『夜明け前 2 ー昏睡ー』 |
カール北東にある森の一角に、隠されるように存在する石作りの建物。 本来なら大魔王バーンを倒した後は、もう用がなくなるはずの場所だった。だが、勇者一行は今もまだ、ここにとどまり続けている。 「お帰りなさい、マァムさん」 重い足取りで前線基地に戻ったマァムを迎えたのは、エプロン姿のメルルだった。 「お疲れでしょう……、お食事の用意はできています。お湯の用意もしてありますので、どうか身体をゆっくりと休めてください」 マァムの顔色を見て、メルルは賢明にも結果を聞かずに、休息だけを薦めた。だが、マァムが欲しがったのは自身への労いではなく、仲間の安否の保証だった。 「ポップの様子はどう?」 期待を込めてのマァムの質問に、メルルは無言のまま小さく首を振る。 「…そう……」 少なからず落胆しながら、マァムは真っ先に、寝室へと足を運ぶ。疲れてはいるし、空腹も感じていたが、それを差し置いても確かめたいことがあった。 大きめのベッドの上に横たわるポップを、マァムはじっと見下ろした。 その寝相の悪さと、疲れているといびきもひどくなる悪癖を持つポップには、一緒に旅を始めたばかりの頃は、マァムはさんざん悩まされた覚えがある。 瓦礫の中から発見されたポップには、奇跡的にも大きな怪我はなかった。爆破の威力や彼が落下した高さを考えればまさに奇跡だが、納得できなくはない。 竜の騎士の血を引くダイは、人間離れした強靭な肉体と闘気の持ち主でもある。驚異の能力を持つ爆弾があの規模程度の爆破で済んだのは、紛れもなくダイのおかげだ。 爆弾の至近距離にいたポップが、生きていたのがそのなによりの証拠だ。 自分の身を守るために全魔力を使い果たし……そのまま意識を失ったのだろうと、アバンやフローラは言った。学者の家系に生まれた大勇者と王家の血を引く賢者の言葉に、一行の誰もが納得した。 あの運命の決戦の日、爆発の前でさえポップは自分の限界以上の魔法力を発揮していた。力を使い果たしても何の不思議もない。 魔法使いや賢者のように魔法力が高い職業の者が、自分の限界以上の魔法力を使い果たした時などに稀におきる現象である。 魔法力を最大限に回復させるために、無意識に身体の代謝を落として眠りを深めようとするのだ。普段の睡眠と違い、昏睡状態の人間はいくら起こそうとしても起きず、ザメハ等の覚醒魔法も効かない。 言わば魔法使い特有の生理現象であり、通常ならば数時間ほどで終わる。身動きもしない昏睡から、普通の人間なら誰にでも訪れるただの睡眠へと変わるのだ。 (……もう、丸二日も経つのに……) ポップが昏睡状態になるのは、これが初めてではない。 『おれ、この眠りって、嫌いだなー。ポップが二度と起きないんじゃないかって、心配になってくるんだもん』 ダイがそんな風にボヤいていたのを、思い出す。 「ポップ……起きてよ」 聞こえないと承知していたが、マァムはポップに呼びかける。 大魔王バーンを倒した祝宴どころか、寝る暇さえ惜しんだ捜索を繰り返す一同の顔色が、どんどん悪くなっていくのが分かる。マァム自身、自分がどんどん暗い方向へ考えを巡らせている事実を否定できない。 こんな時にこそ、ポップの言葉が欲しかった。 だが、今にして思えば――その軽口に、どんなに救われたことだろう。 前に一度、ダイが逃げ出してしまった時に沈み込むマァムを励ましてくれたのも、ダイを見つけてくれたのもポップだった。 (…ポップ……) 「……ポップは、まだ起きないのか?」 後ろから聞こえてきた声に、マァムは振り返った。 「ヒュンケル……」 仲間の姿を認めて、マァムはふっと気が緩む。知らず知らずの内ににじんでしまった涙を慌ててぬぐいながら、マァムは声をかけた。 「あなたも……ダイを探していたの? 身体は、大丈夫?」 ヒュンケルもまた、疲れきった様子だった。 回復魔法ですらすでに受け付けない傷はまだ若いヒュンケルに老人のごとき倦怠感をもたらし、行動を大幅に制限させている。 「戦いはともかく、普通に動く程度はどうということはない。動けるのに、無駄に休んでいてはこいつが起きた時に合わせる顔がない」 言いながらヒュンケルはマァムの隣に立ち、並んでポップを見下ろす。 「……本来なら、ポップが真っ先に動きたいだろうにな」 ヒュンケルがポップに向ける目は、どこか優しかった。 「ええ……そうね」 頷き、マァムはヒュンケルと並んで、眠り続けているポップを見つめていた。 「二人とも、こんな所にいたんですか?」 後ろからかけられた声に、二人はハッとして振り返った。だが、振り返るまでもなく、それが誰の声だが分かった。 「先生……!」 アバンもマァムやヒュンケルと同じく、捜索が終わってすぐにここにやってきたらしい。 常に変わらない穏やかな笑顔はそのままだが、ダイ捜索で汚れた埃すら落としていない姿のままだ。 「気持ちは分かりますが、あまり心配しても始まりませんよ。あなた達に心配をかけるのは、ポップにとっても本意じゃないでしょう」 二人だけにではなく、アバンの声音は眠っているポップにも話しかけているように優しかった。 「ポップはきっと……少し、頑張りすぎたんでしょうね。今のポップには、休む時間が必要なんですよ、身も心も…。眠らせてあげましょう……ゆっくりと――」 愛おしむように、アバンは眠る弟子の頭を優しく撫でる。 「先生? どうかしたんですか?」 「いえ……なんでもありませんよ。さあ、食事にしましょうか、皆さんがもう食堂で待っていますよ」 師は、疲れの見える二人の背を軽く押すようにして、共に部屋を退出した――。
「……ポップ、おはよう。朝よ」 無駄と知りつつ、マァムは声をかける。 もしかしたら、今度こそ目覚めているかもしれない――その想いが、こまめに病室に足を運ばせる。 少々微熱がある風だが、高い感じはしない。むしろ、体温が下がったままの状態よりも安心できる気がして、ホッとする。 「じゃ…行ってくるわね、ポップ。また、後で来るから」
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