『レストア 5』

  

「ずいぶん、歩きにくい洞窟だな」

 身を屈めながら、ヒュンケルは独り言のつもりで呟いた。別に返事を期待していたわけじゃないが、先を歩いているポップが律義に答える。

「この洞窟は、島の火山帯に直結している場所なんだってさ。なんでも、相当深くまで穴が続いているっていうし、人間の手もろくに入ってないみたいだしな。床も整備されてないし、気をつけた方がいいぜ――うわっ?!」

 注意した直後、見事に足を滑らせたポップを、ヒュンケルはやすやすと支えた。

「確かに気をつけた方がよさそうだな」

 軽く言った言葉を皮肉と受け止めたのか、ポップは不機嫌に支えられた手を振り払う。


「わ、分かってるよ、そんなの!」

 むきになって言い返すポップの意地の張りようが、ヒュンケルは微笑ましくさえ写る。 実際、体力が極端に落ちたとはいえ、戦士の訓練を積んだ彼にとって洞窟の中をただ歩くだけならば、何の支障もない。

 確かに足場は悪いが、足場の確保は戦士にとってはごく初歩的な技術だ。長身のヒュンケルにとっては、頭上に気をつけてしょっちゅう身を屈めなければならない方が辛い。

 その意味では、細身で背もそんなに高くないポップは、頭上に気を使う心配はいらない。しかし、魔法使いの常で体力の使い方が下手なポップは、でこぼこの足場を歩くのが辛そうだ。

 それでも、ポップが先を歩きたがるのは、ヒュンケルの体調を気遣っているからこそだろう。
 それが分かっているからこそ、ヒュンケルはポップの好きにさせてやっている。

 しかし、もし、ここに怪物が潜んでいる可能性があるのなら、ポップがなんと言おうとヒュンケルは先を進んだだろう。
 だが、この洞窟は怪物の気配がまったく感じ取れない。

 怪物との遭遇の危険がなく足元が少々危ないレベルの危険ならば、後から進んでいる方がフォローもしやすい。
 ほぼ一本道の通路を、ポップは少々危なっかしい足取りで進んでいく。

 しかし、足取りはともかく、しょっちゅう立ち止まって回りの様子を確かめるそのしぐさが、ヒュンケルに疑問を起こさせる。

「ポップ、もしかしておまえはこの洞窟に来るのは初めてなのか?」

 ここに来たいと言ったのは、ポップだった。
 森の奥にある大きな洞窟。
 怪物の顎を思わせる形に多少の細工が施された洞窟は、明らかに人間の手が加えられた物だった。

 名は特に無いが、この場所はパプニカ王家の王位継承の儀式に使われている聖なる場所である。

 以前、ダイはレオナ姫の王位継承の儀式を行う時、この洞窟に同行した場所であり、デルムリン島中の捜索を行ったブラスや怪物達が唯一近付かなかった場所だ。
 探してみる価値はあると、ポップはこの中に入りたいと主張した。

『たいして危険もない場所だし、儀式の場所まではそんなに遠くもないんだ。おれとヒュンケルでこの洞窟の中を探すから、ヒムとラーハルトはこの周辺を探してくんない?』

 その時の口振りでは、よく知っているような調子だったのだが――。

「ああ、初めてだよ。でも、ダイや姫さんからこの洞窟の話はよく聞いたからな。えっと、もうすぐ着くはずなんだけど……お、ここだ、ここだ」

 松明をかざしながら進むポップが、弾んだ声を出して足を速める。
 そこは、ぽっかりと開けた自然の大広間だった。
 今までの狭苦しさが嘘のように、開けた空間がそこにはあった。

 空まで届いてるかと思えるほど高く吹き抜けた天井は、自然のもたらした造型か、カーテンのように広がった石が飾り立ている。

 職人が技巧を凝らした神殿にも劣らぬ荘厳さを感じさせる広間の中央に、岩に掘り込まれた魔法陣があった。
 かなり古い物らしく、描かれている紋様は普段は見慣れないものだ。

 だが、それが強い力を秘めているのは疑いようもない。魔法に関しては素人のヒュンケルでさえ、その魔法陣に近寄ると肌があわ立つのを感じた。
 その感覚は、魔法使いであるポップの方が強く感じているらしい。

