『失われたもの 5』

  
 

 尖った岩山だらけの、荒涼とした死の大地に、大小の人影が下り立った。
 ガルーダと共に地上に降り立ったのは、見上げるような巨体のリザードマン。
 そして、転げ落ちるように振り落とされたのは、空手ネズミのチウだ。

「いてててっ、ら、乱暴だな、君は! もっと安全運転はできないのかねっ!?」

 鼻をまともにぶつけたチウはガルーダに向かって文句をつけるが、怪鳥は聞く耳持たぬとばかりに知らん顔だ。
 そんな二匹に苦笑しつつも、ここまで自分を運んできたガルーダを労うように軽く撫でたクロコダインは、休むようにと促した。

「クエエッ」

 一声鳴くと、ガルーダはネズミなど相手にはしていられないとばかりにさっさと背を向け、岩かげに隠れるようにして、首を丸めて眠りの体勢を取る。
 それを悔しそうに見ながらも、チウもまた自分の使命を思い出したらしい。

「じゃあ、クロコダインさん、ぼくはあっちの海の方を探してみますから!」

 そう言いながら、チウはトテトテと海岸の方へと向かい、その辺に漂っているしびれくらげに声をかけ始めた。
 それを見送ったクロコダインの前に、ダイがようやく追いついてきた。

 飛翔呪文が使えるとはいえ、ダイはあまり魔法が得意とは言えない。ポップならばガルーダよりも早く飛ぶことができるが、ダイの速度はそれよりもずいぶんと劣っている。

 同時にパプニカを出発したのに、飛翔呪文で飛んで来たダイの方が遅かった事実を、クロコダインは責める気にはならなかった。
 ダイにとって、この探索が気の進まないものだと分かるだけに尚更だ。

「ダイ。とにかく、手分けして探すとしよう」

「うん……」

 頷いたもののダイの目は海ではなく、大きく地面が抉れた跡の残る大地を見つめていた。
 つい二日前、ダイ自身がつけた傷跡だ。

「ダイ」

 さっきよりも強めの声で、クロコダインは動かないダイの名を呼ぶ。

「気持ちは分かるが……引き受けたことは、やるべきだろう。それに、ポップのことは――」

 言いかけたクロコダインの言葉を、ダイが強い口調で断ち切った。

「分かってるよっ!」

 いつものダイらしくもない、怒りに任せたような強い反発に、クロコダインは思わず目を見張る。
 それを見て、ダイもハッとしたように慌てて頭を下げた。

「ご、ごめん、クロコダイン。おれ、ちゃんとやるよ。じゃあ、こっちでも探すから……!」

 言い訳するように早口に言い捨て、ダイは海の中に飛び込んだ。クロコダインは痛々しい物を見つめるような目で、それを静かに見送った――。








「え……!? まずはおれの剣を探しに行くって……それじゃ、ポップはどうなるんだよっ!?」

 数時間前――。
 どうしても納得いかないとばかりに声を張り上げたダイに、レオナは辛そうに眉をひそめた。

 辛そうな表情を見せたのは、彼女ばかりではない。その場にいる全員……勇者一行の大半のみならず、三賢者やバダックなどもが、沈痛な表情を隠せない。

 だが、それでも気丈なレオナは顔を真っ直ぐに上げて、言い聞かせるようにダイに言った。

「もちろん、ポップ君の捜索や救出を諦めたわけじゃないわ。ただ、最優先にすべきことはダイ君の剣の確保ではないかという意見が、あがってきたの」

 レオナが集めた王達は、勇者ダイをバックアップするという方向で合意した。

 彼らが合意したのは、ダイの実力を認めたからに他ならない。
 ベンガーナ王国が誇る最新軍隊でも手も足も出なかった鬼岩城を、たった一太刀で真っ二つにしたダイの剣の威力は、強い印象を残している。

 ――つまり、言い換えれば……『ダイの剣を持った勇者』こそが、世界の指導者達が求める勇者像であり、力を貸すに足る存在でもあるのだ。

 ダイの剣を持たない勇者に対して、不安を抱いている者は少なくない。
 勇者に全面的にバックアップする条件として、まずは剣を取り戻すようにと進言した王達の要求は、決して不当なものとは言えないだろう。

「……その意見が、間違っているとは私も思えないわ。ポップ君を助けるにしても、武器があるに越したことはないもの」

 そう説得しながらも、レオナの声にはある種の苦みが混じる。
 それは、レオナ自身が納得がいかない説得を、あえてしなければならない辛さからにじみ出るものだ。

 レオナには、分かっている。
 『協力し合う』ということは、得てしてこうなってしまうものなのだと。

 物事には、良い面と悪い面が必ず存在する。それはコインの裏表のようなもので、決して切り離せるものではない。
 レオナは、ダイ達をバックアップするために、自分個人の力だけでは限界を感じていた。

 いくら一国の王女という肩書きがあるにせよ、それだけで国を自在に動かせる権力があるわけではない。
 ましてや、他国への協力を無条件に手に入れる権力などあるわけも無い。

