『夜明け前 3 ー暗雲ー』

  
 

 昼休み。
 割り当てられた休憩時間よりもずっと短くして使っている時間の中、マァムは早足で北の砦に戻っていた。
 昼用の食事はお弁当として朝の時点で各自に配布されているので、本当なら戻ってくる必要はない。

 だが、今日のマァムの捜索範囲は北の砦に比較的近く、ちょっと食事を早めに済ませれば昼の休憩時間の間に戻ってくる程度の余裕はありそうだった。

(少し、ポップの様子を見にいこう)

 朝の段階では起きていなかったが、今頃は目を覚ましているかもしれない。それだけでも確かめたかった。
 だが、期待は裏切られた。

 もう昼間なのに、まだカーテンを引いたままの部屋。それを建物の外側から確認しただけでも、ポップがまだ目覚めていないのが分かる。
 がっかりしたものの、せっかく食事もそこそこに切り上げて戻ってきたのにこのまま引き返すのも癪だった。短い時間でもいい、顔だけでも見ていこう。

 そう思って病室に行ったマァムだが、あいにく先客がいた。
 完全に閉じられてはいない扉の向こうに、アバンとフローラが、ポップの枕元にいるのが見えた。何やら小声で話し合っている人の声を聞いて、マァムは中に入らずにそのまま引き返そうとした。

 他の人がいたのなら、マァムも遠慮せずに声をかけて入っただろう。だが、アバンとフローラは、ポップの治療手だ。彼等が治療のための相談をしているのならば、邪魔をするのはためらわれた。

 正義感が強くて真面目なマァムは、立ち聞きをする趣味はない。ましてや尊敬するアバン達の邪魔をしたいとも思わなかったが、聞き覚えのある声が彼女を足留めした。

「ふーむ……うまくねえな、どうにも」

(……マトリフおじさん?)

 思わず細く開いたドアから覗き込むと、アバンとフローラの影に隠れる位置に、独特の帽子と衣装を着た老人の姿が見えた。

 大勇者アバンの仲間であり、15年前に魔王ハドラーを倒した時に活躍した魔法使い。マァムにとっては昔馴染の、言わば祖父のような存在であり、ポップにとっては師匠にあたる人物だ。

 その豊富な知識と経験を活かして何度となくダイ達一行に力を貸してくれたが、基本的には隠居していてパプニカの海岸にある洞窟でひっそりと暮している。
 彼が戦いの現場に直接現れる機会は、ごく少ない。実際、最後の一戦にもマトリフは参戦しなかった。

 そのマトリフがなぜここに来たのか?
 その疑問が、マァムの足を止めさせた。
 マトリフは、ポップの手首を軽く握って脈を計っていた。普段はふざけた態度ばかりを見せる老魔道士は、今はひどく真剣な面持ちでアバンに聞いた。

「それで……ポップの奴が熱を出し始めたのは、昨夜からなんだな?」

「私が気付いた限りでは、そうです」

 アバンの表情も、いつになく暗い。常に笑顔を絶やさない穏やかな先生の、常ならぬ緊張感がマァムに不安を呼び起こさせる。

「もっと……私がポップに気を配っていれば……」

「よして、アバン。それを言うなら私の方こそ……! ポップの看病に、もっと手を回すべきだったのよ」

「くだらねえ後悔をしてんじゃねえよ。どうせ発熱しだした段階で、すでに手遅れなんだ、おまえらのせいじゃない」

 突き放すそっけない口調ながら、マトリフは二人をなだめる。だが、アバンにしろ、フローラにしろ、少しも救われたようには見えなかった。
 その言葉で安堵できなかったのは、マァムも同じだ。

(手遅れ…って……?!)

 聞き逃せない言葉に、マァムは思わず息を飲む。その僅かな気配に、優れた戦士でもある勇者アバンは反応した。

「誰か、いるんですか?!」

 素早く扉を開けるアバンと、立ちすくんだままのマァムが、鉢合わせする。

「マァム……」

「ご、ごめんなさい、立ち聞きする気はなかったんだけど…でも…今の……手遅れって…いったい……?!」

 しどろもどろながら、マァムはそれを聞かずにはいられない。
 確かにポップの昏睡は、ここ数日のマァムやみんなにとって一番の気掛かりであり心配の種であった。

 だが、その心配はあくまでなかなか目覚めないポップに対する心配だ。今より状況が悪化することへの心配ではなかった。
 しかし……手遅れ、とは聞き捨てならない。

「先生……、教えて下さい!」

「…………」

 アバンの沈黙が、不安をより一層かきたてる。生徒の質問には何時でも穏やかな笑顔で返答してくれる先生の沈黙は、マァムに恐怖さえ感じさせる。
 沈痛に黙り込むアバンにかわって口を開いたのは、マトリフだった。

