『それぞれの決意 2』

 

 少しばかり、時は遡る――。
 バルジ島を望む海岸に隠された洞窟の前で、エイミはようやく修復したばかりの気球を見上げていた。

 比較的軽傷の兵士達の力を借り、突貫作業でやっと修復した気球船はもう、いつでも出発できる状態になっている。

「エイミ様、本当にお一人で行かれるのですか……?」

 兵士の一人が、心配そうに彼女に声を掛ける。
 迷いもなく、エイミは頷いた。

「ええ。今となっては、戦力として動けるのは私一人ですから」

 年は若くとも、エイミもパプニカでもっとも名誉ある三賢者という地位に選ばれた一人だ。
 攻撃魔法も回復魔法も使えるし、剣の少しなら使える。

 標準的な兵士を上回る実力を自負しているが、それでも不安が拭えないのはアポロやマリンの敗北を目の当たりにしたせいだった。
 同じく三賢者とはいえ、エイミよりも年上の二人は彼女よりも魔法の腕も上ならば、戦闘の経験も上回っている。

 その二人でさえ全く適わなかった敵がまだいるかもしれない場所に、たった一人で乗り込もうとしているのだ。不安や恐れを感じるのも当然だろう。
 だが、恐怖以上に、主君に対する心配の念が上回っていた。

(姫様……!)

 今となってはパプニカ王家のただ一人の生き残りであるレオナは、国の希望の象徴だ。彼女が無事ならば、まだ国を立て直すのも不可能ではないだろう。
 その重要性を、三賢者であるエイミは充分に熟知している。

 そして、レオナを助けたいと思うのは、王家に対する忠誠以上の感情のためでもあった。エイミが三賢者として選出されたのは去年のことだが、それ以前から彼女はレオナの身近にいた。

 王家の姫の遊び相手として選ばれた時から、ずっとエイミにとってレオナは尊敬に値する主君であり、無礼を承知であえて言うのなら、妹のように身近に感じている少女だ。
 命と引き換えても、どうしても助けたいと思う。

「島の様子は、どうですか?」

 エイミの質問に、望遠鏡でずっと島を見張っていた兵士の一人が、沈んだ表情で首を振る。

「はっ、変わりありません。少し前までは、轟音や凄まじい光が耐えなかったのですが、それが途絶えてからは変化ありません……」

 レオナを救出に向かった勇者ダイとその仲間達が、激しい戦いを繰り広げたことはこの場所からでも容易に窺い知れた。
 だが、しばらく前にそれが終わってからは、戦況が掴めない。

 それを確認するためにも、エイミは危険でも単身でバルジ島へ向かうつもりだった。
 だが、その前に肉親である姉の様子を確かめたいと思うのは、人情だろう。すぐに戻ると言い置いて、エイミは洞窟の一番奥へと向かった。





 洞窟内の一角で、マリンは一人だけ奥まった衝立の影で横たわっていた。治療が終わると同時に洞窟の外へと追い出された、他の負傷者に比べると明らかに特別待遇だ。だが、その扱いが、マリンが女性だからという理由だけではないのを、エイミは知っていた。
 顔全体に濡れたタオルを乗せ横たわっている姉に、エイミは恐る恐る声をかける。

「姉さん……具合はどう?」

「ええ……、だいぶ、良くなったわ。あなたやアポロのおかげで、痛みもずいぶんと引いたし」

 弱々しいながらもそう答えるマリンに、エイミは胸の痛みを覚える。
 ――良くなったはずなどないのだ。
 氷と炎の身体を持つ怪物、氷炎将軍フレイザードの炎の腕で顔を掴まれたマリンは、ひどい大火傷を負ってしまった。

 幸いにも命や視神経は無事だったとはいえ、掴まれたのはもろに顔だ。無事で済むはずがない。
 エイミはもちろんアポロも、必死になって回復魔法を何度もかけ、命は取り留めたものの……マリンの負ったダメージは少なくはなかった。