 魔法陣に近寄ったポップは、強く身震いをする。敵を前にしたかのように緊張し、慎重に魔法陣の端を指でなぞる。

「思った通りだ……。この場所には強力な魔法力が働いているや。それも古代の物なだけに未分割で純粋な力のみの物だ。これなら、ひょっとして――」

 目を輝かせ、ポップは夢中になったように魔法陣に触れている。

「未分割の力? なんだ、それは」

 思わず尋ねると、ポップは魔法陣から目を離さないまま説明した。

「魔法ってのは、大きく分けて二系統に別れている。神々の力を借りて行う神聖系の魔法に、精霊の力を借りて行う精霊系の魔法にな。さらに、使い勝手がいいように、魔法は細かく分割されて体系づけられている。だけどさ、古い時代はこの区別はなかったと言われているんだ。善も悪もない、純粋な精神力のみを相手に放射する力……使い手の心の持ち用で、相手に影響を与える力にすぎなかった」

 魔法の素養のないヒュンケルを相手に、ポップはゆっくりと独り言のように説明をする。


「ダイや姫さんからこの洞窟の話を聞いた時から、もしかしたらって思ってたんだ」

 先祖代々に伝わる、儀式の場所。
 それには単なる迷信や言い伝えにとどまらない、特別な意味合いがある場合が少なくない。

 良い方向にしろ悪い方向にしろ、エネルギーを蓄えた地という場所がこの世界には存在している。
 そんな場所では、魔法の働き方に大きな差がでるものだ。

 そのような特別な場所を聖地とし、儀式の場所として保存するのはそう珍しいことではない。しかし、そんな場所はめったにあるものではない。
 ポップの知っている範囲で、可能性があると思ったのは破邪の洞窟とこのデルムリン島だけだ。

「パプニカ王家の血筋は基本的に神官のものだし、王家の洗礼の儀式の場所だから神聖系の呪文の効力を上げられる場所かとも思ったけど……未分割の古代の魔法陣とは、ますます都合がいいや」

 魔法陣に描かれた文様を丁寧に確かめてから、ポップはやっとヒュンケルに向き直った。


「なあ、ヒュンケル。おまえ……身体を治したいって思ってんのか?」

「なんだ、藪から棒に」

「いいから答えろよ! おまえ、本気で身体を治したいのかよ?」

 答えが分かり切った質問を突然してきたポップに戸惑いは感じたものの、ヒュンケルは頷いた。

 だが、ポップは納得がいかないとばかりにじっとヒュンケルを睨んでいる。
 幾重にも押し込めた心の奥底に隠した、本音を探り当てようとするように。

「嘘ついてんじゃねえよ。おまえ……身体なんか、治らなくってもいいって思ってるくせして」

 即座に言い返せなかったのは、それはものの見事にヒュンケルの本心を射ぬいたからだ。 洞察力と観察力に富み、敵の思惑を即座に見抜く目を持った魔法使いの目には、仲間の魔剣士の心などお見通しらしい。
 不機嫌にヒュンケルを睨みながら、ポップはなおも言う。

「どうせ償いだとか贖罪だとか、つまんねえこと考えてんだろう? 違うなんて言わせないからな!」

 違うとは、言えなかった。図星だからこそ、ヒュンケルは沈黙する。
 実際、ヒュンケルは思っていた。
 これは――自分に与えられた罰なのだと。

 他人を顧みず、己の復讐心だけに囚われて多くの人を傷つけた自分には、救済を望む資格などないと思っていた。
 だが、目の前にいる魔法使いは、それが許せないとばかりに激しく糾弾してくる。

「魔法治療が失敗したのに当たり前だって面なんかしやがって! おめえのそういうところがムカつくんだよっ、ちったあ悔しそうな顔でもしてみせろよ、本気になってみろよ!」


 その姿が、ヒュンケルには眩しくさえ思える。
 どこまでも必死に相手に食い下がり、本音をぶつけてくるポップ。
 敵に対しても、味方に対しても変わりのないその態度は、いっそ爽快でもある。

「聞いてんのかよ、てめえっ?! 答えろっつてんだろ、てめえの本音を言えっ!」

 ほとんど胸倉を掴まんばかりの勢いで詰め寄ってくるポップの手を、ヒュンケルは軽く掴んだ。

「治したい」

 望むのも許されないと思っていた、願い。
 自分の身を案じる仲間達に、そしてかつて自分のせいで傷を負った多くの人々のまえで口にするのにはためらいのあった言葉。
 だが、それこそがヒュンケルの本心だった。

