『レストア 3』 |
「そう……マァム、もう行くのね? ポップ君も……。二人とも気をつけて、頑張っていらっしゃい」 かつての大勇者アバン一行の僧侶だったレイラは、以前、マァムを送り出してくれた時と同じ様に、穏やかな笑みで二人を見送ってくれた。 「おばさん……その、大丈夫なんですか?」 立ち去り難い様子でレイラに声をかけているのは、ポップだった。だがマァムは、ためらいを見せなかった。 「……行ってきます、母さん」 そう挨拶した後、マァムは後ろを振り返らないまま村を出る。 「え、あ、おい、待てよ、マァム! じゃ、おばさん、失礼しますっ」 一早く歩き出したマァムを追って、ポップもまた村の外へと出る。
やっと、ポップがマァムに追いつくと、彼女は堅い声で告げた。 「……もちろん、帰るはずないわ。まだ日は高いもの、もっとダイを探せるわ。ポップ、次の心当たりへ、ルーラして」 「そんなこと、言ってるんじゃないだろう?! いいのかよ、このままネイル村を放っておいて!」 長老から聞かされたネイル村の現状は、ひどいものだった。 だが、魔王が倒されて怪物が少なくなった今……皮肉にも真っ先にそれに目をつけたのは、こともあろうに山賊や盗賊達だった。 今は怪物が少ないとはいえ普通の人ならば恐れて踏み込まない森は、人目を避ける山賊にとっては絶好の隠れ家となってしまった。いまや魔の森は悪党どもの溜まり場となり、近隣の村や町を襲う拠点になっているという。 そんな中、魔の森の真っ直中にあるネイル村が無事にすむわけがない。行き掛けの駄賃とばかりに、村を襲う山賊が絶えないのだという。男手の足りない村では自衛もままならず、ネイル村は何度となく損害を被った。 死者こそは出ていないものの、怪我人は言うに及ばず悪党に乱暴された娘まで出ている始末だ。 彼らが森を荒らしているせいで、魔王の支配を断ちきられて落ち着いたはずの怪物が、再び暴れだしている。攻撃的な悪党に中途半端に攻撃されるせいで、人間を過剰に恐れるあまり凶暴化した怪物達の被害に遭うのもまた、善良な村人だった。 ある意味では、ネイル村は魔王軍との戦いの最中以上に悲惨な状況に陥っていると言える。 村とあまり関わりがないポップでさえショックを受ける惨状に、ネイル村をこよなく大切に思っているマァムが傷つかないはずがない。 「マァム……おまえ、村に帰った方がいいんじゃないのか? もう魔王は倒したんだ、それで構わないじゃないか。村の人達だって、それを望んでいるんだろうし……」 言いながら、胸がちくりと痛む。 なにより、こんなに辛そうな彼女を見ていたくはなかった。 「……駄目。まだ、帰れない」 「マァム、なんで――」 「だって、まだダイが見つかっていないわ!」 悲鳴に近い声で、マァムが叫ぶ。 「確かにネイル村は気になるわ! だって、故郷だもの……でも、ダイが気にならないはず、ないじゃない!! だって、仲間だもの……っ!」 こらえ切れない涙が、マァムの頬を伝う。 故郷が気になりこのままとどまりたい気持ちと、ダイを探したい気持ちの板挟み――それが、マァムを傷つける。 それに、気になるのはダイだけではない。 死線を彷徨い、マァムの呼び掛けでやっと戻ってきたポップ。 「いなくなった仲間を忘れて……! 傷ついた仲間を放ってなんて、故郷には帰れないわ……! そんなこと、絶対にできない…」 泣くマァムに、ポップはぎこちなく肩を貸す。 「……分かったよ、無神経なこといって悪かった。……ごめん。だから、泣くなって、マァム」 彼女を宥めながら――ポップはなんともいえない無力感を噛みしめる。 世界に平和をもたらした勇者が、行方不明になる。平和になったがゆえに、悪党がのさばりだす。 ただ、マァムに喜んでもらいたい――そう思ったからこそネイル村に連れてきたのが、こんな形で裏目にでるとは……。 (傷ついた仲間から離れたくない、か……。そうだよな、やっぱ…) 自分のことになると鈍いポップには、マァムが指す『傷ついた仲間』が、自分自身のことだなんて思いもしなかった。