「エイミ……。お願いがあるの。鏡を……見せて、くれる?」

 不安に震える声でそうねだられて、エイミは言葉に詰まった。
 マリンのその気持ちは、よく分かる。
 エイミとて年頃の娘だ、顔に怪我を負ったのならいくら回復魔法で治してもらったとしても、傷跡がちゃんと消えたかどうか心配で、どうしても確かめずにはいられないだろう。

 回復魔法は、万能ではない。
 特に、今回のように体力を取り戻させるのを優先的に治療した場合、傷跡までは完全に治せないことは多い。
 だからこそ今のマリンに鏡など――とても、渡すことなどできない。

「あ……、ご、ごめんなさい、姉さん。ここには鏡なんてないのよ」

 なんとか、なんでもない風を装ってそう言ったエイミの言葉が終わらないうちに、嗄れ声が割り込んできた。

「いいや、鏡ぐらいあるぜ。おい、ニイちゃん、そっちの隅に置いてある鏡を持ってきてやんな」

 声の主はこの洞窟の持ち主であるマトリフだった。そして、横柄に顎でしゃくって鏡を持ってこさせようとしている相手がアポロなのに気がついて、エイミは驚愕する。

「マ、マトリフさんっ、あなたはなにを……っ!」

 激しい怒りから、エイミは叫ばずにはいられなかった。
 今のマリンに自分の顔を見せるのも、また、そのために鏡を渡すのがよりによってアポロなのも、あまりにもひどすぎる。

 徹底的に抗議しようと口を開きかけたエイミだが――マトリフに睨まれて、立ちすくんだ。

「自分の望んで挑んだ、戦いの結果だろうが。自分の目で見届けないでどうする?」

 格が、違うとでも言うのか。
 スケベでいいかげんな年よりという普段の姿からは及びもつかないその鋭い眼光に、エイミは気圧されてしまう。

「甘ったれた考えで、邪魔をすんじゃねえよ。おい、ニイちゃん、さっさとしな。あんたが渡さないと、意味がねえんだからよ」

 蛇に睨まれた蛙のように身動きもできないエイミの前で、アポロがふらつく身体でやっとのように鏡を持ち、マリンへと差し出す。

「大丈夫かい、マリン?」

 自分も動くのもやっとの様子なのに、アポロはマリンを気遣って彼女に手を貸してやっている。
 緩慢な動作で身を起こし、鏡を覗き込んだマリンは――目を大きく見開いて震えだした。

「…………っ!?」

 声にならない嗚咽が、彼女の口から漏れる。
 その衝撃も、無理もないだろう――今の彼女の顔は、醜く焼けただれて見る影もなく面変わりしているのだから。

 パプニカでも指折りと評判の美貌で知られていたマリンなだけに、その差は衝撃的だった。
 それだけに、絶望の深さは察して余りある。
 女性にとって、顔は重要な意味合いを持つ。それを傷つけられ、平気でいられる女などいるはずもない。

 あまりにもむごすぎる自分の顔に驚愕し……そして、マリンはそれを見ているのが自分だけではないと知って、狂乱したように叫びだした。

「あ……っ、い、いやっ、見ないでっ! 見ないで、アポロッ! 出て行ってっ!!」

「姉さんっ!!」

 悲痛な悲鳴を上げる姉に、エイミはおもわず駆け寄ろうとした。が、年寄りとはとても思えない力で、マトリフがぐいぐいとエイミを引っ張り、外へと向かう。

「離してっ、このままじゃ姉さんが――っ」

「ハン、野暮な真似はやめときな、ネエちゃんよ。いくら身内っつっても、慰められる傷とそうじゃない傷があるってもんさ。ま、この場はあの男にまかせときな」

 いささか皮肉めいた声でそう言いながら、マトリフは顎をしゃくって後ろを指し示す。それに従って振り返ったエイミが見たものは――熱烈にマリンを抱きしめるアポロの姿だった。

