『お風呂にご用心♪ 2 ー男湯の誤解ー』

  
  

 

「……あっきれた奴だなー。使用中の風呂にズカズカ入ったりすりゃ、マァムが怒るのも当たり前だろ」

 呆れて口も利けないとは、まさにこのことである。

(なんちゅー、羨ましい――いや、非常識なことすんだよ)

 とんでもなく非常識な行為に頭を抱えむポップに対し、ヒムはいまだに己のしでかした愚行をちゃんと自覚はしていなかった。

 彼にしてみれば、汚れた身体を洗うために風呂を借りようと思っただけのこと。その際、手近だったのが女性用の風呂だったのが、彼にとっては不運だった。

 風呂は男女を別に分けて使用するのは人間にとっては常識かもしれないが、魔族ではひどく珍しい考えだ。そもそも男女の区別すらない種族も多いのに、風呂だけ厳密に区別したって始まらない。

 さらには人間型魔族とはいえ、ヒムに服を着る習慣がないのも、不幸の原因と言えるだろう。

 生まれた時から服を着る必要のない動物が己の姿に羞恥心を覚えないように、ほとんどの魔族は裸体でいるのに恥じらいを覚えない。
 魔族にとっては、鎧ならまだしも、服はアクセサリーみたいなもので、あってもなくても構わない物なのだから。

「まさか、人間があんなに裸を見られるのを嫌がるなんて、思わなかったんだ。おー、痛え」

「嫌に決まっているだろ! 男のおれだって人前ですっぽんぽんになるのなんか、恥ずかしいぜ。女だったら、なおさらだろ」

「ほー、そういうものなのか」

 真顔でズレた返事をするヒムに、ポップは脱力感を覚えて、説明を打ち切った。

(ダメだ、こりゃ……)

 ポップは別に、魔族や怪物を毛嫌いする気はない。が、ちょっとした常識の差に、呆れを感じるのはしばしばある。

 怪物に育てられたダイも常識には至って疎くて、ポップは何度となく苦労させられたものだ。まあ、それでも人間と接する内に自然に馴染んでいくのも、経験上分かっているだけに、ポップは無理に、一度にくどくど説明しようとは思わなかった。

「……まあ、とにかく入るんなら、今度から男湯にしとけよ。おまえ、一応男なんだし」

 金属生命体であるヒムは、本来チェスの駒だっただけに、性別はない。が、性格や外見から判断して、男性というべきだろう。
 ヒム自身も、自分が男であるという自覚はある。

「ああ、そうするよ」

 女湯用更衣室から、やや離れているとはいえ隣に存在する、男湯用更衣室。

 素直にそっちに向かったヒムに、ポップも一緒について行った。
 ポップ自身は風呂に入る気はなかったが、着替えがしたかったのだ。着替えだけなら部屋に戻っても良かったのだが、水をかけられてびしょ濡れになった服が、ひどく気持ち悪いし、寒かった。

 パプニカ城の風呂場には、パジャマ程度の着替えならいつでも常備されているから、それを借りるつもりだった。
 が、ポップの、このちょっとした横着が、次なる騒動のきっかけとなってしまった。

「ん……しょ……っ!」

 濡れた服を、脱ぐ。
 これは簡単そうでいて、実は想像以上に難しい。水を含んだ生地はぴったりと身体に張りつくし、重くなるせいもあって扱い辛くなる。

 四苦八苦しながら服を脱いでいたポップは、その気配に気づいたのは、全裸になってからだった。
 ふと視線を感じ――振り返ると、ヒムがまじまじと、ポップを見つめていた!

「な……、ヒム!?」

 ポップにしても、一緒に風呂に入っている男に裸を見られているとか見ているなら、気にもしない。
 が、とっくに風呂に入ったと思っていた男が、何をするでもなく熱心に裸の自分を見ているなんてのは、実に嫌な絵面だ。

「なに見てんだよっ、そんなに男の裸が珍しいのかよっ!?」

 照れくさいせいもあってポップはそう怒鳴ったが、ヒムは真顔で頷いた。

「ああ、人間の男の裸なんてのは、初めて見るからな」

 熱心なヒムの眼差しに、別に不純なものはなかった。
 せいぜいが好奇心レベルで、他意はないものだが――それでも見られている方の心理としては落ち着かないものだ。

 いくら男同士とはいえ、こうもジロジロと見られては、とても落ち着かない。

(無視だ、無視!)

 ヒムに背中を向け、濡れた身体をバスタオルでふきだしたポップだが、ヒムの方は遠慮どころか馴れ馴れしく寄ってきた。

「ふぅん……。ヒュンケルの野郎も細くて華奢だと思ったが、おまえはそれよりもまた一段と、細いんだな」

 ヒムにしてみれば、それは見たままの、素直な感想に過ぎない。
 が、ただでさえ気にしていることを、しかも、ポップにとっては一番比べて欲しくない人物と比較されちゃ、腹を立てずにはいられない。

「何考えて人を比べてんだよっ!? そんなのどうでもいいだろっ!?」

 ポップの怒りなど気にも止めず、ヒムは観察をさらにレベルアップさせる。

「いや……人間ってのはつくづく不思議だと思ってよ。こんな、華奢で柔らかい身体のどこに、オレ達を倒せるような力が隠されているんだろうな?」

 しみじみとそんな台詞を言いながら背中を撫で回されるのは、ポップにとっていい気分なわけがない。それでも、相手が常識を知らんだけで悪気がないと分かっているだけに、ポップは我慢しようとした。

