『お風呂でモシャス 3』

  

「えぇえええっ!?」

 悲鳴を押さえきれなかったのは、無理もない。というか、むしろ、よくぞ悲鳴だけですませたと褒めてほしい。

 なにせ、ここは城の二階なのだから。
 通常の民家で言えば優に屋根の上以上の高さから、真っ逆様に落下する感覚にエイミは堅く目を閉じた。

(もっ、もお駄目っ……! お母さん、お父さんっ、短い人生でした……っ!)

 束の間、脳裏を巡った走馬灯。
 が、地面に叩きつけられるかと思った瞬間、逞しい手ががっちりと自分を支える。多少の衝撃は感じたものの、痛みは全くなかった。

 何が起きたのかとそーっと目を開けると……ダイが自分を抱きかかえているのが見えた。自分よりも大きい人間を平気で抱えてはいるが、重さはともかくとして油断すると引きずりそうな大きさにてこずっているらしい。

 それでも、割合そっと地面に下ろしてくれた後、ダイは不思議そうに聞いていた。

「ポップ、なにやってんだよ?」

 呆れられたように聞かれたが、エイミにしてみればそれどころじゃない。一歩間違えていたら自殺まがいのこのダイビングに、心臓がいまだにバクバク脈打っているのだから。

「な、なんでもなにもっ、いきなり窓から飛び下りるなんて……っ、無茶苦茶すぎ……っ」

「なんで? いつもみたいに飛べばいいのに」

 あっさりと返され、エイミは脱力感を覚えた。
 ……そりゃあ本物のポップなら、飛べるだろう。飛翔呪文はポップの得意呪文の一つだし、よく考えれば彼がひょいひょいと窓から飛びたっていくのをエイミは何度も見掛けた覚えがある。

 が、見るのと実際に自分でやるのとは、大違いだ! ましてや、エイミは飛べやしないのだから。

 それに、たとえ飛べたとしたって、こんな寿命が縮むような真似などしたくはない。できることなら、もう二度と。
 しかし、ダイは休む暇すら与えてくれなかった。

「急ごう、あっちだ!」

 煙がもうもうと立ち上がる方向に、ダイはすかさず走り出す。それを見て、エイミも反射的にその後を追った。
 ポップのふりをしていなかったとしても、パプニカ三賢者の一人として、エイミには国民を守る義務があるのだから。







 
「助けて! 助けて! まだ子供が……っ、子供が中にいるの、放してぇっ!」

 火の燃え盛る音を遥かに凌ぐ大きさで、悲痛な絶叫がこだまする。半狂乱になり、自分を取り押さえようとする人間の手を振りほどこうともがく女性の姿が、哀れだった。

 半分近く燃え落ちた倉庫に、人々が必死になって水を掛けまくっている。
 その中には、クロコダインやヒュンケルの姿も混じっていた。エイミと同じ三賢者である、アポロやマリンの姿も見える。
 だが、炎は人々の努力を嘲笑うように、ますます強まるばかりだ。

「ヒュンケル! まだ中に人がいるのかい!?」

 仲間に駆けよったダイは、真っ先にそれを聞いた。

(ヒュンケル……!)

 こんな時だというのに、彼を間近にしてエイミは胸の高鳴るのを感じる。

「ああ、何度も確認してもらったが、子供の数がどうしても二人足りない」

 ほとんど表情を動かさず、淡々と事実を告げるヒュンケルを冷たい人間と感じる者は多いだろう。
 だが、わずかに寄せた眉に、彼の苦悩が読み取れた。

「しかも、まずいことに、子供達はどうやら別々の場所にいるらしいんだ。一人は二階にいると見当はついたんだが、もう一人はどこにいるのか……」

 見上げるような巨漢のクロコダインが、唸るようにそう呟く。

「とにかく、一人は二階なんだね? なら、ポップ、飛翔呪文で上から……」

「だ、だめっ、それ、だめ!」

 ダイの言葉を最後まで言わせず、エイミは激しく首を振る。あまりに激しい拒絶に、ダイばかりかヒュンケルやクロコダインまでが不思議そうに自分を見るのに気づいて、彼女は慌てて取り繕った。