「治したいとも。治るものなら――どんな危険を払っても構わない」

 バーン戦の最中から、その想いに変わりはない。
 戦士として再起不能に陥った成り行きを後悔などはしない。

 だが、戦う力を無くしたせいで、最後の戦いの最中にダイやポップに助力してやれなかったことだけは、胸が灼ける程もどかしかった。
 その思いは、今も変わりがない。

「方法なら、あるぜ」

 ポップのその言葉を聞いたせいで、掴んでいた手に思わず力を込め過ぎたらしい。

「いてっ、いてえよっ、離せっ!」

 大袈裟に悲鳴を上げるポップから慌てて手を放したが、かなり痛かったらしい。
 手首を擦りつつ、ポップは恨みがましげにヒュンケルを睨みながらも、文句ではなく説明を優先した。

「でもよぉ……今更言うのもなんだけどよ、成功率は低いぜ。はっきりいって、お薦めできねーくらい。その上、リスクが……かなりある。一応、練習もしたし、保険は用意したんだけどな」

 言葉がとぎれがちになるのは、ポップがその治療の危険度を嫌というほどよく承知しているせいだろう。

「現在のままで満足するならば、おまえの命に別条はない。でも、この治療方法で失敗したとしたら……」

 途中で途切れたポップの説明を、ヒュンケルは促そうとも思わなかった。

「構わない。治す方法があるなら、オレから頼む……ポップ。是非、試してくれ」

 力の籠ったヒュンケルの答えに、ポップは一瞬黙り込み……それから、覚悟を決めたように頷いた。

「ああ、分かった。その代わり、どんな結果になっても文句を言うなよ」

 

 


「天地にあまねく散らばる精霊よ……名もなき原始の精霊達よ……我が声に耳を傾けたまえ」

 ポップの唱える呪文を、ヒュンケルは横たわったまま聞いていた。
 ほとんどの呪文を即座に発動できるポップは、魔法をかけやすくするための呪文詠唱をめったに行わない。

 それだけにポップは古めかしい呪文を唱えるのが、ヒュンケルには物珍しく感じられた。
 正直、ヒュンケルにはポップがどんな治療を試みるつもりなのか、見当すらつかない。だが、ポップの指示には従うつもりでいた。

 上半身裸になり魔法陣の中に横たわったのも、その方が呪文の効き目が強くなると言うポップの指示によるものだ。
 決して動かないように釘を刺されたのも左腕に腕輪をはめたのも、ポップの指示の一つだ。

 アバンの荷物から持ってきた対になった腕輪を、ポップは自分とヒュンケルの腕にはめた。それがどんな意味があるのかも聞きたいところだが、今、余計な質問をしてポップの気を散らせるのはどう見ても得策ではなさそうだ。

 よほど緊張しているのか、ポップの顔色は蒼白を通り越している。身構えた両手は小刻みに震えており、堅くつむった目はまるで泣き出す直前のように歪んで見えた。

 あまりに緊張している様子に、ヒュンケルはつい、もっと気楽にやっていいぞと声をかけたくなった程だった。

(かかっているのはおまえの命じゃなく、オレの命なんだから……)

 と、その時、ポップが目を見開いた。

「ヒュンケル……じゃあ、やる、ぞ」

 その途端、手の震えがぴたりと止まったのは、さすがというべきか。
 魔法力の光に覆われた両手をヒュンケルの胸に当て、ポップは叫ぶように唱えた。

「マホイミ!」

(なんだって?!)

 耳を疑ったのは、一瞬だった。
 次の瞬間、ヒュンケルは凄まじい苦痛に襲われて耐え切れずに呻き、のたうっていた。
身体にろくに力が入らず、その動きが緩慢なものであったのはある意味幸いだったかもしれない。

 もし、自由に動けたのなら、ヒュンケルはポップを突き飛ばしてでもこの苦痛から逃れ道を選びかねなかった。
 だが、理性と意志を総動員して必死にそれに耐える。
 耐えようとする。

 ポップの唱えたのは、治療呪文とはほど遠い。
 マホイミ――過剰回復呪文。古代の僧侶や賢者のみが使用した、生死を逆転させる効果を持つ恐るべし負の呪文。

 その効力もさることながら、この呪文の恐ろしさはかけられた時に感じる筆舌に尽くし難い悪印象にある。

 身体を生きたまま腐らせ溶かし尽くすかのような感覚は、かけられた者に激しい苦痛をもたらす。
 それは覚悟を決めたはずのヒュンケルでさえ、叫ばずにはいられない程の苦痛だった。
 だが、その激しい苦痛とは裏腹に、過剰回復呪文は不可思議な効果を上げていた。
 本来ならば健常な肉体を過剰に回復させて負荷を追わせる呪文だが、ヒュンケルの劣化した肉体は過剰回復によって、癒されていく。