 レオナにできるのは世界に迫る危機を訴え、それを実感してもらうと同時に、できる限りの協力をダイ達に向けてもらえるように提案すること。
 それだけだ。

 全部の王国が対等な立場で話し合い、世界平和のために協力し合う……それが、レオナが求めた世界会議の議題であり、命題だ。

 だが、この対等というのが落とし穴だ。
 実際に前線に立つダイ達の作戦を受け入れさせ、協力してもらえる形に話を進めているとはいえ、王達もまた、なにも提案してこないわけではない。

 今までさしたる戦果を上げてこなかった勇者一行の魔法使いの救出より、この先の戦いの結末を左右する勇者の剣を取り戻すことを優先すべきだと、王達が求めたからと言って、それを切り捨てられない。

 非情なようだが、戦いや政治の場においては感情は不要の物。
 物事の優先順位を決め、それが高い方から手を打つのはごく当然の思考だ。
 もし、勇者一行が王達の提案を拒めば、彼らもまた勇者一行への協力を拒むだろう。

 国同士の繋がりを考えれば、ここでその要求を切り捨てるのは不利だと考えるだけの聡明さが、レオナにはあった。
 個人的にはポップの救出の方を優先したいと思っても、王女としてのレオナは、せっかくまとまってきた世界会議を成功させる道を選択する。

 だが、レオナのその思考は、仲間を一番先に思うダイやマァムから見れば、冷たいとしか思えないものだった。

「レオナ……! それ、本気で言っているの? 武器なんかよりも、人命の救助の方が大切でしょう!?」

 自分を非難するマァムの言葉を、レオナはあえて受け止める。

「マァム、姫様も……」

 エイミが主君を庇おうと口を開きかけたが、レオナは無言のまま、目でそれを制した。

 会議の場で、レオナはぎりぎりまでポップの救出を優先するように進言し、説得に努めた。
 しかし……それに失敗した以上、言い訳する気はなかった。

「……姫様…………!」

 不満を言葉にはしないものの、大きな目からポロポロと涙をこぼれさせるメルルを見るのは、マァムに責められる以上に辛い。
 だが、レオナにとって一番辛いのは、ダイからの非難の視線だった。

「そうだよ、レオナ! ポップを助けに行くんじゃなかったのか!?」

 覚悟は決めていても、ダイからの糾弾はレオナにとっては誰のものよりも辛い。マァムの時のように受け流せず、ひどくショックを受けた様子で反射的に言い返す。

「それは、あたしだって……っ!」

 ギュッと唇を噛み締めたレオナは、高ぶる気持ちを押さえつけながら、それでも声を落ち着かせようと努力をする。

「――あたしだって、本当はポップ君の救出を優先したい……!」

 瞼を忙しく瞬かせるのは、彼女が必死に涙を堪えているせいだ。

「でも、手掛かりが無いの。魔王軍からもなにも言ってこないし、そもそもこっちには敵の本拠地の情報すら全くと言っていい程に無いのよ。ポップ君が今、どこにいるのか……それさえ、分からないわ」

 今にも泣き出しそうな衝動を堪えるレオナの悲痛な表情に、ダイやマァムでさえ言葉を無くす。

 それを聞いてメルルが泣き崩れるのは、責任を感じているせいか。
 メルルの占いでさえ、ポップの居場所はおろか、生死すらうかがい知れない。それは彼女の責任ではないが、だからといって気に病まないはずがない。

 傷ついている仲間達を、クロコダインやヒュンケルは黙って見守っていた。
 彼らは、最初から無言を決め込んでいた。

 軍団長という立場に立っていた彼らには、理解できたからだ。レオナの立場の辛さと、個人的感情を押し殺してまで任務に応じなければならぬ、『組織』というものの大きさを。

 だからこそ、せめて無言のままでいることで、健気にも世界を一つにまとめて勇者一行の力になろうとしている少女を、細やかにでも援護しようと考えた。

 だが、自分達のそんな消極的な援護など、なんの助けにもならないことは、彼らが一番良く分かっていた。

 こんな時に、ポップがいてくれたら――。

 そう、思ったのは、彼らだけではなかった。おそらく、この場にいた全員が同じ感想を抱いただろう。

 もし、ポップがいれば、この場の雰囲気は大きく違う物になったに違いない。
 お調子者のように見えて、本当に言ってほしい言葉を他人に与えることのできるあの少年がいたのなら、こんな風にはならなかっただろう。

 それを思えば思う程、今、この場にはいない魔法使いの少年の存在の大きさを、彼らは実感せずにはいられなかった――。







(ポップ……、無事、なのかな)

 冷たい海の中、必死に目を凝らしながら、ダイは無意識にポップの姿を探していた。

 もっとも、本来の目的である剣探しも忘れているわけではない。
 結局、レオナの説得に押し切られる形で、ダイ、クロコダイン、チウの三名は死の大地まで剣を探しにくることになった。