「やめろよ、ヒム! てめーの手は、冷たいんだってば!」

「おまえの身体は暖かいな。――気持ちいいもんだな」

 ヒムにしてみれば、悪気はなかった。
 体温がないヒムにしてみれば、暖かみのある柔らかい肉体の手触りが、心地好かったまでのこと。

 人間が自分の皮膚とは全く違う、毛並みのよい小動物の手触りを楽しむのと同じ感覚で、撫でさすったまでだ。
 ポップ自身もぷにぷにしているゴメちゃんの手触りが面白いので、つまんだり撫でまわした経験があるだけに、ヒムの手に邪心を感じたわけじゃない。

 しかし、遠慮知らずの手が尻の辺りまで撫で回すに至って、とうとう我慢の限界もぷっつりと切れた。

「いい加減にしろよ、このスケベっ! 人間ってのは男同士じゃ、ンな真似はしねえもんなんだよっ!」

 向き直って文句を言い、ポップはヒムを突き飛ばす。
 実際にはポップの力ではヒムには到底かなわないのだが、ポップの見せた拒絶の意思に、ヒムはおとなしく手を止めた。
 が、ヒムにしてみれば、納得しきれないのは変わりがない。

「そうなのか。どうしてだ?」

「へ?」

 まさかそう切り替えされるとは予測していなかっただけに、ポップは言葉に詰まった。

 男に撫で回されるのは嫌だ。そりゃあもう、ただただ、ひたすらに嫌である。

 それは明白だが、その理由なんて考えてみたこともないし、ましてや説明のしようもない。つい、論理的に説明する方法を考えてしまったポップは、自分の状況を忘れていた。

 先に、服を着ておくべきだ。
 そう悟ったのは、下に向けられたヒムの視線が自分のどこに注がれているか、気がついてからだった。

 うっかり、隠すのも忘れている生装備股間。
 自分でもあまり自信のある場所ではない上に、普段は隠してある場所をじーっと見られては、平静ではいられない。

「ど、どこ見てんだよっ!?」

 顔を真っ赤にして怒鳴り、ポップは一歩後ずさった。
 が、動揺のせいか、床に落としたバスタオルをもろにふんづけて、転んでしまう。起きあがる前に、ヒムは屈み込んでポップの足と足の間を除き込む。

「へー……。こうなってんのか」

 性器をもたないヒムにとっては、初めて見る器官がもの珍しいにすぎない。が、ポップにとってはそうはいかない。
 訳の分からない恥ずかしさに、頭にカァッと血が昇る。

「や、やめろったら!」

「おっと」

 唐突にポップがジタバタと足を動かしのが、更に状況を悪くする。すぐ目の前に動かされた物体を、ヒムは反射的に取り押さえてしまっただけだが、それでポップは逃げ足も抵抗も封じられた格好になってしまった。

 ポップの両足を押さえたせいで、見やすくなった人間の生殖器を、ヒムはとっくりと観察する。

「ちょっと……触ってもいいか?」

 ヒムにしてみれば、無理強いする気はなかった。
 さっきポップは背中は触っても怒らなかったが、尻を触った途端嫌がった。人間は触られても気にしない場所と、嫌がる場所があるらしい。

 だからこそ本人が嫌だと言ったらやめるつもり声をかけたヒムだが、その瞬間のポップの顔は見物だった。
 絶句して一気に青ざめ――次の瞬間、ポップは金切り声でわめきたてた。

「や……っ、やだやだ、やめろっ、この変態っ! やだっ、おれに触んなっ! 触るなったら!」

「お、おいっ、何もオレは……っ!」

 弁解しようとしたヒムの言葉は、最後まで言い終わることができなかった。
 と、一陣の風にも似た突風が吹き抜けたかと思うと、堅い金属音が響き渡る。

「え……?」

 戸惑うポップの目に飛び込んできたのは、武神のごとき勢いで、ヒムに跳び蹴りをかますマァムの姿だった。

 鍛練を積んだ足は、ものの見事にヒムの横頭部を捕らえている。全体重を乗せた蹴りは、少女をはるかに上回るヒムの長身を吹っ飛ばし、後方の壁へと叩きつけていた。

「ぐぁあっ!?」

 とんきょうな悲鳴と共に、ヒムの身体が更衣室の壁を突き破る。なまじ廊下の壁と違い、風呂へと通じる更衣室の壁は薄いのがヒムにとっては災いだった。

 堅い身体のダメージは薄かったものの、壊れた壁にすっぽりとはまり込んで、身動きが取れなくなってしまう。
 何が起こったやら理解しきれず、呆然としているポップを、マァムは振り返った。

 さっき見た時と同じ、洗い髪をざっと束ねただけの姿のままで、服もちゃんとは着ていない。一応タンクトップは身につけているものの、下は下着姿のままだ。

 だが、その服装よりも印象的なのは、怒りに満ちたその表情だ。
 先ほどが腹を立てていたのだとしたら、今のマァムは怒れる猛虎だ。殺気すら滲ませた怒りの表情のままのマァムは、今までポップが聞いたこともない程固い声で聞いた。

「ポップ! 無事なの!?」

「う……、うん」

 気圧されたように頷き――ポップは、今更ながら自分が裸なのに気づいて、顔を赤らめた。マァムの視線を意識して、つい目を反らし、慌てて近くのバスタオルを身にまとう。

 濡れた身体のままでいるせいで身体が震えているので、いつもよりしっかりとバスタオルを巻きつけた。

 そのついでに顔の辺りを腕でぬぐったのは、濡れた髪から滴り落ちる水が鬱陶しかったからだが……マァムの目にはそうは映らなかった。
 

                                                      《続く》

 

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