『ホーム  3』

   

 波の音が、耳に響く。
 ほとんど眠りに落ちかけながら、ポップはぼんやりとした意識の中でその音を聞いていた。

 世界一の大魔道士とは言え、マトリフの家は要はただの洞窟……パプニカ王国の海岸にある。自然の洞窟に多少の補強を施しただけのこの住居は、呆れた話だが扉さえついていない。

 だが、偽装として入り口を半ばふさぐ形で置いてある大岩が風の侵入を防いでおり、内部は驚く程居心地がいい。それなのに扉が無いので、波の音は遮られることなく耳に届く。

 一定のリズムは子守歌のようだし、何より引き込まれるような眠気も感じている。このまま眠ってしまいたいと思う反面、何か引っ掛かりがあってなかなか寝付けない。

(え……と……ねみい……じゃなくて……なんで、おれ、ここで……寝てんだろ……?)

 大魔王バーン戦に備えて、ポップが選んだ修行地は師匠マトリフのいるこの洞窟だった。出発地であるパプニカ城からさして離れてもいない、ある意味ではとんでもないほどご近所ではあるが、強力な魔法の習得のためならばここが世界で一番の場所だ。

 実際、ポップは昨日、マトリフより彼の秘技にして最強の魔法を伝授された。無茶な修行に危うく死にかけはしたが、その魔法はマスターしたつもりだ。

 さらに、今日一杯かけて、ありとあらゆる魔法との契約をやらされた。
 魔法使いとは、この世に住まう様々な精霊と契約を交わし、その力を借りた術を施行する者を指す。魔法陣を使用した正式な契約は、魔法を志す者ならば当然、幾度と無く経験する。

 だが、契約が成立したとしても、本人の力量が足りなければ魔法は発動しないため、普通は見込みのありそうな系統の術を少しずつ契約していくものだ。

 ポップにしても魔法契約の儀式は何度か行ったものの、最初から覚える気がないものや、僧侶系の呪文などはろくに挑戦した試しすらない。
 が、マトリフの意見は違った。

『契約と借金は、できる時にゃしておけ!』

 そう言われて、魔法使いの呪文は言うに及ばず、僧侶系の魔法の契約まで一通り強要された。契約の儀式自体には魔法力を使うものでは無いが、高い集中力が必要とされるものには違いない。

 連続で数十近い契約を結んだ後は、すっかりバテてしまった。一休みして、珍しくも、マトリフが入れてくれたお茶を飲んだ……その後の記憶が曖昧だ。
 いつの間に洞窟に戻ってきたのか、まるで覚えていない。

「……あ、いるぜ、奥で寝てらぁ」

 同じ洞窟内にいるはずのマトリフの声が、ひどく遠く聞こえる。
 かすかに聞こえる足跡がダブって聞こえる……と思ったら、それは本当に二人分の足音だった。

「こんな時間に、もう?」

 訝しげな声は、ヒュンケルのものだ。どうして奴がここにいるのかという疑問よりも早く、早寝を馬鹿にされた屈辱感が込み上げる。

 そのせいで、一気に目が冴える。
 が、いくら意識が戻っても、身体の方がついていかなかった。起きよう、起きようと思っても、身体が重くて全然動かない。
 呼吸でさえ、自分でもはっきりと分かるぐらい寝息そのものだ。

「ああ、随分と疲れていたみたいだからなァ、一服盛って眠らせたんだ」

(ど、どおりでっ……!)

 今度はマトリフに対する怒りが沸き上がったが、それは長くは続かなかった。

「魔法使いって奴は、普通の人間以上に休息を取る必要がある。特に、極度に精神力を消費した後は、十分に眠らせてやらないとな。いくら若いからって言っても、疲れって奴は次第に溜まっていくもんだ。無理を重ねれば、必ず後で反動がでる。強力な魔法ってのには、それなりの代償があるもんだ……」

「……今まで、ポップはそんな話は言いもしなかったな。隠していたのか……」

 師であるマトリフの解説が、苦みを含んだヒュンケルの言葉が、ポップにはズシンと響いた。

「……かもしれねえな。この馬鹿は、根性なしの癖して、変なところだけ意地っ張りだからな。――にしても、へっ、こうして寝ているとまるっきりガキだな」

 人の気配が近付いてきたが、それでもポップは起きられなかった。
 と、言うよりも、こんな話を聞いて今更起きていたなんて言えない。さっきまでとは違い、起きないようにと逆方向に気を使いながら横たわる。

 気配には敏感なヒュンケルにはバレるんじゃないかとヒヤヒヤものだったが、意識だけはあっても今のポップは薬の影響で半ば寝入りかけている。
 ヒュンケルでさえ、ポップは熟睡していると思ったし、ましてや飲ませた薬の強さを承知しているマトリフは、その眠りを疑いもしなかった。