「ア、アポロ……?」

 戸惑ったようなマリンの声が少しくぐもって聞こえるのは、アポロがしっかりと彼女を抱き込んでいるせいだ。
 まるで自分の胸に埋めようとしているかのように、アポロは強く、そして怪我の負担にならぬように優しく彼女を抱く。

「ああ……、見ない。君が望むのなら、決して見ないから――」

 自分も少なからぬ火傷を負った身でありながら、アポロはマリンだけを大切にその腕に抱きしめていた。

「落ち着いてくれ……、大丈夫だ、マリン。きっと治る……っ! いや、必ず、私が治してみせるから……!」

 囁かれる言葉に込められた優しさに、聞いているだけのエイミでさえ赤面してしまう。
 それは、普段のアポロらしからぬ激情だった。
 常に、三賢者という立場を弁えて行動するようにとマリンやエイミを諭し、自分を厳しく律してリーダーとして振る舞うアポロの、思いも掛けない熱さ。

 だが、それでいて納得できる熱でもあった。
 立場を気にして自分の気持ちを抑えてはいるが、アポロがマリンを意識しているのは、ずっと前からエイミは知っていた。

 マリンの方もアポロを思っているのも、妹の特権として、姉の口から幾度となく聞いている。

 両思いでありながら立場に縛られて、思いを伝えきれていない二人に、エイミはいつもどこか、もどかしさを感じていた。
 だが、そのアポロがこんなにも強く思いをさらけ出すとは――。

「アポロ……、アポロ……ッ!!」

 泣きじゃくりながら、マリンもまた唯一の救いとばかりにアポロを抱き返す。いつもは冷静な姉が見せる、弱々しいまでの女性らしさに目を惹かれかけ……エイミは慌てて目を逸らした。

 いくらなんでも、これ以上を見ているのは二人に対して失礼というものだろう。恋人同士が互いに慰め合おうとしている際に、たとえ妹であろうとも見物しようなどとは無粋もいいところだ。

 足を速めて洞窟から出ようとするエイミに、先を進んでいたマトリフがニヤリと笑みを浮かべて見せる。

「な、あのニイちゃんに任せとけって言ったろ?」

「……!」

 再び、驚きにエイミの目が見開かれる。
 先代の勇者一行の魔法使いにして、パプニカの元宮廷魔道士として名前だけは知っていた、大魔道士マトリフ。

 伝説的な名声ばかりが先行して、今一つ現実味のないその噂を、エイミは多少軽んじていたところがあった。
 特に、マトリフ本人に会ってからはなおさらだ。

 伝説の大魔道士とも思えない意地の悪さや、人助けを億劫がる態度にスケベな言動――だが、やはりこの人は大魔道士なのだと実感する。
 エイミがただ、マリンのショックを恐れて後延ばしにしようとしたことを、マトリフは見事に行ってみせた。

 どんな形であれ、今の自分の顔を見てマリンが衝撃を受けるのであれば、それを慰める人がいる時に見せた方がいいと判断したのだ。
 ほんのわずかの間に、マトリフはアポロとマリンの間の関係をものの見事に見抜いたからこそ、そうしたのだろう。

 その人間観察眼や洞察力は、ずば抜けていると言わざるを得ない。
 はっきりと真実を人に突きつける厳しさ、それでいて人情の機微に通じた隠れた優しさ――両者を矛盾なく持ち合わせているこの老魔道士に、エイミは初めて尊敬の念を抱いた。

