『レストア 6』

  

「……信じられねえぜ、まったく。よくもまあ、こんな無茶な治療をやらかしたもんだ」
 

 何度となく首を左右に振り、マトリフは溜め息を繰り返す。
 いつも以上のしかめっ面は、ただでさえ優しいとは言い難い彼の人相を、より一層の悪党面へと見せていた。

 慎重に何度も、確かめなおすように、自分の目の前の椅子に座っているヒュンケルの脈を取ったり、胸の辺りを叩いたりする。
 その揚げ句、マトリフは自分の顎を撫でて言った。

「こりゃあもう、奇跡ってもんだな。……あんたは、全くの健康体だよ。まあ、ブランクがあった分や身体に過度の負担をかけたせいで体力は相当落ちているだろうから、リハビリは必要だろうがな」

 マトリフの診断を受けるまでもなく、今までの倦怠感が嘘のように消えているのは分かっていた。
 だが、心から望んだはずの完治の告知は、ヒュンケルを少しも喜ばせなかった。

「オレのことなど、いい! それよりポップは?! ポップの具合は、どうなんだ?!」

 近くのベッドに横たえさせられたポップは、ぴくりとも動かない。
 そのすぐ側に付き添って、具合を確かめているのはアバンだった。
 その様子を不安げに見つめているのは、ヒュンケル一人ではなかった。

 ポップの異変を聞きつけ、たまたま城に残っていた連中もまた、この部屋に集まっている。 誰の顔にも不安が色濃く残るのは、つい先日、ポップが昏睡に陥ったまま危篤状態になった記憶が強いせいだろう。

 ヒュンケル達の後ろからポップを見下ろしているのは、巨体のクロコダイン。エイミは、仕えるべき主君であるレオナから一歩下がった場所から様子を伺っている。

「落ち着きなって。この馬鹿なら大丈夫だ……そうだろう、アバン?」

「ええ、大丈夫です。確かに昏睡に陥った兆候は残っていますが、もう、昏睡からは覚めているはずです」

 穏やかなアバンの言葉で、場の雰囲気は和らいだ。
 それでもまだ不安を捨て切れない一同の目の前で、マトリフはわざとのようにゆったりとした手つきで、ポップの手の脈を取る。
 そのついでに乱暴に揺さぶると、反応があった。

「…ん……」

 意識はなくても揺さぶられるのは嫌なのか、ポップは寝ぼけたまま軽く身動ぎした。
 その僅かな反応に、一同がホッと息を抜く。

「この前は状況が特別だったから心配するのも無理はねえが、本来の昏睡ってのはこんなもんだ。数十分から数時間、一時的に気絶状態に陥るだけですぐ通常の眠りに移る。

 なんの心配もいらねえよ。回復魔法にもまだ慣れていないくせに、過剰回復魔法と蘇生魔法の同時施行なんて無茶な魔法の使い方をしたせいで、単に寝くたばっているだけだろ。……ったく、無茶にも程があるってもんだ」

「まったく本当に無茶ですねえ。一歩間違っていれば、とんでもない結果になりかねませんでしたよ」

 溜め息交じりに、アバンはポップの腕にはまっている腕輪を丁寧に外しにかかる。
 と言ってもすでに半分以上崩れかけ、かろうじて残骸がまとわりついているに過ぎないが、それだけに破片が腕に刺さり兼ねない状況でもある。

 それにポップを起こさないように気を使っている分、作業は自然ゆっくりとしたものになる。

「本当だわ、よりによって過剰回復魔法だなんて! あれは僧侶や賢者にとっては、禁忌に等しい呪文なのに……っ!」

 レオナの抗議が、虚しく響く。
 ポップは禁術に対する拒否意識が薄い。元々魔法使いのせいもあるし、僧侶なら持って然るべき倫理観に欠けているのは否めない。

 おまけに、目的のためならば手段を選ばない傾向が強い。
 それをよく承知しているだけに、レオナの責める声には力がなかった。

「まあ、お姫さんの言う通りだな。――ポップの奴ぁ、正攻法じゃ手も足も出ないと言ってたが、その意味でいやこの方法は確かに邪道もいいところだよ。過剰回復呪文なんてもんは、今じゃすっかり廃れた時代遅れな魔法なのによ」

 説明とも、愚痴ともつかぬ口調でマトリフは述懐する。
 通常の回復魔法の数倍の魔法力を消費する過剰回復呪文は、使おうと思ってもそうそう使える魔法ではないのだが、ポップは並の魔法使いじゃない。
 普通の魔法使いを遥かにしのぐ魔法力を持ち合わせている彼なら、不可能ではない。

「マホイミってのは、最終的には相手に対する攻撃の手法として使われていたが……基本は、回復呪文なのは間違いねえ。古代の魔法陣まで利用して、回復の部分だけを強めやがったな。そして、呪文の重ねがけの法則を利用しやがった」

