『それぞれの決意 3』

  

 そこは、ほとんど廃墟に近いと言ってもいい場所だった。
 本来ならば傷一つなかったであろう白亜の大神殿は、今は半ば壊れかけて無残な姿を晒していた。

 だが、神殿というものは柱を多く作り、大勢の人を収納出来る様に造りあげられたものだ。半壊以上しているとは言え、まだ充分に使用に耐える。
 なにより、ここに集う人々の多さが、ここを廃墟には見せない最大の要因だ。

 ここにいるのは、神官ばかりではなく兵士姿や、侍女風の者も数多い。
 パプニカ城が落ちた際、逃げ出した人々が集まっているのだろう。一度滅びた国とは思えないぐらい、人々の表情は明るかった。





 一度、マトリフの洞窟に戻った勇者一行は、アポロの指示で拠点をこの神殿に移した。万一の場合の集結場所と定められた神殿ならば、怪我人を治療出来るだけの設備や部屋も残っているから、と言うのがその理由だった。

 全員で神殿まで移動し、改めて勝利を知らせる信号弾を打ち上げたところ、人々は続々と集まってきた。
 意外な程多いその数には、正直驚いた。

 もちろん怪我人も多いし、戦いにおいては役に立ちそうもない女性や若年の者も少なくない。
 だが、唯一の王家の生き残りであるレオナ姫の無事に、人々が喜びに沸き立っているのが分かる。

 ほとんどの人間が嬉しそうに、思い思いの仕事に打ち込んでいた。
 もう、夜もだいぶ更けた時間だと言うのに、彼らは休む間も惜しんで熱心に動いていた。

 有り合わせの焚き火を利用して料理を作る者、負傷者を手当てする者、壊れかけた神殿を修復する者など、やっていることは様々だが、誰もが力を惜しまずに働いている。
 その姿を眺めながら、ヒュンケルは思う。

(……強いものだな)

 それは、戦いの場で見掛ける強さとは、また違う形の強さだった。
 戦う力を持たない者でも、弱いだけの存在であるわけではない。
 強者に踏みにじられたとしても決してそこで終わらず、しぶとく生活し続けていく人間の底力を、今こそ思い知った気がする。

 実際にこの国を踏みにじったヒュンケルが抱いていい感情ではないかもしれないが、その光景は不思議なくらいに胸を暖めてくれる光景だった。

『……ヒュンケル…いいぞ……人間は……』

 クロコダインの言葉が、耳に蘇る。
 当時は反発せずにはいられなかったその意見に、今なら全面的に賛同出来ると思った。

(……だが……もう、遅いかもしれないが)

 この神殿に来てからずっと感じている、複数のまとわりつく様な視線。
 ヒュンケルがそちらに目を向けると、決まって複数の人間がひそひそ話しながらこちらを見ているのに気がつく。

 が、目が合うよりも早く、さっと視線を逸らして逃げてしまう彼らを、責める気にはならなかった。
 むしろ、当然だと思う。

 なにしろ、ヒュンケルは一度、パプニカを滅ぼしているのだから。
 城に攻め入った時も、陣頭指揮を執った。どこかで自分を見かけ、覚えている人間がいても、なんの不思議もない。

 しかし、勇者の一員とここに来ているせいで確証が持てないのか、ヒュンケルを伺う視線は密かなものにとどまっている。

 だが、いずれは……時間が経つにつれ、それらの疑惑が確信に変わり、自分を糾弾する声が上がるだろうと、ヒュンケルは確信していた。
 それが分かっていながら、ヒュンケルはあえて姿を隠そうとしなかった。

「あら? ヒュンケルさん、お休みになっていなかったんですか?」

 不意に声を掛けられ、ヒュンケルは振り向く。
 声を掛けてきたのは、食事を作っている女性達に混じって、てきぱきと指示を飛ばしていたエイミだった。
 彼女は手を拭いながら、近寄ってくる。

「ちょうどよかった、そろそろそちらの部屋に行こうかと思っていたところだったんです。姫様が先程意識を取り戻されたんです! まだ、起きられる体調ではないので引き続きお休みになりましたが、もう安心ですから」

 笑顔にも、声にも、弾む様な喜びが表れている。
 それ程までに、レオナはエイミにとって――いや、この国の民にとって希望の象徴なのだろうと、つくづく思う。

 そして、そんな大切な存在であるはずの少女を、殺そうと考えていた自分の罪深さを思い知らされた。

「そう言えば、ポップ君の具合はどうですか?」

 聞かれて、ヒュンケルは首を左右に振った。

「いや……変化はない」

「そうですか」

 少しがっかりした顔を見せたものの、エイミはすぐに笑顔を見せて、気を引き立てる様に言った。

「でも、もうじき目覚めますよね。待っていてください、すぐにお食事をそちらに運びますから。遅くなってすみません、今は何かと人手が足りなくて……」

 そう言われて、ヒュンケルはやっと、ここが配給場となっていることに気がついた。
 先ほどから調理している女性達は、食事を求めてやってくる人々に対して、せっせと食事を取り分けて与えている。