 悍ましい感覚と引き換えとはいえ、ヒュンケルの身体は急激に回復しつつあった。
 しかし、過剰回復の恐ろしさは、見極めの難しさにある。
 それは、沸騰したお湯を制御する方法にも似ている。

 単に湯を沸かすだけなら、たやすい。
 だが、湯を沸かすほど熱しながら泡一つ立てない内に火から下ろすともなれば、卓越した達人技が必要とされる。

 ほんのコンマ数秒でもやり過ぎれば肉体に負荷がかかり、あっという間に死に至らしめる。
 さながら、沸騰させ過ぎた湯が吹きこぼれて火を消すように。

 それと同じことが、起きようとしていた。
 ヒュンケルの肉体を治し尽くした魔法の力は、それでもなおとどまらずに過剰に注ぎ込まれる。

 治癒という方向だとは言え、急速な変化は身体に悪影響を及ぼす。
 激しい苦痛の最中、ヒュンケルは必死に自分を押さえつけようとするポップの姿を見た。 奇妙にかすんで見えるのは、目の機能がやられてきたせいか。

 自分の方が苦痛を味わっているように顔を歪め、それでも必死に魔法を操っている弟弟子の姿――その腕にはまっていた腕輪が、見る見る内にひび割れていくのが見える。
 きしんだ音を立てていた腕輪は、やがて大きな金属的な破裂音を立てて割れた。

 その瞬間、ポップは再び叫ぶ。
 苦痛にまみれた切れ切れの声ながら、その声ははっきりと響いた。

「……ザ…オラル!」

 死者蘇生――死者を蘇らせる、高レベルの呪文。
 熟練の僧侶でさえ、成功率は半々と言われる最高難度の呪文だ。

 かつてレオナがポップにかけたが、その時は無残な失敗に終わってしまった呪文でもある。
 裂帛の光が、洞窟内を白く染め上げた――!

 

 


 ふわぁと、喉の奥まで見えそうなあくびと共に、ヒムはボソッと吐き出した。

「退屈だなー」

 のどかな森だった。
 怪物島と異名があるとはいえ、デルムリン島は基本的に平和な、狭い島だ。
 ポップからは念の為に洞窟の周辺を探してくれと頼まれたが、探すまでもなかった。
 ダイは、見つからない。

「……なあ。あの魔法使い、何を企んでいるんだと思う?」

 道端に座り込んで、ぼーっと空を見上げているヒムと違って、ラーハルトはさっきから熱心に地面を調べている。律義に無為と思える捜索を続けているラーハルトは、素っ気なく答えた。

「あいつの考えることなど、分からん」

 己の心を隠さず、実に感情的。
 思慮深く、魔族でさえ舌を巻くほど頭脳的。
 全く相反する二つの面を、ポップは合わせ持っている。

 しかも、本人が意識しているのかいないのか、ポップはその二つの特性を行き来するようにして行動する。
 感情のままに動いていると見せかけて、巧みな頭脳戦に相手を引きずり込む。

 そうかと思えば、戦いの最中でも理性や計算を捨てて自分の感情を優先し、突発的な行動に出る。

 知略に長けた大魔王バーンでさえ読み切れなかったポップの思考を、追及してみようとはかけらも思わなかった。

「だが、ポップの奴ぁ、何か考えがあってここにきたんだろ?」

 そのヒムの意見には、ラーハルトは全面的に賛成できた。
 ポップが何の考えもなくヒュンケルや自分を誘って、デルムリン島にくるはずがないのは分かる。

 だいたいポップはすでにこの島に来てブラスに捜索を依頼済みなのだ、二度手間となると知ってて、意味もなく来るはずもない。
 だが、ラーハルトはその理由を考えたいとは思わなかった。

「考えるだけ、時間の無駄だ。あいつが何を企んでいるにせよ、それがダイ様に害のあることとも思えない」

 ポップの考えは、読めない。
 しかし、ポップの望みを読むのは、たやすい。
 ポップの望みは、常に仲間の安否だ。

 ポップの行動は、常に仲間を助けようとするという点に集約されている。それだけは、紛れもない事実だ。

「……それも、そうか」

 ヒムも納得した瞬間のことだった。
 強い魔法力の脈動を感じたのは――。

「…………!」

「……今のは」

 ヒムとラーハルトは、同時に顔を見合わせる。
 水面に石を放り込めば波紋ができるように、強い力の施行は周囲に微細な影響をもたらす。

 魔法の影響は、闘気の技と違ってあまり周囲に影響を与えないものではあるが、今、広がった力は聖なる力だったのが幸いだった。

 改心して人間に馴染んだとはいえ、本来が魔物であるヒムやラーハルトは神聖系の力を嫌う。それだけにその力には敏感であり、察知しやすい。
 ポップとヒュンケルが向かった洞窟の中から、力の脈動を感じたのが気に掛かる。
 約束の時間にはまだ早いが、嫌な予感に急かされるようにヒムは呟いた。