「い、いや、今日はちょっと……体調悪くて、魔法のコントロールできなくって……!」

「そうだったのかー。大丈夫、ポップ?」

 いかにも心配そうに、ダイが除き込んでくる。
 自分でも苦しいと思う言い訳を、こうもあっさりと信じ込まれるのも、なにやら複雑である。

「じゃ、オレが飛翔呪文で二階に行くよ」

 疑いを知らない勇者の少年は、空に飛び上がった。ふわり、と言いたいところだが、それほどのすんなり感はない。魔法の力を借りて空を飛んでいるのは確かだが、ダイは時々地面や壁を強く蹴って勢いや反動をつけなければ、方向転換ができないらしい。

 ぎこちなさの残る飛翔を見ながら、エイミは罪悪感を抱かずにはいられなかった。
 勇者一行の中で飛翔呪文が使えるのはダイとポップだけだが、より上手いのはポップの方だ。

 もし、この場にいるのが自分ではなく本物だったら、即座に二階に飛び上がって、子供を救出できていただろう。…………まあ、実際問題から言えば、ここに今、本物が登場すればエイミが一番困るはめになるのだが。

 運良くといっては語弊があるが、これだけ火事の炎や煙が燃えているのにポップがやってこない以上、彼が近くにいないのは確かなようだ。火事の見える範囲にいるのなら、ポップは必ず瞬間移動呪文で飛んでくるはずだ。

 だが、ポップの援護が期待できない以上……化けた責任として、何かせずにはいられなかった。

「ヒャド!」

 両手を伸ばし、目一杯の魔法力を込めて放った氷系呪文。
 しかし――効き目は自分でも情けないほどにショボかった。炎に対して多少の氷なんて、焼け石に掛ける水以上に役立たずだ。

(ううっ、もっと呪文の勉強をしておけば良かった!)

 今更激しく後悔しても何の役にも立たないが、そう思わずにいられない。さらには、今の魔法で本物のポップじゃないとバレなかったとヒヤヒヤもしてしまう。

 火炎系呪文の方が得意とは言え、ポップは氷系呪文も相当なレベルで使いこなせるのだから。

 が、幸いにも、消火に夢中になっている皆は、魔法の威力の差にまで注意が回っていないようだった。それにホッとしつつも、エイミは魔法の効力を少しでもあげようと、火に包まれた倉庫へと近付いた。

 炙られる熱さと熱気に息が詰まるが、ほとんどの呪文は至近距離からぶつけた方が効果を増す。
 ダイの援護のために、二階の方に向かって魔法を打ち出そうとして――エイミは、炎の中から小さな声を聞いた。

(え……?)

 聞き間違いかと思えるような、一瞬だけ聞こえた声。かすれ気味のその声は、火の音と言われればそうとも思えるような曖昧さだった。
 しかし、もし、その声が本物だったとしたら……。

「ヒャドッ!」

 窓に叩き付けた呪文は、一瞬だけ火の威力を弱めたにすぎない。が、その瞬間に、中に人影らしき者を認めた。

「見つけた!」

 無我夢中だった。
 考えるよりも早く、エイミは炎の中へと飛び込んでいた。
 冷静さや思考力では使えるべき姫に遥かに劣り、知識や魔法力では他の二人に引き放されているエイミが、三賢者に選ばれた一番の理由が、これだ。

 その正義感と抜きんでた行動力を買われ、エイミは未熟ながらも三賢者として選ばれたのだ。
 火のついた窓をくぐり抜けるという、ある意味ではさっき以上に危険なダイビングをこなして、エイミは中に転がり込む。

 中は、思った以上に火の回りが遅かった。
 しかし、窓やドアなど、外に通じる部分はまっさきに炎に包まれているせいで、逃げ道がまるでない。逃げあぐねて泣いていた子供は、びっくりしたようにエイミの方を見た。

「よかった……無事? もう大丈夫、こっちにおいでなさい、お姉ちゃんが……」

 言いかけてから、エイミは苦笑して言い直した。

「お兄ちゃんが、必ず助けてあげるから」

「……ぁぁ……あ、ふぇーーーんっ」

 まだ幼い女の子は、泣きながらエイミにしがみついてくる。その小さな身体をしっかりと抱きかかえ、エイミはここから脱出するために窓へと向き直ろうとした。

「ポップ、危ない!」

 聞こえたのは、ヒュンケルの声。
 だが、自分の名で呼ばれなかった注意に、エイミの反応は一瞬遅れた。ガラガラっと派手な音を聞いて、初めてエイミは身に迫る危険を自覚する。

 燃え盛る二階の床が、崩れ落ちながらエイミと子供の頭上に降り懸かってきた!