 本来なら、自分達もここに来てもらいにくるべきだったのだと今更の様に気がついた。が、自分にしろ、ダイ達にしろ、ポップが気になって食事どころではなかったのだ。
 それを気遣ってくれたのか、数人分の料理をトレイに山盛りにしてくれて運びかけたエイミを見て、ヒュンケルはそれを止めた。

「いや、オレが運ぼう」

 ただでさえ忙しそうな彼女達を気遣ったためもあるが、女性の細腕にはあまるようなその量を見兼ねての言葉でもあった。
 だが、エイミは困った様な顔をする。

「そんな! ヒュンケルさんにそこまでしていただいては、申し訳ないですわ」

 エイミはそう思うのも、無理はない。
 姫の側近として、姫の恩人に礼を尽くすのは当然だろう。

 だが……何も知らず、素直に自分を姫の恩人と崇めるエイミに接するのは、ヒュンケルにはいささか辛かった。
 だからこそ、彼は言わずにはいられなかった。

「――ヒュンケルでいい」

「え?」

 戸惑う彼女に対して、ヒュンケルはトレイを取り上げながら重ねて言った。

「呼び捨てで、構わない」

 自分が尊称に値する人間ではないことは、ヒュンケル自身が一番よく知っている。気遣いを受けるのに相応しい人間では、決してないのだ。
 傷ついた人々のために、こうやって微力でも助け手を差し延べられる人間と違い、自分の手がいかに罪深く汚れているか……。

「ヒュンケル……さん? あの……?」

 戸惑いながらもエイミは何かを話しかけようとしてきたが、侍女の声がそれを遮った。

「エイミ様〜っ、野菜が足りなくなってきたんですけど」

 それを機に、ヒュンケルは黙礼を一つしてその場を立ち去った。






 神殿の外れにある一室に戻ると、部屋の中は静まり返っていた。

(まだ、起きていないのか)

 ベッドに横たわったままのポップの様子を確かめるまでもなく、それが分かる。
 もし、ポップが目覚めたのなら、部屋がこんなに静まり返っていることも、ダイとマァムが元気なく黙り込んでいることもないだろう。

 神殿に来てすぐ、レオナが安静に出来る部屋に移動させられたのと同様に、勇者一行のためにも一つの部屋があてがわれた。
 だが、さっきヒュンケルが散歩に出るまでは、マトリフやクロコダインもいたはずだが、今、部屋の中にいるのは、ダイ、ポップ、マァムの三人だけだ。

「クロコダイン達はどうしたんだ?」

 聞いてみると、やっと二人が顔を上げた。

「ああ……、クロコダインなら、ここは狭いから外で休むって言って、さっき出ていっちゃったよ」

 そう答えるダイは、ひどく眠そうだった。実際、居眠りでもしかけていたのか、目がとろんとして声にも張りがない。

「マトリフおじさんなら、アポロさんに呼ばれてどこかに行ったわ。遅くなるかもしれないから、先に休んでいていいって言っていたけど……」

 マァムの顔にも疲れの色が濃い。
 それも当然だろう。あれほどの激戦を戦い抜いたのだ、二人とも相当疲れているはずだ。休んだ方がいいはずだが、二人ともポップが気になってならないのだろう。

 ベッドに見向きもせず、ポップのすぐ近くの椅子に座り込んだまま、動こうとしない。
 そして、二人が心配しているのは、ポップだけではないようだ。

「……レオナは大丈夫かなぁ?」

 ぽつんと、ダイが呟くのを聞いて、ヒュンケルは伝えておくべき言葉を思い出した。

「姫なら、さっき意識を取り戻したそうだ」

「ホント!?」

 途端に、ダイやマァムの表情が明るくなる。

「ああ。まだ休養が必要だそうだが、もう大丈夫だ」

「そっかぁ、よかった……!」

 嬉しそうに何度も頷いてから、ダイは今更の様にヒュンケルの持ってきた物に気がついたらしい。

「そう言えば、なんかいい匂いしてるけど、それ、ご飯?」

「ああ、そうだ」

 湯気のたっているスープに、幾許かの干し肉、いささか冷めたパンという、簡素にも程のある食事だが、戦場においては充分過ぎるぐらいの食事だろう。

「……そう言えば、おれ、ご飯、すっかり忘れてたや。ありがと、ヒュンケル!」

 ダイは嬉々として、食事にかぶりつきだす。
 ポップにぴったりくっついて眠っていたはずのゴメちゃんも起きだして、ピーピーと鳴き始めたのを見て、マァムは自分の食事を分けてやった。

