『それぞれの決意 3』 |
そこは、ほとんど廃墟に近いと言ってもいい場所だった。 だが、神殿というものは柱を多く作り、大勢の人を収納出来る様に造りあげられたものだ。半壊以上しているとは言え、まだ充分に使用に耐える。 ここにいるのは、神官ばかりではなく兵士姿や、侍女風の者も数多い。
全員で神殿まで移動し、改めて勝利を知らせる信号弾を打ち上げたところ、人々は続々と集まってきた。 もちろん怪我人も多いし、戦いにおいては役に立ちそうもない女性や若年の者も少なくない。 ほとんどの人間が嬉しそうに、思い思いの仕事に打ち込んでいた。 有り合わせの焚き火を利用して料理を作る者、負傷者を手当てする者、壊れかけた神殿を修復する者など、やっていることは様々だが、誰もが力を惜しまずに働いている。 (……強いものだな) それは、戦いの場で見掛ける強さとは、また違う形の強さだった。 実際にこの国を踏みにじったヒュンケルが抱いていい感情ではないかもしれないが、その光景は不思議なくらいに胸を暖めてくれる光景だった。 『……ヒュンケル…いいぞ……人間は……』 クロコダインの言葉が、耳に蘇る。 (……だが……もう、遅いかもしれないが) この神殿に来てからずっと感じている、複数のまとわりつく様な視線。 が、目が合うよりも早く、さっと視線を逸らして逃げてしまう彼らを、責める気にはならなかった。 なにしろ、ヒュンケルは一度、パプニカを滅ぼしているのだから。 しかし、勇者の一員とここに来ているせいで確証が持てないのか、ヒュンケルを伺う視線は密かなものにとどまっている。 だが、いずれは……時間が経つにつれ、それらの疑惑が確信に変わり、自分を糾弾する声が上がるだろうと、ヒュンケルは確信していた。 「あら? ヒュンケルさん、お休みになっていなかったんですか?」 不意に声を掛けられ、ヒュンケルは振り向く。 「ちょうどよかった、そろそろそちらの部屋に行こうかと思っていたところだったんです。姫様が先程意識を取り戻されたんです! まだ、起きられる体調ではないので引き続きお休みになりましたが、もう安心ですから」 笑顔にも、声にも、弾む様な喜びが表れている。 そして、そんな大切な存在であるはずの少女を、殺そうと考えていた自分の罪深さを思い知らされた。 「そう言えば、ポップ君の具合はどうですか?」 聞かれて、ヒュンケルは首を左右に振った。 「いや……変化はない」 「そうですか」 少しがっかりした顔を見せたものの、エイミはすぐに笑顔を見せて、気を引き立てる様に言った。 「でも、もうじき目覚めますよね。待っていてください、すぐにお食事をそちらに運びますから。遅くなってすみません、今は何かと人手が足りなくて……」 そう言われて、ヒュンケルはやっと、ここが配給場となっていることに気がついた。 本来なら、自分達もここに来てもらいにくるべきだったのだと今更の様に気がついた。が、自分にしろ、ダイ達にしろ、ポップが気になって食事どころではなかったのだ。 「いや、オレが運ぼう」 ただでさえ忙しそうな彼女達を気遣ったためもあるが、女性の細腕にはあまるようなその量を見兼ねての言葉でもあった。 「そんな! ヒュンケルさんにそこまでしていただいては、申し訳ないですわ」 エイミはそう思うのも、無理はない。 だが……何も知らず、素直に自分を姫の恩人と崇めるエイミに接するのは、ヒュンケルにはいささか辛かった。 「――ヒュンケルでいい」 「え?」 戸惑う彼女に対して、ヒュンケルはトレイを取り上げながら重ねて言った。 「呼び捨てで、構わない」 自分が尊称に値する人間ではないことは、ヒュンケル自身が一番よく知っている。気遣いを受けるのに相応しい人間では、決してないのだ。 「ヒュンケル……さん? あの……?」 戸惑いながらもエイミは何かを話しかけようとしてきたが、侍女の声がそれを遮った。 「エイミ様〜っ、野菜が足りなくなってきたんですけど」 それを機に、ヒュンケルは黙礼を一つしてその場を立ち去った。 神殿の外れにある一室に戻ると、部屋の中は静まり返っていた。 (まだ、起きていないのか) ベッドに横たわったままのポップの様子を確かめるまでもなく、それが分かる。 神殿に来てすぐ、レオナが安静に出来る部屋に移動させられたのと同様に、勇者一行のためにも一つの部屋があてがわれた。 「クロコダイン達はどうしたんだ?」 聞いてみると、やっと二人が顔を上げた。 「ああ……、クロコダインなら、ここは狭いから外で休むって言って、さっき出ていっちゃったよ」 そう答えるダイは、ひどく眠そうだった。