『レストア 7』

  
 

 その机は、広かった。
 子供どころか、大人が大の字になって寝転がれそうなほど広さを持つ机は、上等の木で作られた特製品だ。

 威風堂々とした立派な代物ではあるが、その立派さも今は半減している。
 なにせ机の表面も見えないほど、さまざまな書類が広げられている上、その机に座っているのはまだ14、5歳の庶民的な少年――ポップなのだから。

 ポップは身を乗り出すようにして机の上の書類に目を通しては、手にしたペンであれこれと書き込んでいる。
 不自然な態勢が災いしていささか雑な字だが、その速度は早かった。

 座高がやけに高く見えるのは、机の端にまで手が届くように椅子の上に分厚いクッションを重ねて敷いて、高さを調節しているせいだ。その結果、高さや実用性は丁度よくなったものの、幼児が大人用の机や椅子に座っている印象を与える。

「ほー、真面目にやってんじゃないか」

 からかうような声と共に、ノックもせずに部屋に入ってきたのは、ヒムとラーハルトだった。

「ちぇっ、人の気も知らないで――で、今日の捜索はどうだった?」

 手を止めて聞くポップに、ラーハルトは無言のまま首をふる。
 一瞬、がっかりした表情を見せたものの、ポップはすぐに気を取り直した。

「そっか、お疲れさん。じゃあ、具体的な場所を教えてくれよ」

 ヒムやラーハルトが上げる地名を、ポップはてきぱきと書き込んでいく。

「んー、やっぱ、この辺はもう望み薄かな。じゃあ、次はこっちの谷あたり……っつっても、それだと国境に引っかかっちまうか」

 詳細に書き込んだ地図や書類を前に、ポップは頭を悩ませる。
 ポップがやっているのは、ダイ捜索に関する資料のまとめ、及び捜索展開の決定作業だ。地味で手が掛かるが、頭の回転と根気を要求される作業でもある。

「だーっ、面倒くせーっ。もう、こんなのうんざりだぁ。実際に、動いてた方がよっぽど楽だよ」

 机の上に突っ伏してぼやくポップに、ラーハルトは冷たく言ってのけた。

「自業自得だ。第一、貴様が自分からやると言い出した作業だろう」

「そりゃあ、やるって言ったのはおれだけどさぁ……」

 確かに、それは事実だった。
 実際の捜索のための人員としてではなく、計画を大局的に判断し、今までの資料を効率よくまとめる役目。

 本来ならば指導者の行うべき役割であり、実際、ほんの2、3日前まではレオナがやっていた作業だ。それをポップがやっているのには、理由がある。

 あの日――ヒュンケルを助けるためとはいえ、無茶な呪文を使ったポップは、さんっざん皆に非難された。

 その罰も含め、この仕事を押しつけられたのだ。
 もちろんポップも最初は嫌がったのだが、レオナの脅迫が決め手となった。

『ひどいわ、言う事をきいてくれないなんて。ポップ君があんまり無茶をするようなら、あたしも黙ってなんかいられないわ。マァムに相談しようかしら』

 マァムにだけは、心配をかけたくない。
 その一心から、仕方なく仕事を受けたポップではあったが――。

「ちぇっ、これじゃ軟禁も同然じゃんかよー」

 大量の書類を前に、ポップは深く溜め息をつく。別に外に出るなと言われたわけではないが、書類の山を片付けるのにほぼ朝から晩までかかってしまう。

「あんなコト、やんなきゃよかったぜ……」

 実感を込めて、ポップはしみじみと呟く。
 ポップが城から出られないのに比べ、身体が治ったヒュンケルはマァムと組んで捜索に積極的に加わっている。
 ポップの計画通りと言えばその通りなのだが、無性に悔しいのも事実だった。

「それこそ、自分からやったことだろうが。ま、せいぜい頑張るんだな」

 ヒムがちょいと片手を上げて、部屋を辞そうとする。が、ポップはそれを引き止めた。


「あ、ちょっと待ってくれよ。質問があるんだ。おまえら、魔界のことって知らない?」
 

 唐突な質問に、二人は足を止めた。
 一説に拠ると、世界は三つに別れていると言われている。

 地上に存在する人間世界。
 天に存在する、神々の住まう天界。
 そして、地下深くに存在する魔界。

 天界や魔界は人間達にはおとぎ話と思われているが、魔族にとっては天界はともかく、魔界は決して伝説ではない。
 実際に自分達が暮らしている、現実の世界なのだから。
 それゆえ、ヒムの返事は否定的なものではなかった。