「あなたもおなかがすいたでしょう? たくさん食べてね」

「ピピピーッ!」

 嬉しそうに鳴いてから、ふと、ゴメちゃんは心配そうにポップの方を振り返った。

「ピピー? ピー……」

 呼び掛けても反応がないポップに、ゴメちゃんがショボンと沈み込むのを見て、ダイやマァムも食べかけていた手を止めた。
 普通に眠っているのなら、周囲でこれだけ騒いだり、食事の匂いがすれば目を覚ます可能性は高いだろう。

 だが、昏睡状態のポップは全くの無反応で、ぴくりとも動かない。
 良くも悪くもいつも騒がしいポップとは思えないその様子を、すぐ側で見ていたのでは心配になるのも当然と思えた。

 急に元気を無くしたダイやマァムを励ましてやりたくても、口下手なヒュンケルには何を言っていいのかも分からない。
 結局、言えたのは自分でも陳腐と思える言葉だけだった。

「食べないと、体力が回復しないだろう。食べれる内に、食べておけ」

 ポップの分やマトリフの分もきちんとテーブルに乗せた後、ヒュンケルはクロコダインにも食事を渡してくると言い残し、部屋を出た。





「おお、わざわざ食事を持ってきてくれたのか。すまんな」

 神殿の外れの誰もこないような場所で、クロコダインは瓦礫の陰になる様な場所に寄り掛かって座り込んでいた。

「いや、ついでだ」

 受け取った食事を食べ始めるクロコダインの隣に、ヒュンケルもまた腰を下ろし、自分の分を口に運ぶ。
 お世辞にも、上質の食事とは言えないだろう。

 だが、作り手の誠意を伺える暖かさは、充分に美味と呼べる味だった。噛みしめる様にそれを味わいながら、言葉少なに話を伝える。

「姫が、意識を取り戻したそうだ」

「そうか。それは朗報だな」

 太い指に相応しくない小ささのパンをつまみながら、クロコダインはそれを口にぽいっと放り込む。
 彼の体格から言って、少なすぎる食事に文句をつける素振りもない。

 そもそも怪物と人間では、食事の摂取量や感覚に大幅な差がある。人間と違い怪物や魔族は、一度に大量に摂取する代わりに、長時間食事を取らなくても平気な体質を持ち合わせている。

 人間の様に、一日に何度も分けて食事を摂取するような効率の悪い食事は、行わないでいいのだ。
 それなのに、わざわざ必要とは言えない食事を食べるのは、作り手やそれを運んできたヒュンケルへの思いやりだろう。

 義を尽くす相手には、誠意を返す。
 獣王クロコダインとは、そういう男だった。

「ポップの方はどうだ?」

 クロコダインからのその問いには、ヒュンケルは黙って首を横に振った。

「……そうか」

 それっきり、クロコダインは何も言わなかった。
 ポップの容体を気にしていながら、彼がこんな場所にいる理由は、言われずとも見当がつく。

 ヒュンケルに疑惑の視線が向けられるのだとしたら、クロコダインに向けられるのははっきりとした畏怖の視線だ。
 怪物である彼の魁偉な姿は、隠しようもないのだから。

 だが、クロコダインはそれを甘受している。
 この武骨で真っ直ぐな男は、人々から恐れの視線を向けられることを受け入れた上で、それでも人間に助力しようと考えているのだ。

 ヒュンケルにしてみれば、その潔さが、その迷いのなさが、羨ましくさえ思える。
 同じように魔王軍に組みした過去を持つとはいえ、ヒュンケルにはとてもそこまで割り切れない。

(……まだまだ弱いな、オレは――)

 今まで、ただひたすら強さだけを、追い求めてきたつもりだった。
 甘さや人間の情など切り捨て、修行に専念さえしていればそれで強くなれると……そう考えていた少し前までの自分が、ひどく愚かしく思える。

 ダイ達と出会ったことで、それがはっきりと分かる。
 真の強さとは、そんな安易な手段で手に入れられるものではないのだと――。
 深く息をついて、ヒュンケルは空を見上げた。

 無数の星が輝く夜空は、ヒュンケルにとっては今でも物珍しく思える。幼い頃は地底魔城で過ごし、魔王軍に入ってからもほとんどの時間を空とは縁のない場所で過ごした。
 だから、ヒュンケルにとって戸外で過ごした時間は、最初の師であるアバンと過ごした思い出と結びついている。

 復讐に思いを縛られた愚かな子供に、アバンは常に優しく、そして惜しみのない知識を与えながら接してくれたものだ。
 その知識の中には、星座の見方もあった。

 古臭い伝説に一切興味を持たない子供相手に、アバンは根気よく様々な星座の話や見分け方を教えてくれたものだった――。

「部屋に戻らないのか?」

 クロコダインに促されるまで、ヒュンケルはずっと空を見上げていた。

「ああ。今日はこのまま……星を見ていたい気分だからな」

 それに、クロコダインは反対も賛成もしなかった。
 再び訪れた沈黙の中で、星は変わらずに瞬いていた――。


                                     《続く》
  
  

4に進む
2に戻る
小説道場に戻る
トップに戻る

inserted by FC2 system