自分の定位置に戻って横になる。
 もっとも、眠ったかどうかの保証はない。
 
 イビキどころか、寝息すら聞こえないポップの背中を気にしながら、マァムはいつの間にか眠りに落ちていた――。

 

                                                      《続く》

 

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