嗄れた声が、朗々と呪文を詠唱する。 そして、その前に立って呪文を唱えているのは、世界で最高峰と謳われる年老いた大魔道士だった。 彼が呪文を唱えるだけで、神殿内の雰囲気が変わる。 「その慈悲深き御手を持て、この者の傷つきし身体を癒さんことを……全回復魔法」 その瞬間、神々しいぐらい眩い光が、若い戦士の身体を包む。 今は実戦を退いた隠居の身であるとはいえ、15年前の勇者一行の一員でありパプニカの宮廷魔道士を務めた経験を持つ彼が、この国……いや、世界でも随一の魔法の使い手であることに疑いの余地はない。 「……駄目だな、こりゃ。残念だが諦めな。おまえさんを回復魔法で治すのは、まず不可能だろうよ」 「マトリフ……!」 非難とも落胆ともつかぬ声をあげたのは、魔法陣の外で愛弟子の治療をじっと見守っていたアバンだった。昔馴染みの友人の顔をあえて見ないまま、マトリフは苦い口調で説明をする。 「アバン、おまえだって分かっているだろう? この男の身体に刻まれた傷を考えれば、生きているのが不思議なぐらいだ。魔法で傷を治そうにも、負担を掛け過ぎたせいか回復能力を司る部分が完全にイカれちまっている。回復魔法そのものを受けつけないんじゃ、正直お手上げだ」 「…………」 アバンは俯いて、無言のまま唇を噛み締める。 だが、思わずにはいられなかったのだ。 「気の毒だが、剣は捨てるこった。おまえさんは、もう戦士としちゃ死んだも同然だぜ」
「……覚悟は、できています」 魔剣士ヒュンケル。 彼の身体は、戦いでの酷使によって極端に弱まってしまっている。 もっともそんな診断を受けるまでもなく、ヒュンケルはそれを充分に自覚している。 正直な話、今の段階では日常生活にさえ触りがでそうな程、体力が落ちきってしまっている。 パプニカ一の回復魔法の使い手であるレオナや、学者の家に生れ医療知識に詳しいアバンなど、ヒュンケルは何度も多くの優れた使い手からあらゆる治療を受け、繰り返し回復魔法をかけてもらった。 だが、結果は同じだった。 しかも、世界有数の知識を誇るマトリフが直々に、魔法の効力を高める魔法陣を用意した上での施行だった。 ここまで整えられた条件で成功しなかったのならば、もう、望みはあるまい。 「ご助力、感謝します」 生真面目に礼を言うヒュンケルに、マトリフは苦虫を押し潰したような顔で返答した。
憎まれ口を叩く老魔道士に、ヒュンケルはそれでももう一度頭を下げる。 捨てるまでもなく、今のヒュンケルにとっては持つのすら困難と知った上で、彼はそう言ってくれたのだ。 戦いを生きがいとして育ち、比類無き武芸を身に付けた人間にとっては死刑宣告にも等しい言葉だが、ヒュンケルは自分でも意外なくらい冷静にそれを受け止めていた。 以前は、武芸の腕と、復讐だけが彼のすべてだった。 だが、今の彼にとって復讐など無意味なことだ。 「…ヒュンケル……!」 不安そうな声音で自分を呼ぶ声を聞き、ヒュンケルの顔に自然な微笑みが浮かぶ。 (ヒュンケル……) 彼に一途な眼差しを注ぐのは、パプニカ三賢者の一人、エイミ。三賢者と言うと厳めしい印象がつくが、彼女はまだ18歳。 これほどの美女から想いを寄せられれば男冥利に尽きるというものだが、ヒュンケルはエイミを振り向いてはくれない。 悪に荷担し魔王軍の一員として人間を攻めた過去を、ヒュンケルは今となってはひどく悔いている。
ヒュンケルとその仲間であるマァムが、恋とまで言えなくても特別な感情を互いに持ちあっていると知っても、想いは押さえきれない。 「そんな顔をするな、マァム。分かっていたことだ」 不安そうな顔をしている彼女を軽く慰めてから、ヒュンケルは誰かを探すように左右を見回しながら聞いた。 「いつ戻ってきたんだ?」 「おまえの治療呪文の詠唱が始まった頃だよ」 マァムへの疑問を横取りしたのは、ポップだった。 「師匠、おれもそっち行っていいかな? ちょっと試してみたいんだ」 軽い口調ながらそう発言したポップに、その場にいた全員の注目が集まった。 ポップが賢者の能力に目覚めたのは、バーンとの最終決戦の直前だったために回復魔法を使う機会は少なかったものの、その実力は誰もが認めている。 だが、バーン戦の直後から昏睡していたせいもあり、今までヒュンケルの治療には関わらなかった。 「やりたきゃやってみな。