「……っ!?」

 悲鳴も上げられずに立ちすくむだけのエイミを救ったのは、一陣の風だった。

 突風のように吹き抜けた風。その後で、派手な轟音を立て、炎を撒き散らしながら瓦礫が飛び散っていく。それが、ヒュンケルの卓越した剣技の仕業と気付くまで、一拍の時間が掛かった。

「ポップ、こっちだ!」

 壁に大きく開いた穴の向こうから、ヒュンケルが手招きする。さっきくぐり抜けた窓とは比べ物にならないぐらい安全な逃げ道を、走り抜けるのはたやすかった。

 エイミが走り出るとほぼ同じくらいに、ダイもまた子供を抱えて地上に降りる。少しばかり年下とはいえ、10歳前後の男の子を抱きかかえるのは少々やりにくいのか、飛び上がった時以上にその動きはぎこちない。

 だが、もう一人の子供も無事と知り、エイミはホッとしてその場に蹲る。夢中になったあまり、火からもかなり離れた場所まで走っていたから、もう大丈夫だろう。

「マ……ママッ! ママーッ」

 胸の中の子供が騒ぎ、エイミの腕を振りほどいて一人の女性の元へと走っていく。さっきまで炎に中に飛び込みそうな勢いで暴れていた女性は、今は喜びの涙を零しながら駆け寄ってきた二人の子供を抱きしめていた。

(よかった……)

 これでもう、問題はほぼ片付いたも同然だった。
 中にもう救助者がいないと分かった途端、ヒュンケルとクロコダインは一転して建物を破壊に取りかかった。

 一見乱暴に見えるが、延焼を防ぐにはそれが最適だし、ここまで燃えてしまった建物ならば、いっそ壊した方が再建も早い。

 それこそ、あれよあれよいう間に建物は完全に破壊され、火災騒ぎは完全にカタがついた。まだ小火程度の燻りは残っているし、後片付けという大仕事が残っているとはいえ、勇者一行が手を貸せる部分はもう終わったといっていい。

 沈火に従って先ほどまでの緊迫感が消え、人々の動きもどこか緩慢なものに変わっていく様を、エイミは地べたに座り込んだまま眺めていた。

 夢中になっている時は気がつかなかったが、気が緩んでみるといかに自分が大胆な真似をしてしまったか、しみじみと思い知る。今になってから怯えがでてきたのか、手足が細かく震えていた。

「大丈夫か?」

 声を掛けられ、ドキンと心臓が跳ね上がった。

「ヒュン……ケル」

 カアッと、顔が赤くなるのを自覚する。
 夢のようだ――そうとさえ思った。ヒュンケルの方が、近寄ってきてくれるなんて。しかも、自分を心配してくれている。

 一瞬、有頂天になりかけたエイミだが、次の彼の一言がどん底まで引き落としてくれた。

「どこか怪我でもしたのか、ポップ?」

(………………あ、そう言えば……私、ポップ君だったんだっけ……)

 今、地面に座っていて良かったと、エイミは心から思った。もし、この台詞を立ったまま聞いたのなら、落胆のあまり必ずや地面に膝をついただろうから。

「……だ、大丈夫。怪我なんかしてないから」

 そう答えて起き上がろうとした時、スッと、無言で手が差し伸べられた。

「……!」

 自分に差し延べられたわけじゃない。そうと分かっていても、やはり嬉しかった。

「あ、……ありがとう……」

 予想していたよりもずっと大きな手に助けられて立ち上がりながら、エイミはこの時間が長く続けばいいと願う。
 ――が、願いは空しかった。

「へえ、珍しいこともあるものだな、おまえさんがそんなに素直に礼を言うとは。ははっ、今日は雪でも降るのかな?」

 からかうような声に、ぎくっとして振り向くと……そこには、当然のようにクロコダインやダイ達がいた。

(い、今のはまずかったかしら……!?)