「あ、ありがとうございます、マトリフさん」

「ふん、礼にゃ及ばねえよ、オリャア何にもしてねえんだからな。礼を言うんなら、あのネエちゃんの顔を治した時にでも、とっておきな」

 マトリフのその言葉の意味を、エイミはすぐには理解できなかった。

「え……?」

「事件にカタがついて、あの娘の体力が戻った頃……そん時になっても、あの火傷の跡がどうしても治せねえってんなら、オレんとこにつれてきな」

 事も無げにサラッと言ってのけるその言葉。それが、マリンの治癒を確約するものだと気がついた途端、エイミは思わずうわずった声で叫んでいた。

「ほ、本当ですかっ!? 姉さんは……っ、姉さんは治るんですか!?」

 正直、それはエイミの腕では不可能に近い。
 マリンやアポロとて、非常に困難だ。唯一、希望があるとするのなら、三賢者以上の回復の素質に能力に恵まれたレオナ姫の魔法ぐらいのものだが、それも確実とは言えないだろう。
 だが、マトリフはごく当たり前のことのように、あっさりと言う。

「まあな。あれほどのべっぴんさんが、一生あのまんまってのも気の毒な話だしな」

 あえて保障する程でもないとばかりの軽さが、余計に真実味を付け加える。
 その年齢の老人とは思えない矍鑠たる足取りで洞窟の外に出たマトリフは、自分から先に気球に乗り込んだ。

「ほれ、出発するんだろ? さっさと動かしてくんな、オレにゃあこんなハイカラなもんの仕組みは分からねえからな」

「い、一緒に行ってくださるんですか?」

 二重の驚きに問いかけると、マトリフは暇潰しだと軽く手を振る。

「あの様子じゃ、しばらくオレんちにゃ戻れそうもないからな。その間の散歩ぐらいなら、付き合ってやってもいいぜ」

 捻くれて、素直ではない口の聞きっぷりに、エイミはもう戸惑いもしなかった。最上級の敬意を込めて、エイミは深々と頭を下げる。

「ありがとうございます! 本当に、なんと言ってお礼を言えばいいか……っ」

「ケッ、礼をしてくれるってんなら、そのムチムチしたケツを揉ませてくれりゃ、それでいいぜ」

 ケケケと笑う大魔道士を前にして、エイミは多少引きつった笑顔で溜め息を噛み殺す。

(…………これで、これさえなければいい人と思い直せなくもないんだけど)

 喉元まで込み上げてきたその言葉は、感謝の念に免じて、こっそりと心の奥に秘めておいた――。






「ひどい……っ! いったい、何があったっていうの?」

 バルジ島。
 本来なら人が近寄らないだけに、自然の豊かな、緑に溢れた島のはずだった。
 だが、今は島のあちこちに、戦いの跡が見てとれる。強力な呪文か技のせいで薙ぎ倒された木々や、大きくえぐれた地面の跡が生々しい。

 気球船から下を見下ろしただけでも、激戦だったことは感じ取れる。
 幸いにも、敵の姿は見受けられないが、だからと言ってそれは即、味方の無事を意味しているわけではない。

「…………」

 マトリフは無言でその様子を見つめてはいるが、何も言おうとはしない。だが、その眼光は何一つ見落とさないと言わんばかりに、鋭く光っていた。
 しかし、エイミの方はそれほどの冷静さは持っていなかった。

(姫様……っ)

 氷の中に囚われの身となった、痛々しい少女の姿が脳裏を過ぎる。
 焦りを感じながら、エイミは必死で気球船を操りバルジの塔を目指した。風が出てきたせいもあり、さらには応急手当てをしただけの気球ではいつものように細かいコントロールをするのは難しい。

 姫が氷付けにされた階の様子を窺う余裕もなく、屋上に気球船を着地させる。設置のロープを張るのももどかしく、階下に降りる昇降口に駆け寄ろうとした。
 だが、エイミがそこに辿り着くよりも早く、下から男が上がってきた。

「え……っ!?」

 屋上と最上階への移動は、不安定な縄梯子しか移動手段がない。にも拘らず、飛び上がったかのような俊敏な動きで目の前に現れた男に、エイミが驚くのも無理はない。
 まるで、流れるように自然な動きだった。

 一瞬で屋上に上ってきた男は、抜き身のまま腰に下げていた剣を身構える。
 その構えに、その迫力に、エイミは思わず足を止めてしまった。

(だ、誰なの……っ!?)