「どうも、行ってみた方がよさそうだな」

 ヒムが立ち上がった時には、ラーハルトはすでに先に立って走り出していた――。

 

 


「…いっ…! おいっ、聞こえるか、しっかりしろっ!!」

 その声が、ヒュンケルを呼び起こした。
 目を開けると、ラーハルト達が駆けよってくるのが見えた。
 だが、横たわったままの身体はすぐには動かない。

(――失敗したのか?)

 真っ先に感じたのは、予想以上に強い絶望だった。
 今まで様々な人に魔法をかけてもらったが、これ程強い絶望感を味わったことなどなかった。
 その絶望の強さで、自分がいかにポップの魔法に期待を掛けていたかを思い知る。

 だが、ヒュンケルは気づいた。
 身体が動かないのは、どうにも馴染めない倦怠感のせいではない。自分の上に突っ伏している人間がいるからだ。それが誰だか確認した途端、ヒュンケルは叫んでいた。

「ポップッ?!」

 ハッとして身体を起こすと、ヒュンケルの上に覆いかぶさっていたポップが力なくずり落ちる。
 弾みで地面に落ちそうになったポップを慌てて支え――ヒュンケルは戦慄を感じた。

「今の騒ぎはなんだ? いったい、何があった?」

「おいっ、ポップの奴がどうかしちまったのか?!」

 やっと駆けつけてきたラーハルトとヒムが口々に聞くのも、耳に入らない。ヒュンケルはポップを揺さぶり、強く呼びかける。

「ポップ、ポップ! 目を開けろっ!!」

 呼吸はしている。
 だが、意識昏倒したポップは、叫ぼうが揺さぶろうが目を覚まさなかった。
 青ざめた顔色で、ぐったりとしているばかりだ。
 体温が落ち脈や呼吸数が減少する独特の眠りは、魔法使い特有の昏睡の症状に違いない。


「マジか、またなのかよ?! こいつ、何回死にかけりゃ満足するんだっ?!」

 ヒムが呻くように言うが、そんな言葉とは裏腹に表情は心配そうでポップから目を離さない。

「文句は後だ、まずは外へ出るぞ。今は、そいつを連れ帰るのが先だ」

 手を伸ばし、ラーハルトがポップを受け取ろうとする。が、それより早く、ヒュンケルはポップを抱きあげたまま立ち上がった。

「ああ、急ごう」

 ポップが気絶している以上、迷宮脱出の呪文は使えない。
 一刻も早く洞窟を出るために、走るように歩きだしたヒュンケルだが、頓狂な声に呼び止められた。

「えっ、おい?! おまえ、なんともないのか?」

 正直、かけられた声に苛立ちしか感じなかった。
 ポップが大変な時に何を下らない質問を、とさえ感じた。
 が、驚いたように自分を見ているヒムとラーハルトを見て、ヒュンケルはようやく悟った。

「あ……」

 自分の身体を支えて歩くだけでも手一杯だったのに、今はポップを抱えたまま動くのに何の不自由も感じなかった。
 身体が軽い。

 以前と同じように、思った通りに身体を動かせる。
 それがいかに壮快なのか思い知ると同時に、手の中に抱え込んだ魔法使いの少年の存在を重く感じた。

「成功……していたのか?」

 思わず尋ねた言葉に、返事など戻るはずもない。

「とにかく、話は後だ。動けるなら急げ!」

 真っ先に正気に戻ったのは、ラーハルトだった。
 その言葉に背を押されるように、ヒュンケルは狭い洞窟の中で出せるだけの速度で走り出した。

 行きはゆっくりと歩くのが精一杯だった道を、ラーハルトやヒムと同等の速さで走れる。腕に抱いたポップの身体を、やけに軽く感じる。
 身の軽さや腕力の復活を実感すればする程、心は逆に沈み込んだ。

 確かに、ヒュンケルは望んだ。
 何と引き換えにしても身体を治したい、と。だが、それはあくまで自分自身で贖うものであり、ポップに支払わせたいとは思いもしなかったものを。

(ポップ……!!)

 ポップの身体を強く抱きしめ、ヒュンケルはより一層足を速めて地上を目指した――。

                                                         《続く》
 

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