『レストア 7』 |
その机は、広かった。 威風堂々とした立派な代物ではあるが、その立派さも今は半減している。 ポップは身を乗り出すようにして机の上の書類に目を通しては、手にしたペンであれこれと書き込んでいる。 座高がやけに高く見えるのは、机の端にまで手が届くように椅子の上に分厚いクッションを重ねて敷いて、高さを調節しているせいだ。その結果、高さや実用性は丁度よくなったものの、幼児が大人用の机や椅子に座っている印象を与える。 「ほー、真面目にやってんじゃないか」 からかうような声と共に、ノックもせずに部屋に入ってきたのは、ヒムとラーハルトだった。 「ちぇっ、人の気も知らないで――で、今日の捜索はどうだった?」 手を止めて聞くポップに、ラーハルトは無言のまま首をふる。 「そっか、お疲れさん。じゃあ、具体的な場所を教えてくれよ」 ヒムやラーハルトが上げる地名を、ポップはてきぱきと書き込んでいく。 「んー、やっぱ、この辺はもう望み薄かな。じゃあ、次はこっちの谷あたり……っつっても、それだと国境に引っかかっちまうか」 詳細に書き込んだ地図や書類を前に、ポップは頭を悩ませる。 「だーっ、面倒くせーっ。もう、こんなのうんざりだぁ。実際に、動いてた方がよっぽど楽だよ」 机の上に突っ伏してぼやくポップに、ラーハルトは冷たく言ってのけた。 「自業自得だ。第一、貴様が自分からやると言い出した作業だろう」 「そりゃあ、やるって言ったのはおれだけどさぁ……」 確かに、それは事実だった。 本来ならば指導者の行うべき役割であり、実際、ほんの2、3日前まではレオナがやっていた作業だ。それをポップがやっているのには、理由がある。 あの日――ヒュンケルを助けるためとはいえ、無茶な呪文を使ったポップは、さんっざん皆に非難された。 その罰も含め、この仕事を押しつけられたのだ。 『ひどいわ、言う事をきいてくれないなんて。ポップ君があんまり無茶をするようなら、あたしも黙ってなんかいられないわ。マァムに相談しようかしら』 マァムにだけは、心配をかけたくない。 「ちぇっ、これじゃ軟禁も同然じゃんかよー」 大量の書類を前に、ポップは深く溜め息をつく。別に外に出るなと言われたわけではないが、書類の山を片付けるのにほぼ朝から晩までかかってしまう。 「あんなコト、やんなきゃよかったぜ……」 実感を込めて、ポップはしみじみと呟く。 「それこそ、自分からやったことだろうが。ま、せいぜい頑張るんだな」 ヒムがちょいと片手を上げて、部屋を辞そうとする。が、ポップはそれを引き止めた。
唐突な質問に、二人は足を止めた。 地上に存在する人間世界。 天界や魔界は人間達にはおとぎ話と思われているが、魔族にとっては天界はともかく、魔界は決して伝説ではない。 「そりゃあ、知らねえこたぁねえが……オレも詳しくは知らねえぞ」 「なんでもいいんだよ。魔界について少しでも知っていることがあったら、教えて欲しいんだ」 熱心に聞きたがるポップに、ヒムは首を捻りながら何かを言おうとした。 「うーん、そうだなぁ……」 「――それを聞いてどうする気だ?」 遮ったのは、ラーハルトだった。 「だから、ちょっと聞きたいって言ってるだけじゃん。減るもんじゃあるまいし、ちょこっとだけ教えてくれって」 「先に答えろ。なぜ、そんな質問をする?」 静かな口調とはいえ、答えなければただではおかないと言わんばかりの迫力に満ちている。 「おれは……最近、思うんだ。ダイはひょっとすると魔界にいるんじゃないかって」 「ダイ様が魔界にいる……だと?」
「なぜ、そう思う?」 「覚えているか? バーンとの戦いの時、冥竜王ヴェルザーって奴が声をかけてきただろう?」 ゆっくりと語るポップに、ヒムは即座に、ラーハルトは少し間を置いてから頷いた。
最後の戦いの最中、ライバルに祝福とも呪いとも付かない声をかけてきた冥竜王ヴェルザー……声だけでも、圧倒的な魔力と覇気を感じさせた恐るべき魔物だった。 「冥竜王ヴェルザーはダイの親父さんと戦って、弱っていたところを神々の封印によって封じられたって聞いた。だったら神々の封印ってのは、ある意味で条件魔法なんじゃないかって思った」 条件魔法は、罠に似た効果を持つ。 「弱った竜を封印してしまう効力……ダイは、古代よりその血を受け継いだ竜の騎士。つまり、あいつの本性は竜なんだ。最後の戦いで、ダイは竜の紋章の力を全解放するって言った。あいつの親父さんがそうしたように、竜魔人になるつもりで……」 竜魔人化した竜の騎士は、人の心を無くしてしまう。 