「あどけない面して、眠ってやがる。……なあ、こいつは幾つだったかな?」

「確か、15歳のはずだ。ポップの父親がそう言っていた」

「15か――親はよく手放したものだぜ」

「いや、家出したそうだ。ポップの母親が嘆いていたよ。……優しくて、親切な女性だった。父親も、少々風変わりだが、気さくで話の分かる男だ。――正直、羨ましかったよ。帰るべき家を持っているポップがな」

 ヒュンケルの言葉を、ポップは驚き混じりに聞いていた。この寡黙な戦士は、あまり自分の感情を口にすることがない。
 それだけに、こんな風に考えるだなんて意外だった。

「親御さんの気持ちを思うと、オレも辛くてな。全く、この年で弟子なんか持つもんじゃねえぜ。甘やかしゃ文句や御託ばかり言いやがって何一つ覚えやしないし、ギリギリまで鍛えなきゃモノにならねえときている」

 マトリフの毒舌には、不思議といつもの刺は感じられなかった。

「……まだ15のこいつには想像もつかねえだろうな。自分の孫ほどの年の子供に、命懸けの修行を強いなければならねえ辛さはよ……」

 やけに苦々しいその呟きに、ポップは申し訳ないような気持ちでいっぱいになる。普段は横暴で傲慢な師匠なだけに、そんな風に感じるのは初めてだった。

「……と、それはそうとして、話を逸らしてすまねえな。おまえさん、なんかこいつに用があって来たんじゃねえのか?」

「ああ。レオナ姫より、この手紙をことづかってきた」

「ふぅん? どれどれ…………まあ、こいつの修行や準備はもう済んだから、オレとしちゃ構わねえっていや構わねえな。後はこいつ次第だ」

「しかし……ポップ次第とは言っても、眠ったままでは……」

「心配すんな、こうすりゃすぐに目覚めるって」

 マトリフのその言葉と同時に、ポップは半ば抱き起こされる。
 それだけならまだしも――つーんと鼻の奥を刺激する、とびっきりきつい臭いをいきなりかがされて、一気に眠気が吹き飛んだ!

「うわぶっ!? げほっ、げげげっ、な、なんなんだよ、これーっ!?」

 眠ったふりを続けるも何も、吐き気を催さんばかりの悪臭に咳き込みつつ、ポップは跳ね起きた。

「お、起きたか、ポップ」

「起きたか、じゃねえよっ、師匠っ!? 人に何をかがせるんだよっ!?」

「そう怒るなって、こいつぁ、ただの薬だ。覚醒魔法に似た効果があるだけで、別に身体に害はねえよ」

「なにがザメハだよ!? こんなすっげー嫌な臭いがするもんかがせるぐらいなら、素直に魔法で起こしてくれりゃいいじゃないか! 師匠ならどうせ使えるんだろ!?」

「いやそれがよ、最近、歳のせいか細かい魔法を使うのが面倒でな」

 そう宣いながら、マトリフは半分以上使い込んだ蝋燭を手に握りこんだ。素手で握り込んだだけの蝋燭は嘘のように滑らかに溶け、羊皮紙に封を施す。

「つくなら、もっとマシな嘘つけよっ!」

 そうポップが怒鳴るのも、無理はない。
 火炎呪文の威力をわざと弱めてコントロールするのは、たやすい技ではない。それこそ、達人級の腕前が必要とされる。

 ポップも呪文の制御には自信がある方だが、蝋燭に火をつけるぐらいならまだしも、手紙を全く焦がさずに蝋で封をするなんて繊細な芸当はとてもできない。

「じゃあ、薬の実験台になってもらったとでも言った方がお気に召すってのかよ? ま、文句なら後で聞いてやる。今は、お使いを一つ頼むぜ」

 封をした羊皮紙を書簡用の筒に入れると、マトリフはそれをポップに放って投げた。

「うわっ!? とっ、っと!」

 危なっかしげながらも、なんとかポップはそれを受け止める。

「王女さんからのご依頼だ。その手紙を、ロン・ベルクへ至急渡して欲しいんだそうだ。そのついでに、このニイちゃんもランカークスまで送ってってやりな」

「ええーっ!? なんでおれがっ!?」

「何故も糞もあるか、故郷への移動なんざ楽な作業だろう」

 確かに、それは正論だ。
 瞬間移動呪文は、術者がいかに強くその場所をイメージできるかによって、成否が左右される。

 その意味では生まれ育った場所程、術者が楽に移動できる場所は他にない。
 だが、ポップはためらった。

「そりゃあそうだけどよ……」

 家出した身としては、やっぱり故郷には帰りにくい。さらにためらいに拍車を掛けるのは、ヒュンケルの存在だ。
 一緒にいるとコンプレックスを刺激されまくる恋敵と行動を共にするのは、ポップにとってはなんとなく面白くない。

 だが――ここでゴネても、どうにもならないのも分かっていた。
 マトリフがいかに優れた魔法使いであっても、一度も行った経験のない場所に瞬間移動呪文を使うのは不可能だし、気球船などの別手段で移動するには時間のロスが大きすぎる。