「……ったく。聞かれちまったからには、仕方がねえな。いいさ、教えてやるよ」

 いつもは年齢離れして軽い老魔道士の口調は、今はやけに苦々しかった――。

 

 


「結論から言わせてもらうぜ。ポップの容体が……よくねえ。はっきり言えば、ヤバいんだ」

 開口一番にそう言い切ったマトリフに、広間にいた全員が、ざわっとどよめいた。
 時刻は夕方。
 手掛かりのないままのダイ捜索を終えて戻ってきた一同を、広間に集めたのはマトリフの指示だった。

 どうせ説明するならまとめて話した方がいいと、マトリフは勇者一行のみならず全員の前で説明を開始したのだ。

(…………!)

 鈍い衝撃に、マァムは強く唇を噛み締める。
 昼間、盗み聞きしてからずっと、知りたかった説明が開始された――にも関わらず、マァムの不安は増すばかりだ。

「何度も話したい話じゃないからな」

 そう言って、マトリフは全員がそろうまではと、マァムに何も教えてくれなかった。あれからずっと、早く説明を聞きたいと思っていた。
 だが、実際に説明が開始されると……それは、少しも不安を解消してはくれない。むしろ、耳を塞ぎたくなるような代物だった。

「魔法使いの昏睡ってのは、通常、半日から丸一日程度で終わる。長引くってのは、実は感心しねえ。昏睡状態ってえのは、あくまで危機的状況を乗り切ろうとするための非常手段だ。長引けば、身体そのものに害が及ぶからな」

「そんな…っ…」

 思わず、非難じみた声を上げてしまったのは、マァム一人ではなかった。

「そんな大事なこと……っ、なぜ、教えてくれなかったんですか?!」

 とりわけ、大きな声をあげていたのはメルルだった。普段は控え目で物静かな少女が、今は顔色を変えて必死に抗議していた。

「言ったからって、別に起こす方法もねえからな。回りの連中を無駄に心配させるだけなのに、誰が言う気になるもんかね。それに長引くと身体に悪影響が出るっていってもポップはまだ若いし、体力もある。一週間以内に目覚めるなら、目くじら立てる程のこたぁねえ」

 マトリフの説明に、どことなく居心地の悪そうな表情を見せている者も数人居る。アバンやフローラ、それにパプニカの三賢者もそうだった。
 医療知識に詳しい彼等は、昏睡が続く危険を最初から知っていた。

 それだけに、眠っているとは言えポップが無事だと喜んでいる仲間達に、とても真実を言えなかったに違いない。

「ただ眠っているだけなら、よかったんだが。だが……昏睡状態にも関わらず発熱しはじめるって病状は、ヤバいんだよ」

 容赦なく追い討ちをかけてくる真実に、マァムは胸に切り込む痛みを実感する。
 昏睡のままの発熱――それこそが、今のポップの状態だった。

「本来なら、昏睡状態の魔法使いの体温は低下する。それができてねえってことは……その魔法使いは、魔法力や体力を調整できないぐらい衰弱してんだよ。微熱って症状にしか見えないから傍目からじゃ分からんだろうが、こうしている間もポップはどんどん弱っている。魔法力を回復する前に低下させた体力が尽きてしまえば……待っているのは、死、だけだ」

 大きく息を飲む音が重なった後、広間を沈黙が支配する。
 唯一の望みを絶たれた、絶望感がもたらす沈黙。
 その重さの中から、やっと口を開いたのはマァムだった。

「……な…何か、方法は…? ポップを助ける方法が、なにかあるんでしょ、マトリフおじさん!」

 孫にも等しい存在の少女の懇願に、マトリフは辛そうに首を左右に振った。

「……目覚めさせる方法なんか、あるってんならオレの方が聞きてえぐらいだぜ」

 マトリフの声が、深い苦みを帯びる。どうにも持ち切れない重荷を背負わされた人間のように、マトリフの表情には言うに言われぬ疲れが見えた。
 だが、それでも老魔道士は告げるべきことを、全員に教えてくれた。

「正直、手の施しようがねえ……! オレぁ今まで、何人もの魔法使いが昏睡から起きれないまま、永遠の眠りに就くのを見てきた。その度に手を変えて、様々な方法を試してみたが……一度発熱した魔法使いを助けられたことなんか、ねえよ。
 オレに分かるのは昏睡による発熱の限界くらいか……。このまま目覚めなければ、後…3日と持たないだろうぜ」
                                                    《続く》

  

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