『夜明け前 4 ー暗闇ー』

   

(……暗い。…なんで、こんなに暗いの…?)

 振り払おうにも振り払えない闇。
 その真っ直中にマァムはいた。まとわりつくような闇は、どこまでも続いていた。ほんの少しの明りすら、見えない冥い闇。

 押し潰されるような圧倒的な闇の中で、マァムは無意味にもがきながらも分かっていた。 これは、夢だ、と。

(目覚めなきゃ…早く……)

 焦りながら、マァムは無限に続く闇の中でもがく。
 夢と分かっていても、その闇はどこまでも冥かった――。

 

 

「……あ…」

 小さく声をあげ、マァムは周囲を見回す。
 目覚めても、周囲は闇の中だった。
 一瞬の戸惑いの後、マァムは自分がどこにいたのかを思い出す。

(…そうか…、そうだったわね…)

 今、マァムがいるのは北の砦周辺の深い森の中だ。木の根元に寄り掛かって一休みしただけなのに、いつの間にか寝入ってしまっていたらしい。

 今は、夜。
 星も月の見えない暗さは、森の木立ちがその光を遮っているせいだ。だが、実際以上に闇が暗く感じられるのは――マァムの心理状態のせいだろう。

(行かなきゃ……)

 ふらりと立ち上がったマァムは、歩き出す。夜の森は歩きにくく、また、ほんの短い仮眠を取っただけの身体は疲れが抜けるどころかかえって冷えきってしまい、疲れが増している。

 だが、マァムは北の砦に向かうことなく、森の奥へと向かっていた。
 理屈では、一度本部に戻って休み直した方がいいと思っていた。だが、とてもそうする気にはならない。

 時間が、ないのだ。
 なんとしても、ダイを探しださなければならない。その想いが、脅迫観念となってマァムを急き立てる。

 マトリフの口から衝撃の真実を聞かされてから、すでに二日の日が過ぎてしまった。なのに、ポップは目覚めないままだ。脳裏から離れないのは、マトリフの言葉だった。

『奇跡でもおこらなきゃ、無理だな』

 ポップを助ける手段はないかと食い下がる一同に、マトリフはそっけなくそう答えただけだった。世界で有数の英知を持つ魔法使いでさえ、匙を投げ出したのだ。

『奇跡の起こし方なんざ、オレにゃわからねえよ。むしろ、おまえらの方が詳しいんじゃないのか』

 その言葉に、一同は思わず目を伏せてしまった。
 奇跡を起こす力。
 ――そんなものは、ない。

 勇者一行は今まで何度となく奇跡の逆転を重ねて、魔王軍との戦いに勝利してきた。世間の人々は、勇者達が奇跡の加護に守られていると信じてやまないだろう。だが、当事者である勇者一行は知っている。

 奇跡の力など、なかった。
 限界を越えて力を振り絞り、どこまでも諦めずに万に一つの勝機に挑む。勇者一行の戦いとは、その繰り返しだったのだ。

 それこそ敗北と紙一重の、ほんのわずかな差で勝利を手にできた幸運を奇跡と呼ぶなら、それを一行にもたらした者はここにはいない。
 奇跡の力を持っているのは、勇者であるダイと……今、眠っているポップ自身だ。

 誰もが敗北に打ちひしがれる時も、勝利を信じて立ち上がれるのがダイであり、そのダイが迷い、立つ力をなくした時に希望を与えられるのがポップだった。
 だが、その両者がいない今、どうやって奇跡を起こせばいいのだろうか――?

「……ダイを…探しましょう。ダイなら……ダイなら、きっと」

 すがりつく想いで、マァムはやっとそう言った。
 ダイは今まで、何度となく奇跡を起こしてきた。ポップの危機を、不思議な能力で察知したことも度々ある。ダイならば、ポップを救えるかもしれない……その希望は確かにある。


 そこまでは、皆、賛成してくれた。
 だが――、ダイは見つからないままだ。日が経つに連れ、捜索の無意味さが身に染みてくる。

 昨日の段階で、すでにこの付近の捜索は完了している。結果は、徒労に終わった。ダイが移動呪文で避難した可能性も考えて、レオナは各国の王に連絡を入れて協力を願ったが、現在の段階では否定的な返事が戻ってきたのみだった。