「それは……どういうことですか?」

 レオナの疑問は、その場にいる一同の疑問と同様だった。

「魔法って奴は重ねてかけた場合は、後からかけたもの、より威力が強いものの効力の方が優先される。その効力が重複できるものなら効果は上乗せされるが、効力が食い違う場合はどちらかが無効化される。だから、ポップは役に立たないと分かりきっている蘇生魔法なんかを使ったんだ」

 蘇生魔法はどんなに強力な術者が使えど、生きている人間には一切効果は現れない。それを敢えて使った弟子の意図を、師匠は的確に見抜いていた。

「回復魔法と蘇生魔法ならば、優先されるのは蘇生魔法の方……その瞬間に、過剰回復魔法の効果は打ち消される。それを狙ったんだろうよ。だからこそ効き目の強いザオリクじゃなく、効き目が弱いがその分早く発動できるザオラルを唱えたんだろう。邪道極まりない手段な上に成功率が低いとあっちゃ、賭けに近い治療方法だぜ、まったく」

 その言葉の意味を、一同は冷や汗混じりで聞いていた。
 魔法に疎い者でさえポップのやり方がいかに無茶で、高度な魔法力が要求されるかは理解できる。

「……つくづくどこまでも無茶な魔法使いだな、こいつも。成功したからいいようなものの、一歩間違えれば自分の手で仲間を殺すところだったじゃねえか」

 ポップやヒュンケルが無事と分かった途端、ヒムは悪口じみた軽口を叩き出す。
 だが、それはさっきまで本気で心配していた反動であり、悪意や他意があるものじゃない。
 が――。

「まったくだわ! もしかしたら、ヒュンケルが死んでしまうかもしれなかったのに……っ」

 恋する乙女の想いは、もう少し複雑だ。
 勇者一行の一員であり、パプニカにとっては多大な恩人でもあるポップの無事は、もちろん嬉しいに決まっている。

 が、それはそれとして、恋する男性を危険な目に合わせたことに不満を感じないはずがない。
 さらに言うなら、エイミはヒュンケルの完治を望んではいなかったのだから。

「もし、少しでもやり過ぎたら今頃は……っ」

 いまだに憤慨覚めやらぬ乙女に、水を差したのは老人の冷ややかな声だった。

「……そん時にゃ、死体になってたのはポップの方だったろうな」

 その一言は、せっかくホッとなった部屋の温度を再び凍りつかせた。

「まったくよくも考えたもんだぜ……、まさか、協和の腕輪をこんな形で利用するとはな」


「協和の……腕輪?」

 問い返しながら、ヒュンケルは自分の腕に目を落とした。
 ヒュンケルの腕にはまっている腕輪も大きなひびが入っているが、ポップの物ほどはひどくない。
 ポップは口にしないままだった腕輪の効果を、説明し始めたのはアバンだった。

「この腕輪は、古代、魔法体系が整えられる前の黎明期に作られた、魔術研究用の腕輪だと言われています。その効力は、対となる腕輪をはめた者同士の感覚を共有させること……」

 魔法の効き方には個人差がある。そのため、自分に魔法をかけるのと他者にかけるのでは、自ずと微妙な差が生まれてしまう。
 その誤差を、術者に実感させるために作られたのが、この腕輪だという伝説が残っている。

「まあ、本来は自分のかけた術の効果を術者も実感するために使われていたのでしょうが、私はこの腕輪を治療用に使っていました」

 勇者であるアバンは回復魔法も使えるが、僧侶や賢者ほど強力なものではない。
 しかし学者の家系生まれで薬草の知識が深いアバンは、弱い回復魔法で怪我人の苦痛のみを取り除き、薬草で傷口の治療をするという手当てが得意だった。

 かつてポップと共に旅をしていた最中、出会った怪我人や病人にアバンは腕輪を使って手当てを施してきた。
 それをポップは何度となく見たはずだし、ポップ自身にもその治療を施した経験がある。


「協和の腕輪は、厳密にいうと腕輪をつけた両者の感覚を共有させる……というよりは、呪文をかけられた人間が受けるダメージを両者に平等にふり分ける効力があります。これが、どういう意味か分かりますか?」

「……!」

 とっさにヒュンケルが思い出したのは、ひどく苦しそうに呪文を使っていたポップの姿だった。

(もし、知っていれば……!)