可能性は薄いが、ダメモトで試すだけ試してみても損はあるまい」 老魔道士と入れ違いに魔法陣の中に入ったポップは、ヒュンケルの真正面に立って軽く目を閉じて呪文を唱えだした。 さきほどマトリフが一番最初に唱えた呪文と同じ物のようだが、老魔道士の身体が青白い光に覆われていたのに対し、ポップの身体を包む光はどこか緑色を交えた柔らかい色合いだ。 ここまでは、ヒュンケルには見覚えのある光景だった。 全身が光に覆われるのと同時に、ポップは目を開けた。 かすみがかった目と全身を燐光で覆われたせいで、今のポップは別人のように神秘的な雰囲気に満ちている。 ヒュンケルをじっと見つめ、ポップはその手をゆっくりと伸ばしてくる。だが、ヒュンケルの胸板に触れかけた手は、まさに届く寸前でその動きを止めた。 「ポップ?」 心配そうな声は、マァムの物だった。 「……やっぱ、やめだ。魔法で診て、はっきり分かったよ。やるだけ魔法力の無駄だ」 ポップの身体から、魔法の輝きが消え失せる。肩を竦めて魔法陣から出ようとするポップを見て、レオナが咎めるように声を掛けた。 「ポップ君。君でも、難しいの?」 「ああ。正直言って、正攻法じゃ手も足も出ないよ」 挑戦もせずに諦めるなど、ポップらしくもないと誰もが思った。だが、誰もそれ以上、あえて試せとは言わなかった。 ポップが回復魔法を覚えたのはバーン戦との決戦の最中のこと……言い換えれば、ほんの2週間前だ。いかにポップが魔法に関しては天才的な勘を備えているとはいえ、経験が少なすぎる。 さらに言うのなら師であるアバンやマトリフを上回る知識など、その弟子であるポップは持ってはいまい。それを思えば過剰にポップに期待をかけるのは、かえって酷と言うものだろう。 「そう……なの」 マァムはがっかりとした様子を隠せない。ヒュンケル本人よりも、それは強いようだ。 だが――悪いと思いつつも、エイミはこの結果を密かに喜ばずにはいられない。 深い慙愧の念に駆られるからこそ、ヒュンケルは自ら過酷な戦いの中に飛び込んでいく。だが、戦えなくなればそれもできないだろう。 エイミの希望から言えば、ヒュンケルが戦いを止めてこのパプニカにとどまってくれるのが、一番望ましいのだから。その意味で、エイミとってポップは最後の希望ではなく、最悪の結果をもたらすかもしれない恐怖の対象だった。 そのポップが、ヒュンケルの治療から手を引いたのを見て、彼女は心の底からホッとせずにはいられない。沈む一同に後ろめたさは感じるが、それが彼女の本心だった。 「ところで、姫さん、これから図書室の本を何冊か貸してもらってもいいかな? ちょっと調べておきたいことがあるんだ」 魔法陣から何の未練げもなく出てきたポップは、もはやヒュンケルには用はないとばかりにレオナに向かって声をかける。 中には持ち出し禁止の貴重な書物も多いので、信用の置けない人間にそうそう貸出できるものではない。まあ、貸出したところで一般人であれば、難解すぎて読みくだせないだろうが。 どちらにせよポップならば両方とも問題がないので、自国の物に関しては全ての決定権を持つレオナは鷹揚に頷いた。 「構わないけど……捜索後で疲れているんじゃないの?」 「別に疲れてなんかないよ、早めに戻ってきたし。それに、そんなに長くかかる調べものじゃないんだ。夕飯前までには終わるって」 「それならいいんだけど。……じゃ、アポロ、ポップ君を図書室に連れていってあげてくれる?」
「うん、これだけでいいよ。これなら、読むのもそんなに掛からないし」 ポップが選んだのは、回復魔法についてかかれた古い文献だった。貴重で珍しい本ではあるし城外に持ち出すのは禁じられているとは言え、禁書というほどの物でもない。 「これなら、閲覧室で読んでもらうことになるね」 図書室に隣接された閲覧室は、無人だった。 広い机の端にちょこんと腰掛けポップが本を読み始めるのを見ながら、アポロはそっと部屋を出ていった。禁書の閲覧の場合ならば側で王宮直属の司書、もしくはそれに準じる資格を持つ王宮関係者がつきそうのが決まりだが、一般閲覧室で読める程度の物ならばその必要はない。 読書の邪魔をしないよう、席を外そうと考えるのはごく自然なことだ。 読書するとなれば、短い時間であれ一人にさせてもらえる――それこそが狙いだ。 |