 マァムやヒュンケルも行きたがったが、ポップがいない以上、瞬間移動呪文の使い手はダイしかいない。
 しかも、目的地である死の大地はダイはほんのわずかな時間しかいなかったため、瞬間移動呪文で移動できる程にはイメージが固まらなかった。

 仕方がなく、飛翔呪文で飛んでいくしかなかったが、そうするとダイは自分一人で飛ぶのが精一杯だ。
 ガルーダで空を飛べるクロコダインが、おまけとしてチウを連れて同行してくれたが、他のメンバーまでは移動しきれない。

 それに、ダイとクロコダインは水中探索は他のメンバーよりも向いている。
 リザードマンは元々、水陸で行動できる怪物だし、ダイは泳ぎが達者な上、水中を長い時間潜っていられる。

 長いといってもさすがにクロコダインには及ばないが、通常の人間の数倍近い時間は水に潜りっ放しでも平気だ。
 氷海が近いだけに死の大地付近の水は冷たいが、それさえもダイにはたいしたダメージにはならない。

 海底近くまで潜りながら、ダイはゆっくりと周辺を探っていた。だが、ダイの剣は一向に見当たらない。

(変だな……)

 あの時、ダイが投げ捨てた剣は、海中にまっすぐ落ちた。
 その大体の場所は覚えているのに、剣は見つからない。一応、誤差も考えて広めの範囲を探しているというのに、全く影も形も見えないというのはおかしい。

 息が苦しくなってきたので、一度海上に上がると、遠くでクロコダインもまた息継ぎに上がってきたのが見えた。

「クロコダイン、見つかったー?」

「いや、まだだ。もう少し、範囲を広げてみるか」

 そんな会話をしている彼らは、気がつかなかった。
 海中の岩に紛れるように、岩とほとんど同化して周囲の様子を窺っている、悪魔の目玉の存在に――。








 ポップは無気力に、牢屋の片隅で膝を抱えて蹲っていた。
 すでに、閉じ込められているのは特殊な魔封の牢ではなく、ごく普通の牢屋だった。ここで飼い殺しておくことこそが、バーンが下したポップへの処分だった。

 ダイへの人質に使う気はないが、さりとて自由にしてやるほどの義理もない。

 もし、ダイ達を一ヵ所におびき出す必要が生じた時のための囮にでもするかもしれない程度の、腹積もりはある。
 だが、それが目的とも言えない。

 生粋の人間であるポップが、魔族をも閉じ込める牢獄の中でそうそう長生きできるはずもない。

 とりあえずは生かしておくが、途中で死んでしまっても一向に構わない、何の価値もない駒。
 バーンが記憶を失ったポップに与えたのは、その程度の関心だった。

 ぼんやりと座っているだけのポップは、牢屋に近付いてきた人影に反応して、顔をそちらに向ける。

「おまえは、誰だ……!?」

 ポップの顔に浮かんでいるのは疑問や不安であり、警戒や敵意ではない。
 記憶を失ったポップにしてみれば、目の前に現れた小柄な魔族は初対面の相手だ。

 ポップよりもはるかに小柄で、まるで子供のような背丈や体格にも関わらず、年老いた姿を持つ魔族。

 だが、体格とは裏腹に、彼には可愛らしさなど微塵も感じられない。その目はいかにも陰険そうであり、他者を見下す侮蔑の色合いがはっきりと浮かんでいる。

「誰、か。ふん、それさえも忘れてしまうとは情けない奴よのう、ヒッヒッヒ……」

 その言い方にムッとしたのか、ポップの顔に反感が浮かぶ。しかし、檻の向こうに立っている魔族は、気にした様子もなく得意げに言ってのけた。

「まあ、そんなことはどうでもよい。小僧、一つ忠告してやろう。このまま、この城の中にいれば、おまえはいずれ死ぬぞ」

 淡々とした言葉――だが、だからこそ確実に起こり得ることを語っている現実味があった。

「な……っ、なんで、おれが死ななきゃなんないんだよっ!?」

 言い返すポップの表情には、驚きよりも怯えの色が強い。
 記憶を失って以来、なぜか魔族に捕らえられ、牢屋に閉じ込められているという現実。恐怖と不安は、常にポップと共にあった。
 その怯えを煽るかのように、小柄な魔族は嫌な声で嘲笑う。

「死にたくないか? ヒッヒッヒッ……、なんなら助けてやらんでもないぞ」

 カランと音を立てて、腕輪が牢の中に投げ込まれる。それは回転しながら、はかったようにポップの目の前まで転がってきて、止まった。

 音や堅さから金属だと分かるが、糸をぐるぐると幾重にも巻きつけたようなデザインの腕輪だ。
 縺れた蜘蛛の巣を思わせるような毒々しい色合いの、紅い腕輪――手にするのをためらうポップに向かって、魔族は目を小狡く光らせながら言った。

「助かりたかったら、その腕輪を手にはめることじゃな――」


                         《続く》
 

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