『レストア 4』

 

「ポップ、いる? 私よ、マァムよ」

 ノックをしながら、そう呼び掛ける。
 だが、返事はない。小首を傾げマァムはもう一度ノックをした。

「ポップ、いないの? 開けるわよ?」

 これで返事がなければ強引に扉を開けよう――まさにそう思った時、部屋の中から焦った声で返事が返ってきた。

「いるよ! いるって。マァム、なんか用?」

 扉を開けると、どこか慌てた様子のポップが彼女を迎える。机の端に座り、本を広げているポップを見て、マァムは少なからずホッとした。

「読書中に邪魔しちゃって、ごめんなさい。でも、夕食の時間だから……」

 特に用事がない限り、一行は同じ食卓を囲むのが習慣だ。

「あ、もうそんな時間か。うん、行くよ」

 本を閉じ、ポップが立ち上がる。
 もし、マァムにもう少し注意力があれば、その開かれた箇所がほんの最初の数頁あたりだというのに、不信を抱いたかもしれない。

 それに部屋で座って読書していただけにしては、ポップの呼吸は少々荒かった。
 だが、マァムが気づいたのは、大きく開けっ放しのままの窓だけだった。

「やだ、ポップったらこんなに風が冷たくなったのに、ずっと窓を開けたままだったの?」


「あ、ああ、閉めるの忘れてたんだよ、うっかりしてて。それより急ごうぜ、遅れるとまた文句言われるから」

 そそくさと窓を閉めると、ポップは先に立って食堂に向かった。

 

 


「あ、マァム、ポップ君、遅いわよ!」

 元気のいい声で出迎えたのは、この城の主たるレオナだ。
 パプニカ城本来の習慣とはほど遠いにも関わらず、全員で揃っての会食を一番楽しんでいるのは紛れもなくこの王女だろう。

 他の誰よりも多くの責務を背負っているため、めったに一緒に食事はとれないが、その分、共に食事をとれる日は誰よりもはしゃいでいる。
 ダイの捜索状況を闊達に報告しあう夕食の後、ポップはさも今思いついたように提案した。

「そういやさ、姫さん。明日、おれが出かける時の連れのことなんだけど――」

 彼の言葉が終わるのも待たず、パプニカ王女は食後のお茶を一啜りしながら言った。

「却下ね」

「なんでだよっ?! だいたい、まだ、なんにも言ってないだろっ?!」

「だって、ポップ君一人で行かせたりしたら、どんな無茶するかしれたものじゃないもの。付き添いは必要不可欠だわ」

「だから、おれはまだ、一人で行きたいなんて言ってないっつーの! 聞きたいのは――その付き添いを、おれが選んでもいいかってことだよ」

「ふぅん……?」

 疑わしい者を見つめる目で、レオナはじっくりとポップを一瞥してから言った。

「……まあ、本人の希望を叶えるのは構わないけど。で、いったい、誰?」

「ヒュンケルと行きたいんだ」

 その指名に、レオナだけはでなくマァムやヒュンケル自身も、ちょっと目を見張った。正直言って、意外な人選だ。

 同じ兄弟弟子同士とはいえ、ポップとヒュンケルはいま一歩相性が悪いというのか、よく揉める。……と言うよりも、ポップはヒュンケルに対して素直になり切れずに突っ掛かるのが、常なのだ。

 決してヒュンケルを嫌っているわけではないし、信用もしているくせに、ポップは彼を妙にライバル視している観がある。
 だが、ヒュンケルの方は別にポップをライバル視などしていない。

 ……と言うよりも、ヒュンケルがポップに向ける眼差しは、手の掛かる弟を見る兄に等しい。
 出来のいい兄と、彼に逆らわずにはいられないやんちゃな弟――他人から見た二人の印象はそんな雰囲気だ。

 それだけに、ポップからヒュンケルの付き添いを望むのは意外ではあっても、拒否する理由にはならない。
 だが、レオナは返事に一瞬、ためらった。

「そう――でも、ヒュンケルは……」

 慎重に言葉を選ぼうとしたレオナを先んじて、口を開いたのはヒュンケル自身だった。


「オレでは、付き添いとしては役には立たない。他の奴にしておくんだな」

 戦闘能力を無くしたヒュンケルでは、いざという時の護衛の役には立たない。
 他者が気を使って言えないでいるその事実を、ヒュンケルは自ら言い切った。
 が、ポップは譲らない。

「じゃ、他の奴にも頼むから、おまえも来るだけ来てくれよ。えーと……そーだな、ラーハルトがいいんだけど」

 二人目のポップの選択に、レオナもマァムもそろって不思議そうに顔を見合わせる。腕だけは飛び抜けて立つが寡黙で傲慢な態度の目立つラーハルトもまた、ポップと気があっているとはいい難い相手である。