「そりゃあ、知らねえこたぁねえが……オレも詳しくは知らねえぞ」

「なんでもいいんだよ。魔界について少しでも知っていることがあったら、教えて欲しいんだ」

 熱心に聞きたがるポップに、ヒムは首を捻りながら何かを言おうとした。

「うーん、そうだなぁ……」

「――それを聞いてどうする気だ?」

 遮ったのは、ラーハルトだった。
 彼は自分より大柄なヒムを押し退け、鋭い目をポップに向ける。

「だから、ちょっと聞きたいって言ってるだけじゃん。減るもんじゃあるまいし、ちょこっとだけ教えてくれって」

「先に答えろ。なぜ、そんな質問をする?」

 静かな口調とはいえ、答えなければただではおかないと言わんばかりの迫力に満ちている。
 ごまかしや口車を全く受け付けそうもないその様子に、ポップは肩を竦め――しぶしぶと口を割った。

「おれは……最近、思うんだ。ダイはひょっとすると魔界にいるんじゃないかって」

「ダイ様が魔界にいる……だと?」


 いきなり飛んだ意見をきかされて、ラーハルトは思わずその言葉を繰り返した。まじまじと魔法使いの少年を見つめ……彼はひどくそっけなく問い返した。

「なぜ、そう思う?」

「覚えているか? バーンとの戦いの時、冥竜王ヴェルザーって奴が声をかけてきただろう?」

 ゆっくりと語るポップに、ヒムは即座に、ラーハルトは少し間を置いてから頷いた。
 最後の戦いの際、力を使い果たしてほぼ気絶状態だったとはいえ、うっすらとは意識はあった。多少飛び飛びではあるが、要所は記憶に残っている。


 大魔王バーンのライバルにあたる、魔界の邪竜ヴェルザー。
 その身を石にされる封印を受けてはいるが、まだ滅びてはいなかった。

 最後の戦いの最中、ライバルに祝福とも呪いとも付かない声をかけてきた冥竜王ヴェルザー……声だけでも、圧倒的な魔力と覇気を感じさせた恐るべき魔物だった。

「冥竜王ヴェルザーはダイの親父さんと戦って、弱っていたところを神々の封印によって封じられたって聞いた。だったら神々の封印ってのは、ある意味で条件魔法なんじゃないかって思った」

 条件魔法は、罠に似た効果を持つ。
 他の者に対しては何の効果も持たない、だが、一定の条件に適った相手だけには、その効力を発動させる。
 その効力は長期に亘り、場合に因っては術者が死亡した後も続く息の長い魔法だ。

「弱った竜を封印してしまう効力……ダイは、古代よりその血を受け継いだ竜の騎士。つまり、あいつの本性は竜なんだ。最後の戦いで、ダイは竜の紋章の力を全解放するって言った。あいつの親父さんがそうしたように、竜魔人になるつもりで……」

 竜魔人化した竜の騎士は、人の心を無くしてしまう。
 力の限り暴れ、動くものすべてを殺そうとする、恐るべき殺戮の魔獣と化すのだ。ダイがもっとも忌み嫌っていた、最悪の変身……ダイはそれを、あえて実行した。

 幸か不幸か、ポップやレオナはその変貌を見届けられなかった。
 だが、バーンに勝つためにダイがとった手段を、ポップは疑っていない。

「生死の境で、生存のために最大限に身体が防御しようとするのはどんな生き物だって変わらないはずだろ? あの時、あの大爆発から生き延びるために、……それにおれを守るためにダイは多分、親父さんと同じことをしたんだ」

 バランの死は、ポップにとっても目に焼きついて離れない。竜魔人となって息子をかばって力を使い果たして死んだバラン……ダイが、あの光景を忘れるはずがない。

「そして力を使い果たした竜魔人が、古代からの封印に引っ掛かった、と?」

 突拍子もない発想だが、理屈は通っている。
 少なくとも、ラーハルトにはこの推理を否定することはできない。

「……仮にそれが本当だとして、どうする気なんだ」

「決まっているだろ? ダイを探しにいくんだよ! 魔界への行き方を教えてくれ!」

 熱のこもったポップの質問に、ラーハルトは眉一つ動かさずに応じた。

「断る」

「なんでだよっ?!」

「主君の意思に、背く気はない。……魔界は、人間が行けるような場所じゃないからな」


 ラーハルトにとって、ダイは絶対の忠誠を捧げるべき主君だ。そのダイが、最後の最後で守ろうとした人間がポップである。ならば、それに反する行動を取るつもりは微塵もなかった。

「それに教えろと言われても、オレも知らない。まあ、知っていたところで、おまえに教える気など微塵もないが」

「分かったよ、もういいよ! ったく、おまえなんかに頼んだおれが馬鹿だったんだ!」


 ぷんぷんに腹を立てるポップを余所に、ラーハルトはヒムを強引に押し出すようにして、部屋を出ようとする。
 戸を閉める間際、ラーハルトは捨て台詞のように言った。

「魔界などのことを考える暇があるなら、ダイ様がなぜおまえを助けたか、考えてみろ」


 減らず口では誰にも引けを取らないポップが、その言葉に一瞬、詰まる。ポップが立ち直って反論する前に、扉はばたんと閉められた――。

 

 