実際、居眠りでもしかけていたのか、目がとろんとして声にも張りがない。 「マトリフおじさんなら、アポロさんに呼ばれてどこかに行ったわ。遅くなるかもしれないから、先に休んでいていいって言っていたけど……」 マァムの顔にも疲れの色が濃い。 ベッドに見向きもせず、ポップのすぐ近くの椅子に座り込んだまま、動こうとしない。 「……レオナは大丈夫かなぁ?」 ぽつんと、ダイが呟くのを聞いて、ヒュンケルは伝えておくべき言葉を思い出した。 「姫なら、さっき意識を取り戻したそうだ」 「ホント!?」 途端に、ダイやマァムの表情が明るくなる。 「ああ。まだ休養が必要だそうだが、もう大丈夫だ」 「そっかぁ、よかった……!」 嬉しそうに何度も頷いてから、ダイは今更の様にヒュンケルの持ってきた物に気がついたらしい。 「そう言えば、なんかいい匂いしてるけど、それ、ご飯?」 「ああ、そうだ」 湯気のたっているスープに、幾許かの干し肉、いささか冷めたパンという、簡素にも程のある食事だが、戦場においては充分過ぎるぐらいの食事だろう。 「……そう言えば、おれ、ご飯、すっかり忘れてたや。ありがと、ヒュンケル!」 ダイは嬉々として、食事にかぶりつきだす。 「あなたもおなかがすいたでしょう? たくさん食べてね」 「ピピピーッ!」 嬉しそうに鳴いてから、ふと、ゴメちゃんは心配そうにポップの方を振り返った。 「ピピー? ピー……」 呼び掛けても反応がないポップに、ゴメちゃんがショボンと沈み込むのを見て、ダイやマァムも食べかけていた手を止めた。 だが、昏睡状態のポップは全くの無反応で、ぴくりとも動かない。 急に元気を無くしたダイやマァムを励ましてやりたくても、口下手なヒュンケルには何を言っていいのかも分からない。 「食べないと、体力が回復しないだろう。食べれる内に、食べておけ」 ポップの分やマトリフの分もきちんとテーブルに乗せた後、ヒュンケルはクロコダインにも食事を渡してくると言い残し、部屋を出た。 「おお、わざわざ食事を持ってきてくれたのか。すまんな」 神殿の外れの誰もこないような場所で、クロコダインは瓦礫の陰になる様な場所に寄り掛かって座り込んでいた。 「いや、ついでだ」 受け取った食事を食べ始めるクロコダインの隣に、ヒュンケルもまた腰を下ろし、自分の分を口に運ぶ。 だが、作り手の誠意を伺える暖かさは、充分に美味と呼べる味だった。噛みしめる様にそれを味わいながら、言葉少なに話を伝える。 「姫が、意識を取り戻したそうだ」 「そうか。それは朗報だな」 太い指に相応しくない小ささのパンをつまみながら、クロコダインはそれを口にぽいっと放り込む。 そもそも怪物と人間では、食事の摂取量や感覚に大幅な差がある。人間と違い怪物や魔族は、一度に大量に摂取する代わりに、長時間食事を取らなくても平気な体質を持ち合わせている。 人間の様に、一日に何度も分けて食事を摂取するような効率の悪い食事は、行わないでいいのだ。 義を尽くす相手には、誠意を返す。 「ポップの方はどうだ?」 クロコダインからのその問いには、ヒュンケルは黙って首を横に振った。 「……そうか」 それっきり、クロコダインは何も言わなかった。 ヒュンケルに疑惑の視線が向けられるのだとしたら、クロコダインに向けられるのははっきりとした畏怖の視線だ。 だが、クロコダインはそれを甘受している。 ヒュンケルにしてみれば、その潔さが、その迷いのなさが、羨ましくさえ思える。 (……まだまだ弱いな、オレは――) 今まで、ただひたすら強さだけを、追い求めてきたつもりだった。 ダイ達と出会ったことで、それがはっきりと分かる。 無数の星が輝く夜空は、ヒュンケルにとっては今でも物珍しく思える。幼い頃は地底魔城で過ごし、魔王軍に入ってからもほとんどの時間を空とは縁のない場所で過ごした。 復讐に思いを縛られた愚かな子供に、アバンは常に優しく、そして惜しみのない知識を与えながら接してくれたものだ。 古臭い伝説に一切興味を持たない子供相手に、アバンは根気よく様々な星座の話や見分け方を教えてくれたものだった――。 「部屋に戻らないのか?」 クロコダインに促されるまで、ヒュンケルはずっと空を見上げていた。 「ああ。今日はこのまま……星を見ていたい気分だからな」 それに、クロコダインは反対も賛成もしなかった。
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