「ポップ君はこう言っているけど、……あなたは同行してくれるつもりがある?」

 念の為に聞いてみると、ラーハルトはあっさりと即答した。

「オレは構わん。安心しろ、もしこいつがオレを巻いて逃げるような真似をするなら、力ずくでも連れて帰る」

 真顔で物騒な台詞を平気で言うラーハルトに、自分から頼んだくせに、ポップは嫌そうに顔をしかめた――。

 

 

 


「……で、なんでまた、あんたも来ることになったわけ? おれ、別にそんな大掛かりな捜索するつもりじゃないんだけど」

 翌日。
 寝坊気味のポップが待ち合わせ場所である城の中庭に来た時、すでにヒュンケル、ラーハルトが来ていた。まあ、それはいいのだが、彼等と同時にヒムも一緒にいるのがポップにとっては解せない。

「なんだよ、オレが行ったら、まずいってぇのかよ?」

 金属生命体であるにもかかわらず、表情豊かなヒムは文句を言いつつ膨れてみせる。
 ヒムはバーン戦の最中、個人的な思惑でヒュンケルに決闘を挑み、その結果彼を再起不能に追い込んでしまったことに責任を感じている。

 そのため、ヒムはヒュンケルに代わって戦うと言う誓いを立てた。本来は魔王ハドラーの部下だった彼が、勇者一行に入ったのは、元はと言えばそれが動機だ。

 ――にも関わらず、ラーハルトの方がヒュンケルの代わりに近い役をおっている。
 いつもいつもにラーハルトに負けるのが癪で、ヒムは少しばかりムキになっていた。

「別にいいじゃないか、いざという時にゃ頭数は多いほどいいだろうが」

 食い下がるヒムに、ポップは抗議は諦めたらしい。ヒュンケルやラーハルトも別に異存はないのか、何も文句は言わない。
 肩を竦め、ポップはヒムの同行を認めたが、それでも一言言わずにはいられないようだった。

「……そりゃ、頭数は多くても悪くないけどさ、今日行く場所は大袈裟な護衛なんかいらない場所だぜ? なんせ、今となっては世界で一番安全な場所だから」

 

 


 南方特有の色鮮やかな鳥が、囀りながら飛び交う。
 亜熱帯特有の暖かな空気に包まれたゆったりとした雰囲気の島に下り立った一同は、物珍しげに周囲を見回した。

 ヒュンケル、ラーハルト、ヒムにとっては初めて来る場所だが、瞬間移動呪文で飛んできたポップにとっては馴染みの場所なのには違いない。

「おい、ここはどこだ?」

 問い掛けるラーハルトだが、着地に失敗して地面に転がったまま呻いているポップに答える余裕はない。
 と、その時、鬼面道士を先頭にして、怪物が数匹こちらに向かってきた。

「………!」

 ヒュンケル達は一瞬で顔を引き締め、身構える。大魔王バーンの死によりその思念に開放された怪物が暴れなくなったとはいえ、一般の野生動物並みの危険さは残っている。
 申し合わせるまでもなく、三人の意図は同じだった。

 防御力の弱い魔法使いをかばって、前に立ちふさがろうとする。――が、意図こそ同じでも、ヒュンケルはラーハルトやヒムと違って身体がついていかない。
 無理に身体を動かそうとすると決まって感じる鈍痛より、その事実の方が心に鈍い痛みを与える。

(盾にすらなれんとはな)

 バーンパレスで感じた時と同じ焦燥感を感じながら、ちらりとポップの様子を伺う。
 やっと砂を払い終え、他の連中より一歩遅れて怪物に気づいたポップは、元気よく手を振って声を張り上げた。

「あっ、じーさん! へへっ、また来たよ」

「おう、おう、もしやと思ったら、やっぱりポップ君じゃったか」

 思いのほか親しげな会話に、三人は一瞬顔を見合わせる。

「なんだぁ? この鬼面道士、おまえさんの知り合いかよ?」


 疑問を口にしたのはヒムだが、残る二人も同様の疑問を隠せない。

「ああ、この人はブラスっていってダイの育ての親なんだ。この島の長老格にあたる人で、おれも前にずいぶんお世話になったんだよ」

 言われれば、ヒュンケルにとっては聞き覚えがある名前だった。
 直接会った経験はないが、ダイが自分同様に怪物に育てられた人間だとは聞いているし、ダイ自身の口から『ブラスじーちゃん』の話を聞いたこともある。

「紹介するよ、じいさん。こいつらもおれ達の仲間なんだ。この銀色のがヒム、そっちがラーハルト、で、ヒュンケル……こいつもアバン先生の弟子なんだよ」

 怪物を差別しないポップは、魔物も人間も一緒くたに仲間として紹介する。

「おお、これはこれは始めまして」

 怪物とはとても思えない礼儀正しさで、ブラスは一人、一人、丁寧に頭を下げる。
 もっとも丸っこい小さな身体ではおじぎが余り目立たないが、その代わり手にしている杖がその度に大きく揺れた。