 怒りにも似た激しい後悔が、ヒュンケルの胸を焼く。
 通常、回復魔法は術者にとって危険な呪文にはなりえない。それが頭にあったからこそ、ヒュンケルは治療を願った。

 もし、リスクが自分ではなくポップに降り懸かると知っていたなら、断固として拒否しただろう。
 ヒュンケルの静かな怒りを冷徹に見据えつつ、説明を締めくくったのはマトリフだった。


「で、この腕輪の肝は、限度を越すと壊れるってところだな。元来は補助魔法研究のために作られたシロモンだ、術者が相方を殺すような無茶な呪文を使えば、壊れちまうようにできているんだよ。こいつはどうやら、呪文をかけられる人間の安全を最優先に作られたみたいでな……、術者が相方を殺しそうになった時は、術者側の腕輪が壊れる。術者の命ごと、だけどな。術者が死ねば、当然呪文の効果はそこで消える。めでたく、相方だけは生き延びるって寸法だ」

 重い沈黙の中、申し合わせたように、全員の視線がポップから取り外された腕輪に集まった。

 無残に壊れかけながらも、ぎりぎりのところでなんとか形を保っている腕輪を――。
 しばしの沈黙の後、ラーハルトが口を開いた。

「なるほどな。ポップは二重の安全措置があるからこそ無茶をした、というわけか」

 かけ過ぎれば危険な呪文であっても、苦痛を共有しつつ、限度を察知するアイテムの力を借りれば、限界を見極めやすくはなるだろう。

 そして、万一見極めに失敗したとしても、腕輪という安全装置がある以上呪文をかけられる側……ヒュンケルの生命だけは保証される。
 さらに言うなら自分は保険だったのだと、ラーハルトは気がついた。

 もし、万一のことがあった場合――瞬間移動呪文でパプニカに帰れる人材が欲しかったから、ラーハルトを誘ったのに違いない。

「――しっかし、本人の安全は一ミリも考慮されてないじゃねえか。こいつって本当に、頭がいいんだか、悪いんだか……」

 ヒムが頭を抱え込む傍らで、レオナも深く溜め息をつく。

「まったくだわ! まあ、ポップ君らしいといえば、この上なくポップ君らしい無茶だけど」

「同感ですな、姫。何度、寿命を減らすような真似をすれば気が済むのやら……」

「本当よ! 実際、見張りをつけるだけじゃ足りなくて、本気で牢屋にほうり込んだ方がいい気がしてきたわ」

 レオナやクロコダインまで混じっての感想は、全員が共通している。
 寝ているとはいえ、本人の前で言いたい放題である。
 いつしかマトリフまで加わっての文句の言い合いを、アバンは一人、苦笑しつつも黙ったまま聞いていた。

 実際、参加しようにも同意できない。
 皆とは違い、アバンにとっては無茶をするのがポップらしい行為とは思えない。

 長くダイ達と離れて単独行動していたアバンは、魔王軍との戦いの中で目ざましい勢いで成長してきたポップの姿を知らないのだから。

 最後のバーン戦で、実際にポップの見事な戦いを目の当たりをした今もなお、印象に強いのは、自分の弟子として後をついてきた未熟な頃のポップの姿だ。
 何人もの弟子をとったアバンだが、その中で一番手のかかった生徒を上げろと言われれば、迷わずにポップの名を上げるだろう。

 恵まれた才気を感じさせるくせに、ちっとも修行をやりたがらない。
 根は優しくて勇気もあるのに、からっきし臆病で危険からはすぐに逃げたがる――ポップはそんな子だった。

 何か揉め事を起こしたり巻き込まれたりする度に、アバンの背中に逃げ込んできた。
 それが自分の知らない間に、見違えるほど逞しく成長していたのだと実感するのは、晴れがましいほど誇らしくもあり……同時に、少しばかり寂しい気もするものでもあった。

「……うん…う…、るさいなぁー」

 今や合唱となった文句がさすがに耳に入ったのか、ポップが目をこすりながら起き上がる。
 その途端、全員の視線が一斉にポップに注がれた。

 それも全員が全員、揃いも揃って非難の眼差しで睨みつけるとあっては、多大なプレッシャーを感じ取るのも無理はない。
 ポップの顔に浮かんでいる表情は、いたずらがバレてしまった時の子供のそれだった。


「あーら、ポップ君、お目覚めかしら?」

 皮肉たっぷりな言葉には、溢れんばかりにこめられた棘が含まれている。
 その無言の気迫にたじろいだのか、ポップは機嫌を取るがごとく下手にでる。

「え……えっと……やあ、皆さんおそろいで。ど、どうかした……のかな?」

「『どうかした?』ですって?! それはこっちの台詞よ! いったいどれだけ無茶をすれば気が済むのよっ?!」

「てめえ、付き添いになんの説明もなしに、おっそろしい実験を企てんなよなっ!」

「どうやら、こないだの説教じゃ物足りなかったみたいだな、今からたっぷりと追加してやろうか?」

 一斉にがなりたてられ、ポップは文字通りすくみ上がる。

「そ、そんなに怒んないでくれよ〜。おれにだって、それなりの事情と勝算があったからやったわけだし」

 唯一怒ってないアバンの後ろに隠れ、一同にとっては見当違いの言い訳を始めるポップに、アバンはさっきとは違う苦笑を浮かべた。

(こんなところは、少しも変わっていないんですがねえ)

 自分にすがりつく弟子の手の感触を背に感じながら、アバンはなんとなく安堵した――。

                                                           《続く》

 

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