幸か不幸か、ポップやレオナはその変貌を見届けられなかった。 「生死の境で、生存のために最大限に身体が防御しようとするのはどんな生き物だって変わらないはずだろ? あの時、あの大爆発から生き延びるために、……それにおれを守るためにダイは多分、親父さんと同じことをしたんだ」 バランの死は、ポップにとっても目に焼きついて離れない。竜魔人となって息子をかばって力を使い果たして死んだバラン……ダイが、あの光景を忘れるはずがない。 「そして力を使い果たした竜魔人が、古代からの封印に引っ掛かった、と?」 突拍子もない発想だが、理屈は通っている。 「……仮にそれが本当だとして、どうする気なんだ」 「決まっているだろ? ダイを探しにいくんだよ! 魔界への行き方を教えてくれ!」 熱のこもったポップの質問に、ラーハルトは眉一つ動かさずに応じた。 「断る」 「なんでだよっ?!」 「主君の意思に、背く気はない。……魔界は、人間が行けるような場所じゃないからな」
「それに教えろと言われても、オレも知らない。まあ、知っていたところで、おまえに教える気など微塵もないが」 「分かったよ、もういいよ! ったく、おまえなんかに頼んだおれが馬鹿だったんだ!」
「魔界などのことを考える暇があるなら、ダイ様がなぜおまえを助けたか、考えてみろ」
廊下を歩きながら、ヒムが言外に非難と疑問を滲ませて問う。 「あの話、オレにはなかなか有望そうに聞こえたけどな」 「確かにポップの言う事は、一理ある。その可能性はあるかもしれない……。だが、魔界はあまりにも危険すぎる」 地上とは比べ物にならない、荒廃しきった闇の大地……それが、魔界だ。瘴気に満ちた厳しい生活環境は、生身の人間にとっては長居はできない場所だ。 「それに……こちらから魔界に行くこと事態、難しい」 魔界と地上を阻む結界は、強固だ。 元々魔界とは、人間を守るために人間の神が魔族を地下深くに押し込めた結果、出来上がった世界だと言われている。 よほど強力な……それこそ大魔王バーンや冥竜王ヴェルザー級の魔力の持ち主でもなければ、その結界は破れない。 神々の結界がいかに強固でも、しかるべき人間ならばそれを解けるのだから。 「その上、冥竜王が魔界のどこに封印されているかなど、誰も知りはしない。かろうじて知っていそうな連中は、もう全員死んだしな」 冥竜王と敵対していた、大魔王バーン。 「仮にも世界を滅ぼそうとした魔物を神が封じたともなれば、生半可な場所に存在するとは思えない。捜し出すには、それこそ奇跡的な幸運が必要になるだろう」 「奇跡、ねえ……。それなら、あの魔法使いならば起こせそうな気もするがねえ」 「――そうかもしれないな。だが、だからこそ、奴を魔界に行かせるわけにはいかない」 ラーハルトには見えていた。 人間を現実に見た経験のある魔族は、そう多くはあるまい。 飢えきった狼の群れの中に、生まれたての子羊を解き放つようなものだ。 「……ったく、おまえも素直じゃねえ奴だなあ。それならそれで、あの魔法使いを死なせたくないって、そう言やあいいじゃないか」 いささかからかいめかしたヒムの言葉に、ラーハルトは真顔のまま答えた。 「そんな分かり切ったことなど、いちいち口にするまでもなかろう」 ラーハルトは、ポップを気にいっている。 なまじ半分人間の血を引いているからこそ、余計に人間を忌み嫌っていたラーハルトに、人間を見直すきっかけを与えたのはヒュンケルとポップだった。 死を恐れぬ戦士であり、人間でありながら魔族に育てられたヒュンケルには同族意識を感じているが、ポップに対しての感情はそれとは違う。 魔族や怪物に恐れを感じもするし、戦いも好まない。 ラーハルトにとって、ポップはこの上なく大切な人間であり、守りたいと思える存在だ。 ――だが、感情を表に出さない上にぶっきらぼうなラーハルトの好意は、ポップには一切伝わっていないのだが。 「それより、おまえに聞いておきたいことがある。おまえは魔界への行き方を、本当は知っているんじゃないのか?」 正面切って聞かれ、ヒムは首を横に振った。 「さっき、あいつに言ったことは掛け根無しの本当さ。オレは生憎、こっちの世界で生まれたし、ずっとハドラー様に従っていた。魔界のことは、ほんの少しばかり聞いたぐらいのもんだ」 魔族によって生み出された分身体の知能レベルは、作り手の意思によって大きく左右される。 「そうか。……それは、幸いだったな」 「何が幸いなんだよ?」 ヒムの質問に、ラーハルトは凄味を含んだ笑みを持って答えた。 「口止めする手間が省けたのが、だ」 |