 今となっては勇者一行の指揮者の役割を背負ったレオナは、昨日の夜の段階でダイ捜索の一時停止を決定した。
 勇者一行の疲労の高さを見兼ね、北の砦周辺を繰り返し探すだけの効率の悪い捜索をやめた方がいいとの判断だ。

 今までの捜索状況から見て、ダイがこの付近にいるとは到底思えないと判断したのも、その大きな理由だろう。
 勇者一行による捜索を打ち切った代わりにレオナは各王国に協力を仰ぎ、勇者の捜索範囲を全世界に広げて大掛かりに探す方針に変更した。

 それは一行ばかりではなく、ポップを慮っての決断でもあった。
 ポップは目覚めないままだ。
 穏やかな眠りの中でポップはゆっくり、ゆっくりと衰弱していく。

 見た目には何の変化もないが……、日々、深刻化していくマトリフとアバンの表情が、ポップの病状の悪化を教えてくれる。
 現在、ポップを起こすために、一行の全員が交替で看病に当たっている。

 目覚めさせる方法がないなら、それこそ奇跡を祈ってポップに呼び掛けるぐらいしかできることはない。
 意識不明の患者が、家族や親しい人からの呼び掛けにより、奇跡的に目覚めるのは有り得ない出来事ではないのだから。

 それは同時に、レオナからの一行への思いやりでもある。もし、ポップがこのまま目覚めないのだとしたら――彼と共に過ごす時間を持てないまま最後の時を迎えるのは、あまりにも残酷だろうから。

 だが、マァムだけはポップの看病に加わらないままだ。
 彼女は捜索打ち切りを言われた後も、まだ、ダイを探すのをやめられなかった。レオナや皆に止められても、マァムは頑として意地を貫いた。

(…絶対に……、絶対、ダイを探すの……!)

 寝る時間や食事の時間も惜しいからと、マァムは北の砦に戻らないまま付近の森を歩き続けていた。夜の闇の中では捜索がはかどらないのは承知しているし、そもそもマァムが今うろついている場所はすでに何度も捜索が行われた場所だ。

 そんな場所を単独で探すなど、効率が悪いにも程がある。
 それこそ奇跡的な幸運でも起こらない限り、ダイは見つからないに決まっている。
 有り得ない偶然に頼った捜索は、すでに捜索ではない。

 自覚はしていないだろう。
 だが、マァムをつき動かしているのは、希望ではなく不安だった。
 ポップが徐々に弱っていく姿を間近で直視するよりも、自分を苛める程に身体を動かしている方が、まだしも楽だった。

 ダイを探すことだけに専念し、身体を動かしていさえすれば、この絶え間ない不安から少しは逃れられる気がする。
 ポップが死に直面している事実から目を反らし、マァムはひたむきに歩く。
 と、その時、空に上がった照明弾の光が見えた。

「あれは……」

 一瞬、空を明るく染めて消え去った照明弾。
 それは、パプニカ王国特製の信号弾だ。火薬の調合に工夫を凝らし、色違いの弾を自在に打ち出せるのがこの国だけの技術だ。それを応用して、パプニカでは遠方にいる味方とは信号弾によって連絡を送り合う。

 信号の種類は数多くパプニカ秘伝の物もあるので、パッと見ただけですべてを判別するのは難しいが、今上がった黄色味を帯びた色合いはマァムも知っている合図だった。
 『集合』を促す信号弾。
 現在ダイ捜索を行っているのはマァム一人だから、今のはマァムに対する物だろう。

(どうしよう?)

 一瞬、マァムは迷う。
 マァムは別に、パプニカの人間と言うわけではない。勇者一行の一員としてパプニカ王国とは協力してきたが命令に従う義理はないし、またパプニカ王女であるレオナの方だって命令を振りかざして行動を制限したことなんかない。

 こんなことは初めてだ。
 無視してもよかったが、忘れ切れない恐怖が心に引っかかる。
 もし、今の信号弾が……ポップの具合の急変を知らせるものだとしたら?

「ポップ……!」

 マァムはさっきまで以上の早さで、北の砦に向かって走り出した――。

                                                《続く》
 

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