 姫を守る盾となるために、護身術という以上に剣の修行を受けたエイミには、その男の技量がうっすらとでも感じ取れた。
 紛れもなく、凄腕だ。

 まだ20才を少し超えたぐらいの若い男――おそらくはアポロとそう変わらないぐらいの年齢だろう。
 見たこともない男だった。

 ほとんど白に近い銀髪が目を引く、長身の男。
 だが、恐ろしいまでの気迫を感じさせる青年だった。
 射ぬくように人を見る冷たい眼差しに金縛りにされたように、エイミは動くことすら出来ない。

「何者だ……!?」

 鋭い誰何の声が、投げかけられる。
 思わずビクッと身体が震えたのは、そのまま斬られるのではないかという危惧が消せなかったせいだ。
 だが、エイミの責任感とレオナに対する忠誠心が、恐怖を上回った。

「あ、なたこそ、誰……っ!? 姫様は……っ、ダイ君達はどうしたのっ!?」

 声が震えてしまったものの、なんとかエイミは最大の疑問を口にする。
 咄嗟に脳裏を過ぎるのは、最悪への恐れ――この見も知らぬ戦士が敵であるのではないかという、不安だった。
 しかし、青年はエイミのその言葉に、わずかばかりだが身構えた姿勢を緩める。

「……おまえは、ダイ達の知り合いなのか?」

「へっ、そいつを聞く前に、まずは自分から名乗ったらどうだ、お若いの?」

 場違いとも思える呑気な声が、その場の緊張感を緩める。
 老魔道士は恐れる様子すら見せず、ずかずかとエイミの前へと歩みでた。

「人に名を聞く時は、まずは自分から名乗るもの……ましてや女性が相手なら、なおさらだ。おまえさんの師匠がそれを教えなかったとは言わせないぜ。アバンの奴ぁ、あれでなかなかのフェミニストだったからな」

 ごく当たり前の様にそう言ってのけたマトリフに、驚きを見せたのは青年だけではなくエイミもだった。

(え……!? この人も、アバンの使徒?)

 ダイ達からは何も聞いていなかっただけに、戸惑いが先に立つ。だが、勇者アバンの仲間だった老魔道士の言葉を疑う理由など、エイミにはなかった。


「あなたは、いったい……」

 そう聞きかけてから、青年はふと思い出した様に口を噤み、剣を腰に下げた鎖に絡め直した。
 抜き身の悲しさで鞘にこそ納めてはないが、それは明らかに剣を納め、戦意がないと証明するための行為だ。

「オレの名は、ヒュンケルと言う」

「ああ、そんな名だったな。覚えているぜ、おまえは確か、アバンがあの時拾ったガキだろう。ずいぶんとまあ育ったもんだな、アバン譲りのその剣の構えがなきゃ、分からなかったぜ」

 マトリフのその言葉に、青年――ヒュンケルは一瞬だが、顔を伏せる。
 理由アリな雰囲気を残す再会とはいえ、確かに知り合い同士と分かったせいか、その場の雰囲気を和ませる。
 と、そこに、騒がしい声がかけられてきた。

「おおいっ、ヒュンケル、急に飛び出したりして、いったい何事じゃっ!? ……って、エイミ? それに、マトリフさんも来ておられたのかの!?」

「バダックさん……!」

 戦地に向かったはずの旧知の老人の無事を知り、エイミの胸に今度こそ安堵感が広がった――。






 ポップとレオナは、隣り合って横たわっていた。
 固い石畳を少しでも緩和させようというのか、二人の下には丁寧に畳まれた毛布が敷かれており、身体の上にも毛布をかけられている。

 もっともその気遣いは、二人にとってはさして意味があるようには見えない。青白い顔で静かに眠っている二人は、ぴくりとも動かない。
 その二人を取り巻くように、ダイ達はひどく心配そうに彼らを覗き込んでいる。