 素直に認めるのは悔しいが、ヒュンケルの戦士としての腕前はダイ以上だ。
 彼やダイの修行を妨げるのは、はっきりいって戦力に大打撃を与えかねない。

「……おまえらの修行、まだ、終わってないのかよ?」

 膨れっ面のまま聞いた質問だが、実はポップはすでに答えの予測がついていた。
 修行が済んでいたのなら、ダイの方がこちらに移動してきているだろう。彼ならば、曲がりなりにも瞬間移動呪文は使えるのだから。

「まだだ。できるなら、ぎりぎりまで粘ってみたい」

 予想通りのヒュンケルの答えに、ポップはしぶしぶ立ち上がった。

「……なら、分かったよ。しょうがねえな、ランカークスに送ってってやるよ」








 瞬間移動呪文の際に必ず感じる浮遊感。
 その感覚は、ポップは嫌いではない。飛翔呪文の空を直接飛ぶという爽快感とは比べ物にならないが、一瞬で遠くまで移動できるその感覚は気にいっている。

 苦手なのは、着地の瞬間の衝撃だ。
 熟練した魔法使いならば瞬間移動呪文の着地も静かなものだが、ポップはどうも着地は下手だった。いつだって反動が強すぎて、派手にすっころんでしまう。

 果たして、今回もその例を漏れなかった。
 バランスを見事に失って転びかけたが――力強い腕がぐいっとポップを引き寄せる。

 転ぶ代わりに、見た目よりもずっと厚い胸板に支えられて無事に済んだものの……心理的ダメージは転ぶ以上に大きかった。

(よりによってヒュンケルに支えられるなんてよっ!)

 感謝の気持ちよりもなによりも、子供扱いされたという屈辱感が先に立つ。

「大丈夫か、ポップ」

「平気に決まってるだろっ!! 離せよっ!」

 支え手を振り払って、ポップは周囲を見回しもせずにズカズカと森の方へ歩きだした。黙ったままついてこようとするヒュンケルを、ポップは押しとどめる。

「おまえは、そっちだろ」

 ポップが指差したのは、村の外れっぽい場所にある一軒家だった。今は閉まっているが、この村で唯一の武器屋――ポップの実家だ。
 少し距離があるため中の様子は全く窺えないが、窓から漏れる光はよく見える。

「ほら、早く行けよ。食事の時間に遅れるぞ。ウチじゃ、日が沈む頃に夕食って決まってんだから」

 ほとんど沈みかけた夕日とポップを見比べ、ヒュンケルは静かに尋ねた。

「おまえは……こないのか?」

「冗談! 家出しといて、夕飯を食べに家に帰れるわきゃないだろ! それに、おれにはまだ用があるもん。あー、面倒くせーの」

 暖かな窓の明かりにくるりと背を向け、ポップは暗い森の中へと歩いて行く。さすがに地元だけあって、その足取りには迷いはない。

 それでも、暗くなっていく森の中を、明かりもなしに進むのは危険じゃないかと思わずにはいられなかったが――高く掲げたポップの手に、ポッと火が宿る。

 どうやら、得意な火炎呪文を松明代わりにするつもりらしい。
 その後ろ姿を、ヒュンケルはしばらく見送っていた。
 ――それしかできない自分に、少しばかり苦笑を禁じ得ない。

(やはり……オレでは上手く運べないな)

 ヒュンケルにとって、ポップは大事な弟弟子だ。それを差し引いたとしても、ポップは好感の持てる少年だ。

 自分の気持ちに正直で、いつだって明るさを振りまいては周囲の人間を楽しませてくれる。
 自分とは正反対の資質なだけに、それは輝いて見えた。自分に対して反発してくる態度さえ、好ましく見える。

 それだけに……ポップのためになるのなら、協力してやりたい気持ちは常にある。
 だが、それを表現する方法を、ヒュンケルは知らない。

 戦いの場なら、決して後れをとらない自信はある。どう状況が転ぼうと、即座に反応し、応じるだけの鍛練は積んできたつもりだ。

 しかし、素直に自分の感情を口にするには、ヒュンケルはあまりに口下手で、不器用だ。

 こんな時に思い浮かぶのは、師であるアバンだ。アバンは、不思議と人を和ませる雰囲気を持っていた。反発するポップを引き止め、やんわりと宥めて平和的に実家に連れていくぐらい、彼ならばできるだろう。
 だが、彼はもういない――。

 もし、ヒュンケル自身が敢えてポップを引き止めるのであれば、力ずく以外の手段は思い付かない。

 だが、その方法をヒュンケルは選択しなかった。
 無理強いはしたくないし、なにより――ことの起こりはロン・ベルクの頼み事が発端だった。

 ならば、本人に努力してもらうのが順当というものだろう。
 気に掛かる弟弟子に背を向け、ヒュンケルはもう一人の弟弟子の待つ武器屋へと歩を進めた――。       

                                                  《続く》
 

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