 ヒュンケルに対して挨拶する時、その揺れが一段と大きくなる。
 彼を見つめるブラスの目には、はっきりとした同情の色合いが宿っていた。

「あなたもアバン殿のお弟子さんとは……、お気の毒なことをしましたじゃ…」

 

 


 波の音だけが、静かに響く。
 見る影もなく崩れ去った洞窟の跡地は、巨大なクレーターとなっている。その中央に立てられた真新しいその墓には、はっきりと書かれていた。

 『勇者アバン、ここに眠る』と――。
 その墓の前では、ブラスを初めとして知能の低い怪物達でさえも姿勢を正して、静かに祈りを捧げる。

 その後ろ姿を眺めながらヒュンケル達はただただ、無言で立ちすくむ。
 驚くヒュンケル、ヒム、ラーハルトの後ろで、気まずそうにそっぽを向いているのはポップだ。

 ――やけに、潮騒の音が大きく聞こえた。
 その音に紛れさせて、ブラスには聞こえない程度の小声で、ヒムが呟く。

「…………おい。なんだってこんなものが?」

 墓もなにも、大勇者アバンは死んではいない。と言うか、今も立派に存命している。
 アバン本人を知っているだけに、ヒムの目はどうしても呆れ気味になる。
 問い掛けた相手は、ポップだ。

 疑問を抱いているのは、ヒムばかりじゃない。
 無言のままのヒュンケルの目が、如実にポップに語りかけていた。――どう言うことか、説明しろ、と。

「……だから、おれだってびっくりしたんだって! まさか、ンなものが出来てたなんて、つい二日前まで知らなかったんだよっ!」

 小声で怒鳴り返すという離れ業をやってのけるポップに、ラーハルトは冷たく言った。


「貴様、誤解くらい正したらどうだ?」

「言えるもんなら、おまえらが言えよ! こーゆーのはタイミングを外すと、言い出しにくいんだよっ!」

 ヒソヒソ声でもめている一同に、ブラスが声をかける。

「さあ、ヒュンケル殿、どうぞ先生の菩提を弔ってお上げなさい。そちらの方々も……これも何かの御縁、どうかご一緒に」

 善意そのものの言葉というのは、たとえ間違っていたとしても抗いにくいものだ。

「は……はあ」

 ヒムが応じたとも、溜め息ともつかぬ半端な返事をする。毒舌家で通った残る二人でさえ、それに異を唱える気にはならないようだ。
 が、ポップだけはひょいと手を上げて、墓参りを拒否した。

「あ、おれは墓参りしたばかりだから遠慮しとくよ。それより、アバン先生の荷物からちょっと探したいものがあるんだけど」

「おお、アバン殿の遺品なら、物置のどこかにちゃんとしまってあるわい。だが、細かい場所は忘れてしまってのう。すまんが、ポップ君、自分で探してくれんかの。勝手は分かっておるじゃろう?」

「うん、じゃ、そうさせてもらうぜ」

 頷くと、ポップは飛翔呪文で島の中央付近へと飛んでいってしまった。どうやら、ポップにとってはブラスの家の場所は案内されるまでもなく、自力で行ける場所らしい。
 それを見送りながら、ブラスはしみじみと呟く。

「それにしても……ポップ君は、本当に元気になりましたな。安心しましたじゃ、もうすっかりと先生の死から立ち直った様子ですのう」

(……そりゃ、その先生って死んでないからなぁ…)

 思わず喉元まで込み上げてきた言葉をヒムはなんとか押し込め、墓の前で黙祷を捧げる。生きていると分かり切っている人の墓参りとは、この上もなく無意味な行為ではあるが――。

「アバン殿は、魔王ハドラーの卑劣な攻撃から我々を守って下さるために、命を懸けられた。自己犠牲呪文をかけたせいで、遺体も四散してしまわれたが……せめて墓をと思いましてな。……本当に、ご立派な最後でしたじゃ」

「は……はあ、そうだったとは…」

 ハドラーの部下であるヒムにとっては、素直に頷けない言葉である。むしろ言い返したい言葉なら、山ほどあった。
 確かに以前のハドラーは、野心的で褒められた男ではなかったかもしれない。

 だが、ちょうどヒム達、親衛隊を生み出した頃のハドラーは誇り高い魔王だった。
 勇者との戦いの最中、利害や自分の命さえ顧みず、純粋に勝利を追い求めたハドラーが武人としてどれほど立派に戦ったか。