「おい、いいのかよ? さっきの話、ろくに聞かない内に断っちまってよ」

 廊下を歩きながら、ヒムが言外に非難と疑問を滲ませて問う。

「あの話、オレにはなかなか有望そうに聞こえたけどな」

「確かにポップの言う事は、一理ある。その可能性はあるかもしれない……。だが、魔界はあまりにも危険すぎる」

 地上とは比べ物にならない、荒廃しきった闇の大地……それが、魔界だ。瘴気に満ちた厳しい生活環境は、生身の人間にとっては長居はできない場所だ。

「それに……こちらから魔界に行くこと事態、難しい」

 魔界と地上を阻む結界は、強固だ。
 魔界から地上へと行くのは、困難だ。

 元々魔界とは、人間を守るために人間の神が魔族を地下深くに押し込めた結果、出来上がった世界だと言われている。
 魔族が魔界から脱出するのは、非常に難しい。

 よほど強力な……それこそ大魔王バーンや冥竜王ヴェルザー級の魔力の持ち主でもなければ、その結界は破れない。
 それに比べれば、地上から魔界へと行くのは難しいとは言え不可能ではない。

 神々の結界がいかに強固でも、しかるべき人間ならばそれを解けるのだから。
 だが、魔界へと通じる道は、一定の場所には存在しない。不安定な蜃気楼のようにうつろい、時と共にその場所を変えていく。
 その場所を突き止めるだけでも、ひどく時間がかかる作業になる。

「その上、冥竜王が魔界のどこに封印されているかなど、誰も知りはしない。かろうじて知っていそうな連中は、もう全員死んだしな」

 冥竜王と敵対していた、大魔王バーン。
 冥竜王と直接対決をした、竜騎士バラン。
 冥竜王の配下であり、彼の命令でバーンに仕えていた暗殺者キルバーン。
 手掛かりを握っていたその三者は、もうすでに死んでいる。

「仮にも世界を滅ぼそうとした魔物を神が封じたともなれば、生半可な場所に存在するとは思えない。捜し出すには、それこそ奇跡的な幸運が必要になるだろう」

「奇跡、ねえ……。それなら、あの魔法使いならば起こせそうな気もするがねえ」

「――そうかもしれないな。だが、だからこそ、奴を魔界に行かせるわけにはいかない」
 

 ラーハルトには見えていた。
 ポップには見透かせない、魔界の危険さが。
 結界のせいで、魔族の多くは人間の世界を知らないまま生きる。

 人間を現実に見た経験のある魔族は、そう多くはあるまい。
 だが――人間の方から目の前にやってきたのなら……それを見逃す魔族などいはしまい。

 飢えきった狼の群れの中に、生まれたての子羊を解き放つようなものだ。
 結果は目に見えていた。

「……ったく、おまえも素直じゃねえ奴だなあ。それならそれで、あの魔法使いを死なせたくないって、そう言やあいいじゃないか」

 いささかからかいめかしたヒムの言葉に、ラーハルトは真顔のまま答えた。

「そんな分かり切ったことなど、いちいち口にするまでもなかろう」

 ラーハルトは、ポップを気にいっている。
 ダイの命令がなかったとしても、おそらくラーハルトはポップを助けたいと思っただろう。

 なまじ半分人間の血を引いているからこそ、余計に人間を忌み嫌っていたラーハルトに、人間を見直すきっかけを与えたのはヒュンケルとポップだった。

 死を恐れぬ戦士であり、人間でありながら魔族に育てられたヒュンケルには同族意識を感じているが、ポップに対しての感情はそれとは違う。
 ポップは、ごく普通の人間だ。

 魔族や怪物に恐れを感じもするし、戦いも好まない。
 それでいながらポップは、魔族や怪物を友として扱うことができる。
 魔族の血を引く自分に対し、遠慮もなしに文句を言ってくるポップの存在は、ラーハルトにとっては好ましくすら感じられる。

 ラーハルトにとって、ポップはこの上なく大切な人間であり、守りたいと思える存在だ。 

 ――だが、感情を表に出さない上にぶっきらぼうなラーハルトの好意は、ポップには一切伝わっていないのだが。

「それより、おまえに聞いておきたいことがある。おまえは魔界への行き方を、本当は知っているんじゃないのか?」

 正面切って聞かれ、ヒムは首を横に振った。

「さっき、あいつに言ったことは掛け根無しの本当さ。オレは生憎、こっちの世界で生まれたし、ずっとハドラー様に従っていた。魔界のことは、ほんの少しばかり聞いたぐらいのもんだ」

 魔族によって生み出された分身体の知能レベルは、作り手の意思によって大きく左右される。
 戦闘能力を特化されたヒムは、伝承や知識面にはさして明るくはない。
 人間界居住の一般的な魔族が知っている範囲の知識……その程度のものだ。

「そうか。……それは、幸いだったな」

「何が幸いなんだよ?」

 ヒムの質問に、ラーハルトは凄味を含んだ笑みを持って答えた。

「口止めする手間が省けたのが、だ」
 
                                    《続く》
 

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