 特に、マァムはそれが極端だった。思い詰めたような表情をしていて、ポップとレオナから離れようともしない。

「姫様……っ」

 すぐに手を伸ばしかけたエイミを軽く制したのは、マトリフだった。最初にレオナの、次にポップの上に手を伸ばして、手のひらから魔法の光を放ちだす。

「……問題はねえな。お姫様はご無事だぜ。怪我もないし、体力もちゃんと回復されている」

 その言葉にホッとした顔を見せる一同の中、マァムの表情だけがふるわなかった。
 むしろ、いっそう絶望した様に暗くなり、顔を俯かせながら呟く。

「それなら、なぜレオナ姫は目覚めないの……っ!? やっぱり、私の力が足りないから……?」

 自分の力不足を嘆く少女の悲痛さに、エイミは目を奪われる。
 その思いは、彼女にとっても他人事とは思えない思いだから――。

「おまえのせいじゃねえよ、マァム」

 いつもは皮肉屋のマトリフが、珍しくも慰めの言葉をかけてやる。

「特異な状況で体力をひどく消耗したせいで、意識が回復しにくくなっているだけだっつーの。このお姫様にかけられたのは、曲がりなりにも禁術の一つだったんだからな」

 相手を凍りつかせて一切の動きを封じる、氷結の呪文。一度その呪文に囚われれば、自力での脱出は不可能に近い。

 その正体は、強制催眠呪文と氷系呪文を組み合わせたものだ。本来は生命力の強い魔族に対して使用する呪文であり、人間にかけるために編み出された呪文ではない。
 命が助かったとはいえ、多少の悪影響が出るのは当然だった。

「ま、ザメハでもかければ一発で目覚めるが、それよりは時間をかけて自然に回復するのを待った方がいい」

 その説明に全員が安堵の息を吐くが、まだ不安材料は残っていた。

「でも、マトリフさん。ポップは? さっきから全然目を覚まさないんだ!」

 心配そうに聞くダイに、マトリフは今度はいたって軽い口調で答えた。

「ああ、こいつの方はお姫様とは逆だな。魔法力を完全に使い果たして、昏睡しているんだ」

「こ……んすい?」

 聞き慣れない響きに、戸惑った顔を見せたのはダイだけではなかった。それを悟ったのか、マトリフは補足説明を加える。

「魔法使いや賢者みたいな魔法力の高い職業の奴が、限界以上の魔法力を出しきると、よくこうなるんだよ。普通の眠りと違って、起こそうったって起きやしねえし、回復魔法も無駄だ。自然に目覚めるのを待つしかねえな」

 それだけで終わった短い説明に、不吉の影を感じ取れた者はほとんどいなかっただろう。

「じゃあ、ポップも大丈夫なんだね!?」

 嬉しそうに笑うダイに、マトリフは頷かないまま、短く答える。

「まあ、昏睡の間は体温が低下しているから、回りの方で身体を暖めるように配慮してやった方がいい。その点は、お姫様も同じことだ。このままじゃ、風邪を引きかねないぜ」

「そ、それは大変じゃあ!」

 慌てふためいて、さらに毛布をかけようとするバダックやダイに対して、クロコダインがやんわりと制止の声をかける。

「いや、それよりも迎えも来たことだし、二人を安全な場所に移動させた方がいいんじゃないのか? こんな吹き曝しの場所では、安静には不向きだからな」

 その声に、エイミはビクッと体が震えるのを抑えきれなかった。
 話し方が、恐いわけではない。
 口調も穏やかだし、言っている内容も理に適ったものであり、的確な忠告と言えるだろう。

 だが、その姿に恐れを感じずにはいられない。
 見上げる様な巨体の、厳つい形相のリザードマン――正真正銘の怪物なのだから。最初、クロコダインの姿を見かけた時など、エイミは思わず悲鳴を上げるところだった。

 バダックやダイから、クロコダインは味方だと保証されてやっと警戒を解いたものの、まだ恐れは抜けきれない。
 魔王軍の猛攻を受けたパプニカにとって、怪物の姿は恐れの対象だったのだから無理はないといえば無理もないが、エイミはそんな自分を叱咤する。