 猛烈な焦りに、血の気が引いたのか、あるいは逆に上がったのか、よく分からない。

 確かに、今のはちょっと不自然だったかもしれない。ポップは、ヒュンケルに対しては常につっかかるような態度を取る。それはエイミも何度となく見た覚えがあるし、仲間である彼らにとっては馴染みの光景だろう。

 が。
 理性ではそうと分かっていても、エイミにとってはヒュンケルにつっけんどんな態度を取るなんて、不可能だ。

 そんなの、できっこない。
 それぐらいなら、レオナにタメ口を聞く方がまだしも楽というものだ。

(ど、どどどうしよう、怪しまれたかしら!?)

 動揺の余り、エイミの思考は一気に飛んでしまう。他人の真似をしているという弱みがある以上、すぐにそれがバレたんじゃないかと不安が込み上げる。
 一人で慌てふためくエイミだが、その時、救いとも言える声がかかった。

「みなさん、ご苦労様です、ご協力に感謝します。後片付けは私達がやりますから、みなさんはもう休んでくださいな」

 姉のマリンがにこやかに笑いながら話しかけてきたおかげで、自分への注意が逸れた。

(ありがとうっ、ナイスよ、姉さんっ!)

 内心拝みたい気分で感謝し、エイミは惜しいとは思いつつ、そそくさとヒュンケルから離れて逃げ出そうとする。

 このまま一緒にいればいつボロが出てもおかしくはないし、口の中の飴も、すでに半分ぐらいに減ってしまっているのだ。ここはそろそろ、逃げ時というものだろう。
 が、離れようとした自分に、いち早く気付いたのも、また、マリンだった。

「あら、ポップ君、どこに行くの?」

「え……、あ、いや……その、汚れちゃったから、着替えようかなー、なんて」

「あら、それなら丁度いいわ。城の浴場に連絡を入れておいたから、すぐに入れるわよ。みなさんもお疲れでしょう。どうぞ、ゆっくりと一風呂浴びてくださいね」

「な……っ!?」

 強すぎる驚きが、エイミから言葉を奪ったのはある意味幸いだったのだろう。
 喋れたのなら、エイミはこう絶叫しただろうから。

(な、なんてこと言うのよ、姉さんのバカぁーっ!?)

 風呂。
 もちろん、エイミだって年頃の娘として風呂は好きな方だし、こんな風に汚れた時は率先して入りたい。
 が、……がっ、いくらなんでもこの状況でそう言われて喜べるはずがない!

「おう、それは有り難いな。たまには昼風呂としゃれこむか」

「そうだね、行こうよ、ポップ」

 クロコダインやダイに挟まれ、エイミは進退窮まった表情で周囲を見回す。こうなったら、なりふり構わずに逃げ出すしかない。
 が、そんなエイミの気も知らないダイは無邪気なものだった。

「あ、もちろん、ヒュンケルも行くよね?」

「そうだな、たまには付き合うか」

(う……!)

 逃げ出そうとした足が、ぴたりと立ち止まる。
 それは決して、ヒュンケルが風呂に入るのを見たいと思ったから生まれた迷いではない。……いや、そんなスケベ心が微塵もないと言い切ってしまっては、それもまた嘘になってしまうが。

 しかし、エイミの名誉のために言うのならば、それは単純な性欲や好奇心とは違う感情のせいだった。

 エイミに限らず、女性は男性のように未知の肉体に直裁な関心を抱きはしない。ましてや未体験の乙女であればなおさら、異性の身体よりも心の方に、より強くの関心を感じる。

 普段、決して人を側に近付けず、くつろいだ表情を見せないヒュンケルが、いつもと違う顔を見せてくれるかもしれない。
 その希望が、エイミの迷いに背を押した。

 さらに、口の中にはまだモシャス玉がある。もう、半分しか残っていないと見るべきか。それとも、まだ半分もあると思うべきか。
 そう――これは、二度はないチャンスなのだ。

(え……ええーいっ、女は度胸よっ!)

 覚悟を決め、エイミは自分から進んで浴場へと進んだ――。

                                                 《続く》

 

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