 敵でありながらも、ダイやポップ、それに生存していたアバンとさえ和解を果たしたハドラーを、ヒムは今も尊敬している。

 ――が、涙すらにじませて墓を見上げている好好爺に正面きって反論するには、ヒムはあまりにも人情家であった。
 しかし、ラーハルトはいたって非常な男だった。

「時に、ご老人。あなたはポップから、ダイ様の話を聞きましたか?」

 遠慮なくずばりと切り出したラーハルトに、ヒムの方が慌てふためいた。

「おっ、おいっ、それ、聞くのまずいんじゃねえのかっ?!」

 小声で、ヒムは彼をたしなめようとした。
 なにせブラスは見るからに老い先短そうな老人だ、ショックを与えるのが好ましいはずもない。

 が、ダイに絶対の忠誠を捧げたハーフ魔族は、顔色一つ変えずに小声で言い返した。

「何を言う、この際、ダイ様を探す手掛かりは少しでも多い方がいい」

「でもよぉ……」

 もめる二人に、ブラスはいたって落ち着いた口調で返答した。

「……知っておりますじゃ。魔王軍との戦いの決着も、ダイが行方不明になっていることも……ポップ君が全部話してくれましたからのう」

「なんだ、知ってたのか、じいさん?」

 意外で、ヒムは思わず聞き返してしまう。
 一つは、アバンの死の誤解を解いていないポップが、より言いづらい話であるはずのダイの話をしたのが意外だったからだ。

 そしてもう一つは――ブラスにとっては我が子同然である存在であるはずのダイが、行方不明と知っている割に落ち着いているのが、腑に落ちない。
 恩人であるアバンの死をこれほどに嘆く人物であるなら、我が子も同然の養子の身の上を案じないはずはないだろうに――。

 口には出さなかったヒムのそんな疑問を読み取ったかのように、今度はヒュンケルが口を出した。

「――ブラス老、ポップはダイの話をどんな風に話していた? もし、望むのならより詳しい説明もできるが」

 素っ気ないながらも、その口調には甘さの残る弟弟子の説明を補おうとする気配りと、不幸に見舞われた肉親に真実を教えようとする誠意が感じられた。
 だが、ブラスは軽く目を伏せて首を左右に振った。

「なに、お気遣いは無用ですじゃ。ポップ君はおそらく、正直にありのままを話してくれたと思いますし。客観的に考えれば、ダイが生きている可能性はほとんどない――それは、よく存じております」

 一瞬、口調に苦さが混じるのは隠しようもないが、ブラスの顔はそれでも温厚な落ち着きに満たされたままだった。

「ですが……ポップ君を見ておりますと、ダイはどこかで無事でいるんじゃないかと……そんな気がしましてな。いや、年寄りの世迷い言と言われれば、それまでですが」

 照れくさそうに頭を掻きながら、ブラスはアバンの墓から少し離れた場所に目線を移した。

「以前、アバン殿が亡くなられた時……それを目の当たりにしたポップ君の悲しみようは、そりゃあ見ていられない程でしたのですじゃ。わしやダイの言葉も耳に届かないぐらい、泣いて、泣いて――」

 ブラスにとってそれは、つい昨日のことのように思い出せる光景だった。
 壊れた眼鏡を前に、声の限りに泣いていた魔法使いの少年の姿――それは脳裏を離れない光景だった。

「もし……ポップ君がダイの行方不明をあんな風に嘆いておったら、わしもとても、今のように落ち着いてなどいられなかったじゃろうて。ですが、ポップ君は爆破の現状を詳しく話してくれながらも、ダイはきっと生きている、と言ってくれて……。話をする時も、ずっといつものままで……それで、わしは安心できましたのじゃ。それに、なんでもレオナ姫様を中心に、ダイを大掛かりに捜索してくださっているとか。いやはや、ありがたいことですじゃ」

 ブラスのその言葉を、三人は無言で聞いていた。
 ブラスの言葉は、それぞれにとって思い当たり過ぎるほど、思い当たる言葉だった。

 そう――ポップは、ダイの生存を信じている。意識不明の状態から目覚めた時からずっと、それは変わっていない。

 目覚めた直後から、いつもの明るさとお調子者ぶりを発揮しだしたポップのおかげで、意気消沈していた勇者一行の雰囲気はがらりと変わった。

 日に日に、ダイが見つかる確率が低くなっていくにも関わらず一同が沈まずにいられるのは、ポップがダイの生存を信じ、いつも通りに振る舞っているおかげだ。
 今までは意識していなかったその事実を、三人は改めて思い知った――。

「……それにしても、ポップ君は遅いですのう。ちょっと様子を見に行った方がよいですかのう?」

「いや、それには、及ばない」

 優れた戦士である三人は、ほぼ同時に気付いた。
 鳥にしては大きな、空を飛ぶ影に。
 まだ距離はあるが、飛翔呪文でポップが戻ってきたのだ。
                                                       《続く》
 

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