 今、ここにいるクロコダインやヒュンケルの助力によって姫は助けられたのだと、ダイ達の口から聞いた。
 いわば、パプニカの恩人にあたる相手だ。そんな相手に対して怯えを見せるなど、ひどく失礼な態度だろう。

「え、ええ、そうですね。ですが……」

 クロコダインの忠告を、全面的に受け入れたいと思う。だが、残念ながら、エイミには『安全』な場所の見当もつかなかった。
 本来、このバルジの塔こそが王家にとっては最後の隠れ家であり、最終的な安全拠点だったはずなのだ。

 その他に、どこに移動すればいいのか判断出来る程の知識はエイミにはない。
 そして、行動力こそは長けていても、エイミには統率力や先を読んで臨機応変に対応する柔軟性には欠けている。

 パプニカの兵士達の大半が負傷し、マトリフの洞窟で一時避難している現在の状況で、次にどういう手を打てば一番有益なのか……分からずに途方に暮れるしかできない。

(なんて、役立たずなの……!)

 仮にも三賢者の一員として選ばれながら、いざという時は何もできないに等しい自分の未熟さを、思い知らされる。
 姫を助けるどころか、姫を助けてくれた恩人に報いることすらできないのだから――。
 と、その迷いを見越した様に、マトリフが口を挟んできた。

「ふん、とりあえずはオレんちに連れてくりゃあいい。さっさとこいつらを気球に運ぶんだな。特別サービスだ、ルーラで送ってやるよ」

「は、はい」

 指示を受けたことにむしろホッとして、エイミはレオナを抱き上げようとした。
 だが、いくら華奢な少女とは言え気絶した人間を軽々と運ぶ程、エイミは力は強くはない。かと言って仮にも一国の姫君であるレオナを男性の手に委ねて運ばせるのは、側近として看過できない問題だ。

「あ、私、手伝います」

 率先して手助けを申し出てくれたマァムの手を大きく借りて、エイミはなんとかレオナを無事に気球に運ぶことができた。
 その傍らでは、ダイがポップを運ぼうと一生懸命やっているところだった。

 しかし、力はともかくとして、身体の小さなダイが自分より大きなポップを運ぼうとするのにはかなりの無理がある。
 その様子を見兼ねたのか、ヒュンケルが毛布ごとポップを抱き上げる。

「こいつは、オレが運ぼう」

 その光景に、エイミは少しばかり目を惹かれる。
 あまりに、意外だったから――。
 ダイ達や他の仲間と違い、ヒュンケルは事情を話す際はほぼ無言だった。まだ、怪物であるクロコダインの方が気さくに話していたぐらいだ。

 レオナやポップの容体を聞いている時も、他のメンバーと違い表情さえも変えなかった。その様子を見て、エイミはなんて冷たい人なのだろうと、密かに思ったものだ。
 だが、気絶したままのポップを抱き上げるしぐさは、意外な程に丁寧なものだった。

 塔にやってきた自分に対して、容赦なく殺気をぶつけてきた戦士とはとても思えない程だ。
 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、この氷のような戦士もまた、仲間を案じる心を持っているのだとようやく思い至る。

 表情には見せなかったとしても、彼も心の奥底に優しさを持ち合わせているのだと――。
 その思いが、まだうっすらと残っていたエイミの恐怖心を拭い去り、ヒュンケルを一人の人間として眺める余裕を与えてくれる。

 そうやって落ち着いて眺めてみて、この青年が驚く程に端正な顔をしているのだと、エイミは初めて気がついた。

(綺麗……)

 風変わりな紫の目とほぼ白に近い銀髪――男性に対して抱くには不釣り合いかもしれない感想だが、素直にそう思ってしまう。
 時と場所も忘れて彼に見とれている自分を、エイミは自覚してはいなかった――。


                                     《続く》
  
  

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